旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

どこが一番良かったか

2013年03月15日 | 旅行一般
 海外とあまり縁が無い人と話していてよく尋ねられる質問に”どこが一番良かったか”という問いかけがあります。この質問、なかなか答えるのが難しい質問で、その都度、適当に思いついた街の名前を答えて、その町の良かったところを挙げて話を取り繕ったりしている事がほとんどなのですが、実際にはそれぞれの国、それぞれの町に思い出があり、それらを比較して一番を決めるというのはとても難しくて、いまだにどこかに決めることはできていません。

 旅先として考えた場合、いろいろな不快出来事があったり、トラブルに巻き込まれた場所であっても、それを乗り越えた今となっては””それもいい思い出”となってしまうから余計に優劣をつけるのは難しくなります。むしろ、何事もなく平穏に快適に過ごせた場所ほど日が経つにつれて印象が薄れてしまい、思い出が色あせてしまう傾向もありますから、下手に自分にとって思い出深い場所を熱く語ってみせると、そこは世間では一般的に不快な場所であったり危険な場所で、結局”変人”の烙印を押される結果を招きそうです。いや、私の場合は変人の烙印はすでに押されているので再確認されるだけかもしれませんが。

 旅先である事と住む場所である事で視点も大きく変わってきます。旅先である限り、自分はいずれそこを去るわけですから、かなりの事を無責任に面白がっている余裕があります。私は旅するならアジアや中近東や中米などが好きなのですが、住んでもいいなあと感じた事がある場所はニュージーランドのクライストチャーチであったり、カナダオフロードファンライドで再三訪れたカナダの田舎町クランブルックであったり、あるいは若い頃にパブの2階にしばらく下宿させてもらったイギリスのウェールズ地方などです。アジアの国々のように1日中いろいろな物売りや客引きなどに声をかけられるのは特に一人旅の時は退屈しなくてよいのですが、あれが一生続くと思うと快適とは言い難く、少し憂鬱にもなります。住むにはもう少し落ち着いたところが好ましいかと。

 旅する分には少しぐらい快適性が犠牲になっても、それは期間限定の現象なので、それほど気になりません。暮らしていこうという視点に立つと、快適であることは重要な要素とならざるを得ないというのが程度の差こそあれ誰にもあてはまる気持ちなのではないでしょうか。

 だから、たとえば、とても神経質になって宿泊先の口コミを懸命に確認して宿泊先を決めたり、おすすめレストランを探したりする事は、それほど旅する事をよりよくしてくれる努力とはなりにくいと思います。シャワーが壊れていてお湯が出なかったとか、そういう事は後になれば笑い話になる程度の出来事で、旅をぶち壊しにするほどの破壊力はありません。その国の文化や歴史について少しでも知識をつけることに時間と労力をつぎ込んで旅に出た方がずっとその国を楽しめると思います。

 訪れてみたら、どこも一番よかった国になりますよ。


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