この話は二十数年前に遡ります。そして、現在の情報としては現実と異なっていることを昨年確認済みなので、旅の情報ではありません。
確か1989年の事だったと思います。タイ北部のチェンコンという町に滞在していました。町はメコン川に沿って広がっており、メコン川を挟んだ向かい側はラオスです。つまりメコン川が国境線となっているわけです。
この町には町の規模としては大きめのバザール(市場)がありました。肉、川魚、野菜、果物などの食料品、靴や衣服や石鹸などの生活雑貨、そういったものが所狭しと売られていて、多くの人が行きかっていました。
市場が好きな私はチェンコン滞在中に何度か足を運んだのですが、そのたびに見かけるのはラオスから来た買い物客。彼らは皆黒い民族衣装を身につけているのですぐにラオスの人である事がわかります。
メコン川沿いに散歩していると、小さな船でラオス側からタイ側へ渡ってくるラオスの人々やタイ側から帰っていくラオスの人々が沢山います。メコン川を往来する小船はおそらく渡し舟のようなものなのでしょう。
現地の友人に教えてもらったところによると、ラオスの人たちは日帰りの入国券のようなものがあって、それを購入してタイ側へ買い物に来るのだという事でした。
バザールでラオスの人々が買い物をするのを見ていて面白い事に気がつきました。川を一つ挟んだ向かい側の町から来たとは言っても、国が違うので、通貨も違えば言葉も違います。一番の違いは通貨の違いで、ラオスの通過はタイ側では受け取っていないのです。その代わり、ラオスの人たちは小さな銀の粒をポーチに入れて持ってきていて、買い物をするとその銀の粒で支払いをします。それに対応して、バザールの各店には小さな天秤ばかりが必ず置いてあって、銀の粒の重さを計っている光景を何度も目にしました。
靴1足○○バーツ、銀で支払いの場合は銀XXグラムといった具合に2本立ての料金が決まっていたのでしょうね。
そんな光景を観察しながら、チェンコンの町が”国境の町”であることを意識したのでありました。
確か1989年の事だったと思います。タイ北部のチェンコンという町に滞在していました。町はメコン川に沿って広がっており、メコン川を挟んだ向かい側はラオスです。つまりメコン川が国境線となっているわけです。
この町には町の規模としては大きめのバザール(市場)がありました。肉、川魚、野菜、果物などの食料品、靴や衣服や石鹸などの生活雑貨、そういったものが所狭しと売られていて、多くの人が行きかっていました。
市場が好きな私はチェンコン滞在中に何度か足を運んだのですが、そのたびに見かけるのはラオスから来た買い物客。彼らは皆黒い民族衣装を身につけているのですぐにラオスの人である事がわかります。
メコン川沿いに散歩していると、小さな船でラオス側からタイ側へ渡ってくるラオスの人々やタイ側から帰っていくラオスの人々が沢山います。メコン川を往来する小船はおそらく渡し舟のようなものなのでしょう。
現地の友人に教えてもらったところによると、ラオスの人たちは日帰りの入国券のようなものがあって、それを購入してタイ側へ買い物に来るのだという事でした。
バザールでラオスの人々が買い物をするのを見ていて面白い事に気がつきました。川を一つ挟んだ向かい側の町から来たとは言っても、国が違うので、通貨も違えば言葉も違います。一番の違いは通貨の違いで、ラオスの通過はタイ側では受け取っていないのです。その代わり、ラオスの人たちは小さな銀の粒をポーチに入れて持ってきていて、買い物をするとその銀の粒で支払いをします。それに対応して、バザールの各店には小さな天秤ばかりが必ず置いてあって、銀の粒の重さを計っている光景を何度も目にしました。
靴1足○○バーツ、銀で支払いの場合は銀XXグラムといった具合に2本立ての料金が決まっていたのでしょうね。
そんな光景を観察しながら、チェンコンの町が”国境の町”であることを意識したのでありました。
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