メディアの中のそれなりの年齢以上の人々や知識人と言われる人の多くや政治家たちは、これまでも統一教会と特定の政治家の関係を知っていて、俎上に上げて問題視することはなかった。赤旗は記事化していたが、それが国会で大きく取り上げられ、世の中に拡散することはなかった。ネット上にはそうした情報がいくつも転がっていたが、根拠のないネット情報というイメージの前に問題化することはなかった。触らぬ神に祟りなしといわんばかりにスルーされてきた。その問題を掘り起こすことが、どういう災厄をその人にもたらすのか?
どこまでが真実でどこまでが陰謀論か判然としない世界で、この問題を深掘りしたら自分が潰されるという恐怖で、みな問題を見て見ぬ振りしてきた。特別会計の闇を暴こうとした石井紘基議員が殺されたり、原発事故の真実に迫ろうとしたジャーナリストが自殺したり、そういうことが疑惑を知るものをより萎縮させた。
しかし、皮肉なことに、安倍元総理を殺害するという蛮行をきっかけに、これまで知っていながら知らないふりをしていたことをメディアも語り始めている。悲劇的な事件の真相究明という大義名分を得て、やっと言論は動き始めた。しかし、今朝の日曜討論で江川紹子氏の指摘を司会者がスルーしたように、いまだ動揺を隠さないメディアもある。裏には何があるのかわからない。私などが知ることのできない、世界の権力の秘密があるのか・・・。
しかし、そう考えることは陰謀論に絡め取られ、さらなる言論の萎縮を招く。今は、きっかけはどうあれ、陰謀論を隠れ蓑にあいまいなまま放置されてきたことを追求できるだけするべきだ。
Qアノンだのなんだの、世界が陰謀論に覆われ始めている今、悲劇がきっかけだとはいえ、せっかく空いた風穴をこのまま閉じてしまっては、さらに陰謀論が幅を利かせる世の中になってしまう。
人の恐れや不安につけ込んで、陰謀論の影に隠れて好き勝手するものを許してはいけないと思う。
こんなこと書きながら、私も言葉を発することが怖かったりする。でも、この風穴から何かを変えていかねばならないとも思う。
安倍元総理が銃撃され亡くなったことを報じる報道を見ながら、ひとつモヤモヤしていることがある。ちょっと半信半疑で書く。
モヤモヤというのは、この事件を受けての政治家やメディア、ジャーナリストのコメントの多くが「暴力による言論の封殺は許されない」と訴えていることだ。
今回の事件が選挙期間中であり、銃撃されたのが安倍元総理という政界の大物であったところから、過去の政治家が狙われたテロを引き合いに出し、その流れの中で今回の事件が語られる。
このところの世の中の混乱と疲弊ぶりが戦前と比べられることも多いため、当然、五・一五事件や二・二六事件という言葉を出す人もいる。私とて、最初はそういう事件が頭をよぎった。しかし、それらと同列に考えてもいいのか・・・。
山上容疑者の取り調べでの発言の真偽についてはまだ調べが必要だが、現状の報道では、その動機について「安倍元総理の政治信条への恨みではない」とし、自らの家庭を家庭崩壊に陥れた特定の宗教団体への恨みを晴らそうと、その宗教団体と安倍元総理がつながりがあると思い込み犯行に至ったと供述しているという。
この供述が真実だとしたら、この事件は、ターゲットが大物政治家ではあったものの、山上容疑者の個人的な恨みによるものである。五・一五事件や二・二六事件のような、純粋な政治への不満によるテロと同列で語り、「言論封殺に負けるな」とイキリ立っていいものなのか・・・。
今のところ、容疑者が安倍元総理に不満を抱いていたのは「ある宗教団体とのつながり」のみで、その政策や政治信条に対してではないし、今のところ、山上容疑者は単独犯で、同じ考えを共有する共犯者もいなさそうである。安倍元総理が主張していた政治信条を、自民党の同僚政治家が主張したところで、また銃弾に狙われるということはないのではないか。
今回の事件は、現状では、政治思想や信条に絡んだものではないし、組織的なものでもなさそうだ。家庭が崩壊し恨みを抱えた容疑者は精神的に不安定になっていた可能性もある。どちらかというと、近年増えている、絶望した「無敵の人」による無差別殺人に近いものを感じる。もちろん、ターゲットは無差別どころか、いまや政界のラスボス的存在になった安倍元総理。その後の政界への影響は計り知れない。
しかし、防衛費拡大論議だとか憲法改正問題だとか、戦争の匂いのする案件がクローズアップされているこの時期に、五・一五や二・二六の名前を挙げて今回の銃撃事件を語り、戦争になだれ込んでいった時代を想起させることは、戦争も辞さないと考えている指導者層の思う壺になってしまうのではないか・・・。
私の考えが足りないのだろうか?
大体、今回の事件を受けて「言論封殺」とか言ってるのは政治家やメディアであって、市井の人々はただただ驚いているばかりではないか。犯行の理由がわからずただ怖いねと言っている人々に、これが言論封殺で、政治的自由を奪うものであるというイメージを植え付けることは、かえって世の中にそういう空気を蔓延させることになるのではないかといぶかってしまう。
五・一五とか二・二六とかいう前に、まずは安倍元総理のご冥福を祈りつつ、山上容疑者がなぜこうした凶行に至ったかの動機や背景をきっちり調べるべきだ。
投票日前日の今日、この事件の報道が比較的少なく、通常の番組編成に戻ったことはちょっとホッとした。
選挙と今回の銃撃は無関係である。
選挙後、安倍総理の悲願を達成したい・・みたいなことを言い出す政治家が出てこないことを願う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/cf/2e40b9ef9bc169935dd1abb7eabcbadb.jpg)
もう昨日になってしまったが、4日は衆院選の公示の日だった。町の食堂の大きなテレビでは、NHKがついていて、「党首に聞く」として野田さんが話していた。食堂のざわめきの中では野田さんの声は私にまで届かなかった。続いてのニュースでは、各党の立候補者数の表が画面に映った。これは字だけでも分かるが、女性アナウンサーが説明する声はなぜか私のところまで聞こえた。首都圏ローカルの枠だったので、関東1都6県88の小選挙区に各党がどれだけ候補を立てているかという数字だ。民主党79人(前回比3人減)、自民党86人(1人増)、日本未来の党44人、公明党2人(同)、日本維新の会51人、共産党88人(36人増)、みんなの党40人(31人増)、社民党4人(1人減)、幸福実現党6人(78人減)、諸派2人(1人減)、無所属14人(11人減)。
*あとで、全国の選挙区での立候補者を見たら、比例も含め、割合的にはこんなもんだったので、この首都圏の数字を見た時の印象で、話を続けます。ジャーナリストじゃないので、以下、決して分析記事ではないです。
<政治信条を曲げて民主党に残った人たちのこと>
みんなの党がいつのまにか40人いるのは驚いた。解党とか言われてなかったっけ?(でもみんなの党は首都圏が突出して多いんですね)。にしても、新しい党もこんな短期間で候補者集めたもんだなあ~。未来の党44や維新の会51や自民党86、共産党は今回88全選挙区擁立に戻り、なんだか各党張り切っている空気がその数字からも伝わって来る。しかしそんな中、民主党の79だけはどうも揺らいでいるように見える。迷いが感じられる。その迷いとは、与党民主党にいながら政府の考えと方向を異にする議員たちの迷いである。
たとえばTPPに反対なのに、消費税増税に反対なのに、一刻も早く脱原発を実現したいと考えているのに今でも民主党に残っている議員たちは、与党の座を奪われるかもしれない民主党になぜ残って選挙を戦うのだろう。今回民主党不利なのに。自分でもゆらゆらしているに違いない。票が割れて連立政権に入ることを目論んでいるのかもしれない。けど、そこで生まれる自公民+維新みたいな連立政権に彼らは与することができるのだろうか?こんなことになったら、多分、政権は憲法改正も言い出すよ。苦しみは増すばかりだろうに。でも、こんなこと言ったら、そんなこと分かってる!と言われそうだ。まあいろいろあるんだと思う。でも、その「いろいろ」がこれから先はとっても政治家の足を引っ張るものになるのではないかと思う。
<「脱原発」~政策による合従連衡のはじまり>
小党(とも言えないが)が乱立したことで、今回の選挙は各党のポリシーが明快で分かりやすくなったとも言える。もちろん、日本未来の党も日本維新の会もいろんな人の寄せ集めで、維新の会など、合流した太陽の党に妥協して政策を曲げ、カラーが曖昧になったと批判もされている。ただ、今回の選挙後もしばらく戦国時代が続くと思われる状況にあって、今の時点で一旦曲げたとはいえ、これまで維新の会(橋下さんの)自分たちの考え方をあれだけ世の中にアピールできた(もちろん彼らの政策がいいかどうかは別の話だが)。未来の党だって、「卒原発」をアピールしている。
これまでの選挙では、党として自分たちの信念をストレートに表明しているのは、極端なことを言えば、実は社民党と共産党だけだったのではないかと思う。あ、康夫ちゃんの新党日本もか。大政党はいろんなところに良い顔をするあまり、何を言ってるのかわからないことをまくしたて、常に争点を曖昧にしてきた。時には、郵政民営化のように争点をねつ造してきた。それが今回、社民共産以外にも、ある程度たくさんの候補者を立てた政党が明確な争点を掲げて選挙に出てきたのである。もちろんこうした新党も急な寄せ集めで今後どうなるかは分からない。政策によっては今後内部で対立することもあるだろう。しかし、今回、こと脱原発ということにおいてはいくつかの勢力が一致し、こうしてめでたく争点に掲げて立候補してきたのだ。
多少の違いはおいておいても幾つかの党が政策によって共闘できるという意味で、やはり「脱原発」をいう問題は国民的な最大の争点なのだ。
民主、自民の大政党は、脱原発を争点にしたくないかもしれないが、脱原発は、55年体制以降、日本の政党が初めて、数合わせだけでなく、その政策の一致によって合従連衡した例ではないのか。もちろんその裏側にいろんな思惑があるだろうし、いくつかの党は理念や理想というよりも、「勝ち目」という意味で「脱原発」を選択しているのかもしれない。それでもやはり、政策によって人が集まったということは大きいと思う。「郵政民営化」の時だって・・・というかもしれないが、あれは作られた争点。だれも国民の方を見ていたわけではない。国民発の争点によって勢力が結集したということは多分初めてだ。
<政局の終焉?と政界再編のゆくえ>
もしかしたら、数合わせによって政治が決していた時代、つまり「政局」がすべてだった時代も少しずつ変わって行こうとしているのかもしれない。同時に、マスコミにとっても、政局を追いかけていただけで政治ニュースとなっていた時代は終わって行くのではないだろうか。もちろん、まだまだではある。でも、政局的な動きだけでは政治家も保たなくなっているのではないだろうか。
ずっとくすぶってきた政界再編なるものが、どういう形になるのか中々見えないでいた。現在の党の乱立を見ていても、まだよく分からない。橋下氏の維新の会は太陽の党と組むことで脱原発の主張を後退させたが、選挙の結果によってはまた持ち出すのではないかと思う。そのほかにも大きな争点はあって、それについては、またシャッフルが起こるかもしれない。
けれど大きくとらえれば、今回の党の離合集散の向こうに浮かび上がる政界再編の行方は、国家とそれを支える(と思っている)財界の側について争点をねつ造するのか、ひとりひとりの国民の側につくのかという基準でシャッフルされて行くのではないかと思う。
って、なんか私当たり前のことを言ってますね・・・。
で、最初の話に戻るのだが、だからこそ、本来なら争点にしたい問題について曖昧にせざるを得ない民主党内の野田さんに反発するグループは損をしてると思うのだ。このエポックな選挙の時に自分の信じる政策をアピールしといたほうが、先々考えたら得策だと思うんですけどね。民主党79という数字がなぜかどんより曇って見えたのは、そんな彼らの姿が向こうに透けて見えたからでした。
政党に対する不信がピークに達している今、もちろん党の安定感などというものはもはや存在しないし、そんなものに対して票を入れる人もぐっと少なくなっているはずだ。多分、これからはよかれ悪しかれ政策に一票が投じられるのではないだろうか。組織にぶら下がっていても意味がなくなってきてるのは、政治家もまた同じことなのだ。
<後記>
いろいろ考えてて、最後に浮かんできたのは、これって、日本の政界全体が昔の自民党のような一つの党となるってことみたいだなーということ。現在あるたくさんの党は、派閥のようなもの。政策によってくっついたり離れたりする。まあ、グローバル時代だもんなあ・・・世界が一つの国みたいなもん???
