橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

いまさらながらの生活保護問題。住宅ローン払いながらの生保が話題になってますが・・・

2012-06-05 08:34:51 | ツイッターで仕事辞めました~その後

次長課長河本の母の生活保護受給の問題が、そのことを国会で取り上げた片山さつき批判に発展し、さらに飛び火している。「生保」って「生命保険」のことじゃないの・・・なんて思ってるうちに、騒動は「芸人集団としての吉本vsあぶく銭を稼ぐテレビ芸人に対する貧乏人の怨念」みたいになって、当の河本だけでなく、貧乏人の怨念を利用して手柄を立てようとしていた片山さつきをも炎上させてしまった。

テレビ番組では、本人のモラルかはたまた制度の問題かなどと、色んな人がもっともらしく意見を戦わせてもいるけれど、意見を言っている人たちは生活保護レベルの暮しがどういうものかを知らない人がほとんどだ。

そしてまたまた出てきたキングコング梶原の生保問題。ネット上では「住宅ローンが大変なら生活保護受給は可能なの?」「50万のローンがきつくて。俺も生保くれ」とか、わけが分からないことになっている。

当のキンコン梶原の件は、一見とてももっともらしい。母親に買ったマンションは親族の別の問題で抵当に入っていて、売ったり、それを担保に借金をすることもできなかったと本人は語っている。たしかに抵当に入っていたらそうだよなと思う。しかしよく考えてみれば、二千数百万円の住宅ローンに月の支払い40万というのは、一般の感覚からしたら破格の金額。どうりで今年の8月には完済するという。

私も両親が住む実家のローンを2500万借り入れたが、25年ローンで支払いは月11万円ほど。それもサラリマン生活を辞めてからは支払いが厳しかったので住宅ローンモラトリアム制度を適用し、毎月利息だけしか払っていない。そろそろ、そのモラトリアムも終わるので今戦々恐々としているところだ。

考えてみれば、キンコン梶原も家を手放すわけにはいかなかったかもしれないが、ローンの契約内容を変更して、月々の返済額を減らし、その分を母親の生活費にまわすことはできたのではないだろうか。銀行だって、ローンが長引けば、その分利息を沢山とれる。住宅ローンモラトリアムにしたって、その間は利息のみでいいというだけで、当然元金は全く減らない。よって、債務者は余計な利息を払って同じ借金を先のばししただけ。つまり、銀行にとっては損なんかではないのである。そんな契約変更など、実は朝飯前だろう。

だからまあ、本来ならばそんなに銀行に有利な条件で支払い計画の変更はしたくないのだが、どうしてもローンを全額は支払えないというような場合はやむを得ないのではないかと思う。私はやむを得ず、涙をのんでそうしている。

梶原の場合はローン完済も近づいていたのだから、利息の支払いも少ないはず。どうしても家が手放せなかったというのなら、ローンの支払額の方を変更していれば、今回のようなことにならなかったはずだ。でも、ローンの返済額の変更とか思いも寄らなかったのかなあ・・・。

というわけで、住宅ローンを払うために生活保護をもらうのだったら、生活保護をもらわないために住宅ローンを軽減する方法を考えた方がいいと思うという結論に行き着きそうになっているわけだが、本当に本当にそれでいいと思うかと言われると躊躇する部分もないではない。今の世の中の一般的な考え方ではやむを得ぬが、やっぱり本音を言えば、そんな銀行に都合のいいプランにはのりたくはないのが正直なところだ。一言、言っときたい思いもある。

現在のローンモラトリアムは住宅ローン軽減というよりは利息拡大プランと言うべきだ。もともとこの法案には、減額した支払い金額は元金とするというプランもあったが、採用されなかったのだ。大銀行に対し「おめーら稼ぎ過ぎだろ、いちいちATMで手数料なんてとりやがって、こっちがボタン押して操作してんのになんで一度に100円も200円もかかるんだ。ATMの電気代そんなかかんのか?そんなに消却に時間かかるほど大層なシステムか?最高益だかなんだかって時にも不良債権処理の欠損金がまだあるからって、法人税も払いやがらねえで、おれら個人事業主は前年の欠損金なんて繰り越せねえんだよ!」くらいの啖呵を切って、あくまで元金の支払額減額を主張して、家に居座り続けたい思いにも駆られる。世の中、お金と縁のない人間もいるもので、そんな人間の居住権、生存権も認めろ!とね。

それにそれに、住宅ローンの方ばかり問題にしてしまったが、生活保護の方には、いまや生活保護ビジネスなるものが跋扈し、本来届くべき人のところには届かず、暴力団の資金源になっているという問題も存在する。自分ががんばって受け取らなかった生活保護が、その分そうした生保ビジネスに流れたとしたら、そりゃもう踏んだり蹴ったりである。本当に問題は複雑だ。どうするのが一番いいのかわからない。そう考えるとやはり、住宅ローンのモラトリアム(返済計画の変更)に元金返済を認めるようにしてもらわないとだめですな。と、自分にとって最も都合の良い結論に落ち着くのであった。


生活保護の話というより住宅ローンの話になってしまっている。でも、話の飛躍ついでにもっと飛んでみる

資産があると生活保護はもらえないことになっているが、そもそも人の住む家を資産と呼ぶのはやめたらどうかとまじめに思う。もちろん別荘や投資目的の二軒目三件目の住宅は別。貧しくとも、住むところさえあればなんとかなる。家を無くした人は、あらたに住むために礼金だの敷金だの、また毎月の家賃の負担が重いためになかなか路上から戻れない。また、うちの実家のように家はあれども収入はないというような場合、家を売ればお金になるじゃないかと言われても、安い田舎の家の売却益を切り崩して家賃を払っていたら、多分両親が亡くなる前にお金は尽きてしまう。そしたら国民年金しかもらっていない両親はアウトだ。住む場所さえあればなんとかなるが、それがないと途端に地獄行き。家賃の負担というのは多くの人にとって思いのほか重い。東京の私が引き取ればいいとか、もっと家賃の安い場所にいけばとか言われるが、老齢で、地元の人間関係を断ち切って慣れない土地に来るのは辛い。いまだ細々ながらも店を開け(うちは商店街にあるのです)、モノは売れずとも、訪ねてくれる人とのやりとりによって生きている。

