橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

ご無沙汰していました。再入院報告とクラウドファンディングのお願い。

2024-02-01 23:51:45 | がん徒然草

みなさま大変ご無沙汰しておりました。

一昨年末に引き続き、再び入院し、今回は再入院日から更新が止まって早40日が経ってしまいました。実際、なかなか1つのことを文章にまとめるのが大変だったのです。

入院前、朝、目がさめると、家で急に体が動かなくなり、自分の手足で立ち上がる事も歩くこともできなくできなくなっていました。だからトイレにも行けない。もちろん胸を洗う事も。これはもう人手を借りるしかない。それまではギリギリまたげていた風呂場の入り口の段差も、左脚が上がらず入れない。トイレならオムツでなんとかなるものの、胸の滲出液はどうしようもない。それで、外来の看護師さんに電話し、緊急入院することにしました。

入院した最初の頃は、iPhoneやiPadに5文字書いてはうつらうつらし、夢と現の間を彷徨ったりしていたため、ちっとも文章が進まず、友人からのメールの返信にも数日かかったような状態でした。そのため仕事もできず、他のスタッフにおねがいすることに。経済的には大変困っているのに声を出す事も億劫で、Youtubeもなかなかはじめられない状況でした。

経済的なことを言えば、住宅ローンはもうギリギリ、あと一回払えなかったら、家の権利は保証会社にわたり、団体信用保険も効力がなくなるため、現在、価格が落ちている田舎の実家では、借金残高の方が多く、かえって出費が多くなるのです。

また、先日、母が東京へ来ましたが、その時に、東京で暮らす事は到底無理と実感しました。思ったより物忘れがひどく、スマホを持ってても使えない、ほとんど私が世話せねばならないような状態。1人だとどこへも行けず、故郷の友人らを思い、寂しいとこぼし出します。これでは、私の食事を作るどころか、先に、東京にやられてしまいそうです。
母には現在、生活保護を受けてもらっていますが、うちの地元は生活保護費も低くて、年金もらうのと1万円しか違わず、月6万ちょいで暮らせという。今、水道光熱費も高いし、母も80代で、働けるパワーはもうなくなってきてるし、酷な金額です。ただ、母も高血圧の薬とか飲んでるんで、それが無料になるのだけはありがたい。

なかなか声出すのも大変で、Youtubeやるのもままなりませんが、ここはnoteを広めるためにもやるべきか?もう、迷っている場合ではない段階かもしれません。毎回、2、3分ならしゃべれるかなあ、、、。

アラブの石油王とか、今ならIT長者が、ちょいとポケットマネーを振り込んでくれないものだろうか。いや、今なら、安倍派のパー券代金の一部を、、、なんて、それをやったら私も犯罪?とにかく足長おじさんプリーズです。

とにかく、お金になることをやらねば、病気どころではない(ことはないが)。
当面の問題は1月25日午前までに18万5千円のクレジットカード代金を払わないと、カードが解約され、他にカード契約はもうできない状態なので、noteさえ更新できなくなるというピンチ。ノー利子で貸していただけるのでも良いので、ここを乗り切りたい。

その次は入院の問題。国の決まりで、同じ病院には2ヶ月しかおられず、1月31日には退院せねばならないのですが、わたしまだ、自分の力で立って、歩けないのです。一週間から10日ほど家で過ごせば、病院のベッドさえ空いていれば再入院で。。戻ってくることができるそうです。しかし、31日の時点でまだ歩けなければ、在宅でこれまで週2日だったヘルパーさんを極限まで増やし、胸の処置などで、在宅看護師さんにきてもらわねばならない。しかしそれには、7、8万の金額がかかりそうですが、母も私もそんなお金はない。もちろん、これまでの入院費もかかります。高額医療費制度で安くはなりますが、それで、も今の私には大金。そこで、私の入院治療費として、自分立ち上げのクラウドファンディングをやれないかと思っているのです。

ちなみにこの文章は1月22日にnoteやFacebookにも載せていて、みなさまから上記の支払いも含め、とりあえずの支払いはできそうな金額のご協力をいただきました。本当にありがたい限りです。しかし、入院も治療もまだ続きます。その間は満足に働けません。クラウドファンディングというか、このブログやnoteにいろんな文章は書き続けていますが、そのサポートというか寄付はまだしばらくお願いし続ける所存ですので、何卒よろしくお願いいたします。そして、いずれは文筆などで経済的自立と思い通りの治療をやれる費用を稼げるようになりたいです。

身体の方はわずかずつではありますが、入院後、その前に比べれば、動けるようになってきていると思います。ただ、時間はかかっている。なので、なんとか自分の足で立って、手の力を借りてでも、トイレや風呂場に行けるようにまで回復したい。そして、そこから、奇跡の再発乳がん回復劇にまた挑戦したいのです。

再発が分かってから、今年で丸10年です。再発後もう10年も生きたらいいじゃないという声もあるかもしれない。しかし、私はまた起き上がって、隅田川沿いをジョグしたいのです。火鉢クラブ作って、みんなに楽しんでもらいたいのです。地元の町おこし計画もあります。

入院して、今回はもうだめかもと思った時もありました。しかし、ここへきて、身体も少しずつ動きやすくなってきて、最初はあまり食べられなかったご飯もだいぶ食べられるようになってきました。マグミットという便秘薬を日に一錠と便を押し出すというか、出やすくするピコスルファートという薬は看護師さんに飲まされますが、お通じも毎日あります。自分ではマグミット飲まなくても出るのではないかと思うのですが、それは看護師さんが許してくれません。

にしても、身体というのはすごいです。
入院直後は怖い思いもしました。その辺はまた別の項目で書きます。
ですので、何卒何卒、今一度、私を助けてください。
noteを書き続け、奇跡の寛解に向かい、火鉢カフェを作り、皆さんにお返しができるようがんばらせてください。
何卒よろしくお願い申し上げます🙇‍♀️。

《中村有里の文筆、火鉢クラブ活動、再発乳がん
 入院治療費クラウドファンディングはこちら》

では、私の入院治療費と文筆業などの資金サポートを目指してのクラウドファンディングですが、お返しは、現在個別に送るグッズなどは無理ですので、このnoteのこれから書く記事も無料にして読んでいただけるようにし、サポートしてくださった上、メールアドレスを送っていただいた方にはそれらの方だけが読める文章を送ります。