ああ、よく分からなくなってきた。
あと、しばらくは数合わせはごちゃごちゃ続くとは思います。
いろいろごちゃごちゃやってく間にどんどんそれがむなしい形になってくんではないかと思います。でも、それがむなしい形にならなかった時、日本はヤバいと思います。大政翼賛会みたいなものができなければいいが…。それだけが不安です。って、実は今、そこが最も近い場所だったりするかもしれないのですが、今回の党の乱立を見て、その争点が脱原発であることで少し希望を感じたもので、こんな記事を書きました。
小沢一郎は負けた。
党員サポーターからの獲得票の差が予想以上に大きく一瞬愕然としたが、
しかし、これは各選挙区ごとに、1票でも多かった候補に1ポイント入るという総取り制になっているからで、実際には菅直人6に対し小沢一郎4くらいの割合で票を獲得している。
多分、こんなものなのだろう。
とはいえ、あの演説はちょっと身震いがした。
あんな力が入って、中身が見える演説って近年あまり聞いた事が無い。
でも、あの演説で心変わりする程、議員たちもナイーブじゃなかった。
それよりも、党員サポーターこそ、あの演説聞いてから投票すべきだった。
それほど、今回、小沢一郎の気迫は凄かったし、政策を語ると言う点で、近年の政治家の中で最も有権者に伝わる言葉を持っていたと思う。
いま一度、活字で読んでみても良いかもと思い、書きおこしを探したら、産経MSNがやってくれてました。
産経MSN小沢一郎代表選意見表明全文
しかし、この2週間、小沢一郎がひとり気をはく一方で、
会見の仕切りに登場したり、小沢派としてテレビに登場する取り巻きを見ていると、かなりしんどかった。
小沢一郎という人は、彼にぶら下がろうとする人ばかりを周囲に集めてしまうのではないかとどんよりした。記者懇談会に小沢自身が遅れてやってきた時の取り巻き議員の場の繋ぎ方などあまりに心もとなくて、これイメージダウンだろと心配になったほどだ。
彼らは小沢一郎が作ろうとしてる未来の日本の姿を本当に共有しているのだろうか?
高野孟氏が言っていた、小沢の人間不信とかニヒリズムとかってこういうところからきてんだろうか?
自分と同じレベルで議論できる人間がいない。だから、全て自分で考え仕切る。取り巻きは雑務をやってくれれば良い。数だけ集まってくれば良いってことか?それで数の論理になるとしたら悲しいなあ・・。
小沢のニコニコ顔からはそうは思えないけどね。
取材してないから印象でしかない。ほんとのところはわからない。
小沢一郎の言葉に嘘はないように見える
小泉元総理の意味無しプロパガンダとは違う真摯さがある気がするのだが・・・
今のところ、小沢一郎の古い体質といわれるものが、彼の政策に対する私の共感を覆すほど大きなものなのかどうかの判断がつかないままだ。
まあ、今日、政府が円高に対し為替介入した事からも、
小沢一郎が代表選ではっきりモノを言ったことの意味はあったみたいだから、今後の民主党にとって、この代表選はよかったんじゃないだろうか。
この為替介入がどのくらい効果があるかは未知数ですが・・。
一方で、メディアは捩じれ国会だの、今後の政界再編だの
またまた捕らぬ狸の皮算用で、早くも先のそろばんを弾いている。
今回の代表選でも、マスコミの影響力がまだまだ大きいことはよーく分かったから、世論誘導にならないように気をつけてくださいね。とかなんとか言いたくなるけど、
問題はそれだけじゃないんだよね。
メディアだけでなく、受けても含めて、日本人が全体的に自分の力で物事を考えなくなっていることが問題なのだと今回つくづく思った。
今回の代表選の各候補支持の理由を明確に論理的に語れる人がどれだけいるだろうか?
首相が3ヶ月で交代するのはなぜダメなのか?
小沢一郎の「政治と金」の問題とは具体的にどういったものなのか?
小沢一郎に政策がないというけど、「日本改造計画」読んだのか?
人々は、日々溢れてくる情報洪水の中で、自ら調べる事の必要性を感じなくなっている。そして、麻痺して情報の質を問わなくなった。だからだろうか、メディアの中に、自分で検証するための「材料」を求めるのではなく、用意された「答え」を求めるようになった。
言いかえれば、考えるということに「怠惰」になったような気がする。
そのくせ、人間には、頭がいいと思われたい、もっともらしいことを言う人だと思われたいという欲求がある。
例えばテレビの街頭インタビューでマイクを向けられたとしよう。
「実は、いろいろ迷う部分もあるのだが、ダラダラしゃべっても、よくわからない事を言ってる人と思われるに違いない、それってバカっぽいよな。」
そんな風に思った人は、ある人は回答を拒否し、ある人は、とっさに、どこかで誰かが言っていたもっともらしい言葉を探す。
良いとこ取りのコピー&ペースト。テレビに出てたあの有名人の分かりやすい一言を探す。とりあえずは、この大変な時に代表選なんてやりやがってと、ダメな民主党を批判してみたりする。
それはテレビカメラの前だけじゃなくて、友人の前や、地域の集まりや、近所の井戸端会議でも同じだ。自分が一生懸命考えたのではない、一見、見栄えのいいコピペ発言が横行してはいないか?
そして、自信が無い人や、考え中の人が黙っているうちに、マスメディア的論調はどんどんコピペされて拡大する。
「見栄」と「怠惰」
これが、現在の日本を覆って、ダメにしている根本的な問題ではなかろうかとつくづく思う。
でも、一方で人間は自らを怠惰だとか見栄っ張りとか思いたくないから、無意識に、そんな自分の態度に対する言い訳を見つけようとする。
そんな言い訳の受け皿となるのが「世論」なのかもしれない。
みんなが言ってるから。多くの人が言ってるから、は最強の保証だ。
「世論」にすり寄る事で安心し、深く考える事を放棄するのだとしたら、
たった数百や1000程度の世論調査をあたかも日本国民の民意のように振り回すのは、ある意味、社会への暴力ではないのだろうか。
ちょっと話は飛ぶが、以前テレビマンユニオンの村木良彦氏の追悼番組の中で「あなたにとって幸せとは何ですか?」という、街頭インタビューのみの番組が紹介された。そこでマイクを向けられた人の言葉は、たどたどしくはあるもののそれぞれがそれぞれの色を持っていた。それは、あらかじめ「答え」が用意された質問ではないからだろう。
大抵、昨今の政治がらみの街頭インタビューというのは、すでにどこかで誰かが答えたことのある質問ばかりだ。
漠然と欲しい答えを想定しているメディアと、 適当に頭の良さそうなコメントを言いたがる国民と、その共犯関係が顔のない「世論」を作って行く。
今回の代表選騒動からもう一点感じることがある。
物事を自分の身に引き寄せないで、いわゆる「世論」にコレだけ多くの人がすり寄る事ができるというのは、不況だとか、生活が大変だとか言ってても、日本はまだまだ余裕があるんじゃないかということだ。
自分の明日の食い扶持よりも、小沢一郎の「政治とカネ」の問題を最重要争点として受け入れられるほど、日本人にはまだ理想的な政治を追い求める余裕があるのではないか。
大いなる皮肉を込めてそう思うのだ。
そもそも、今回菅さんが選ばれた主な理由の一つが、首相が3ヶ月で辞めるのは世界から相手にされなくなるからとか言ってるが、それこそ暮らしに余裕のある人の危機感の無い優等生的な意見だ。次の首相が「日本は本気だ」と真顔で言えば、世界だって対応は変わってくるはずだ。それは就任期間の問題ではない。
日本の「世論」というやつは、時間もお金も余裕があって危機感が無くて好きな事言っていられる絶対安全地帯な立場の人の言説に引きづられすぎる。
誤解を恐れずに言えば、「最小不幸社会」と言うのなら、政治は暮らしに余裕の無い人の声だけ聞いていればいいのである。
なのに、マスメディアを通して流れてくるのは、まだまだ余裕のある人々の「愚痴」ばかりである。本当に大変な人々は、マイクが突き出されるような場所にはいない。「叫び」はブラウン管からは流れてこない。
現代日本の「世論」とは「愚痴」である。
そして「愚痴」とは、利己的な考えから生まれるものである。
政治を考えるとは自分の置かれた立場から「公共」を考える事だ。
そしてそこから生まれた意見の集積が世論であるべきだ。
瞬発力だけで飛び出す「愚痴」ではなく、
ゆっくり自分の頭で考えてた意見で世論を形成したいもんだ。
最後になってしまいましたが一言
。もちろん深くものを考えている方はたくさんいると思います。街頭インタビューでも真摯な意見を耳にします。また、このブログをここまで読んでくださった方が、自分でものを考えない人であるはずがない。
今回のエントリーはそこがジレンマなのです。
さらには、私こそ偉そうな事書いて、実は論理が雑駁という、その事実こそ自己矛盾ではないかと頭を抱えるのでした。
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なぜこんな時期に・・・というのは多くの人が思っている事だろう。
さっきustreamで本人と弁護士の会見を見たが、検察のシナリオありきの捜査を批難し、明確に冤罪を訴えていた。
再審請求してがんばって欲しいと思う。
疑惑がマスコミ上をにぎわしたのは今から8年ほど前。
奇しくも、当時の私は現在と似たような状況にあった。
当時は情報番組が政治を扱うようになり始め、私も徐々にニュース関連の仕事にシフトし始めていた。
それまでバラエティや生活情報主体の仕事をしてきたが、ニュースを報じる側として扱うようになると、少しずつ、その報じ方に疑問を感じ始めるようになっていた。そして、そうした疑問によるすれ違いや、当時の私のスキルが低かった事もあって、4月の改編を機に、その番組のリストラ対象となったのだ。
今回は、自分から辞めたいといって辞めたので事情は違うが、現場に居づらくなって職を離れるという意味では同じだ。
8年前は、4月以降すぐに別のキー局の番組に転職した。転職した次の職場では、勉強させてもらう事も多く、また私と考え方の近いスタッフも多く、円満に仕事を続けさせてもらった。
しかし、より本格的にニュースの仕事に携わるようになればなるほど、マスメディア全体への疑問が生まれ、政権交代後の小沢一郎に対する一連の報道や、普天間問題の報道のあり方などに触れるに至って、今度は自分のほうから辞める事を決断してしまった。現在、私は失業者だ。
自分の話が長くなってしまった。これがどう鈴木宗男と関係があるのか?