だからうちの実家にも生活保護をくれという話ではない。

こういう社会福祉の問題では、必ずといっていいほど「家という資産があるではないか」という話が出てくる。しかし、人にとって住む場所というのはそう簡単にお金に換えられるほど単純なものではないということが言いたいだけだ。

お金は使えば無くなってしまう。お金に換えるということはすべてを失うことにつながる。なのに、すべてをお金で換算する社会では、「お金に換えれば大丈夫」という考え方が蔓延している。生活保護の不正受給に対する世の中の過剰なまでの反応と「なら俺もくれ」的な発想は(冗談にしても)、そういうお金至上主義の副産物ではないかという気さえする。


最後に、生活保護の問題に戻って一言。

長年テレビの現場で働いてきた私が私情も交えて言うとすれば、芸人は先行き不安という気持ちもよく分かるが、テレビに顔を出しているというメリットは大きすぎるくらい大きく、心配ならお金のある今のうちに飲食店でも何でも、落ち目になった時の準備しとけばいいのにー、奥さんもいるんやしやらせればーとも思う。私とて、組織にはいられず、有事には備えの無いダメ人間で他人のことなど言えないが、さすがに2000万とか3000万とかの年収があったら、2000万くらいの実家のローンは早く完済して、暮らせるくらいは親に送るぞーとも思う。どーも不器用でこれまで稼げなかっただけだ。

モラルの問題か制度の問題かなんて言っているが、制度に問題があることなど前から分かっている。それにこれはモラル以前。肉親の面倒を見るということさえ「モラル」と言われなければならなくなっていること自体がモラルの崩壊であると思う。

あー、ほんとはこれが言いたかっただけなのに、なんだかいろいろ書いてしまいました。



 

 

 


月日は百代の過客にして・・・ノマドとなってもう2年、世界の片隅で仕事をくれと叫ぶ

2012-05-27 05:10:19 | ツイッターで仕事辞めました~その後

最近書きたいことはいっぱいあるにもかかわらず、夜の睡魔に絶えきれず、ああやはり年齢には勝てないのねと少々落ち込みつつ、でもそれって年齢よりも自分の怠け癖のせいかしらと思う日々。こんなことで今後の人生後半戦どうなることやらと心配になりながらも、ついつい徒然草だの方丈記だの世の無常を問う文章に思いを馳せ、奥の細道に旅立ちたくなり、上野駅に行けば、路上の人にその心持ちを聞きたいという衝動に駆られ、世捨て人のように生きてしまいそうになる自分に、まるでおっさんのようだ、ほんとにおばさんなんだろうかと疑念さえ抱く五月晴れの午後。

今住んでるボロマンションも、先の地震でかなりガタがきて立ち退きを迫られそうだし、仕事はフリーランスという不安定な立場で3ヶ月先はもう読めないし、普通に考えたらかなりリスキーな日々なのだけれど、現在やらせてもらってる仕事に不満は無いし、半分趣味が仕事となっているような内容。朝、不忍池の蓮の様子も伺いに行ける自由な身分だし、かつて収入が安定していたころに山のように買った洋服で着るものには困らないし、考えようによっては悪くはない日々。ただ、あと1ヶ月もすれば実家のローンのモラトリアムが切れ、再びさらなる負担がのしかかるということを除いては。

とりあえず8月まではなんとかなりそうだけれど、それ以降のことを早く考えておかねばならず。もはやよりどころの無い自分だというに、ちょっとレギュラーの仕事をもらうとつい安心してしまい自分の宣伝を怠ってしまうのは、やはり怠け者なせいなのか。レギュラーとはいえ、半年ごとに継続か打ち切りかが決まるドキドキな仕事である。コラムニストの小田嶋隆氏も口を酸っぱくして言っているように、今はやりのノマドなんて言葉に騙されてはいけない。そんなの怠け癖のある零細下請け個人事業主が自分を騙すための戯れ言、別の角度から見れば、大企業がフリーランスを安く使うための方便にすぎない。

 フリーは会社で働く人の100倍、わしはこんなこと考えとるんじゃ~!とを発信していないと存在していないも同然。にもかかわらずこのところのブログの停滞具合は、フリーでやっていく気構えが足りないんじゃないかと思われてもしょうがない状態。そもそも、さっきからフリーになりましたと言っているが、何の仕事のフリーなのかがここまでの文章ではわからないではないか!自分が何者かを語らずしては誰も仕事を頼めない。こんなブログを書きながら、一番重要なことを書いてない私はアホではないか。

というわけで、2年前テレビディレクターを辞めた私は、いろいろ紆余曲折はあったものの、現在「文章を書く人」である。 それを認めてもらっているかどうかはわからないが、もはや再就職しようなどという殊勝な気持ちはこれっぽっちも残っておらず、そんな間にも年は食う。殊勝な気持ちどころか向こうから願い下げ。そろそろ腹をくくってフリー宣言せねばなるまい。

昨年後半より、某番組の関連SNSサイトの構成執筆および、番組本体の構成、ナレーション書きも。長年テレビディレクターをやってきたため、ナレーション以外の文章でギャラがいただける仕事の実績は、現時点では上記のウェブサイトの構成執筆のみ。そのかわりそのサイトの文章は全部私が書いている。