目標金額は特にありませんが、これまでの入院費、治療費や日々必要な医療品、ヘルパーさん、在宅看護師、在宅医師、必要なら再入院費(病院側はこれが必要という前提で考えているよう)などを考えると、7、80万円から100万円くらいが必要に思われます。さらに細々したものがかかってくるかもしれません。
そして、徐々に働ける身体に戻していきます。
皆さま何卒よろしくお願いいたします。

情報拡散していただくだけでもありがたいです。
私のことを知らない方にも、このnoteを読んでいただき、
ご協力を仰げれば幸いです。

寄附窓口は以下になります。
何卒よろしくお願い申し上げます🙇‍♀️

【カード決済窓口】

火鉢クラブ=中村有里への支援寄付窓口

(以下のURLをクリックすると決済サイトに飛びます)

https://square.link/u/rXN62HZR

(ブランクのところに100円以上100万円未満でお好きな金額をご記入になり、お会計ボタンを押した後、必要事項を記入し、決済してください。)

※squareはテレビCMもやっている決済システムです。
 情報の暗号化などはちゃんとしております。手数料は3.6〜3.75%
 で通常のクラウドファンディングは20%程ですので、拡散力はわか
 りませんが、なるべくご寄付いただいたものを自らの活動に使える
 よう、こうした決済を選んでいます。

【銀行口座窓口】

(銀行振込がよろしい方。振込手数料がかかりますが、同じ三井住友銀行の口座からの振込ですと手数料はかかりません。)

三井住友銀行 赤坂支店
普通口座 8048480
口座名義 ナカムラ ユリ

2024年1月18日 春
中村有里
yuridas67@mac.com


生き延びるためのカンパお願いします

2023-10-06 00:00:12 | がん徒然草

なんと1年以上、こちらのブログには投稿していませんでした。しかし、実は最も古く、これまでのアクセス数が多いのもこのブログです。朝生について書いて、田原総一朗氏にツイッターでリプをもらった時にはgooブログでアクセス1位になったこともある。なのにそんなブログを放置するなんて・・・。それに今、私はなるべく多くの方に訴え、お願いしたいことがあるのです。このブログを氷漬けにしていた1年間の間に、最初乳がんの症状が進み、去年の秋には極度の貧血で入院したり、退院後も皮膚転移のために、体幹が動きづらくなり、外出時は車椅子生活に。仕事もままならなくなりました。それで、細々と書く仕事でできそうなものを少しやり、あとは皆様のご支援で生きてきました。それがここにきて、さらに厳しく、経済的なピンチを迎えております。そこで、こちらのブログの読者の方にも状況を知っていただき、カンパいただけないかと、再会した次第です。以下の文章は、私が別で始めているnoteやもう一つのブログ火鉢クラブに掲載しているのと同じものです。なので、すでに読まれている方もいらっしゃるかもしれませんがそこはご容赦ください。では、以下、私の近況とカンパのお願いです。まだまだ命に対しても諦めておりません。回復を目指すために治療費も必要です。回復して普通に動けるようになった日には、当初から行っております火鉢カフェの実現や地元の町おこし、作家活動など、残りの人生を賭けてやっていければと思います。

よろしくお願いいたします。

*********************************

昨年の4月から5月にかけて、職業フリーランス、実家の住宅ローンありで経済的に頼れる親族のいないおひとりさまのがんが再発したらどうするという趣旨で、朝日新聞beに連載させていただきました。あれから1年半近くが過ぎました。早いものです。

「朝日新聞デジタル それぞれの最終楽章おひとりさまとして」
https://www.asahi.com/articles/DA3S15259364.html
(現在、有料記事となっておりますが、2023年10月25日までは秋得キャンペーンで最初の2ヶ月間100円で有料登録すれば、全ての有料記事が無料で読めるようです)

この1年半の体の変化や状態は都度都度自分のSNSやnote、ブログなどに書いてきましたが、あらためて今回、資金援助をお願いするにあたって、現在の状況をお伝えしようと思い、この投稿を作成しました。

朝日新聞の連載をしていた昨年のGW頃はまだ、がんが再発したとは言え、歩いてどこにでも行けましたし、自転車にも乗れました。よって、無理はしたくないとは言え、仕事もやろうと思えばできました。それがその後、昨年夏頃から胸の腫瘍の皮膚転移が進展し、皮下で癒着したのでしょうか、鎧状がんというような状態になり、体幹を固着させ、前屈みになったまま、真っ直ぐに立って歩けなくなってしまいました。たまに街で、90度くらい腰の曲がったおばあちゃんを見かけますが、そんな感じです。部屋の中で、トイレに行ったり、シャワー浴びたりはできますが、長距離歩くことはできないため、外に出る時は車椅子移動で、要介護3の認定をもらっています(がん患者などは私の年齢でも介護保険が使えるのです。詳しくはこちらの記事を「介護保険申請をした」https://note.com/renasakakibara51/n/nbc2e21721cf3)。

ただ、椅子に座ってパソコンを打つ作業はできたので、これまでディレクターとして仕事させてもらっていたミニ枠の番組のネタの提案書類を書くリサーチャーのような仕事は続けさせてもらっています。しかし、これでは収入は以前の3分の1ほど。必要な生活費、治療費の4分の1ほどにしかなりません。

私の最近の仕事については、
noteの投稿(https://note.com/こい。。/n/nf1acd79c3b44)を読んでもらえればわかりますが、そういうわけで、たまに、zoomを駆使して、カメラマンだけ取材先に行き、私が家からインタビュー取材するというアクロバティックな手法でディレクターをやらせてもらうこともありました。しかし、zoomのインタビューと既存の映像素材だけで構成できるようなネタはたまにしかなく、どんどん生活は赤字になっていきました。

さらに、この夏は体調の厳しい日も多く、私が担当できそうな仕事があまりなかったこともあり、収入は激減。先月もカンパをお願いし、なんとか月末の支払いを乗り越えられました。電気代の高さと、緩和ケア科で処方される鎮痛剤の高さが本当に身に沁みました。

さらに、9月に入って、体幹の癒着が広がったのか、動きにくさがさらに増してきて、現在、トイレ、シャワー、食事準備、ベッドへの移動以外はほとんど椅子に座ったままです。椅子に座って、鎮痛剤を飲んでいても、体幹のつっぱり感、圧迫感は消えるわけではなく、ずっと胸の皮下をぐるりと鎧にはめられ、圧迫されてるような感覚を感じながら過ごしているのです。刺すような耐え難き痛みというのではないので、こうして文章を書くこともできますが、パソコンやタブレットを膝に乗せ、キーボードを叩くだけでも一苦労です。