そろそろ話を鈴木宗男に戻したい。
(以下、敬称略します)
2002年3月。
鈴木宗男証人喚問を前に、私は、自分のリストラと鈴木宗男の状況を重ねてブログを書いていた。
当時の私は、政治に関する知識も検察に関する知識も乏しく、メディアの情報から「鈴木宗男は怪しい」と思っていた。
もちろん今はそうは思っていないが、8年前に書かれたそのブログ記事は、「ムネオ怪しい」という前提で書かれている。
しかし、この記事は、そんな時期に書いたものであるにもかかわらず「鈴木宗男が怪しい」ということを主張するものではない。
そして、この記事の中で私が批難した世の中の状況は、現在の小沢一郎を取り巻く状況にも似ている気がする。
そしてまた、私が昨日このブログにアップした記事にも繋がる部分があるように思えた。
そこで、今日は、この8年前の記事を再掲しようと思う。
今より文章も下手で分かりにくい部分もあるが、たまに(注)を入れながら、そのまま掲載します。
<ここから8年前のブログ引用>
2002年3月10日(日)
『宗男証人喚問まであと8時間』
久々更新、2週間振り。4月以降の就職先のことを考えて、行ったり来たりしているうちに、明日とうとう鈴木宗男の証人喚問と相成ってしまった。この2週間、私も色々考えたが、宗男の立場を考えると私の悩みなんてアリの悩みほどもない。でも宗男は自業自得なのでしょうがないけど。(現時点での注:自業自得とはもちろん今は思っていない。)
それにしてもこれほど多くの人々に注目される人生の岐路もない。ましてや日本国民のほとんどが「つぶれろ!」と思っている。どんな気分なのか。四面楚歌との報道の裏で、こっそりと声をかけてくれる人はいないのか。力付けてくれる仲間はいないのか。心配なんかしている私はバカなのか、騙されやすいのか。
いや、私は宗男に味方するわけではない。逆境になったらすぐ手のひら返す汚い奴らに腹が立つだけだ。
奴らは「だって自分が生き残るためにはしょうがないですよね」とでもいうつもりなのか。
「生き残る為しょうがないこと」とはどんなことなのだろう。
新しい仕事を探す時、周りからも自らの中からもこの言葉が聞こえた。
世の中の人々は大抵これを我慢して生きているらしい。
でも、手のひら返す政治家達は(返す前も後も)、自分で踏ん張る力がなかったから「~しょうがな」かったのではないか。同じように、自分や周囲の人から聞こえるそんな声も自らの力と勇気のなさではないか。
自分の実力の限界を悟る諦観イコール「しょうがない」ではないと思う。
努力すれば必ず報われるとも思わない。
けれど、「しょうがない」と言う人が理想に向けて本当に努力をしているようにも見えないのだ。肩を落とす事は簡単だし、所詮・・と思う事も簡単である。でもそう思わない元気と体力そして焦りがあるうちは踏ん張っていたい。
毅然とするということは今の日本では本当に難しいと思う。
そんな土壌が変わらない限り宗男が失脚しても何も変わらない。
こう書いてくると、なんとも堅苦しい生き方を選ぶように感じるが、目指しているのは目分量の世の中だ(現時点での注:目分量というより「臨機応変、是々非々」という意味でしょうか)。マニュアルではなく自己責任の下、人を信頼して物事を行う世の中だ。上手く行けば開放的だ。しかし、こんな事をぶつわりに私は物事から逃げ過ぎた。「しょうがない」という人たちに胸を張るためにも思った事は実行するしかないのだ。人から遅すぎると言われようとも、失敗しようとも。
それしか「手のひらを返して宗男を見限る汚さ」的なものに対抗する方法はないのかもしれない。
鈴木宗男の証人喚問まであと8時間。
(現時点での注:このとき自分のことを「物事から逃げすぎた」「思った事は実行するしかない」と言いながら、今まで「思った事を実行」できたとは言いがたい。あれから8年も経って40歳も過ぎて、今になってやっと思った事をやろうとしている。でも、人とはそんなものだ。思った事をそんなに簡単に思った通りに実行できるものでもない。当時は、周りに反発しているのもあって、妙にイキガっている。諦めはあっていいのだ。しかし、責任転嫁や逃げは良くない。諦めと逃げは違う事を自覚すべきと思う今日この頃だ。)
2002年 3月13日(水)
『宗男の日とりあえず終了』
宗男証人喚問の日3/11は宗男の日と揶揄されるくらい宗男一色だった。
世間話でも宗男の話しかしちゃいけないくらいの勢い。子供達まで加わって、かつてのロッキードやリクルートの時の盛り上がりとは比べ物にならない。
私も宗男は嫌いだったけれどこんなに重箱の隅までつついてこられると、もういいよという気になりそうになる。
もちろんこのまま疑惑をうやむやにすることは絶対いけない(現時点の注:今はこれを検察に言いたいです)。
けれどなんだかしっくりこない。
NGO問題が引き金で起こった騒動で真紀子更迭、その復讐発言、野党宗男疑惑追求の動き、世論の後押し、証人喚問へ、世の中宗男一色といった経緯の中で、あんな強烈な真紀子さえ、昨日今日は世の人の興味の対象ではなく、ましてや、これらの宗男関連の問題は外務省がらみでありながら、その外務省の問題はどこかに忘れ去られている。
みんなが宗男宗男と騒いでいるうちに、外務省の責任なんてなかったことにしようとするかのごとく。
けれど、思い起こすと、NGO問題が起こった時、テレビに出演した与党政治家は官僚の責任を一番に言い立てたはずだ。宗男が悪い事は分かっていながらその決定的証拠をつかめず、疑惑の数ばかりが増えてゆく。
テレビや新聞は毎日何かは提示しなければいけないから、だんだん訳が分からなくなる。宗男のしっぽを掴む為どんなに小さい疑惑でもいいから完全に犯罪を証明できるものを探しているのだ。
しかし、だんだん手段が目的化しているような気がする。
まるで見えない黒い糸に操られてみんなでよってたかって宗男疑惑をあさっているようだ。証人喚問の辻元の追求には間違いがあったかもしれないと今日の報道。
宗男の証言との信憑性比較が行われると思うが、今週もっとも興味が有るのは、宗男に辞職を迫る与党の面々の思惑とそれに対する宗男自身の思いである。
やつらの冷や汗をあぶり出さないことにはどうしようもない。
2002年 3月16日(土)
『鈴木宗男よどこへゆく』
宗男が涙の離党会見。ニュースステーションでは、宗男の政治人生を2人称で「あなたはあのとき__でしたね・・・」という感じでニュースらしからぬ感情たっぷりで振り返っていた。宗男の会見で、時代が変わる予感(期待も込めて)とともに旧時代の一つの象徴が崩れ行く姿を目の当たりにし、ある意味感慨を抱かずにはいられなかった。ステーションのVTRはその気持ちを代弁してくれるようなものだった。(現時点の注:この「感慨」という記述。本質が見えてなかったのだなあと反省。小泉旋風に乗せられていたのですね。)
そういうVTRをつくるなら私にはもう一つつけ加えたい映像があった。
それは、去年の6月私が足寄に宗男取材に行った時に撮影した映像である。その時の番組構成ではどうしても組み入れることができず日の目を見ることなく消えてしまった映像だ。
廃坑になった炭坑の町の数十年後の姿だった。
そしてそこは鈴木宗男が働くはずの場所であった。 _ t
鈴木宗男は、1頭の馬を売って拓殖大学に進学する事になる前、すでに地元の炭坑へ就職が決まっていたという。当時は炭坑全盛時代、炭坑の周辺には、働く人々が住む家々のほかに病院や映画館、商店街が立ち並び、とてもにぎやかな町並みを形作っていた。
足寄地区に宗男の過去を訪ねた私は、そんな彼が働くはずだったという炭坑の跡地にも足を伸ばした。以前その地を撮影したことがあるという地元のカメラマンの案内で山道を登ったが、なかなか炭坑の入り口は見つからなかった。帰りの飛行機の時間を気にしながら私たちは草をかき分けた。カメラマンによると、そんなに見つからないわけはないという。けれど右を見ても左を見ても背丈よりも高く伸びた草と潅木が茂っている。無口になって、残り時間の少なさに半分諦めながら山道を進んでいたらふと水の流れる音が聞こえた。そして、その方向を見るとなんと入り口をコンクリートで埋められた炭坑のトンネルの上から湧き水のように水が流れ落ちていた。ツタが絡み、周りは伸びた草木に囲まれ、気をつけないと炭坑口だったなんて気がつかない。
そして、その場所からよくよくあたりを見渡してみれば、もう森になってしまったその木々の奥のほうに病院ではなかったかと思われる建物が見えた。街は完全に森に回帰していた。植林したわけではないらしい。廃坑になって人々が出ていった後に自然にこうなったのだ。
カメラはその炭坑をうっそうと覆う森を見上げ、そしてゆっくりとコンクリートで埋められた入り口のところまで振り下ろしてきた。その炭坑の名前が記された朽ち果てたプレートがまとわりついたツタの葉っぱに見え隠れし、その上をちょろちょろと山から湧き出した水が流れ続けている。
もし鈴木宗男が18歳の若き日に大学に行くという決断をしていなければ・・・。
鈴木宗男はその後この地を訪ねたことがあっただろうか。
一つの街を覆い尽くすほどの森が育つその間、彼はそんな木々の成長を知ることもなくその近隣の町を大きな声を張り上げながら通り過ぎていたのだろう。
一から出直すと言っていた鈴木宗男は次にどういった行動に出るのか・・・。
<過去の記事ここまで>
当時の私は、まだ検察に疑問を抱くほどリテラシーが高くなかったので、単純に鈴木宗男の疑惑を認めていた。これは単なる勉強不足、知識不足なだけだ。
しかし、知識の多寡に関係なく、いろんなことに「流されたくない」という思いだけが、私を踏ん張らせてくれた。
あれから8年間。この「流されたくない」という思いから、いろんな情報に対する素朴な疑問や、ちょっとした引っかかりを大切にして物事を見るようにしてきたつもりだ。
でも、そのせいで(かどうかはわからないけど)私は失業中だ(笑)。
一方、鈴木宗男氏の昨今の活躍は、皆さんご存知の通り。
根がしっかりと張っていれば、森は復活するのだ。まさに「新党大地」。
当時の私は、その鬱蒼とした森に、ただ時の流れの感慨を感じただけだったが、
今は、森の包摂力、再生力に畏怖を感じる。
人間たちが、小さい了見で右往左往しているのを横目に、森は粛々と再生して行く。
8年後の私は、もう、鈴木宗男はこれからどうするのだろう・・なんて言わない。
鈴木宗男の復活を祈るのみだ。
これはどういう意味か。
簡単に言うと、小沢一郎にはある意味、「政治とカネ」の問題があるのかもしれないなあと思ったということだ。
しかし、それはマスメディアやそれを信じる人たちが言う西松建設からのカネがおかしいとか、狭義の「政治とカネ」の問題ではない。検察審査会に持ち込まれた政治資金収支報告書に関する「政治とカネ」の問題については、裁判をしたところで有罪になる事はほぼないだろうし、これ以上問うような事ではないと思う。
高野氏がビデオニュースで「政治とカネの問題の本質」として語ったのは、個別具体的な政治とカネの問題ではなく、政治文化としてのカネの問題だ。問題視されたのは、お金の入り口の問題というより、出口、つまり使い道の問題だ。もちろん私腹を肥やすという類いのものではない。
高野氏は、小沢の“剛腕”と言われるものの実態は、自らの資金や、幹事長職を獲って牛耳った政党助成金を、組織対策費として使い、物事を動かす政治手法のことだという。平たく言えば、カネを使って、仲間=数を集める手法だ。「政治闘争とは結局はカネと人事だ」と考え実行するような政治文化。それこそが、小沢氏の“剛腕”の正体だというのだ。
菅直人が公開討論会で
「小沢さんの政治のあり方というのは、どちらかといえば、資金的な強さ、仲間の数の多さ、そういうお金と数の原理が色濃くあるのは私だけが感じているのではないのではないでしょうか」と語っていたが、まさにそういう政治手法のことだ。
こうした政治文化は、自民党政権時代の古い政治文化と言える。
小沢の場合、違法性があるわけではない。また、私腹を肥やすカネではなく、政治に必要な資金であったりする。
しかし、資金を渡すことで人心までも掌握するという旧時代の手法を、政権交代した今、再び容認するのか?