ADおよびディレクター時代は、バラエティ、旅番組、情報番組、報道番組などを経験し、過去には平成教育委員会の問題作り、近年は報道番組のナレーションも書いてきた。解説フリップの作成枚数は右に並ぶものおらず(自賛w)、多分、池上彰さんがやるような番組の構成も可。でも、ジャーナル系なら討論番組の方が好きである。最近は日本文化を知る納涼会や炭火を楽しむ火鉢カフェをやっている関係などから、文化や暮らしに関するものも興味あり。

もちろん活字の仕事があれば是非。しかしそんなことを言っても、海のものとも山のものとも分からない無名のものに仕事をやろうなんて思う人はいるわけもなし。よって今日から心を入れ替えて、書くべきブログの記事ちゃんとアップすることをここに誓うべし。

一つに自らの乳がん治療体験、ことに治療を選択するまでの経緯。一つに日本における暮らしと住処について、一つに炭の効用について、一つになんでも興味あることについてなどなど。ちゃんとした知識などもちあわせていない頭なれど、先入観に流されずものごとを見る心構えはあり。

いつのまにか明け方5時。日の出の時間もすぎた。 こんな時間まで文章を書いていても、あやしふこそものぐるほしけれという気分にならないのは物書きとしての色気が足らないのかなどと思いつつも、もはや後ろを向くわけにはいかず、絶壁に立って風に向かって仕事をくれと叫ぶのみ。

東の空が明るくて窓を開けたら、まぶしい朝日。見てはいけないとあれほど言われた太陽を肉眼で見てしまった。液晶画面には丸い残像が…。さすがにちょっと寝ときます。 

こんなものぐるほしい記事にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 


さいきんのこと お金のことや 善意について(ほとんどひとりごとです。でも折角書いたので掲載)

2011-11-20 18:15:33 | ツイッターで仕事辞めました~その後

このところブログを更新していなかった。

もはや、商品開発をして自分のウェブショップで販売し、それを生活につなげる事が厳しくなって来て、生活のためにひとつwebサイトでの編集執筆の仕事を始めたのだが、それに思ったより時間をとられてしまっている。最近ではバイトという範疇には収まらなくなって来ている。

<お金のこと>

ツイッターで仕事を辞めましたを書いてから、はや1年半。やはり3・11の震災の影響は大きく、自分の中でも微妙に考えが変わって来ている。いろんな迷いの中ではあるが、とりあえず、自分の今のスキルを使ってギャラとしてお金をもらえる仕事をして生活を安定させねばならない。少しずつお金を増やして行かないとどうにもならない。そんな感じになったためにギャラ仕事を始めた。たまたまちょうど話をもらったというのもある。お金がすっからかんになろうとしているところに、ギャラ仕事の話。やらない選択肢はなかった。

これまで協力していただいた皆さんには本当に申し訳ないと思いながらも、生活する程の売り上げが見込めないウェブショップにこれ以上力を入れることもできず、ギャラ仕事をしている。しかし、働いているにもかかわらず、今、一生の中でもっとも貧乏な状態なのである。

というのも、フリーランスへのギャラの振込というものは作業の2ヶ月後末日とかになるということだ。この仕事でも、準備作業は8月末に始め、当初、9月半ばから開始ということで準備していたのだが、先方の都合で開始が10月からに。そうなるとギャラは10月分からしか入らないのだそうだ。準備期間の作業は賃金にカウントされない。ライターでも、テレビの放送作家などでも、企画書出したりしてる分は特にお金にならない。企画が通って本や番組になって初めてお金になる。8月半ばに話をもらって、これで食いつなげると思って始めたは良かったが、予想に反してまだお金は入って来ない。この間、その仕事に結構時間をとられて即金の仕事をするほどの余裕もなく、収入のないままさらに2ヶ月以上が過ぎてしまった。先方のご好意で、ギャラの一部を個人的に前借りさせてはもらったものの、一部であって、厳しい。最初の振込は結局11月末。それまでにも光熱費の支払い、カードの支払いなどがある。ギリギリの綱渡りである。なんか財布の小銭とかも数えてしまったよ。なのに、昨日はNPOの手伝いに一日出ていた。私はアホなんだろうか。でも、手伝いしてる間はお金掛からないし、軽食も出るし、ただでお手伝い先のイベント歌舞伎の音曲を聞けていい事ずくめではある。それにしても、どれだけ貧乏なんだ、私ww

出版関係の仕事をしている友人などは常々言っているが、出版社からの編集料などの支払いは平気で遅れることが多いそうだ。編集長が請求書を経理に廻すのを忘れてて、さらに一ヶ月遅れるとかザラらしい。やっぱサラリーマンやってると一緒に仕事しててもフリーの大変さなんて分からないん人もいるんだろうな。ダブルインカムでなく、一人でフリーでやって行くって大変だと、いまさらながら実感している。

まあ、ギャラが入るまでのあと10日間のひやひやを存分に楽しむことにしたいと思う。心臓に毛が生えるとはこのことで、もう嫁に行くとも思っていないが、自分ながら本当にかわいげがない。心のどこかに乙女な心が残っているかと思っていたが、このところ本当に心のその辺に死亡フラグが立っている感じ。ただ、そういう幻想の乙女も、この消費社会によってつくり出された幻なのかなとも思う今日この頃。だからだろうか、最近、GQオヤジみたいなのが一番苦手かもしれない。GQオヤジとなんとなく書いたが、ちょい悪ってことかな、ちょっと違うかな、まあテキトーです。