さらに、鎮痛剤の副作用で睡魔が襲ってくるため、昼間もうとうと。一つの文章も相当集中しないとなかなか仕上がらない始末です。レギュラー番組で、構成作家の仕事をさせてもらえればまた収入が戻ると思い、企画募集にも応募しようと意気込んでいましたが、この9月の調子の悪さに、作業をする余裕がなく、諦めてしまいました。資料も添付し、パワポを使ってデザインまで工夫せねばならぬ昨今の企画書は、作るのにかなり労力がいるのです。調子の良い日がしばらく続けばできるのかもしれませんが、このまま生きていられるのだろうかという不安が頭をもたげるほど胸の圧迫が強まった9月の私にはそれはできませんでした。

テレビで介護疲れで家族を殺したとか、そういうニュースを見ると、なんで私が生きてるんだろうと不思議になることもありました。

体幹が圧迫されているので、首も固着し、引っ張られ、ご飯を食べるのも大変です。飲み込む能力は衰えていませんが、物理的に圧迫されて喉も、腸の入ってる部分も狭くなっているのか、これまですんなり食べていた量の半分くらい食べると、徐々にご飯をまずく感じ始めます。もうこれ以上は食べるなという警告なのか?でも、炭酸水を飲んで、ゲップを出すと、次の一口二口が食べられる。やっぱり、詰まってる感じです。それに、食事の量が減っているとは言え、普通の人が食べると同じものが食べられるし、これだけ、家でずっと座っているだけなのに、これまで通り食べられる方がおかしいでしょう。

それに、やや味覚障害気味です。これは、皮膚転移の部分からの滲出液や出血があるため、身体からアミノ酸やミネラルが大量に流出していることに原因があるのではないかと思います。この栄養分の流出は、昨年の入院の原因となった貧血につながるので気をつけねばなりません。

あと、自分でも不思議なのは、これだけ身体が突っ張って、ずっと前屈みで、床しか見えず、冷蔵庫も一番上の冷凍室は踏み台に上がらないと中も見られないような(なので、今年の頭に、背の低い小さな冷凍庫を買い、その上にレンジを置いてい)、不自由な状態で、よく自分で食事の準備をしているなってことです。普通のガス台の高さだと、鍋やフライパンの中身は見えません。それで、ただ茹でればいいようなものだけは普通のガスを使い、中を見ながら調理せねばならない炒め物などは、椅子の上にカセットコンロを置いて、前屈みの姿勢でも中が見える高さにしたガス台で調理しています。しかし、ずっと前屈みなので、徐々に腰が痺れてきますから、途中、椅子に座って休み休みの作業です。額からはポタポタ汗が落ちてきます。元々食べることは好きで、食い意地は張っていますが、こんな身体になっても、食事の準備だけはやるんですよね。でも、鶴の恩返しじゃないですが、こんな姿勢で腰曲げて、ご飯を作っているところは、あまり他人に見られたいものじゃない。そんな自分の今の姿を想う時、つい、生きている意味はあるのだろうかと考えそうになってしまいます。

このまま、癒着が不可逆に広がって、胸の中の圧迫も強くなったらどうなるのだろう。ご飯も食べられ、こうして無理すれば文章も書ける、頭はしっかりしていると想うし、身体が物理的に動きづらい、突っ張る、圧迫される以外の不調というのは、あまりない。便秘はあるが、めまいとか吐き気とかはない。もし、死に至るようなことがあるとしたら、どういうことが原因で、どういう感じで死ぬのか全く想像がつかない。あまりの圧迫感の強さに、心臓が圧迫され心不全を起こすとか、首から延髄をつなぐ筋が引っ張られている感じの時には、頭の血管が切れるのかとか、座ってばっかだからエコノミークラス症候群みたいなことかとか、そんなことを想像しながら、首や頭をマッサージしたり、足を揉んだりしているのです。でも、全く体も動かず、しゃべることもできない難病で、国会議員になられている方もいると思うと、私の今の状況で死ぬとかいってるのはおかしいのかもとも思います。

このところ、ちょっと調子が悪かったので、私の状態はもう不可逆かもしれないと思いがちでした。しかし、考えてみたら、その背景には「お金がない」という大きな悩みが横たわっていることに気づきます。夏以降、生活費がギリギリで、代替治療のクリニックでの処方も受けていません。それまで、ちびちびながら飲んでいた液体プロポリスも高額なので、買えないでいます。日々、それなりに暮らせるための緩和ケア科の鎮痛薬のみを処方してもらっていますが、鎮痛剤は病気を治すという意味では、体にとってあまり良いものではありません。

しかし、3週間ごとに通う緩和ケア科では、医師はもう「治す」とか「快方に向かわせる」ということは考えておらず、病気が進行して、命尽きるまでをいかに快適に過ごすか、そのための鎮痛剤の最適処方についてしか考えてくれません。少しでも楽になるために、この段階に至っても手術するという方法はないのだろうかとか、皮膚転移だから皮膚科の医師はどういうだろうというような質問をしても、うーんと押し黙るばかりで、まあそれは、普通は私くらいの状態だと、大抵の病院ではもうやれることはないと言われると考えているからで、まあ、そうなんでしょう。

私が少しでも、抗がん剤以外のなんらかの治療を考えるなら、末期癌でも可能性はなくはないと考えている代替医療の医師を見つけて、相談するしかないのでしょう。しかし、それは保険が効かない。ここでもお金が必要です。

私が1000万円でも貯金があれば、そのくらいのことはできるでしょう。それに世の中にはそのくらいの貯金なら持っている人はたくさんいます。いろいろ事情があったとは言え、自分のこれまでの適当な生き方を反省せずにはいられません。でも、反省だけしていてももう遅いのです。自分で動いてなんとかしなければ、何もできず、多分このまま無念のうちに命尽きる。

昨年末、父を亡くしました。父を看取ることもできず、心配ばかりかける中で最期を迎えさせてしまったことは後悔してもしきれません。せめて残された母くらいは、悲しませず、私が母を看取りたい。それには私がもう少し動ける程度には回復しなくてはなりません。

それに、私は自分の身体が動かなくなる直前まで、実家の街に帰り、町おこしをやろうと考えて、地元の同級生に相談もしていました。ずっと考えていた火鉢カフェのコンセプトは実家の方でも東京でも、やれるところで始め、そのコンセプトを多くの人に共有してもらって、全国の共感した人にもやってもらえればとも考えていました。しかし、こんな状態になって、なんだか、そういう目標が自分の中で有耶無耶になってしまっています。