そういわれると、確かに、容認していいのだろうか・・という気もしてくるのだ。
反小沢の急先鋒とされる仙谷由人は、高野氏によれば、カネを使わずに人脈を広げ、手練手管を弄せる、小沢に対抗できうる唯一の人材だと言う。彼の物事の理解力や基礎学力の高さが人望に繋がっているらしい。
高野氏は、今回の戦いは、菅vs小沢ではなく、実質的には、仙石vs小沢だと語るが、その本質は、権力闘争に関するこうした2つの異なる政治文化のぶつかり合いだと分析する。
政策や理念はどうあれ、カネを使って数を集める旧自民党的体質の政治家は、新しい時代の幕開けにはふさわしくないという考え方も確かにある。
じゃあ、菅&仙石に一票と思いそうになる。
しかし、私は、迷いなくそうすることもできない。
政策についての議論はおいとくとして、
問題とされる小沢の「政治文化」の中にも、こうした「カネの使い方」とはまた違った、捨てがたい何かがあるような気がするからだ。
そういえば、高野氏は「陸山会事件の本質」として、こんなことを言っていた。
『小沢一郎は、巨大な政治資金を集めて、何十人もの秘書を抱え、それを選挙プロフェッショナルとして派遣している。彼らを住まわせるためのマンションも必要だ。彼がそこまでするのは、民主党が坊ちゃん嬢ちゃんばかりだから、オレがプロとしてやってやってるという思いから。
しかし、近代政党なんだったら、選挙のプロを党の中で育てて、党のシステムとしてやっていかないと本当の強い政党にはならない。
しかし、小沢は、おまえらバカで政治を知らないからオレがやってやってんだという考え。違法だとかどうとか関係ない、それが陸山会事件の本質だ。』
高野氏は、「近代政党なら選挙のプロは党のシステムとして育成を」という。
しかし小沢のやり方は、いわゆる「書生」から始めるってことだ。
別の言い方すれば「徒弟制度」。
そして、彼らが苦労して学ぶ政治手法は古くさい。
さらに、こうしたやり方は自分の主人に対する変な忠誠を生み、物事の本質から目をそらさせるという一面があるとも思う。
しかし一方で思うのは、「選挙のプロを党の中で育てて、党のシステムとしてやっていく」という言葉からは、いわゆる「コーチング」みたいな米国的な合理的方法論というか、マニュアル化され身体性を伴わない学習と実践といおうか、悩みなく一足飛びに何かを獲得しようとする「今時の学びの態度」をイメージしてしまうのだ(もちろん高野氏は、こんなやわなシステム化を考えているわけではないと思う。私の勝手なイメージだ)。
私が小沢一郎に感じる捨てがたい部分というのは、多分、職人技につながるような「地道さ」とか「めんどくささ」みたいなものだ。一見、理不尽な師弟関係から習得され経験により研ぎすまされる日本的な「習熟」。
小沢一郎自身が実際にそんなものを目指しているかは知らないが、あのたたずまいにはそう感じさせる何かがある。
一方、高野氏は、こうした「オマエらに言っても分からんから、オレが全部やる」的なやり方や「結局はカネと人事だ」という考え方は小沢独特の「人間不信」と「ニヒリズム」から来ているのではないかという。
確かに、そんな気がする。
「地道さ」と「ニヒリズム」というアンビバレント。
その2つの間を繋いでいるのは、地道な努力しないで上手く世の中を切り抜けようとする狡いヤツや腹をくくっていないヤツに対する不信感なのではないのか。そして、そういうヤツに限って、カネに引っかかるのではないか。
かつて、小沢一郎に真っ向から政策を問うたものはいるのだろうか。
小沢一郎からカネを渡されて、私はいりませんと言ったヤツはいたのだろうか。
本当に小沢一郎が「ニヒリズム」の人なのだとしたら、彼は、そうした現代の風潮や世の中に復讐するつもりでカネを渡したのではないかとさえ思えるのだ。それは買いかぶりすぎか?
小沢一郎は、日本改造計画で日本の将来ビジョンを示すという仕事をした。
そして、現在もそのビジョンは改訂されつづけていると思う。
そんな仕事をする人間が「ニヒリズム」に陥るとしたら、なにが彼をそうさせたのかを問う中に、高度成長以降日本が陥った病とは何かを考える鍵があるような気がする。
なんか凄い話になっちゃったよ・・・。
ところで、この頃様々なところから、小沢を西郷隆盛に、菅を高杉晋作になぞらえる声が聞こえてくる。
しかし、小沢自身が尊敬する人物に挙げるのは大久保利通だ。
明治維新を境に、過去にとどまった西郷と、未来に踏み出した大久保。
多分、彼の中にはこの二人に象徴されるような何かが、アンビバレントに存在しているのだろう。
「小沢さんは古い」という言葉を聞くとき、明治時代の夏目漱石が、文明開化のかけ声のもと、江戸の文化や価値観がどんどん切り捨てられて行く事に不安を抱いたような、そんな気持ちにさせられる。
平成維新と言われる今、私たちは「戦後」からの脱却を企てようとしている。
古いものは捨て、新しいものを選びとらねばならないのは事実だ。もちろん私も、世の中の変革を望んでいる。
しかし、変化の動乱に翻弄されないようにするのに必死で、ちゃんと考える余裕もなく、なんでもかんでも古いものは切り捨てるというのでは、歴史に何も学んでいない事になってしまう。
何が「いらない古いもの」で、何が「必要な古いもの」か、そして何が私たち日本人にとっての「普遍」なのか。普遍なんてあるのかどうかも、まだ私には分からないけれど、ちょっとそんなことを考えてみようと思った今回の代表選なのだ。
内村鑑三の「代表的日本人」でも読んでみようかな~。
というわけで、私の妄想でした。
最後になりましたが、
やはり、菅さんも、小沢さんも、仙石さんも、鳩山さんも、他の皆さんも、喧嘩しないで、本音を言い合って、良いとこ取りしてやってくれるのが、私としては良いんですけどね。分裂したって日本の将来にはなーんもいいことないと思う。だってさ、みんな政策的にはそんな大きく変わらないじゃないですか。目指してる目標は一緒でしょ。争う事がおかしいおかしい。
菅さんがやたら官僚にやられてるイメージになってるけど、民主党全体で見ると、やっぱり自民党の時よりはずっとましになろうとしてんのよ。ちょっと経済がヤバい感じだけど、今はしょうがないとも思う。自民がやったって死ぬまでの苦しい時間を延ばすだけですって。
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その1をアップした後、翌日朝刊までにはと言っていたのに、すいません。
前回その1で、討論会が思いのほかおもしろかったと書いたのは、NHKが全国に2時間以上も中継したテレビ画面上で、記者クラブのそれも最高エリートである編集委員による質問があまりにヒドかったからだ。
中継を見た方なら分かると思うけど、編集委員のおっさんたちは、最初から、偉そうな上から目線のしゃべり方で、既に小沢一郎の事を犯罪者扱いしていたと言っても過言ではない。
俺たちには「世論様」が付いているんだと言わんばかりに、小沢に辛辣な質問をぶつける正義の記者を気取っていた。いくら小沢一郎を毛嫌いする人が多いとはいえ、こんな態度で接する事は決して見る人をいい気分にはさせない。
その上、彼らの浅はかな質問は、小沢の回答の前に次々と玉砕し、最終的には、小沢一郎を批判するどころか、期せずして、国民を無視した報道姿勢を視聴者の前にあらわにする結果となってしまったのだ。
例えば、地方への一括交付金について、得意げに突っ込みを入れるつもりで質問した編集委員は、小沢の回答によって、小沢の言った事を理解していないだけだということがバレて恥をかいた。そんなこと私だって理解していたのに・・・。
彼らはあまりにもお粗末すぎた。
この人たちは一体何を報道したいんだ。多くの視聴者がそう思ったに違いない。
編集委員たちがどのくらい小沢一郎を総理にしたくないのかは知らないが、
どう考えても、小沢一郎をつぶそうとしているとしか思えない質問ばかりがあいついだのだ。
しかし、それで割を食ったのは意外にも菅直人首相だ。
質問は小沢に集中し、菅は、小沢の答えについてどう思うと聞かれる始末。
もうこれは、小沢VS菅の討論会ではなく、小沢VSマスメディアの討論会だった。
そして編集委員も玉砕し、最後に笑ったのは多分小沢一郎だった。
日本記者クラブが主催した今回の討論会。
フリー記者も中に入れはしたものの、質問はできなかった。上杉隆なんて、憤慨して討論会に参加せず、富士山に行っちゃったらしい。
代表質問者は、原田亮介(日経)、倉重篤郎(毎日)、橋本五郎(読売)、星浩(朝日)ら新聞社の編集委員だ。テレビはいない(ここでもいやらしいヒエラルキーを感じる)。
質問する編集委員たちの顔は映ることはなく、声でなんとなくわかるが、声を知らない人は誰が聞いているのかもわからない。
もう細かくひとつひとつ分析するのもばかばかしいが、折角、書き起こした部分もあるので、いわゆる「政治とカネ」の部分のやりとりを中心に、途中ちょこちょこ感想を挟みながらアップしたいと思う。
基本的に質問者の顔は見えず、いちいち名乗る訳でもなかったので、声で誰が質問しているか判断するしか無かった。そのため、間違えるといけないので、編集委員側の質問は、委員「・・・」とする。
<代表質問>
最初の質問は、のっけからもったいぶって
「まず、どーしても確認しておかないといけない事があります」ときた。
「冒頭からどーしても確認せねばならない事」とは何だろうと思っていると、こう言った。
委員1
「出馬が取りざたされてから、挙党態勢とかトロイカ体制とか言われたが、これはどう考えても、小沢さんが要職に就くとしか考えられない。一体どういうポストを要求したんですか?」
小沢「メディアの方はすぐポストの話をなさいますけれども、
菅総理もお話しした通り、ポストの話は一切出ておりません」
「はい、幹事長ポストを要求しました」とでも言うと思ってるのだろうか?