それはおいといて、一個忘れていた。

唯一、支払い期限の話で腹が立つのが東京電力だった。被災地で電気代払えない方の電気止めて非難浴びてたけど、こういうインフラを持ってる企業が民間会社で、支払い期限を一ヶ月過ぎると、有無を言わさず不在でも止めますという脅しの書面がやってくるという事実。私も、今や給料口座は使っておらず引き落としが機能しないため、ちょっと支払いを忘れていると、これが来る。さすがに、最終期限を過ぎても払わなかったことはないので、本当に止めにくるのかどうかは体験しなかったが、「重要」というお知らせまではもらった。「お支払いいただけない場合は◯月◯日以降、ご不在でも送電をお断りすることになりますので、ご承知おきください」とある。「ご承知おきください」だ。たとえば、11月9日に検針した電気代の支払い期限は12月9日、それを20日過ぎると、電気の供給を停止する事があると電気供給約款に書かれている。そして、その10日後に電気止めますよとの脅しの書面が届く。

ライターのギャラは振込が遅れても、「ゴメン」で済まされることも多々あるのに、生活インフラの電気の料金は期日を一ヶ月遅れると、止められてしまうという情け容赦のなさ。結局はインフラを握っている者の強さというか、自分は一貫して原発反対だっただけに腹が立つ。使った分だけ払うのは当然なのだけれど、日本の電気代は高いし、東電がかけた迷惑をマイナスに換算してはくれないのだろうか?

続いて、善意についてを続けるつもりでしたが、長くなるので分けます。

わー、もうちびまるこ始まってるじゃん。こんな時間!




新しいブログを作りました。「出島DEJIMA2010」といいます

2010-10-02 11:19:53 | ツイッターで仕事辞めました~その後
すでにご存知の方もいると思いますが、bloggerで新しいブログを作っています。

ブログタイトルは、昨日まで「出島DEJIMA in Japan to the world」でしたが、
今日、デザイン一新とともにタイトルも変えました。
新タイトルは「出島DEJIMA 2010」。

新ブログの説明書きには、この「What is value? 価値って・・ナンシー関のいない世界で」を引き継ぐブログと書いてますが、しばらくは基本的に両方に同じ記事を載せて行きつつ、次第に差別化していきたいと思います。

今日のこの記事は、記事の性質上「出島DEJIMA2010」の記事とはテーマは同じですが、内容は異なったものを掲載しています。向こうの冒頭の部分は、新たなブログデザインについて書いてますんで、ぜひ、そちらも読んでください。


<出島DEJIMA2010について>(こっから、ですます調からだ調に変わります)

ところで、
bloggerのブログはタイトルの下にカテゴリーとはまた別にページ設定ができる(about us や問い合わせ欄などもこれで作れる)。それに、デザインの自由度が高い。それが、bloggerでもブログを立ち上げた大きな理由だ。

このブログのへちまにも愛着はあるのだが、これだと本気度が低く見えてしまう気もして、いずれはデザインを変えたいと思っていた。しかし、gooのテンプレートを見ると、htmlがわからないとデザイン変更は限界があるんだよなあ。

実は、このナンシー関ブログ、もともとはbloggerで立ち上げたものだった。しかし、当時のbloggerはデザインのバリエーションが少なかったのか、それとも私が使い方をよくわかっていなかったのか、テンプレートがあんまりかわいくなかったので、gooでもう一つブログを立ち上げ、同じ記事をアップしはじめたのがこのブログなのだ。そして、次第にこっちがメインになって行ったというわけ。今年に入ってからはbloggerの方に記事はアップしていなかった。

しかし、最近、gooのデザインや仕様に限界を感じ始め、ふと凍結していたbloggerの方を開いてみたら、なんだかテンプレートの背景の選択肢はたくさんあるし、デザインも洗練されてるし、がぜんこっちが使いたくなった。
それに、ページ設定といって、メインのブログのページ以外に、自分でタイトルを設定して、例えば「about us」だとか「問い合わせ先」だとかのページを別開きできるという、まるでホームページのような設定ができる。
これには魅かれた。

そんなわけで、新しいブログの方もよろしくお願いします。
新しいブログの立ち上げた事だし、前々からプロフィール欄に書いている
日本の手仕事の紹介や、それを地域振興に繋げるような内容を増やして行ければと思います。

でも、基本的にはこちらにも記事を載せるし、これまでのようにニュース時評も書いて行くので、これまで通りよろしくお願いいたします。

あと、新しいブログを作るにあたって、「出島DEJIMA2010」の方では、口上だか決意だかわからないことをむにゃむにゃ言ってますので、そちらも読んでやってくださいませ。

では、ナンシーブログも出島ブログも今後ともよろしくお願い申し上げ奉りまする~。


ライブドアブログ奨学金応募しました

2010-08-30 04:42:39 | ツイッターで仕事辞めました~その後
プロフィールのところに書いていますが、取材資金のために、というか今となっては書く事で生きて行くための資金と言ったほうがいいですが、先日ライブドアブログ奨学金に応募しました。
26日が締め切りでした。現在結果待ちです。
主催者側も応募のあった各ブログを読んでる頃でしょうから、今日はブログ奨学金の応募をテーマにしてみました。

特待生になれば、1年間に300万円と技術サポートが得られるということですが、一体どのくらいの応募があったんでしょう。「書く人になれ」という募集のキャッチがついていますが、実際のところ、今の日本で、人気ブログの著者というのは、他に専門職を持つ人がほとんどで、職業作家やライターという人の人気ブログをあまり知りません。
ましてや、本職がブロガーなんて人は、日本ではまだいないんではないでしょうか。あ、きっこがいるか。でも、きっこも情報源はほかにあるって言われてますしね。

で、専門職も無い、活字の仕事もこれまでやった事が無い私が(テレビのナレーションは書いてましたけどね)、募集フォームの「奨学金をもらったら何がやりたいか」の欄に何を書いたか。