それをうやむやにしないためにも、もっとお金を稼いで、自分の思う代替治療くらいはやれる状態にして、お金の心配をなくし、心を落ち着けた上で、目標を今一度整理して、発信して行かねばと思ったのです。

昨年、朝日新聞beに書いたエッセイでは、youtuberになろうかと書きましたが、それもまだ着手できていません。やらなかった間に、身体の状態はさらに悪くなり、ライブ配信することも一苦労な状態になってしまった。胸の圧迫で、横隔膜を使う「しゃべる」ということは、ちょっとしんどいものになってしまった(もちろん、zoom会議などではなるべく普通にしゃべっていますが、結構、腹筋を使うので、終わった後の疲れ方が以前とは違います)。でも、それも言い訳なのかもしれません。アバターもあれば、AI音声もある時代です。足りないのは勇気と気力だけなのかもしれない。

私は自分の回復を諦めていません。諦めそうになることはあるけれど、死ぬという想像がつかない。想像がつかないうちは死ねないんじゃないかと思います。その間に、人間の生と死というものについてもっと考えて、世の中に発信できたらとも思っています。
多分、今の私は、あまり多くの人が体験したことのない場所にいるんじゃないかと思います。がんが再発した時どう向き合い、どういう治療をし、死の覚悟というものはあるのかないのか、医師の言葉をどこまで信頼するかとか、、、。

なので、もう少し生き延びさせてください。
多くの人が見てない世界を伝えられればと思います。。
そのためのカンパをよろしくお願いします。

クラウドファンディングをすると、皆様からの支援から20%ほどの高額の手数料を引かれてしまうので、カード決済のカンパについては、Squareという決済システムで、独自のカード決済サイトを作りました。こちらだと、3.6%の手数料で済みます。

名称は「火鉢クラブ=中村有里の活動サポート」となっております
https://checkout.square.site/merchant/ML9XEFQ92N6PZ/checkout/QJBOWTPES6Y42SAEUEYR6ZRC

現金でのご支援の場合は、以下の銀行口座にお振り込みお願いいたします。

三井住友銀行 赤坂支店
普通口座 8048480
名義 ナカムラ ユリ


ご支援いただいた資金は私が生きのび、自らの信念で必要だと思う活動を行うために使わせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。


朝日新聞be「それぞれの最終楽章」に寄稿しました。

2022-04-11 18:44:10 | がん徒然草

4月9日(土)の朝日新聞beの「それぞれの最終楽章」という欄に寄稿しました。

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15259364.html?pn=2&unlock=1#continuehere

サブタイトルは「おひとりさまとして」。独身で経済的に頼る人もない、借金もあって、貯金もない、さらにフリーランスという私が、どうやってこのピンチを切り抜けるのか。。今回から6回ほどの連載になりますが、これを書くことも、このピンチを切り抜けるひとつのきっかけにできたらと思っています。

体もちょっと動きづらくなってきて、この先、テレビディレクターをやっていくのも難しいかもしれないので、この寄稿をきっかけに、noteやブログに投げ銭をいただいたり、youtubeチャンネルを立ち上げたりできないかと思っております。冊子も出せないかなとかも考えています。

みなさま応援してください!

ひとつ気に入らないのは「最終楽章」ってタイトル。そういうつもりはないんですけど、そういう欄なのでしょうがないですよね。生まれ変わって寛解するってつもりだから、今の私の最終楽章ってことだって考えてます。

こうして書きながら、世間の常識では、末期癌だともうダメでしょって読んだ人に心のどこかでは思われてるんだろうな、、そういう思いが念となって伝わってくるとやだなとか思っちゃうんですけど、そんなネガティブな思いは吹き飛ばし、読んでくださった皆さんの、がんばれ〜っていう声だけを糧に、私が生き延びることがみんなの希望になると信じたいと思います。

自分が病気だということを忘れるくらい一生懸命になれることをやりたい!

それが「火鉢カフェ」を作るってことだったりしますが、そのための資金集めもしたいです。

まだまだやりたいこといっぱい、あと20年は生きねばなりません。

そのために、私の書くもの読んで、応援してください!

癌がなくなったら、火鉢カフェ設立に向けてのプロセスを書いていきますので!

また、こちらのnoteでも書き始めてますので読んでみてください。

https://note.com/renasakakibara51

以前は榊原玲奈名義で書いてましたが、もう本名も明かし、榊原玲奈こと中村有里名義にしております。

こちらはどなたにも読んでいただけるよう記事に値段はつけていませんが、任意の金額を投げ銭できますので、応援してやろうと思ってくださる方は、ぜひよろしくお願いいたします。

では、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 


白い巨塔:追記〜最も印象に残ったシーン〜

2019-06-03 03:18:58 | がん徒然草
白い巨塔最終話でもっとも印象に残ったシーンは満島真之介演じる柳原医師と政略結婚の見合いで出会い付き合うようになった婚約者のキスシーンでした。

政略的に見合いさせられたとはいえ、お互い好意を抱き始め、柳原のアパートに通うようになった令嬢の婚約者。そのアパートに、死亡した患者原告側弁護士の斎藤工が原告側の証人になってくれと訪ねてきます。しかし、身を潜め居留守を使う二人。

柳原は財前からカルテを改ざんさせられ、裁判でも嘘をつき、大学での立場を捨てられない自分に良心の呵責を感じ、原告弁護士の姿を窓の外に見て、布団に潜込んで震えます。そして、斎藤工が諦めて去った後、二人は固く抱き合う。柳原の弱さと辛さの両方を受け止められるのは共犯者になりうる政略結婚の婚約者がゆえでしょう。自らも政略結婚させられるという自由を奪われた境遇であり、それは柳原がこれから抱える自由のない未来と重なる。それが幸せな関係の始まりではないとわかってはいても、そこで生まれる強い繋がりもある。ここで抱き合うことは極限状態に置かれたことによる衝動的なものかもしれませんが、その後、柳原が確信に満ちた表情で控訴審の法廷で嘘をつき続けるようになるのをみると、あの瞬間に彼は覚悟したように見えました。少なくともそういう演出に見えました。

しかし、そんな柳原の確信も、彼にすべての罪を押し付ける思慮浅い財前の法廷での発言で、もろくも崩れ去ります。
この確信から翻心する部分があまりに簡単すぎて、ちょっと拍子抜け感もあるのですが、満島真之介の熱演によって煙に巻かれてしまいました。やっぱり、あのキスシーンは衝動的なもので、二人に絆など生まれていないのだろうか、男と女とはそういうものだろうか・・・。ドラマでは二人のその後は描かれないので、結局わからないままですが、やはり、婚約者の彼女も彼の良心の呵責を理解し、それを表に出せない辛さに共感したからこそ抱き合ったわけで、その共感の底には、やはり彼の本音を採掘する何かがあったのでしょう。

