旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

夏先取り:怪談

2007年06月01日 | その他
夏を前に旅からは離れて怪談でもしてみましょう。怖がりの人はこの先を読まないように。ヒネリが入っているわけではなく本当に怪談だけですよ。

私が子供の頃、まだ存命だった祖母が"畜生は畜生として扱わねばならない"という言葉がありました。これはその単語通りの意味で、つまり犬やネコが死んだりした時、動物は動物らしく葬ってやるべきであって、人間と同じように扱ってはならないという意味です。ここで登場する祖母は母方の祖母であって、バックナンバーを読み漁った方にはおわかりのように、"お寺"在住だったのです。そして、この言葉の根拠は"六道輪廻"にあったようで、動物は魂が畜生道にあるわけだから、最後まで動物として扱われてはじめて、その魂は畜生道から抜けて次に行くべき道に向かうもの。最後の扱いを誤ると魂が行き場を失って、この世を迷う事になるというような意味であったようです。

私はそんなの迷信だと思っていましたし、今でもまだ迷信だと思っております。そして、私の仏教観にとっても、正直な話、そんな事、どうでもよい話なのではないかと思っております。ただ、自分の実家で飼っていた犬が死んだ時などはやはり必ず母親からこの話が登場して、私の家で飼育されていた犬達は皆、祖母の主張に従って処理されていきました。もちろん、この方が費用が安く済むという点も祖母の主張が重宝された一つの理由である事も事実でありましょう。

ある日の事、昔から家族ぐるみのつきあいのある方が家を尋ねて来られました。その一家は飼い犬を非常にかわいがっておられて、その犬の事も私は子供の頃(自分が)から知っています。その犬はずいぶん長生きしたのですが、その数年前に旅立っていきました。"ペットの葬儀"などが世の中に出始めた頃の事です。非常に可愛がっておられた犬ですから、ペットの葬儀を出して、ペットの火葬場で火葬にされたとの事でした。

そしてその夜の事。その日は天候が悪く、雨が降っていたそうなのですが、犬の思い出話もつきて、家族が寝静まった頃、突然ドアのチャイムが鳴り始めたそうです。それに気がついた一家がそれぞれに起き出して、夜中に玄関前に集合。それでも鳴り止んだわけではなく、確かにドアのチャイムが鳴っていたのだそうです。

これは犬の魂が帰って来たのだと感じたその方々はドアを開けて"○○(犬の名前)、入りなさい。よく帰てきたねぇ"と声をかけたのだそうです。その後、チャイムは鳴り止んだのだとの事。この事を"雨が降っていたから、どこかチャイムのスイッチの接触が変になっていたのかもしれない"と冷静に話しながらも、"それでも偶然が重なるとしても不思議な事ですね"と。

私は怪談大好きとしても知られていますが、実はこういう話をほとんど信じていません。魂という考え方は人間が漠然と抱く"死"に対する不安を取り除く目的で考え出された説明だというのが私の基本的な仏教観なのですが、こういう話が出てくると、そうとも言い切れなくなります。ただ、この話の場合、私が祖母に以前から主張されていた事がなければ、大切にしていた犬が魂になってまで飼い主の家に帰ってきたという美談であるわけですし、その後、悪い事が起こったりした事もないようなので、祖母の主張が正しかったという事でもなさそうなのですが、まあ、とりあえず不思議なお話であります。


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