ずうずうしくも、大橋歩さんが作ってた「アルネ」のような、自分の興味で作る雑誌の電子版みたいなブログを作りたいって書いちゃいました(汗)。

もちろん、私は、連日政治ネタをつぶやいてるようなヤツだし、大橋さんほどのセンスもおしゃれ人脈もない。でも、洋服好きだし、手仕事のよさも伝えたい。日本の住環境も良くしたい。知識無い分は取材でカバー。センス無い分はへんてこりんな切り口で補う。総理大臣のファッションから政策を考える!硬いとか柔らかいとかネタに区別は無い!ってなんだかラップみたくなっちゃいましたが、とにかく、本当は繋がっているはずの「暮らしの中の美しさや幸せ」と「政治や社会問題」がいっしょごっちゃに載ってるサイトを作りたいと訴えたのでした。
全てのテーマは自分というものの中で無意識に繋がってるし、多分、それは私以外の人の中でも同じだと思うのです。

ファッションショーを見ていて、人間の生き方や、政治の哲学に思いを馳せる事もあれば、おにぎりの具に、独立自尊を見たり、挙党一致を考えさせられることもあります(多分)。どんな人にも衣食住はあり、遊もあり、そんな私たちはみんな社会に生きていて、政治の恩恵にあずかっている。被害にもあってますけどね。

異なる様々な経験から無意識に受け取った印象が、その人の価値観を形成して行きます。

このブログのタイトル「What is value?価値って・・」は、モノの価値とは何だろうという他に、今、私がもっている価値観はこれまでどういったものを見聞きし体験してきたことで形成されたのだろうという思いからつけています。

現在アラフォーの私。分かりやすいところでは、YMO、橋本治、ナンシー関の影響を受け、大学時代はバブル期でしたが、ボーイッシュなルックスのため、ワンレンボディコンなどは遠い世界でした、などなど、読んだり見たりしたものから、自分を取り囲む時代的要素や経済的環境など様々な要素が自分の価値観を形作っています。

じゃあ逆に、そうして作られた私の価値観で、今の世の中に溢れる様々な森羅万象を斬ったらどうなるか。
新しく作るブログは、言ってみれば、私という人間の体験を通して「価値とは何か」を考える一人メディアです。
心地よい住とは何か?着心地とは何か?美しいとは何か?美味しいとは何か?
将来、ブログタイトルはリニューアルするかもしれませんが、「What is value?価値って?」という現在のタイトルは、ブログの通奏低音として流れる思想として引き継ぐつもりです。

そうして考える中から、また別の新しい価値観が見えてくるといいなあなんて思います。

思いますっていっても、まだ奨学金もらってライブドアブログに移れるかどうかなどわかりません。半月後には、落選して、今年は年が越せないと焦ってるかもしれません。
でも、奨学金をもらえようがもらえまいが、やりたい事が変わる訳でもない。
もちろん、経済的な事情やいろんなタイミングやなんやかやで、1年後の私がどんなことをやっているかはわかりませんが、テレビの仕事を20年やってきて、それしかやった事の無い私にできる事と言ったら「見聞きして」「伝える」ことだけです。
だから是非とも特待生になって「技術サポート」も欲しいんですけどね。自分だけじゃ、サイト構築は無理だー。

なんか、夜中に文章を書くと、ついついキレイゴトになってしまいます。
それに「一人メディア」なんて、よっぽどその一人の個性が際立ってないとできないことだと、書いた後になって気付いちゃってます。お恥ずかしい限りです。
でも、私一人が食ってくだけなら、お客さんもマスメディアほど沢山集めなくてもいいんじゃないかなどと甘い事も考えています。やっぱ、甘いな・・・。今日も、週刊モーニングの本谷有希子氏のコラムを読みながら、これがプロだよねえと感心しておりました。「慎吾ちゃんの闇」は私も気になっていたんです、是非とも的確な言葉で表現してください。

話が逸れました。
夜中はついキレイゴトになると書きました。
私の場合、「価値とは何か?」とか言ってるけど、単に自分の趣味や喜怒哀楽を垂れ流すだけだったりします。垂れ流すだけでは芸が無いので、なんとか面白がっていただけるように、足掻いてみたいと思います。

深夜は夢見がちなので、多分この文章も朝まで寝かせて読み返してからアップした方がいいのだけれど、今日はあえてこのままアップしてみます。やばい、寝ねむねむです。

今後とも当ブログ、何卒よろしくお願いいたします。
こっそり投稿しよ・・。




「ツイッターノミクス」トークイベントに参加した。ちと反省あり(_ _|||)

2010-04-13 14:49:13 | ツイッターで仕事辞めました~その後
昨日新宿ブックファーストで行われた「ツイッターノミクス」トークイベントは著者のタラ・ハントさんの話も面白く、かつ津田さんの司会も、同時通訳のかたの通訳も素晴らしく、ほんとうに貴重な体験だった。2人のサインももらえたし。



ただ、その中で、会場の参加者に対し自らがツイッターで得した体験談を求められ、私も話をしたのだが、それについてその後いろいろ考えてしまった。

今後の仕事の中でツイッターを活用したいと思い、自分アピールモードになっている私は、トークイベントで挙手をして発言した。しかし、恥ずかしい事に、話をしながら感極まってしまったのだ。すいませんを連発しつつ、なんとか話終えたが、こんなところで感極まってしまうほど冷静さを欠いても良いものか、この体験談をこんな形でみなさんに聞かせてしまった事がよかったのだろうかと思えてきて、こんな言い訳がましい文章を書いている。