アパートの小さなキッチンで慣れない手つきで食事の準備をしようとする嬉しそうな令嬢の姿は、籠の中であろうが、新しい世界を手に入れられるかもしれないというはかない希望そのものでした。そして、それこそが、彼女の側の本音の世界だったのかもしれません。

そして、その二人の本音と本音が重なった瞬間だからこそ、そのシーンは印象に残ったんだと思います。そんなこと滅多にないですから。

幸せとはなんだろうと問われたら、ひとつ「理解者がいること」と答えます(それが妄想だったとしても)。それが悪の道につながることであったとしても、その人の悲しみを共有した上での共感に支えられることもある。その共感に支えられ、理解者がいることで強さを得て、彼ら二人が悪の道を清算する勇気を持てれば、そのときこそ本当に幸せを感じられるのかもしれない。

ドラマでは、彼らのその後は描かれませんでした。田宮二郎のテレビドラマシリーズでは、どういう描かれ方だったかは覚えていませんが、youtubeで見た断片では、一方的に婚約者の親から破談の手紙が届いていました。LINEとかで連絡簡単に取れる今は、また違う展開なんだろうなって気もしますけどね。あの令嬢がかけおちでもして、一緒に無医村に赴いてくれてたりすると面白いのですが、、。意外に先祖返りして、また政争の道具に使われちゃうのか、、。わかりません。

ほんと、幸せな人間関係ってどんなもんなんでしょうね?
依存ではない信頼関係とはお互いが自立して初めて成り立つとはよく言われることだけれど、しんどい時に分かり合える人がいて欲しいのも確か。それが勇気となって自立の道を歩み出せることもあると思うのだけど、それはまだ私が自立できていないからそう思うのか・・・?

また、無差別殺人の犯人の話になっちゃいますが、しんどい時にどうやって人に頼れるかは、その人の未来を分ける気がします。それは秋葉原事件の加藤の時にも思いました。
今の時代、これこそが、いろんな問題の根底にあると思います。そのへんはまた別のところで書きたいと思います。

白い巨塔最終話(公開期限6月9日)
https://tver.jp/corner/f0035076

「白い巨塔」と無差別殺人と

2019-06-03 03:14:55 | がん徒然草
録画&Tverで白い巨塔をみた。駄作との声もあり、岡田准一が適役なのかという感じもあり、確かに突っ込みどころもある気もしたが、自分ががん患者という立場で見ると、演出を超えて、勝手に自分の人生に重ねていろいろ考えるから、じっと見てしまった。

それにしても、白い巨塔って、こんな裁判中心のお話だったっけ?と思いながら、本当のことを言えない辛さを抱えて生きることについて考えた。

私はまだまだ生きるつもりではいるけれど、それゆえかもしれないが、このところ、人生におけるいろんなわだかまりを解消したいという思いに駆られている。がんという病はそういう辛さを解消した先でなんとかなるのではないかとさえ考えている。

誤解や恐れや勇気のなさで、本当の気持ちをいえなくて、また、自分のプライドや甘えのせいで、おかしなことになってしまった関係性が人生の中にはたくさんある。すべてうまくいくことなどないだろうけど、本当はこう思っているということを自分の中で認めて、できることなら伝えて、残りの人生を生きたいと思う。

本当はわかりあいたいのにわかりあえない人がたくさんいる。
自分の臨終を囲むのはどういう人たちなのだろうか・・。
白い巨塔の財前の臨終のシーンを見ながら、そんなことを考えた。

自分の臨終を囲む人を想像することはなかなかに辛いことだ。
まだ、少し先のことだけに(先かどうかは不明だが)、より想像がつかず、不安の原因にもなる。

先日、無差別殺人を起こし自らの命も絶った容疑者は私と同い年。
人生の先も見えてくる年代だ。
彼は自分の臨終を囲む人について考えたことがあっただろうか。
臨終にそばにいて欲しい人(いてくれないにしても)さえ想像ができない人生というのは辛いに違いない。容疑者に同情するわけではない。彼は絶対的にやってはいけないことをやった。しかし、そうした辛さを胸に秘め、日々生きている人はほかにもたくさんいるはずだ。そうした辛さがどうすれば少しでも和らぐのだろうと思う。

飛躍しすぎと言われるかもしれないが、私が目指す火鉢カフェというのはそういうことも考える場所であったらいいと思う。

白い巨塔からあまりに飛躍しすぎだけれど、最終話の臨終のシーンを見ていたら、こんなことを考えてしまいましたとさ。

がんになって、不安を抱えて、今やっぱり一番に思うことは、素直にならないとダメだなあということだったりするのです。もう、財前のように名声や富を求める気持ちはとうにないから、まだ間に合うかもしれないって思います。

白い巨塔、まだTverで見られるけど、さすがに全5話は長いです。
私の世代には田宮二郎と山本学の白い巨塔が印象に残っているけど、youtubeに残る映像を見てみると、演技は拙いし、思ったほどではない。子供の時の印象を増幅して、記憶は改ざんされている。自分の身の回りのことに関しても、記憶は改ざんされているのだろうなあ・・。

白い巨塔とがんについてはまだ語りたいこともあるが、それはまた別の機会に。

橋本治は「癌とはなにものか」を書いただろうか?

2019-02-18 15:41:44 | がん徒然草

内田樹さんが橋本治の追悼として書かれていた文章の一説

ーー書き手は「自分が知っていること」をではなく、「今知りつつあること」を遅れて知りつつある読者に向けて説明するときに、もっとも美しく、もっとも論理的で、もっとも自由闊達な文章を書く。橋本さんはどこかで経験的にそのことを知った。(中略)そうやって考えてみると、『桃尻娘』は「高校生とはなにものか」についての説明であり、 『窯変源氏物語』は「王朝人とはなにものか」についての説明であり・・・以下、橋本さんの書くものはすべて説明なのである。そればかりか、橋本治はなにものだったかについても、橋本さんはちゃんと本を書いていて、『橋本治という行き方』とか『橋本治という考え方』という本まである。ーー

内田樹の研究室「追悼・橋本治」

 

