今年の夏休みは新型コロナウイルスの影響でいつもとは違ったものなり、子供たちの休みも短くなってしまうところが多いようですが、それでも今は夏休み。このあたりでも虫取り網と虫かごをもってかけていく子供の姿を見る事があって、そういう点では自分が子供の頃とそれほど変わらないのだなと感じます。
夏休みになり、お盆を過ぎる頃になるとふと思い出される人がいます。
私の郷里は滋賀県。父親は東京出身なのですが母親は滋賀県の人なので、私が子供の頃に関わる”親族”というのは頻度では母方の親族が多かったわけです。そして母の実家は”お寺”。親族もほとんどがお寺関係でした。お寺の住職は副業で学校の先生をしている人が多くて私の親族もたいていそんな感じ。
どこのお寺も一般家庭とは違って建物が広いですから、子供の頃の私が”お泊り”に行っても誰も困る事はありません。私の郷里は滋賀とは言っても少し都会の大津市。裏山でカブトムシやクワガタムシが採れる程度には田舎だけれど、その辺を流れる川で泳げるほどの田舎ではありません。
さて、どういう経緯だったのかは思い出せませんが、ある夏、もう少し田舎の”田上(たなかみ)”という場所にある親戚のお寺にお泊りに行くことになりました。もしかすると両親が喧嘩でもして、とりあえず預けられたのかもしれませんし、魚釣りがしたくて私がせがんだのかもしれません。
小学生の頃、魚釣りがとても好きだった私にとって、川の流れる音を聞きながら澄み切った川に釣り糸を垂れるのは少し飽きてきた琵琶湖での釣りと比べてとても魅力的でした。
夏休みは学校が休み。つまり先生をしているそのお寺の住職も休みなわけですから、お盆でお寺の行事が忙しい時期を過ぎれば、泊まりに来ている私に付き合ってカブトムシを採りにつれて行ってくれたり、川に釣りに連れて行ってくれたりしたものです。
そして、日が暮れて、夕食が済んだ後は”おばさん”のお話の時間です。
今から思えば一般的な日本昔話や”学校の怪談”ならぬ”お寺の怪談”的なお話で、例えば台所で不用意に熱湯を排水に流したため、下流で遊んでいた子狸がやけどをして、その薬を買うために柿の葉をお金に化けさせて母狸が買い物に来る話などだったのだと思うのですが、その語り口調がものすごい真実味と臨場感を持っていて、しばらくの間、実際にあった話だと思い込んでいたものでした。
芝居がかった抑揚をつけて話すのでもなく、かといって棒読みでもなく、まるですぐ近所の人のうわさ話でもしているような気やすい口調が逆にものすごくリアルに感じられるのです。
人並外れて”怖い話”が苦手だった私ですが、おばさんの話は恐怖の的でありながら、翌年になるとまた聞きに行きたい話でもありました。そういう意味では一流のエンターティナーだったと思います。
あの頃から40年以上が過ぎたのでしょうか、今ではおばさんの姿も断片的にしか記憶にありません。橋の上から釣り糸を垂れた大戸川の澄んだ流れも記憶のカケラ。それでも自分に色々な物語を語ってくれたおばさんの事が年に一度頭をよぎるのがこの季節。
思えばお盆を含めた年中行事や季節感というのは今までに自分に影響を与えてくれた人物をその方が存命か否かに関わらず、ふと思い出すよい機会なのかもしれません。
それから、いろいろな機会に”そういえば”と思い出せる人がたくさん記憶に刻まれている人生はそれだけで大きな財産だともいえるのだと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます