1997年の事となるともはや10年以上前の事になってしまいました。
私はちょっとした気の迷いで、当時UAEで行われていたUAEデザートチャレンジという砂漠のラリーに参加してみる事にしたのです。
”日本最速の添乗員”としてはやっぱり一応それなりに大きなレースにでも出ておこうというわけです。
世界オフロード選手権最終戦であるこのレースは、ラリーの中ではこじんまりしているのですが、次年度の第1戦となる有名な"ダカールラリー”の直前のレースに当たるため、各メーカーが”パリダカ”用に開発した車両の最終テストがてら参加するケースも多く、私のようなただバイクに乗るのが好きなだけの人間などはちょっと場違いな存在かつ、微妙に迷惑な存在でもあったのだと思います。
ラリーの本部になっているハイアットリージェンシーホテルへ書類の手続きに行った際、三菱の増岡選手と出会いました。”添乗員さん!!こんなところで何してるの?”と声を掛けられた私。ロシアンラリーの添乗員でお会いした事を覚えていて頂いたようです。
ついでに少し情報収集。
”いや、パリダカだと2輪に追いつきますけど、このレースはステージ短いから2輪にはめったに追いつきませんよ”
との情報....でも極端に遅い自分はいつも増岡さんに追いつかれてました....。やっぱり場違いな存在です。
レースに出場しているライダー、ドライバーはパリ・ダカールラリーの映像で見て憧れたような錚々たる人々。ステファン・ペテランセル、エディ・オリオリ、マニャルディ、今は亡きファブリツィオ・メオーニなどなど。そして4輪ではブルーノ・サビー、先に挙げた増岡選手、Jフォントネー、そして”砂漠のライオン”アリ・バタネン。
まあ、自分の存在は何度も書きますがよいよい場違い。でもこういうチグハグな感じも砂漠のラリーの風景でもあるのです。
さて、今回の思い出はアリ・バタネン。実は私、彼の著書”1秒への挑戦”を読んでいました。世界ラリー選手権で大きな怪我をして、それを克服していった経験を主軸にラリーについて語られているのですが、レースの映像やこの著書からの彼の印象はレーシングドライバーらしい、少し猛々しいイメージを持っていました。
ドバイの砂漠を疾走する真っ赤なシトロエンZXラリーにぶち抜かれるたびにその印象を確認したものです。
レース3日目。
少しずつ標高を稼いで砂漠の一番高いところまでたどり着いた私。ここから先は下り坂、階段のように急な下りを何段か下っていくコースに差し掛かりました。といっても下り坂の最上部から下り坂が見えない(スキーをする人はわかりますよね?)レベルの下り坂で少し怯んでいたのです。
そこへひときわ大きなエキゾーストノートが迫ってきます。自分もレース用のマフラーをつけた650CCのバイク。そして、耳栓をつけているにも関わらず後続車のエキゾーストノートが聞こえてくるのです。振り返ると砂丘の右側を真横に向くほどドリフトした状態で真っ赤なシトロエンが飛び出してきます。
本気でレースしている人たちの邪魔はしたくないので自分はルート左脇の下り坂にバイクを寄せて右側から抜いてほしいと手で合図します。
真っ赤なシトロエンは私の希望通り、右側から。軽くクラクションを鳴らして、なおかつ、ドライバーシートの横にある小さな窓(チェックカードをやり取りするための引き戸)、から左手を振りながら私が下ろうとしていた下り坂を軽々とジャンプして行きました
えっ?バタネン、自分がラインを譲った事に、片手運転でジャンプしていってくれたの?なんか得した!!!!
超一流ということをまざまざと見せつけられた瞬間でした。
1997年のレースでは3日目の夜はハイアットリージェンシーホテルの敷地内に作られた特別コースにスーパースペシャルステージが設定されていました。2台同時スタートでモトクロスコースのようなコースを2周します。
この日、2輪でハイアットリージェンシーまで戻ってきたのは奇数の台数。もちろんドンビリの自分は....どうなるの?
スタートに加わるようにオフィシャルに指示されてスタートエリアに行ってみると、オフィシャルの人が、”オマエはアレと走るんだぞ”とバタネンのシトロエンを指差します。車内からそれを見ていたのか、バタネンが”ウォ~ン、ウォ~ン”と大きな音で空ぶかししながら笑っています。
”嘘でしょ?”とオフィシャルに言ったら...
”嘘だよ。1台でイイとこ見せてこい”って言われたのでした。
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