WEBちくまの連載(『遠い地平、低い視点 第52回なぜこんなに癌になる?』)にこう書いた橋本治


ーー(癌の研究は)「癌を治す」という方向にばかり進んで、「人はなぜ癌になるか」がほとんど解明されていない。ーー

彼が書いた「癌とはなにものか」を読みたかった。
女子高生にも、清少納言にも、光源氏にも、三島由紀夫にもなりえた橋本治だったら、自らの細胞の変異であり、もう一人のブラックな私とも言えそうな癌について、またその癌をとりまく世間についてどう書いたのだろうか。

しかし、それは結局自分のことを書くことになるから、橋本治はそれを書かなかったかもしれない。そして、「癌とはなにものか」を書いたとしたら、それは自分のことを書くことになってしまうから、彼はそれを書くことなく、それが最後のテーマになることなく逝ってしまったのかもしれない・・・。

自分が癌になって、なんでなったのだろうと思い、いろいろ調べ、「知りつつあること」を、遅れて知りつつある読者に向けて、もっとも美しく、もっとも論理的で、もっとも自由闊達に書かれたものを、今、癌を抱える私は読んでみたかった。橋本治がいない今、自分のために自分でこれをやるしかないのである。

 

社会が人間のしぶとさをスポイルする?

2017-10-17 01:45:53 | がん徒然草

ガンを患った72歳の夫が、介護が必要な60代の妻を殺して自首するという事件。夫婦の行く末を案じてと供述してるらしい。こうした最悪の事態に陥らないために必要なことのひとつとして、ガンはそこまで悲壮な死の病ではないということをもっと周知することがあると思う。この夫のガンがどのくらいの進行程度だったかはわからないが、今のガンを取り巻く現状では、比較的早期のガンでも、将来を悲観して自分は死ぬと思い込む人は多い。特に男性に多いと聞く。

今の世の中、希望を持てなくなるような状況が多すぎる。人間というのはそんなにやわじゃないはずなのに、社会がそれをスポイルしている。


「癌患者」というアイデンティティを超えるために

2016-09-02 18:26:14 | がん徒然草
小林麻央さんが昨日からブログをはじめた。

「癌の陰に隠れないで」というある医師の言葉に動かされたという。そして、こう書く。「癌患者というアイデンティティーが私の心や生活を大きく支配してしまっていたことに気がつきました。元気になったら元の自分や生活に戻れるのだからそれまでは、誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず、、、と思ってきました。」

この気持ちとてもよく分かる。
日本では自分が癌であることを公表した場合の周囲の腫れ物に触るような視線が嫌で、癌であることを隠している人も多い。
「癌です」と言った途端に、「あの人、早晩死ぬの?」と思われているような気がする。それがいかに怖いかは、体験者でないとわからない。相手がたとえ口に出してそう言わなくても、そう思われてるんじゃないかと自分が思ってしまうことが怖いのだ。

周囲の人たちの頭に浮かんだ「死」という言葉の言霊が大きな塊になって、自分を飲み込んでしまうんじゃないかと思ってしまう。それは癌そのものよりも怖いかもしれない。

だから、癌であることを黙っていたくなる。
しかし、公表して周囲の視線を感じるのもストレスだが、自分だけで抱えることもまたストレスなのである。これだけ開き直っているようにみえる自分でさえ、癌という言葉が頭に浮かばない日はないし、仕事が大変になると不安になるのである。もし黙っていたら、今頃、どうなっているかわからない。

麻央さんがブログをはじめた気持ちがわかる。
癌という病気の怖さは精神的ストレスが半分以上を占めているんじゃないかとさえ思う。
 
切に世の中の癌患者に対する視線が変わることを願う。癌患者が「癌患者」というアイデンティティを超えるためには、世の中の視線が変わることも必要なのだ。

そのために私も書き始めたい。
昨日の夕方、月は新月となった(アフリカでは日食でしたが)。
今は大きなリスタートのタイミングらしい。
麻央さんも、だから昨日からブログはじめたのかな?

 

「専門家」って何だ?

2016-06-13 12:36:35 | がん徒然草
「専門家」って何だ?ってことを考え直さねばならない。
あるテレビ番組で、がん治療について立場の違う医者が登場し、けんか腰でお互いを批判していたそうだ。素人はそれを見てどう判断すればよいのだろう。もう、人任せにしている場合ではないのだと思う。とはいえ、専門家でない、時間も無い人間がどこまで自分で極められるかというとなかなか難しい。もう最後は覚悟と諦め。そして直感を研ぎすませる。覚悟のある人間の判断は、覚悟の無い専門家に勝ると信じる。結局、自分が納得できればいいんだしね。

私にも「がんでしたよね」と問い合わせw  消費される「貧困」「下流」「闘病」という物語

2016-06-13 04:12:45 | がん徒然草
今回の麻央さんの件に関連して、私にも知人を通して、古い知人の取材者から「そういえばがんでしたよね」という問い合わせがあった(私の連絡先がもう分からなくて、知人を介したよう)。結局、取材者と直接連絡を取る事はなかったが、今日の今日で取材して報道したいということである。こういうデイリー生番組の取材体勢はよく知っているし、私も遠い昔、そうしたデイリー番組をやったこともあるが、私が自分の命を守るために長い時間かけて調べ、実践したり、また実践できなかったりしていることを、たった30分や1時間取材して理解できるわけがない(私はいつも深層を知りたくなり、結果を出せない取材をしていたものです)。

最初、取材をもちかけられたとき、「私の言いたい話をちゃんと曲げずにオンエアしてくれるならいいよ」と間に立ってくれてた知人に言った。それは偽りない本音である。しかし、「バランス」などといわずに報道する覚悟が取材者にあるとは思えないし、「私の言いたい話」と言いながら、私自身、本当に何を言いたいのかは自分の中で明確になっていない。人間いつも迷いはあるものだ。

別に私は「そういえばあの人がんだったよな」と思って連絡をよこされることについては何とも思わない。むしろ特別視される事の方に違和感がある。ただ、取材するからには、ちゃんとその内容を理解できるだけの能力を持って来て下さいというだけだ。知識をすべて持ってろとは言わない。現在、がん医療やがん患者を取り巻く状況にどういう問題点があり、どういう論争が巻き起こっているかくらいの概況は知っていて欲しいし、先生様のご意見傾聴しとけばいいだろう的な批判精神の無い態度で取材はして欲しくないだけ。

がんという病気はもはや「闘病」というジャンルの「ネタ」である。なぜか「闘わない」ものは見向きもされない。

「貧困」にしろ「下流」にしろ「闘病」にしろ、それとは無関係の人たちが、自分たちの想像の範囲にあるものだけをふるいにかけて「物語」としてメディアに載せる。「物語」がもっともウケるのは古からの定説だし(スターウォーズもハリポタも神話の下敷きだしさ)、特別な事情や特殊な考え方は「短い尺」では割愛せざるを得ないからだ。取材者がよほど巧妙に仕込まない限り、真実に繋がるディテールはふるいおとされる。