その体験談というのは、一部、このブログの過去記事にもあるが、一つは、わたしが水道橋博士や東浩紀(敬称略)のリツイートで、ブログに一日3000近いページビューを獲得した事。もう一つは、ツイッターでつながったがん患者をパートナーに持つある女性のエピソードだ。ある日彼女はすごく落ち込んでいて「暗いつぶやきばかりですいません」と繰り返していた。それに対し、私も含め幾人もの人がツイッター上で彼女に言葉を送っているようで、彼女は、それぞれに対しありがとうございますとつぶやいていた。そして、数時間後、彼女はある癌専門医のつぶやきに対し「ありがとうございます。丸ノ内線の中で泣いているのは私です」と返信したのだ。その彼女のつぶやきに私は心を揺さぶられ、ツイッターの力に驚いた。

当時私は、テレビの仕事を辞める事を決めていて、ブログの当時の記事を読んでいただければわかるが、その背景にもいろんなことがあったため、かなり切羽詰まっていた。誰かに勇気をもらいたかったのだと思う。
水道橋博士にリツイートされたのだって、「誰か私のことをバカじゃないと言ってー」とつぶやいてのことだ。博士に対して「バカじゃないと言ってー」と言ってた時はまだ、自分を客観的に見て、(笑)的な余裕もあったと思うが、その後、ブログの3000PVという事態とツイッター上で励ましの返信をたくさんもらって心強くなり、ちょっと自分を客観的に見ることを忘れていたかもしれない。そして、その翌朝、彼女の丸の内線内でのつぶやきに出会うのだ(イベントでは、癌の話を先にしたので、さらに、と博士のリツイート話をつなぎ、こちらが後のように聞こえたかもしれません。順序による因果関係はなく、並列の出来事です。勘違いさせてたらすいません)。
もちろん、仕事はすでに辞める事を決めていたので、それに背中を押されてというのではない。仕事を辞めると決めて不安だったところに大きな勇気をもらい、退職の決断を固いものにしたということだ。
当時からテレビを辞めたらやりたいと思っている事があったので、そちらに大きく気持ちがシフトした。

私もそれ自体が悪いことだとは思っていない。
けれど、人前で話をする時に感極まってしまったというのは、結局、その時の自分のことを思い出していたからだ。自分可愛さである。実際に仕事を辞めてしまって、友人にも「大丈夫か」と言われ、不安の中暗中模索している自分を再び誰かに肯定してもらいたかったのかもしれない。ウッフィーどころか、私はこの話をみなさんに聞いてもらう事で、自分を癒そうとしていたのかもしれない。イベント後声をかけてくださったかた、ツイッター上で返信を下さった方、お礼を言わなくてはならないのは私の方です。

ツイッターは決して避難所ではない。現実世界でうまくいかない事を愚痴る場所でもない。しかし、私はかつての職場で四面楚歌だと(実際には三面くらいですが)思い込み、ツイッターにハマっていったのもある部分では事実だ。テレビ局で働きながら、記者クラブ問題に言及し、日々の報道に異を唱えていた。そうだったからこそ、私自身、かつてのつぶやきで、ツイッター上で議論が盛り上がり、尖鋭化してしまうことを危惧してもいる。共感と表裏一体にある排除や、熱くなりすぎたがゆえの盲目の危険性には自覚的でなくてはならない。
にもかかわらず、昨日の自分はそうしたリテラシーに無自覚で、勝手に熱くなって自分の話を垂れ流してしまったのだ。そうした私が当時おかれた状況や背景も説明せずに、ただ感動したという事例だけを語ってよかったものか。
あの話の背景には、私の熱い思いや冷静な批判の一方で、愚痴とか、甘えとか、逃げとかも一杯漂っている。
全てを単純化し、都合良く抽出するテレビの演出を批判しながら、自分のやっていることはそれではないのかと、いまさらながら思い知らされた。
反省をしてもしょうがないかもしれないが、ツイッターが今後健全にインフラ化していくためには、どうあればいいのか。熱い思いを抱えながらも、冷静に判断しながらつぶやいていかねばならない。
いや、実際に人前で語るより、ツイッターで文字にする方が、客観化されクールダウンされているので、私のような人間にはいいのかもしれないなあ。

それに、多くの方は、冷静にツイッターを使っておられ、建設的な会話がたくさん行われているので、私が心配すべきは、自分の暴走を押さえる事だけなのかもしれません(笑)。

昨日あれだけ、良い話っぽく語っておきながら、翌日にはこんなこと書いてすいません。浅はかな人間だということを暴露してしまったようなものですが、もう一歩一歩反省しながらやっていくしかないです。「誰かバカじゃないと言ってー」とはもう言いませぬ。どんどん「バカ」と言って下さいませ。
そして、よろしければ、今後の活動を見守っていただけるとありがたいです。

最後になりましたが、今、ツイッターを通して、あらためて「言葉の力」を実感しています。
言霊という言葉がありますが、言葉はある時は万人の力にもなり、あるときは一人歩きして我が身を滅ぼす。
もっと意識的に言葉を使わねばならない時代になってきているのだなあとしみじみ感じています。

そして、貴重なお話をしてくださったタラ・ハントさん、司会の津田さん、素晴らしい同時通訳の方、本当にありがとうございました。
そうそう、タラさんの新しいツイッターのアイコンが日本で撮ったと思われるかわいいプリクラに変わっている。
彼女のこのかわいさ、軽快さを見ていると、こんな思い詰めてる私って何なんだと、我が身を顧みてしまいましたよ。
人間軽やかでないとあかんわなー。
今日こそ桜のビデオアップしよ。

長文おつきあいいただきありがとうございました。
ツイッターノミクス TwitterNomics
タラ・ハント 津田 大介(解説)
文藝春秋

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テレビ辞めて2週間、ごぶさたしてました。現状報告です。

2010-04-11 14:04:30 | ツイッターで仕事辞めました~その後
テレビ辞めて2週間。4月に入って初めての更新となってしまいました。
この2週間、母が、乳がん術後の定期検診に上京したり(問題無しでしたが)、友人から、首相官邸前での普天間問題への抗議行動をUSTREAM中継してほしいと頼まれて手伝っていたり、なんだかバタバタと過ぎていってしまった。
官邸前のUST2日前、試験放送として私のアカウントで上野の桜と花見の中継をやりました。IPHONEで花見をしながらのそぞろ歩きだったので、映像はかなりガクガクでしたが、UST中継の手軽さを初めてやってみて実感!ハイクオリティ版も試してみたいとホント思いました。歩きながら手持ちカメラの中継も早く手軽にハイクオリティにできるようになってほしい!!

