旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

自分を定義する人々

2009年09月16日 | その他
”私は◎◎な人だからぁ”という言葉をはじめとして、自分を定義しなければ気がすまない人は沢山います。バイクライダーにもとても多くて、”オフロード派”とか、”レース派””ツーリング派”とか、”ホンダ派”とか、誰に頼まれたわけでもないのに自ら所属を決めたがる人、あなたの周囲にもいませんか。いや、あなた自身はどうですか?

あるいは、こういうのもあります。”自分は朝が苦手だから”とか、”外国語が苦手だから”とか。

こういう話を聞くたびに、自分で自分の勝手なイメージを作り上げて、その枠内にとどまりたがるのか、その事に何の意味があるのかと不思議に思うのです。

例えば”外国語が苦手”という話。日本語は日本語圏以外の人にとっては”外国語”ですね。つまり、”外国語が苦手”と言っている人は既に非常に広い意味での外国語を話しています。これは外国語が苦手なのではなくて、”英語の成績が悪かった”が正しい認識の仕方であって、”外国語が苦手”というのは誤った勝手なイメージですね。日本語も苦手なのであれば、正しい認識でしょうが。

”朝が苦手”というのも微妙です。これを言う人の多くは(私を含めて)夜更かししているから朝起きれないだけではないでしょうか。”朝が苦手”というよりも”夜更かしが得意”なのかも。少なくとも私の場合、カナダのように時差が逆転に近いほどある所へ1週間ほど行って帰ってくると、しばらくの間、スーパー早起きになっています。別名”時差ぼけ”とも言いますが、必ずしも”朝が苦手”とは言い切れず、むしろ宵っ張りな生活習慣を有しているというだけの事でしょう。

自分で自分を定義してしまうと、そこに境界線が出来上がっていきます。前にあげた外国語の話などは特徴的な話で、”英語の成績が悪かった”という事なら、”学校の教え方が悪かった”とか”先生が嫌いだった”とか、”病気で長期欠席した事がある”など、それぞれの理由が見えてくるでしょうし、それが見えてくれば、旅行前に”少しは英語くらい覚えて行こうか”という気にもなるかもしれません。ところが、自分の性能を”外国語が苦手”と定義してしまうと、”苦手だからできるわけない”という話で先へ進みません。実際、こうやって、自分で境界線を引いて、その中に立てこもっている人を沢山見受けます。

自分で自分を定義して、それを他人に発表するのは、更に自分に悪い結果をもたらす場合があります。先にあげた”自分は朝が苦手”という定義を聞かされたとしたら、私はその人を朝早い集合時間のツーリングに誘う事を躊躇せざるを得ないでしょう。そんな形で自ら何かの機会を逃す事になっている場合があって、百害あって一利なしではないでしょうか。

前回の記事、”判断するかどうかを判断しよう"に関連していくのですが、よく考えてみれば基本的に自分や人を判断する必要は存在しません。それでも自分をどうしても定義したい場合は、”今は”をつけるのを忘れないようにしましょう。”私は今は外国語が苦手だから”とか、”私は今は朝が苦手”という表現であれば、暫定的に判断をしただけで将来像には限界はありませんからあまり縛られなくて済むと思うのです。


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