それとも、「この小沢という男、政治と金の問題の説明責任も果たして無いのに、まだ重要ポストを狙ってますよ。さらには首相にまでなろうとしてるなんて、ふてえ野郎だ。」という思いを表現したいのだろうか?
そして、懲りずに続ける。
委員1「それならなぜあんなに迷走したんですか?」
小沢「私どもは迷走してません。」
鳩山さんの普天間問題も、「迷走してる」と報じる事で、火に油を注いだのはマスメディアだ。そしたら、
委員1
「じゃあもうひとつ確認しておかなければいけないことがある。」ときた。
「小沢さんが代表に選ばれても、総理は別の人がなるということを言う人がい
るが、それは絶対ないと言いきれるか?」
小沢、あきれ顔で曰く
「議院内閣制では、最大与党の党首が、内閣総理大臣を務めるというのは当たり前のことでして、自民党時代も総総分離なんて話もありましたけど、もってのほかだとおもっています。だから私も思い悩んで、代表選については最終決断した」
『総理は別人に』の情報源、一体誰だよ!
と、私が画面に突っ込む間もなく、質問者は小沢手強しと思ったのか、
次は菅に質問を向ける。
委員1
「(菅さんの言った)古い政治はいけないというのは、古い政治というのは小沢さんの事で、それが出てくるのはいけないと言う意味なんでしょ?」
どうしても、小沢が表舞台に出てくるのはいけないという言質を取りたいらしい。
菅直人曰く
「お金の事。数の力をあまりにも重視する事が古い政治と言った。」
委員1
「それは、小沢さんに体現されてるんですか?」
菅直人
「小沢さんの政治のあり方というのは、どちらかといえば、資金的な強さ、仲間の数の多さ、そういうお金と数の原理が色濃くあるのは私だけが感じているのではないのではないでしょうか」
菅直人は、委員にうまく利用されてしまった。
確かに、敵対する小沢のマイナスイメージは強調できるかもしれないが、
記者から誘導尋問のごとくに小沢批判を吐露させられたという事実は、
菅直人が、他の政治の局面でも、このように発言を誘導されている姿を容易に想像させ、財務省に取り込まれているという噂を補完する形になってしまったのではないか。
答えながら、菅直人の顔に、やや躊躇の表情が垣間見えたのもまずかった。
気を良くした委員1はさらに小沢に
委員1
「国民が非常に関心があるのが政治と金の問題。
世論調査をやると、小沢さんが十分に説明して無いという人が8、9割いる。昨日の会見でも十分説明したと言うけど、国民は思ってない。ということは、これマスコミが悪いんですか?それとも国民が悪いんですか?どっちが悪いんですか?そこは謙虚に受け止めなければいけないと思うんですが」
むかつく言い方をするおっさんだ。
マスコミが悪いんだろ。それを「国民が悪いんですか?」なんてあんたと一緒にしないで欲しい。すべて世論に責任をかぶせて、自分たちは顔の見えないのっぺらぼうになるマスメディアの無責任があらわになった発言だ。発言した委員自身がそのへんに気付いていない事自体が痛い。
小沢「僕もそう思っています。どっちが悪いなんて思っていません。
そりゃあ謙虚に受け止めております。」
委員1「ええ、ええ」
小沢「ただ調査っていってもいろいろな調査がございまして、
私のことについて支持をしてくれている調査もたいへん多くありますの
で。今、新聞テレビの調査だけではありません。今いろいろな、コンピ
ューター、ネットの時代ですから、そういうものを通じた調査もありま
すし、いろんな調査の結果を、それを国民の声として、謙虚に受け止め
たいと思っております」
委員1
「もっとも影響力のある人は、ノーブレスオブリージュといいますけども、高いポストにある人はだれよりも、説明する責任があると思うんですよね。で、その説明を果たしてないと思う人が多くいるっていうのは、謙虚に受け止めねばならないのではないかと思うのですが」
小沢
「ですから繰り返しますが、謙虚に受け止めております。それで、メディアの前でも、機会あるたびに何度も何度も説明しております。」「それともう一つは、同じような政治と金の問題でいろいろメディアで報道された方々あります、最近もあります。しかし、私はすべて、法律上公開する必要のないものまで公開してきた。全て公開したのはなぜか私ひとりです。クリーンと言うなら、全員公開すべきと思っているし、」
そして、「各論に移ります」といって、質問者が変わった。そしたら・・
委員2
「政治と金の問題からいかざるを得ません。小沢さんご覚悟ください」と来たwww。
委員2
「検察審査会で2度目の議決が出て、強制起訴になったらどうする?
憲法では起訴には総理の同意が必要だが、小沢さんが総理になった場合、同意か不同意か?」
小沢
「まだ代表選始まったばかりで、勝つかも総理になるかも分からない中で答え用が無いが、実質的な不正犯罪はなかたという結論を得てるので、審査会の皆さんもそこを理解していただけると思っています」
さも大変なことを言うような口調で
委員2
「なぜこの問題を聞くかと言うと、かなり現実にありえることで、日本の政治に撮っては停滞を招きかねない話。なので、事前に明確なご意志を確認したい。たとえば、鳩山さんなら、かつて国会で、そういうことになれば逃げませんと言っていた。それから、海江田さんも、事前に同意すると言った方がいいと言ってた。そこで、あえて、我々の一番聞きたいことについて、もうちょっと小沢さんがはっきり路線を示してくれる事を望みます」
小沢「鳩山さんの言葉を援用してお話になりました。私も逃げません。」
委員3にバトンタッチしても「政治とカネ」はつづく。
委員3
「政治と金の問題でありますが、」で秘書三人が虚偽記載で起訴されている話に持って行く。
小沢
「虚偽記載が犯罪を隠蔽するものでない事は捜査の結果分かっているわけでございます。報告の形式手続きに間違いがあったのではないかという意味で責任を問われている。私もその事自体について、自分自信の責任を感じているが、
強制捜査を1年あまりやって、実質的犯罪の事実はなかったということで2度も不起訴。あとは報告書の事実関係、認識の問題と思っている。私はそういう意味で事実上一点もやましいことはない。秘書が嫌疑をかけられて、そういうことになったことは、私の責任を否定するつもりは無い・・・」
委員3
「過去、中曽根、竹下総理なども証人喚問受けてきたが、鳩山さん、小沢さんの件について、証人喚問、政治倫理審査会での釈明は行われてないが、どうかんがえる?」
小沢
「証人喚問や、政倫審で申し述べる事になんら躊躇は無い。国会にも政倫審にも強制捜査権があるわけじゃない。政倫審も疑惑をかけられたとき弁明する場として、私が議院運営委員長の時に手がけたものだ。だからその趣旨は十分知っているつもり。証人喚問や政治倫理審査会以上の、強制捜査を全部受けて、何の不正もないわけだから、そのことで国民の皆さんにご理解いただきたい」
委員3
「国会との関係について、菅さん、小沢さんや鳩山さんのような疑惑が出たとき、国会で説明すべきだと思うか?」
菅直人
「幹事長を辞するという形でけじめを付けられた、あらためて代表選に立候補されたので、国民により理解される形で説明されるべき。国会での手続きは国会で決めるが、国民の常識が国会でも受け入れられなければならないのだろうと思います。」
政治と金の問題まだ、続きます
委員2
「検察の公正な捜査と言っておられるが、どうしても口ぶりを聞くと、なんでオレだけがこんなにやられるんだ、みんなもっと公平にやってくれというようなニュアンスに聞きとれなくもない。」「そんで過去を振り返ると、田中さんにしても金丸さんにしても、小沢さんの計脈につながる、一番数を集めてお金も使うところが、捜査の対象になってると。そのことについて、何か宿命論のようなものを感じておられるのか?そこをお聞きしたいのと、そして、このことがあると必ず、法務省に圧力をかける、法務大臣を自派でとるとか、過去にありましたよね。それで、今法務省関係者も、小沢さんの逆襲が始まるんじゃないかと、懸念する声も聞かなくもないです。そのへんについて・・・」
小沢
「田中先生、金丸先生は政治の指導者として尊敬している。しかし、それぞれの人間ですから、違いもある。そのまま継承する部分とそうでない部分が当然あるわけで、継承すべきでない点は反面教師として、政治資金の問題だけではなく、政治思想、政治哲学の問題ですが、そういうことは自分自身のものとして貫いている。」
委員2
「これまでは集め方が問われてましたね。政治っていうのはお金がかかるっていうのが実態なんですよね。それについてもっと、こういうことにかかるんだと、具体的事例は別にして、そのへんをもっと説明責任として訴えられたらどうですか?そのへんが全く見えてこないんですが」
小沢
「全部、報告書見れば書いてある事なんですが。だれでも政治資金報告書は閲覧できますから。どうぞご覧になってください。私は何も隠し立てしておりません。」
「法務大臣がどうとかいう話があったけれど、そんなことは全く考えておりませんし、それは公正に行われたものと思っております」
<代表質問「政治とカネ問題」ここまで>
ここまでが、「政治とカネ」に関して、公開討論会で語られた部分だ。
省略している部分もあるし、言葉を略したり言い換えたりしている部分もあるが、かなりな部分を押さえている。
ところで、「政治とカネ」に言及した委員自身が、問題の本質を語らず、小沢を糾弾することにのみ集中したため、討論はなんだか不毛なママ終わってしまった。
問題は、編集委員が「政治とカネ」の問題の本質を理解しておらず、理解したとしてもそれを国民にまで伝える言葉を持たないために、全てがただのイメージとしてしか世の中に流布されていない事だ。全てがあの、4億円の記載の問題と、それにおける検察と小沢一郎の因縁の対決の話に集約されてしまい、「政治とカネ」の本質的な問題が語られない。