ところで、先日もブログに書いたように、日本を世界に発信するウェブサイトを立ち上げようとしているわけですが、ここ1週間で、プログラムやサーバー管理に詳しい知人に会ったり、観光関係の仕事をしている知人に会ったり、知人の範囲内ではありますが、何人もの人に会いました。3月末に振り込まれたお給料を最後に今や何も収入はなく「FREE」な毎日、こんなバイトをしながらやったらどうかなどと提案して下さる方もいて、本当に人のつながりというのはありがたいことだなあと実感しています。
また、一方で、私がウェブサイトを作るということに対し、ウェブで生活は無理だから専業にするのは勧めないと冷静な忠告をしてくれる方もいます。私がツイッターなどに触れ、熱くなりすぎていると心配してくれてるんです。確かに、このブログでもかなり暴走した事を書いてますし、友人がそう感じるのも無理はないですよね。真剣に心配してくれているからこそ、こうして忠告してくれる。励ましてくれる人がいる一方で、忠告してくれる人がいることにも感謝です。

現時点では、作業を進めなければと焦る一方で、いろんな人に自分のビジョンを聞いてもらう中、ご意見もいただき、化学反応を起こして、少しずつ自分の中で目指すものの形が変質しつつも明確になってきています。

そうそう、デザイナーの友人と一緒にプロジェクトのロゴも作り、名刺のデザインも決めました。これは追って公開します。
あと、欲しいドメインも確保しなければ。

でも、肝心の資金借り入れの相談はまだなんですねえ。テレビ時代はほとんどをディレクターとして過ごし、費用見積もりも入れた事業計画書なんて初めて作るので、起業ってこういう事なんだなあとしみじみ。
また、これまでコピーもデザインも会社の設備を使えたり、頼んだりできたのが、全部自分でやらなきゃならん。わかっちゃいたけど、結構めんどうだし、コストもかかるんですよね。自分でやるとコスト意識は高まりますなーホント。

あと、ちょっと下品な話で恐縮ですが、この1年、ニュース番組の(ほぼ)内勤で、一日デスクに向かっている事が多かったのですが、この2週間、結構出かける事が多く、街をかなり歩いているので、運動になってるんでしょうかねえ、なんと便秘が治り始めてきてるのです!!やっぱ歩くのはいいよ~。ただ、やはりまだ座ってる事も多く、腰痛は良くならない。でも、この腰痛に関しても、ちょっと椅子についてツイッターでつぶやいたら、腰痛のサイトを作ってる方がフォローしてくれました。

ついでにもう一つ言うと、1年間の内勤であまりいろんなところに出て行かなかった間に、日本の街の様子ってこんなんなってたんだあとあんぐりしました。職場と家の近所である上野、谷中根津千駄木地域とウェブサイトの往復で、その他の街をほとんど見てなかったですから。新宿西口のブックファーストのところの鳥の巣みたいなビルがあるとか(って何年行ってないんだよ)、汐留のビルの数十階から見下ろした光景、ビルの広告看板に白いのが目立つこととか・・・。
あと、一般企業ってなんか大人の世界ですよね。受付では黒やグレースーツ来た人ばっかりだし、世界が違うわーと。
銀行の友人なんて、会社のパソコンで業務以外のページが全く開けないと言っててびっくりしました。

私がやろうとしている日本の発信サイトは、紹介する対象はもちろん私個人のセレクトで、小規模で勝手連的なサイトとして始めたいと思っているのですが、最終的に地域振興に繋がればという目標があるので、スーツのおじさまにも交渉に当たらねばならない事もあるやもしれず、想像される認識のギャップに今から恐れを成しています。
まあ、何がどうなるやら分かりませんが、とにかくいろいろチャレンジしてみようと思います。

明日は、新宿ブックファーストで行われるタラ・ハント来日記念「ツイッターノミクス」のトークイベントにいこうと思ってます。私のような資金も名声も無い個人が、ツイッターなどソーシャルメディアをいかに起業に生かせるかを実践で試すのも、今回の目的の一つ。明日の話は必聴だあ!津田サーン声かけますんでよろしく!

プロジェクトの内容については、固まってきたら進捗状況を少しずつお知らせしたいと思います。
まだまだ、道は長いー。ではまた!!