真実は細部に宿り、その細かいたくさんのものの複雑な絡み合いこそが真実であると思うとき、「抽出されたデータ」などというものは、真実追究までの途中の参考データでしかないと感じる。もちろん、それも役に立つ情報のひとつではあると思うが、それを絶対視することには危険を感じる。それは私の嗅覚が感じる事だが、人間が理解できることや解明できることなんてその程度だとも思う。

それは「貧困」をあつかう社会科学でも「がん」を扱う医学でも同じこと。最近、そう思えてしょうがない。

おもったとおりだよ・・・またまたSTAP現象確認とな

2016-05-15 20:56:00 | がん徒然草

ドイツの大学がSTAP現象の確認に成功したんだそうだ。

その記事: http://biz-journal.jp/2016/05/post_15081.html

論文:http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0006291X16303448

STAPやiPSは再生医療よりがん治療つうか、がん細胞の性質を知る上で有用ってことはこれらが幹細胞研究ってことからも一目瞭然なのに、なぜかメディアはそっち方面の注目の仕方をしてなくて不思議だったのだわよ。
のんきながん患者としては(私のことです)、こういう方面でSTAPは注目してて、体の中で自然にSTAP現象起こすにはどうすればいいのかしら・・・とか日々思ってるわけでございます。まあまだオカルトの領域かもしれませんがw 

とはいえ、ちょっと問題起こるとすぐに幕引きしてしまう日本って終わってる・・・


医療関係の記事に思う〜「学際的」って言葉も聞かなくなったな

2016-01-18 10:44:43 | がん徒然草

医療関係の記事を読んで思うこと。
医療など専門性の高い分野については、専門家の意見をそのまま横流しにして伝えがちであるが、高度で先進的なものであればあるほど、まだ不確定な部分も多く、伝えるものは批判的な視点をもって、情報を精査する必要がある。その情報を吟味する時に必要になるのは、その専門分野の知識ももちろんだが、それまでの人生で学んだ様々な知恵や教訓であったりもする。

例えば、「ゆく河の流れは絶えずしてもとの水にあらず」の方丈記の一節から「動的平衡」なんてことを考えるわけだし、空爆すればするほど、他の場所で復活するテロリストに、抗がん剤に抵抗力を得て転移して行くがん細胞を思ったりもする。もちろんこの間の関係性は実証されているわけではなく、想像でしかないが、こうした想像をきっかけにして、ものごとへの疑問とかそれにつづく検証への道は開けて行くのだと思う。こういう他分野からの想像力が働かない限り、学問というのは自家中毒の袋小路に入ってしまうような気がする。

最近では、大学の「文系廃止騒動」が起こり、産学連携が叫ばれ、理系偏重の傾向がある。かつてよく聞かれた「学際的」という言葉もとんと耳にしない。上記のような考えはもう古くさいのか…。いや、古いものが新しいという今の時代を表しているだけだと思う。


朝日新聞「がん おひとりさま5情報編」を読む〜お金の切れ目が命の切れ目か?

2016-01-17 14:24:32 | がん徒然草

ちょっと間があいてしまったが、朝日新聞に連載していた「がん おひとりさま5」最終回は情報編。おひとりさまのがん患者の心配の最大のものは身体のことをのぞけば、「お金」につきるようだ。

朝日新聞「がん おひとりさま5 情報編 独身患者の集いも」

「お金の切れ目が命の切れ目」と考える人が少なくない。確かにそうだろう。標準治療をやったとしても、私のように別の方法を選んだとしても、お金が通常の生活よりかかるのは事実だ。私も経済的に余裕が無い中、最初はどうしようかなと思ったが、幸か不幸か、お金のないことがいまのところいい方につながっている。

標準的な治療はやっていない私であるが、非常に高額な代替医療を受けたわけではない。以下が1年半前、再発といわれて以降の私のお金のかかり方だ。6年前に唐突にそれまでの仕事を辞めてからの負の遺産を引きずっていたので、経済的に余裕はなく、実家のローンもあるのでしばらく仕事を休んでという選択肢はなかった。なので、なるべく体調に影響の無い方法を選びたい。また、月に10万以上の治療はありえず、できれば5万以下に抑えたい。というような制限により、検討の末、以下のような出費での治療におちついた。

食事療法のために、無農薬無肥料の野菜や玄米にかえたり、亜麻仁油やえごま油などちょっと高価な油にしたり、いい調味料に変えたりで、食費が結構高くなった。ただ、これは通常の食費+αだから、このαの部分を治療費と考えた。

このほか、ミネラルサプリやちょっとした診察で月に当初は4万円くらい、今は2万〜3万くらい。1回90分1万円の整体に3週間〜4週間に1回程度(当初半年は2週1回行っていた)。

簡易サウナで身体を温めているが、それは自宅にあるもの。10年前乳がん初発の時、月に1万円のローンを30回で払って買っていたのがあり、しばらく休眠していたが、今、大活躍。だからこれは電気代のみ。ただ、サウナを持ってる人なんて稀だろうから、岩盤浴とか、外部の施設に行かねばならない人は、これを週に2回だとしても、1回2500円としたらさらに月に2万円程かかる。でも、私と同じようなサウナなら、月1万円程度のローンで3年払えば購入でき、いつでも好きな時に入れます。

あと、再発当初は、足を冷やさない為に、遠赤外線の膝下を温める器具を買ったり、低速ジューサーを買ったり、玄米パンを作ろうとGOPANを買ったり、部分的に温めることのできる温熱器を買ったりと出費は多かったが、手術したと思えば費用は同じようなものだ。それに、低速ジューサーは今はほとんど使ってなくて、買わなくても良かったかも。

でも考えてみれば、これって、ちょっと身体に気を遣ってる健康な女性の出費とそんなに変わらないんじゃないだろうか。そう考えると、治療費とも言えないのかも知れない。化粧もあまりしなくなったし(いいもの食べてるから、あまり肌も荒れたりしなくなった気がする)、高価なシャンプーリンスもやめて石けんシャンプーだし、ヘアダイもやめて、自分でヘナでやるし、かからなくなったお金もある。まるで女優の小雪のようなエコ生活ねwwとうそぶいている今日この頃です。