正直言って私も、これまでそういう見方をしていたと言わざるを得ない。
そして、マスコミとは逆の検察批判の方に組していた。
しかし、昨日、例のビデオニュースで、ジャーナリストの高野孟氏が語った「政治とカネの問題の本質」を聞くに至って、小沢一郎が求めたポストは何かを問う事もある意味、意味のある事と思えてきた。
ただ、討論会での編集委員の質問の仕方は論外である。
この質問をした編集委員は、高野孟が語っていたような形で、「政治とカネ」の問題を捉えているかどうかは疑問だ。そう考えていたとしても、それを新聞の読者や視聴者に伝える事ができていないのだから考えていないも同じだ。
というわけで、
なぜ、私が上記のように考えるに至ったかは次回に続けます。
これは、間をあけないで今日中には書いてアップしたいと思います。
公開討論会の模様は民主党のサイトで見ることができます。
日本記者クラブ主催公開討論会 第一部
日本記者クラブ主催公開討論会 第二部(こちらが編集委員による代表質問です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/e2/84c27c75530a7a2712927f78a6ed74c0.jpg)
このブログ、いろんなことを書こうと思うのに、民主党代表選が始まってから、この話題しか書いてない。
でも、やはり今これだと思うんだよね。
もう日刊ゲンダイ(上の写真)なんて暴走しまくりだw。
今日の見出しは「小沢が圧倒」。新連載は「私は小沢一郎を支持する」。「怪しい大メディア世論調査」に「ますます無能の印象の菅」だ。
ぶっとばしてんなあ~。なんかホレボレした。
そんで、我が身を振り返り、ちょっと反省した。
私なんて、「政局で語るな、政策論に注目」と書いたまでは良かったが、その後、対立が深まりそうと見るや、民主党分裂・政界再編を恐れ、「代表選やめれば」と言ってみたりして腹が据わってないのがバレバレである。
考えてみれば、反小沢と言われる人たちの多くは分裂するほど原理原則に拘る人たちでも、度胸がある人たちでもないというのは、常々私も思っていたではないか。ましてや政権党にいるのである。喜んで下野するわけがないわな。
マスメディアってなぜか政界再編を望んでるから(私が働いてたとこでは多くの人がどうせ政界再編でしょ、と政権交代前から言っていた)、メディアがそれを必要以上に煽って、既成事実になってしまうんじゃないかと、私も一瞬狼狽えてしまったのですねえ。お恥ずかしい。
それにこのところの私の書いたものを見ると、なんだか良識ぶってないか??
アラフォー、資格無し、貯金無し、住宅ローン有りで、上司に「おまえバカか」と言われながら、世界一つぶしの利かないテレビディレクターという仕事を辞め、今だ定職につかず、「ジャンルの垣根無く伝えることが私の仕事」とか、たわけたことを言っている非常識人の私が、そんないい人ぶっても説得力ないんである。
それに、わたしは中立公正を旨とするジャーナリストじゃないし(とはいえ事実関係は確認しますけどね)、思った事を言いたいからテレビのニュースも辞めたんだし。
というわけで撤回。
本能に従って、世界の片隅で「菅!小沢!戦え!」と叫びたいと思う。
戦わなきゃ、メディアも報じやしないんだからな。
「代表選やめれば」って書いたブログ記事の中で、「代表選はやめても、政策を説明する場を作れ」なんて書いたけど、そんなキレイゴト、そっちの方が断然難しいということになんで気付かなかったんだろ。マスコミがそんなの報じる訳無いじゃんね。ああ、暑さで頭が腐ってたに違いない。
<2日の、日本記者クラブ代表選公開討論会>
というわけで、強烈な一騎打ちになったことで、思った通り、メディアは代表選を大きく報じている。
今日は、昨日の出馬表明会見に続き、日本記者クラブの主催で公開討論会が行われた。NHKでは13時から生中継。
これが思いのほか面白かった。
そんで、私が面白いと思ったポイントは当然の事ながら、夜のニュースでは伺い知ることができなかった。
というわけで、会見の内容は「やっぱり今日も代表選 その2」に続けます。
がんばって、朝刊読まれる前にはアップしたいですが・・・。
放送を見ながら、ツイッターで内容を実況していましたが、ところどころ漢字が間違ってたり、発言者の名前が抜けてたり、またツイッターは時間軸が戻って行って読みにくいので、コピペして順番を逆に並べ替えてこのブログの方にアップしました。
聞きながらリアルタイムで書いたので、省略、要約しながら書いています。
多分アーカイブが出ると思うので、細かい点はそちらで確認してください。
代表選終了後、洗濯物干したりしてたので、速報とは言えませんが、NHKの7時のニュースよりは先にアップしようと思い、とりあえず、会見を実況した分をアップしときます。
<ここから代表会見実況>
<進行説明>
まず幹事社から共通質問の後、自由質問。
一方の候補者に偏った質問は遠慮して欲しい。答弁も各候補者1分程度。
一社一問。
<代表選共同会見開始>
<小沢一郎>
今回の代表選は野党の代表選と違い、国政をあずかる責任者ということになる。私としても自分自身、そのような重要な職責に耐えうるかいろいろ熟慮したが、多くの仲間、全国のみなさまの激励によりあえて立候補する決意をした。
理由は、今日の日本社会。戦後民主主義が理解されないままに来た。現在の危機的な状況の中で、日本は就職できない若者、自殺、親子殺しなど、日本社会の崩壊という強い認識のもと、それを立て直し、特に経済を立て直すには、政治主導を実現せねばならない。去年の選挙でそれを約束し、政権をゆだねられたのだと思う。
ここの政策実現も重要だが、その前提として、官僚任せでない、政治主導国民主導の政治が必要。変えて行く事が、我らの理想であり主張であった。菅総理のもと頑張っておられるとは思うが、来年度予算をみると、財源がないということで一律一割減。我々の主張は、やるべき政策のために予算を作って行く事。
もっと政治家が、自らの責任のもと予算を決定できる仕組みを作らねばと思い、立候補の決意をした。よろしく。
<菅直人>
厳しい経済社会情勢の中の代表選で、みなさんから政権運営しっかりやれとの言葉をいただいているが、私は完璧を期してやりたい。今朝も防災訓練をやってきた、このあともスペインのサパテロ首相と会談。財政難について会談する。理解いただきたい。
菅政権はじまって3ヶ月。これからが本格的に臨む時期。全国を廻り、雇用が厳しいという声を聞く。まずやるべきことは「1に雇用2に雇用3に雇用」。働く事は人間の尊厳の基本。犯罪者でも仕事がある人の再犯率は低い。
雇用を生み出せば、介護や保育など社会保障も充実。(具体例省略ーリチウム電池の会社の例や介護の会社の例をあげる)。
単身高齢者が安心できる介護の方向に進みたい。それをやるために立候補。そして、クリーンな政治をやりたい。私の立候補はロッキード事件のとき。今回の選挙は、総理大臣をえらぶものだ。
国民の皆さんも、民主党の党員サポーターに意見を伝えてほしい、国民の声で代表を選びたい。
<幹事社代表質問>
質問1
時事通信>>
脱小沢路線が注目と言われてるが?それについてと、
今回の争点?
回答<小沢一郎>
そのような(脱小沢か否かというような)とらえ方は間違い。マスコミにもそういうレベルでなく政策的観点でとらえて欲しい。争点については、去年の総選挙で国民に約束した事を着実に実現する事が大事。
その約束の原点は、官僚に任せただけではダメ、政治主導国民主導の政治をつくること。現状をみると、政治家が自分の責任で政策の優先順位を決め実行して行く事が、国民の目から見ると、去年の主張と違うんじゃないかと国民は思ってるんじゃないかと。なので私は政治主導を実現する政府をつくるのが大事
回答<菅直人>
次の総理にどちがふさわしいかと国民が思うかが重要。私もマニフェストの実現に努力してきた。マニフェストには2つの側面がある。子ども手当などをやるという側面と財源と言う側面。(小沢氏が幹事長としてマニフェストをまとめた)当時、財源は大丈夫か?と、私は尋ねたが、(小沢さんたちは)大丈夫だといってた。
しかし、すべての財源を確保するに至っていない。それで私はガソリン税などの処置をした。(中略)政治主導をこれから本格化する段階に入っている。(略)財務省こそ、野放図な財政を放置してきた張本人。そうした財務省のやり方を改めるのが私の仕事。
質問2
毎日新聞>>
マニフェストについて&消費税を上げるべきか?何の為にいつ頃?
回答<菅直人>
マニフェストは誠実に実行する。4年かけて。単年度2年目でできないことは説明してご理解を。消費税は、社会保障のあり方とその財源を一体で議論する必要。党や税調での議論をお願いしている。
負担は大きく安心社会、負担は小さく自己責任どっちかだが、前者が多くの国民の考えだと思うし、私も前者。そうした議論の中では消費税の議論も必要、
回答<小沢一郎>
私たちはずっと、政治主導を実現する上で、官僚まかせだった予算配分も政治家が判断し、消費税論議の前に徹底的に無駄を省く。それをやることで我々の主張する政策にあてると国民に約束したはず。政権交代後まだ1年なので、何でもできる訳じゃないと思うが、優先順位をつけ無駄はぶきはまだまだ行われていない。地域主権と平行した補助金の一括交付金もまだできてない。これの実現で雇用の増大や予算に無駄も省けると思う。かつての首長アンケートで、自由に使える金があれば、これまでの補助金の7割でいいということだった。5割でいいという声もあった。霞ヶ関で配分が決められるのを
変えないと、行政の効率化はできない。それをやった上で、財源が足りないとなった場合に、消費税負担を考えてもらう。任期中は無駄を省くことに全力を上げると鳩山氏も言ってた。私もそれに全力を上げる。それが国民との約束だったはず。
質問3
TBS>>
党の分裂を招きかねないという声もあるが、代表戦後への決意は?
