<今日から始める「乳がん」の話>
今日、7月12日は私の誕生日。
忘れないように誕生日の今日、乳がんの定期検診を入れていた。
2004年の6月に乳がんのしこりを左胸に発見してからもう7年目になる。超音波検査の結果は異常なし。またほっと胸を撫で下ろした。通常のがんは5年で治癒と言われるが、乳がんでは10年だ。あと4年は検診に通う。
組織で働くことを辞めて、これからは一人でやって行くと決めてから初めての誕生日を機に、このブログ上で、自らのガン体験を書き始めることにした。
かつて治療中にも断片的にブログを書いていて、そっちのブログもあるが(今は更新していない)、6年が経ち、より冷静になって、自分の体験だけでなく、現在の社会におけるがんの受け止められ方などについても考えていきたいと思った。
そして、この日を機に、いま一度新たに始めることにした。
私の書く事が全ての乳がん患者さんの役に立つとは思っていない。むしろ役に立たない事のほうが多いかもしれない。
というのも、私のケースはある意味特殊だし、ある意味常識はずれであるからだ(なぜ特殊かは後で説明します)。また、転移や再発のケースについては、取材者の立場でしか伝える事ができない。
しかし、それでもやはり乳がんについて書いておこうと思うのは、私の特殊な体験でも、誰かの役には立つかもしれないと思うからだ。例えば、今、乳がんの宣告を受け、これから治療方法を決めようとしている人や、乳がんかもしれないと不安に怯えている人。そうした人たちになら、幾ばくか役に立つかもしれないと思ったのだ。
また、私は自らががんを体験する事で、現在の「がん」というものに対する世間の認識やメディアのとりあげ方が、いかに偏見に満ち、先入観に捕われているか、また、それが患者を不安に陥れているということを実感した。
そうした「がんに対する認識」から少しずつでも偏見や先入観を減らして行くことで、がん患者が少しでも平穏な気持ちで過ごせたらと思うのだ。
さっき、私のケースは特殊だと書いたが、私が選んだ治療法というのは、私が治療を開始した04年秋の時点で、乳がん治療においては、まだ全国で60人程しか臨床例のない新しい方法だった。
その治療法とは、放射線治療である。
通常の外科手術の後に予防的に行う放射線治療とは放射線の当て方が本質的に異なる治療法で、放射線のピンポイント照射という。簡単に言えば、がんの腫瘍だけにピンポイントで放射線を当てて腫瘍を殺すものだ。乳がん以外の例えば肺がんなどではすでに標準治療となっている。しかし、その方法を乳がんに適用した人数は、当時全国でまだ60人程だったのだ。
しかし、6年経った今、私の左胸のしこりは消え、再発転移はしていない。
そして、私は当然の事ながら乳房をまったく切っていない。
さらに、乳がん治療の手術後によく行われるホルモン剤の服用も全くやっていない。
もちろんこうして治療が成功しているのも(まだ10年経っていないから成功と言えるかどうかはわからないが)、私の乳がんが粘液がんといわれる比較的転移しづらく、予後が良いとされている優しい顔つきのがんだったからかもしれない。リンパ節にも転移はなかった。しかし、発見した時の腫瘍の大きさはすでに2、5~3cm。これは、医学用語でいう病期でいえば、a期という段階だった。
そして、そんな私の乳がんも、最初に行った大学病院では左乳房全摘出と宣告されていたのだ(放射線科は3軒目にいきました)。2、5cmで今時全摘出?と思われるかもしれないが、しこりが乳腺の集まる乳首に近く、場所が悪いという説明だった。
私はその後、セカンドオピニオン、サードオピニオンと凝りもせず、5つのがん専門病院と大学病院を廻った。東洋医学の先生の話も聞いたし、全摘出した場合の再建手術の先生にも会った。
治療法を決定するまでにかかった時間はおよそ3ヶ月。
がんについてほとんど何も知らない当初の私だったら、転移が怖くて、治療を始めるまでに3ヶ月もかけるなんて考えられなかっただろう。しかし、治療法を探してがんを学んで行くうちに、そこに時間をかけていいか急ぐべきかは、その人それぞれのがんの性質によって異なることが分かってきた。私の場合は、乳房全摘出を勧めた最初の病院の医師も、2ヶ月までなら大丈夫と言っていた(なのに3ヶ月かよと突っ込まれそうだが、それは自分の体ですからそれこそ自己責任である)。
私の非常識は治療法を決めるまでの時間だけではない。
その3ヶ月間で廻った5つの大病院の診療科のうち、最終的に選んだ放射線科以外は全て乳腺外科だったのだが、その乳腺外科4つのうち3つで全摘出および再建手術を勧められ、残りの一つは、部分摘出でも可能だが、手術で開いてみて急遽全摘出にする可能性もあるとの判断だった。
普通に考えたら、1対4で全摘出の勝ちだろう。
乳腺外科の医師たちは、ことごとく「あなたのがんのタイプには放射線はあまり効果がないと思う」と語り、さらに、親戚の看護士経験者も4つの乳腺外科の判断に軍配を上げた。私自身も一時期はほとんど全摘出をする心構えをしていた。
しかし、最後の最後で大逆転、思い直し、1の方の全国でまだ60人程しかやったことのない治療に踏み出した。
それは単に乳房を切りたくないという理由だけではない。多分こっちのほうが、再発転移無く元気に生きて行けるはずだという自分なりの合理的な判断の結果なのだ。
それが、3ヶ月間、物理的にも精神的にも流浪を経て、得た自分なりの答えだった。
がんというものは、同じ乳がんといっても、人によってその顔つきがそれぞれ異なる。医学的なデータについては、一概に私のパターンを誰にでも当てはめる事はできない。
しかし、こうした治療法を決める上での心の動き、なぜそちらを選んだのか、どういう判断基準でそうしたのか、その時一体何を考えていたのかというプロセスの中には、参考にしていただけるものがあるかもしれない。
実は私の母も、その後(2007年に)私と同じ2~3cmほどの大きさの粘液がんが発覚した。しかし私とはまた違う治療法を選んだ。
腫瘍の廻り1~2cmほどの大きさでくり抜いてもらう部分摘出手術。治療はそれだけだ。
胸にはちいさな赤い跡があるだけで、乳がんの手術跡だと言われなければわからない。そして、抗がん剤も放射線もホルモン剤もなにもやっていない。ホルモン剤は医師からどちらでもいいですよと言われ、最初は錠剤を飲んでみたのだが、体調が悪くなるので、すぐにやめた。
母も乳がんが見つかった当初は狼狽えていたが、私の体験をもとにしつつ、それを母に合ったバージョンに解釈し直し、その後新しく改訂された情報も考慮しつつこの治療法を決めていくうちに落ち着いていった。
治療後の今では、乳がんよりも、持病の高血圧の方が圧倒的に心配だ。
というわけで、次回以降は、まず私の乳がん発見から治療法探しの体験をより具体的に語ってゆきたいと思います。
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質問には、分かる範囲でお答えします。医学的な情報については医師ではないので、一般論もしくは参考情報となる場合もあると思います。
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