今、通常の標準治療をやったら、月にいくらくらいかかるのだろう。
手術後、抗がん剤治療やってたとして、高額医療費免除だとして、月に7万から8万が自己負担だったと思うが、私の場合、抗がん剤治療がどのくらい続いたかも分からないので、比較はできない。

この朝日新聞の記事の最後には上野千鶴子さんのコメントで、障害年金も活用してとあったが、障害年金というのは、がん自体の症状が重かったり、治療の副作用によって通常の暮らしがおくれないくらいしんどい人にしか出ない。そういう状態になると働けなくなるのを危惧し、副作用のでない治療法を選んだ私のような人は障害年金の対象にならないのだ。

まあ、私の方法は今の世の中では特殊の部類なので、比較の対象にならないかもしれないが、経済的に余裕がなく、経済的に頼れる親族もおらず、ということが、かえって私を精神的にも肉体的にも楽な方向に導いたことはなんだか皮肉だなあと思うのであります。

もちろん、私もこのままお金がなくっていいというわけではなく、できれば余裕を作って、今の自転車操業を脱し、たまにはゆっくりとリゾートにでも行きたいと思っています。一応、まだがん患者ですから。

でも、ローン抱えたあとがんが見つかり、にもかかわらず、義憤から仕事やめたり、がん再発したりと、いろいろあって、この年齢でお金が無いという現実がある中、どっかでがっつり貯金を作るにはどうしたらいいのかなあというのが今年の目標です。

「下流老人」という本を先日手にし、まあ下手すれば私もそうなるんだろうと思いました。でも、こういう危惧というのは今の常識を前提にしてこそあるもので、その前提に立っていては、この複雑に絡み合った厳しい現実は到底覆すことは難しいのです。だからというので、今の社会には破壊願望がはびこり始めているようにも見受けられますが、常識を破壊するというのではなく、見方をちょっと変えてみるということでしょうか。

今年の目標は見方を変えて、自分の人生に挑んでみる、です。
じゃあ、どう変えていくのか、それはこれからの実践次第というか、自分にもまだちゃんと見えていませんが、なにか分かったら少しずつ報告します。ああ、とりとめもなくなっちゃいました…。


朝日新聞「がんおひとりさま4」を読む〜「病気になったのは自分のせいでも誰のせいでもない」のか?

2016-01-09 01:06:23 | がん徒然草

がんおひとりさまの連載、第4回目。タイトルは「さいごまで自分らしく。」

朝日新聞「がんおひとりさま4 さいごまで自分らしく」

最後までって・・・。

最後がいつになるのかは分からない。けれど、「いつも自分らしく」ではなく「さいごまで」と書くのは、平均寿命まであと30年、さいごまで自分らしくという意味ではないだろう。

記事には、今は子宮体がんの抗がん剤治療も終わり、乳がん再発防止のための薬を飲み続けているとある。抗がん剤治療も終っているということは、多分、子宮頸部まで広がっていたがんも取り除け、その後の再発もないということなのだろう。抗がん剤をやってないので、もちろん今は副作用も無く、普通に仕事出来ているようだ。治療が終ってから3年。再発もしていないようなので、ちょっとホッとした。

なのに、3年もたつ今も「さいごまで自分らしく」という言葉が出る…。一度、辛い治療を体験し、死の淵を垣間見たからだろうか。再発の恐怖もいまだぬぐえないにちがいない。けれど、それもこれも、やはり世の中に「がんは死の病」という絶対的なイメージが根深く浸透しているからだと思う。もちろん、彼女のように、乳がんの後、子宮体がんも発症していては、死を意識するなというのは難しいかもしれない。けれど、今の私は、それさえもやはり世間ががんを怖がりすぎているからだと思っている。

私は現在、抗がん剤や放射線などのいわゆる西洋医学の治療を一切やっていない(放置しているわけではないです。食事療法や低温サウナやミネラル補給や散歩、レメディなどなどはやってます)が、今のところ、再発した乳がんは一時期の勢いをなくしているようだ。腋の下にあった腫れも一時期より小さくなっている。

再発が分かってから1年半。今後どうなるかはわからない。このままずっとなんともないかもしれないし、再び、悪化するかもしれない。私と同じくらいの症状で抗がん剤をやってる人より早く死んじゃうことだって考えられなくはない。けれど、今の私はそうはならないんじゃないかと思えるようになってきているし、もしそうなったとしても、それは自分の選択だからという覚悟が以前よりはできてきている気がする(もちろん本当にそうなったらどうなるかわかりませんが…)。そんなことより、今は、がんが再発しながらも、なんら辛い治療をせず、仕事も普通に続けられ、ストレスなく過ごせていることがありがたい。もし苦しい治療していたら今頃私はどうなっていただろうという思いしかない。治療に頼らず、自分の身体の声を聞くことで、人間の身体と病気というものの関係にも、思いが至るようになってきた気がする(そこらへんについてはまたあらためて)。

そんな私にとっては、この記事の最後に書かれていたこの言葉がひっかかった。

『二つのがんを経験し、お金や生活に困ったことはあった。でも、病気になったのは自分のせいでも誰のせいでもない。「これは自分が歩んできた道なんだ」と受け止めている。』

「病気になったのは自分のせいでも誰のせいでもない。」本当にそうだろうか…。

私は自分が乳がんになったのは、自分のそれまでの生き方すべての結果だと思っている。世の中には先天的な病もあるが、多くはその時の身体の状況を大きく反映する。風邪に感染するのだって、不摂生で免疫力が下がった時が多いように、無理をしたり、食事をおろそかにしたり、悩みを抱えたり、色んなことの結果が「がん」という塊でもあるんだろう。もちろん、自分のせいだけでもない、誰かのせいでもあるだろう。汚れた大気、添加物いっぱいの食べ物、電磁波などなど、がんとの直接の関連は証明されていなくても、身体に悪影響を与える物は世の中に溢れすぎるくらい溢れているのだ。さらに、必要以上の治療や投薬が患者をより一層の不幸に陥れていることだってあるのではないだろうか。

病気を作っているのは自分であり、社会であると考える時、なぜその病気が生まれたのかの原因に思いが至り、対症療法ではない、根本的な治癒への道が開けるのではないか。それは個人の病が癒えるというだけでなく、世の中から病が減って行く道でもあると思う。

もちろん、病気になった患者が自らを責めることは無い。原因と思われるものをあらため、これからはなるべく楽しく暮らす工夫をすればいいだけ。原因を見て見ぬ振りだけはしないほうがいいと思うだけだ。最初は気持ち的にキツいかも知れないが、結果的には心から病気と向き合い、吹っ切れる気がする。

明日は最終回。