回答<小沢一郎>
選挙をすれば党が分裂するという事はありえない。メディアでよくそう報じられるが、そんなことを考えてる民主党員はいない。私と菅総理も結果はどうあれ、力を合わせた頑張ろうということになった。
回答<菅直人>
この点は小沢さんに同感。わたしも小さな党から初めて、民由合併を経てやってきた。わたしも結果の如何に関わらず協力してやって行く。
自由質問1
<テレビ朝日>
財源について? 小沢氏については政見で述べた207兆円の組み替えにつ
いて?
回答<菅直人>
一括交付金の話があったが、民主党の方針だが、おもに出先機関の廃止ということがある。これまで日本財政は、道路にしろ河川にしろ国と地方の二重行政だった。そこに無駄があった。そこを抜本的に変える。第3次事業仕分けで進める。
そこでどのくらいできるかが、まさに政治主導で問われる事。
回答<小沢>
207兆の組み替え。一番大きなのは、国の方針に合ったものでないと交付金がもらえないというものだが、(具体例を説明:消雪したいだけなのにスキー場作れと言う。これで町に借金ができた。首長は半額でできると言っていた)
霞ヶ関でメニュー化してそれに従わないと何もできないという仕組みを変えないと何も変わらない。役所だってこれまでそうやってきたからすぐには無理だろうけど、最終的には地方に自主財源として交付したい。
国の資産も600兆円あるというがうち200兆円は証券化できるのではないかと言われてる
いろんな知恵と無駄はぶきで財源はできると思う。
自由質問2
<朝日新聞>
普天間問題 この1年の普天間問題についてと辺野古移設を白紙にする気ある?
回答<小沢>
過去の事をどうこういってもしょうがない。私は、沖縄も米政府も両者とも納得できる案が必ずできると確信している。そのためには、今後沖縄、アメリカと話しをしなきゃいかんのでここで自分の考えを話す事はできないが、解決策は見つかると思う。沖縄は納得してない。納得する案はできると思う。
回答<菅直人>
普天間はこれまでの最大のテーマだったともいえる。苦労の末、日米合意となった。小沢さんも幹事長だった。私も沖縄と米国両方が納得することは当然だと思う。しかし、鳩山さんも苦渋の選択をした。わたしもそれをひきついだ。日米間の不信感などを考えた時に、鳩山さんが日米合意をし、その責任をとって辞任するということだったので、鳩山さんの苦渋の選択を踏まえねばと思った。国際関係にも支障をきたすと思った。(略) わたしなりに努力をしている。
沖縄の皆さんの厳しい見方は分かっているが、もういちど白紙に戻してやるとなるとさらに混乱するのではないか。今後APECもあるが、日米同盟の進化も考えると、白紙に戻してやるというのはどうかとおもう。それが国益にかなうこと。
カットインして<小沢>
私は白紙に戻すとは言ってない。さらに幹事長のとき政府の政策決定には関与していない。
自由質問3
<共同通信>
政治と金について?
回答<菅直人>
小沢さんが幹事長をやめたことが一定のけじめであると思う。そういう中で今回の代表選になったわけだが、総理大臣になられたいということであれば、しっかりした説明が必要だと思う。同時にクリーンなオープンな民主党といったのは我々はそうやってきた。
党運営をオープンにクリーンに、さらに政務調査会廃止には反対し、先日復活したが、これで党政はオープンになってきてる。
回答<小沢>
2点ある。政治資金はすべてオープンにする事が大事とずっと言ってきた。私の問題が発生した時公開義務がないものも公開したはず。なら全員が公開すべきと思っている。昨年来からの問題でも、説明責任とよく言われるが、私以外のいろんな方の政治資金の問題が報じられているのに、強制捜査されたのは私の事務所と秘書だけ。しかしその結果実質的に不正行為は無いということだった。検察の捜査に寄って不正は無いという事が明らかになった。私だけが捜査対象になったが、かえってその事がよかったと思っている。国会で説明というが、国会は強制捜査権をもってるわけでない。
強制捜査権をもつ検察に1年半捜査されたが何にもなかったのでよかったなあと思っている。政治資金をオープンに公開するというのが私の年来の主張
自由質問4
<読売>
参院選の総括とねじれをどう克服する?
回答<小沢>
選挙は国民の意思表示の唯一最大の場。選挙の結果は大変重大に受け止めるべき。3年前の参院選の過半数が大きく議席を失ったのは、大きな問題としてトップから我々一兵卒まで重く受け止めるべき。
いわゆるみなさんがおっしゃる政界再編的なもので乗り切って行こうと思ってはいない。国民のための政策実行なら野党も賛成せざるを得ないはず。
回答<菅直人>
参院選は私の責任もあり、反省してきた。ねじれは、ある意味天の配剤。財政赤字、少子化高齢化、を一つの党だけで超えて行けない状況。ねじれはそうした与野党合意が必要、合意で乗り越えられる。かつても民自公での金融再生法があった。あれが日本初の金融恐慌を救った。
今の厳しい状況がチャンスだと思ってやっていきたい。
<締めくくりに一言>
<菅直人>
国民の皆さんにもこの代表選に参加して欲しい。私と小沢さんは出自がいろいろちがうが、民由合併で今の政権交代がある。しかし、今後の日本を作る上で、どっちの考えがつぎの総理にふさわしいかを、小沢さんにもどういう総理になられるつもりかを国民に示してほしい。
私には小沢さんが予算委員会にずっと座ってる姿が想像しにくい。小沢さんにはそうした姿を示してもらって、それを国民にどっちがふさわしいかみてもらいたい。
<小沢一郎>
民主党のリーダーを選ぶという事は総理を選ぶという事。そういう意味で、党員、国民にしっかり判断してもらうという事には異論は無い。私も閣僚経験があり、長時間の委員会にも出てきた。特別なことではない。自分自身の持ち味で誠実に淡々と役職をこなして行くことができるのが総理の資質と思う
国民の命と暮らしを守る事が一番。国民の生活が一番と言うスローガンを掲げて政権を担っている。私はそれを忘れずに政策を着実に実行して行きたい。外交に置いても、立派な日本国と認識してもらえる外交をやっていきたい。
代表選会見終わった~。
参考までに、菅、小沢両氏の政見を添付しときます。
民主党代表選立候補者の政見と略歴(民主党サイト)
<ここからつぶやきです>
@tjimbo
小沢『決意表明」会見が急遽ぶらさがりに変更に。会見室は大混乱。
小沢会見、なぜぶら下がりに変更されたの???
約13時間前 webから
代表選やめれば?という私の考えは間違ってたかも。対決「回避」という言葉がメディアで連発されてる。「回避」という言葉はマイナスイメージだよな。逃げてる感じに見える。分裂しないで政策を訴えろ!と言いたかっただけなのだが、状況は単純じゃない。どっちにしろ政策を国民に訴える事を忘れるな!
約13時間前 webから
菅、小沢会談。25分で長引いてるって表現はどうよ。菅さんは代表選立候補を正式に表明予定18時から。
約13時間前 webから
@livedoorblog 今まだ小沢会見は始まってないよ。どうなるのか?
約13時間前 webから livedoorblog宛
@livedoorblog 小沢会見始まった
約13時間前 webから
小沢一郎会見>話し合いは密室批判を受けかねないのでやりたくないとの話があったが、挙党一致の全員野球のためには民由合併以来がんばってきて、政権も付託された中での今日なので、原点に立ち返り、話し合いをしようということになったというのが、鳩山輿石の趣旨。
約13時間前 webから
小沢一郎会見>今日も鳩山輿石から菅に話し合いをして挙党一致にという話をしたが、そうすべきでないというお考え。そういう中で、菅さんから小沢と二人で話がしたいという話があった、それに従って、先ほど来今まで話をしてまいった。合併以来の事やら、総理としての激務についての話やら・・
約13時間前 webから
小沢一郎会見>サミットなど、大変でしょうと言う話をしたが、その中で、菅総理から今後も協力して欲しいということでした。もちろん協力しないという事は菅内閣成立以来言ったことないし、今後も、協力をしていかなくてはならないという気持ちは変わりないと申し上げた。
約13時間前 webから
小沢会見>>今回の代表選は任期満了に伴う代表選なので、今後ともいかなる場合でも力を合わせてがんばりましょうということで話し合いを終えてきた。いずれ明日、会見があるということなので、その時に自分の主張、政策を申し上げるつもりだし、時間も取ってあるようなので、今日は今までの経過と・・
約13時間前 webから
小沢会見>>自分で熟慮した結果でありますけれども、大勢の皆さんにご推挙され、代表選に出る事を決意した。
約13時間前 webから
小沢一郎、代表選出馬を正式表明!!まどろっこしいけど、すぐに速報打たせず話を聞かせる作戦の会見だったな。
約13時間前 webから
菅直人会見>>これからも協力し合ってやって行こうと申し上げたら小沢前幹事長も、どういうことになろうと協力しよう、選挙は選挙として戦って、しかし終わった後は協力してやって行こうという事で話を終われた。心配をおかけしたが、代表選を前に小沢さんと話ができて、協力を確認できよかった
約13時間前 webから
菅直人会見>>日本を本当の改革に向けて本格始動させる。代表選の間も総理の仕事は優先してがんばりたい
約13時間前 webから
菅直人会見>>Q代表選回避とも言われたが?A私は続けたいと前から言ってきた。小沢さんからは人事の事とかは何も無かった。小沢さんと話すのは代表選以来で、私としてはすっきりした。人事については他の方からの話はあったが、小沢さんから直接はなかった。選挙が終われば協力する。握手もした。
約13時間前 webから
菅、小沢会見を見て思う>>本当に、代表選は代表選で、どっちが代表になろうとその後協力挙党一致できるのなら、代表選やった方が断然いいよ。民主党の政策や主張をこの際しっかり国民に聞いてもらえる。がんばれ!マスメディアは、代表戦後の党内分裂煽っても、国民にとっても利益無し。
約12時間前 webから
民主党代表選>>考えてみれば、こんなに政策に注目が集まる可能性のある与党代表選挙は初めてではないのか。本気でやれば、国民にとっても相当意味のあるものになるはず。普天間は消費税は、さらに地方分権、子ども手当、農家戸別所得補償の本当の意味、新しい公共などなど注目です!!
約12時間前 webから
菅直人会見「日本の行政のあり方を根本から変えて行くのが私の使命」←本当だな!嘘じゃないな!
約12時間前 webから
本当に政策を理解してる議員にメディアに出てきてもらいたいです。RT @mnorimnori 選挙後の挙党体制の前提条件としては、争いを政策論争に徹して、ネガティブキャンペーンに走らないこと。菅総理、小沢氏にはお互いリーダーとして、テレビでネガキャンに夢中な議員を黙らせるべき。
約12時間前 webから
もちろん、小沢さんに幹事長ポストが来なかったから立候補に踏み切ったのだとしたら、選挙後の挙党態勢への疑問も残る。しかし、ここはとりあえず、菅直人、小沢一郎両者の訴える政策、今後の日本をどうするつもりかをしっかり聞いてみようではないですか。それへの世論の反応次第で挙党一致も成るかも
約12時間前 webから
民主党代表選報道、政局報道、票読み報道は意味無し。今回は両者の政策をきっちり伝える事こそ国民の利益。報道機関はそれを肝に命じて報道すべし。戦う候補もそれを肝に命じて政策を訴えるべし。
約12時間前 webから
<ここからは、TBSラジオ dig954のustreamを見ながらのつぶやき>
報ステで後藤さんが、小沢流のあっと驚く政策が飛び出すかもと言っている。例えば新進党時代の18兆円減税みたいな。 (#dig954 live at http://ustre.am/caZP )
about 8 hours ago Ustream.TVから
報ステ後藤さん。小沢さんは日本改造計画の時は消費税8%自己責任という考えだったが、今は変わった。それはなぜかも説明して欲しい。って、それ日本の状況が変わったからじゃないの? (#dig954 live at http://ustre.am/caZP )
about 8 hours ago Ustream.TVから
なぜ、こんな真っ当な山口さんの話が、一般的にひろまらないんだろうなあ。 (#dig954 live at http://ustre.am/caZP )
about 8 hours ago Ustream.TVから
竹内さんも、そっか~とか言ってるだけじゃなくて、そっかーと思うなら、それをテレビのほうのスタッフに伝えてくださいよー。 (#dig954 live at http://ustre.am/caZP )
about 8 hours ago Ustream.TVから
メディアの現場にいて、それを感じてない事自体がおかしいよ。竹内さんの発言は恥ずかしいよ。 (#dig954 live at http://ustre.am/caZP )
about 8 hours ago Ustream.TVから
山口さんよかった。竹内さんほんとテレビのスタッフにも伝えてよね。 (#dig954 live at http://ustre.am/caZP )
about 7 hours ago Ustream.TVから
<つぶやきここまで>
一日の最後に、神保哲生がパーソナリティを務めるTBSラジオdig954をustreamで見たが、ゲストの週刊朝日編集長山口一臣氏の話には背筋が伸びました。腹くくって仕事してる人というのはこういう感じか。
ジャーナリストとして正しく伝える事に厳しくて、私も自分の書いてるものが恥ずかしくなった。もちろん私はジャーナリストではないが、意見を書いている以上、曇りの無い視点で書かねばならない。
山口氏が言ってた事の肝。私の解釈で書いているので、言葉は微妙に違いますが。
↓
小沢一郎は「政治と金」の問題を説明せよというが、その「政治と金」って具体的に何を指しているか分かっている人はほとんどいない。政治における汚い金の問題と言うと、「収賄」「利益供与」「買収」・・といろいろあるが、今回の小沢一郎のはどれに当るのか??民主党の議員でさえ答えられない。みーんなイメージだけで騒いでいる。だって、そういう疑いはないのだ。実際検察は証拠をあげられていない。起訴したって、裁判すれば99、9%小沢一郎が勝つ。起訴する事=有罪ということではないということを肝に命じるべきだ。かつて週刊金曜日でも書かれたような、20年前の利益供与的動きはあったと思う。しかし、その後、現在のことはわからない。イメージだけが一人歩きして、小沢一郎に煙幕をかけている。小沢は、これまでずっとこうした煙幕のベールに本当の姿が隠されてきた。古い自民党の体質を引きずっているとか、金の問題があるはずといったイメージや報道が煙幕となって(つつまり、我々国民の先入観となって)本当の姿がわからない。彼がどんな政策を考え、どんな日本を目指しているのかがわからない。へんなヴェールがかかっていて彼が本当に理念を持った政治家か、それともやはり理念の無い政治家か判断することができない。だから、それをとっぱらって、ちゃんと本質を見たいのだ。
と、まあ、山口氏はこんな事を語った。
溜飲が下がった。私はここまでフラットになれていなかった。やはりこの閉塞感に耐えかねて、小沢一郎の豪腕というイメージに引きずられ、小沢氏の理念の検証もなく、小沢復活を待望していたのかもしれない。
確かにそうだ。私が知りたかったのは、小沢一郎の真の姿である。まだ私は「今の」小沢一郎をよく知らない。
今日は、このあと代表選出馬会見だ。そこで政策も語ると言っている小沢一郎。
国民のためにも、マスメディアは「煙幕」報道しないで欲しいものです。
これは、ニュースの真相で原口総務相が、決裂を懸念してたのを聞いてつぶやいたものだ。
(8月28日14:22)
@kharaguchi ニュースの真相再放送今頃見てます。菅さんと小沢さん手をつなげ!大賛成。決裂して何のいいことがあるのでしょうか?政界再編によって生まれる政権はなんだかそんなにいいもののように思えない。その先のことを考えているのか疑問です。
(ツイッターここまで)
このまま、菅さんが脱小沢を掲げたまま対決姿勢で代表選を迎えたら、民主党が分裂の危機にひんするのは目に見えている。
昨日の新聞には、小沢さんが代表選で勝った場合、自分は総理にならないで、野党から総理を出すという餌で連立するかも、なんて話もまことしやかに書かれていた。野党では、「小沢勝利で政界再編か大連立だ、与党復帰も遠くはない」なんて声ももれてるらしい。なんだよそれ。
あんまりにも国民をバカにしてませんこと?
小沢さんが本当にそう考えているとしたらげんなりなんだが、新聞記事からは、いかにも、新進党時代の(分裂の)ことをダブらせようとする意図が感じられるので、とりあえず、今は話半分に聞いておいた方がいいと思う。
それにしても、マスメディアって、そんなに政界再編して欲しいのだろうか??なんでそんなに政界再編して欲しいのか(して欲しいと思ってるかはわからないけど、そう見えるんだもんな・・)。
そんなに政界再編して欲しいんだったら、例えば、政界再編したらどういう政権が生まれる可能性があるのかとか、分析してニュースでやって欲しいよ。
かたや、集団的自衛権の行使や核武装まで実現だとか言い兼ねない人たちの集団ができちゃったり、この格差の広がった時代に、小泉流市場原理主義を唱える人たちが再度集結してきて大きな勢力になっちゃったりしないのかね????
党の中で意見がバラバラでダメだとかいうけど、バラバラにしといた方がいいこともあるのではないかという気がするのだが・・。
一方、当事者である民主党の中もよくわからない。
小沢さんが幹事長になると、菅さんや仙石さんは、そんなにやろうとしていることが出来なくなってしまうのだろうか?
今だって、官僚に押されて、やろうとしていることどんどん出来なくなってるというのに。それだったら、まだ小沢さんと手を組んで、政治主導を目指した方がいいと思うのだが、どうなんだろう・・・・。
以前、仙石さんは小沢さんから完全に干された事があるから、今回もそれを懸念しているとか書いてるところもあるけれど、今もそうなの?私は現場を取材した事がないから想像でしかものが言えない。記者の人たち、今はどうなんですか??今を教えてくださいよーと思うのだが、メディアに載る記事は、「かつてこんなことがあったから、今回もこうなんじゃないの」ばかりだ。
一般的には、「政治と金」問題での小沢さんへの世論の風当たりは、私が考えているより大きいのだろうし、小沢さんと手を組む事への菅さんの懸念も分からなくはない。とはいえ、このまま対決して分裂するのもどうかと思う。
小沢さんも、口べただとか言ってないで、説明が必要だ。
しかしジレンマもある。
小沢さんを擁護する人たちは、幹事長時代の党の幹事長会見では、小沢さんはきちんと説明していたと主張する。私も政治資金規正法では起訴できないということはわかった。しかし世の中は、ぶっちゃけ、政治資金規正法とかどうでもいいと思ってるみたいに見える。「そのさらに向こうに収賄めいたものがあるんでしょ」って思って、そっちの説明を求めているような気がするのだ。実際そっちは今現在問題になってるわけじゃないし、法治国家としてそれはおかしいと思うんだけど、メディアの報道も、おのずと、そうした世の中の思いを代弁するような論調となっていない?
結局、小沢さんが会見開いても、記者たちは、自分たちの書いた青図に沿った答えじゃないと納得してくれないのではないかと思わせるような論調だ。
検察が証拠を上げられないのならば、メディアが独自取材して証拠を上げればいいのにねえ。
私自身、小沢さんがどれほどお金に汚いのか、それとも実はそうじゃないのかは分からない。だから、政治と金に関しては、ほかに怪しいと言われる人もいっぱいいる中で、確実な証拠もないのに、小沢一郎のそればかりが騒がれて政治が膠着してしまうのもどうかと思う。
小沢さんが(も参加してかな)政権交代という大仕事をやってる間に、検察はふんどし占め直して証拠探しするっていうのではいけないの?
そんで、誰が見ても確実な証拠が取れたら、捕まえりゃいいじゃん。取れなかったらそれはそれ。だめなの、それじゃあ?
というわけで、小沢さんも、代表選に出るというのなら、今日の東京新聞で山口二郎北大教授も言ってるように、「なぜ自分が立たねばならないのか、権力を取った暁には何をやりたいのか」をはっきり国民に訴えるべきだ。つまり、自分のやりたいことが、今の日本のピンチをどう救うのかということだ。短期的なことでなくてもよい、長期的な希望を示すだけでも空気は変わると思う。
もう口べたとか言ってる場合じゃない。
わかりやすい言葉で、池上さんとかブレーンにつけてもいいからさw、全身全霊混めて国民に政策と、その意味を語ってくださいよ。
そして、それは菅さんも同じ事だ。これだけ国民の不信が高まり、菅さんってそんな人だったの?という落胆が日本中を覆っている。でも、まだ判断するには早すぎる。菅さんが本当にそんな人だったのか、実は今、ちょっと弱気になってるだけなのか、ちゃんとここらで見せてくださいよ。
今回の大騒ぎが意味を持つとしたらそれしか無い。
小沢、菅、両者が、本音で国民に訴えることだ。
そんで、私が希望するのは、二人が語り尽くしたところで、国民も納得したところで、
「というわけで、やっぱり代表選やるのやめました。仲良く挙党一致です。」と国民に宣言する事だ。
ただ、これは普通にやったら反発を食らうこと必至。
あくまでも、2人が国民に向かって捨て身で、自分たちが本気で信じる政策に理解を求め、献身的に語りかけた場合にのみ有効なんじゃないかなあ。
変な世論調査とかに気を取られちゃうと失敗する方法だ。
だから、この際メディアも注目してるから、それを逆利用して、これまでの混乱の弁明でも何でもいいからして、その後悔の中から生まれた、日本を再建する決意をマスメディアを通して、バンバン語って欲しいです。
政局的な記者の質問なんて無視して、政策論ばかり独り言みたいにしゃべり続けたらどうでしょう。質問と答えが全然違うとか返ってかっこ良くないか。
まあ、メディアは頭おかしいとか言うんだろうけど、頭がおかしいくらいじゃないと、今の日本の難局は乗り越えられないんじゃないかとも思いますから。
ピース!!