とうとう、テレビ局勤務が終わった。これからは「日本を世界に」と「ガンの治療法探し」を

2010-03-29 03:09:40 | ツイッターで仕事辞めました~その後
この金曜日をもって、20年近く続けてきたテレビ番組の制作の仕事をとうとう離れました。
また、機会があればとも思いますが、とりあえずこれからは、
テレビ以外の所でなんとか生計を立てられるように活動を開始します。

前回のブログにも書きましたが、
日本のものを世界に発信するサイトを立ち上げたいと思っています。
このところ、日本在住の外国人がこうしたサイトを次々立ち上げてて
ちょっと焦っております。
その上、この2週間ブログも更新していないような始末。
結局、テレビの仕事を辞めると最終的に決めて、これまでの2ヶ月の間に
何かが形になっているわけではないし、
始めてみると、まだまだ勉強しないといけないことが次々出てきてちょっとビビってます。
もう飛び降りちゃって、下に地上が見えているのですから、
あとは羽をバタバタさせて浮上するしかありません。

♪昔ギリシャのイカロスは、勇気一つを友にして
ロウで固めた鳥の羽を両手にもって飛び立ちましたが(byみんなのうた)
結局、調子にのっておっこっちゃうんですよね。
みんなのうたでは、ぼくらはイカロスの鉄の勇気を受け継ぐと英雄視してますし、
私も子供の頃、なぜかこの曲で号泣してましたが、
大人になった今、自分がこんな立場になろうとは・・・。
鉄の勇気を持ちながら、調子に乗る事無く、
着実に事を進めねばならないと肝に命じる次第です。

以前の「ツイッターで仕事辞めました」にも書きましたが、
これから、資金を借りるべく、事業計画書も書かねばならない。
それに、住宅ローンモラトリアムも一応申し込まなければ・・・。

とにもかくにも、サイトを作るという目標に向かっていく経過を
このブログやツイッター上でつぶやいていこうと思います。
これから仕事辞めようと思っていて、かつ計画性のない私のような方の
参考に少しでもなれば幸いです。

また、乳がん体験についても、これを機に、一度まとめようと思っています。
私のは特殊な治療を選んだので、万人に適用という訳にもいかないので
がん宣告から治療法を選ぶまでの道のり「医者の選び方」を中心に書こうと思います。
ちなみに、私は6年前乳がんが発覚。
種類は比較的穏やかと言われる粘液がんでしたが(アグネスチャンもこれらしい)
早期をちょっと過ぎていて直径2,5~3cmのしこりがありました。
しかし、放射線のピンポイント治療というのをやり、切らずに腫瘍は消えました。
今のところ再発は無く、普通に生活しています。
治療法を決定するまでに3ヶ月、大学病院から東洋医学まで、
7人の医師に会いました。再建手術の形成外科もいれるともっとです。

腫瘍が早期からそれに近い場合、治療にどう取り組むかより、
治療法を決める段階が本当に大事だと今実感しています。
私が体験した一体験談ではありますが、少しでも誰かの参考になればと思っています。

実は、私が最終的に治療をゆだねた担当医は、
あの筑紫哲也氏が最後に訪れた医師でもあります。
なぜ、筑紫さんがあの先生のところへ行ったのか・・?
ご家族に話を伺えればなどと妄想していますが、
そんなこと妄想するのも、自分の体験談がちゃんとまとめられたらの話ですね。

これまで、お金をもらう仕事では、テレビのナレーションや構成しか書いた事がありません。
まとまった文章といえば、このブログで書いている程度です。
しかし、書く事をやりたいと思ったのだからやってみようと思います。
(ウェブの方ではビデオも導入しますよー)

まるで中学生の決意表明の作文みたいですね、今日のブログ・・。
本当に、現時点で「思い」しかない私ですが、
なんとかその思いをつないでやってみたいと思います。
こんな青臭い言葉をはずかしげも無く綴ってる私はなんなんだろう。
ほんと自分がアラフォーなのか疑問です。人生積み重ねてないなあ・・。
自分に愚痴言っててもしょうがないので、今日はこの辺で。
みなさん、こんな私ですが、
今後、計画が具体化してきたらご意見などお寄せいただけると嬉しいです。

とりあえず、数日中に名刺のデザインを決めねばー。

もう一個のブログ「Japan I Love! My favorite!!」(左サイドバーにURL)もよろしくです。
自分の好きな日本の身近な雑貨などを英語で紹介するブログを試験的に作ってみました。
世界に発信するサイト作ると言う割には、英語が中学生並みでお恥ずかしいのですが
本サイトでは、ちゃんとネイティブの協力も得るつもりですので。

わー、朝になるー。寝よ。
今日は元いたニュースの4月リニューアル最初の放送。感想も送らねばー。





住宅ローンモラトリアム、そして、日本の家と私の野望(笑) 

2010-03-14 12:37:16 | ツイッターで仕事辞めました~その後
ふと、住宅ローンモラトリアムでググっていたらこんな記事を発見しました。

ゲンダイネット3月2日
『ほとんど応じてもらえない住宅ローンのモラトリアム』
http://gendai.net/?m=view&g=syakai&c=020&no=44838

大手銀行に申し込まれた住宅ローンモラトリアムのうち、
応じてもらっているのは、申し込みのたった1割程度らしい。

返済額を減らす方法として、返済期間を延ばすものと、返済額を一時的に減らしてその分3年後から上げるものがあるそうですが、前者だと、毎月の返済額が7万6970円の35年ローンの場合、 返済期間を10年間延ばしても返済額は6万9842円と、たった7128円しか少なくならない。しかも、総返済額は564万円も増える。後者でも、数十万円総返済額が増えるらしいのです。

やっぱり銀行は、絶対自分たちは損しないようにするのね。って、それは商売の鉄則だけど、自分らがかつて公的資金たんまり入れてもらってる事なんて忘れてるんですね。
返済したんだからいいだろ、って言うかもしれないけど、それは住宅ローンや中小企業モラトリアムを受ける側だって、先々返済ちゃんとするつもりで、今、「一時的に止めてくれ」と言ってるんです。
大銀行はちょっとは反省しろー!!!

これまでのブログにも書いていますが、私は親が住んでいる実家の住宅ローンを抱えていて、仕事を辞めるにあたって、それ以後返済をモラトリアムしてもらえないかと思っています。
私が借りているのは、地方銀行ですが、さて、どういう対応に出るのやら。
相談に行くのは4月に入ってからになりそうですが、
ちょっと電話で探りを入れてみようかなあ。

お前が分不相応に家なんか建てるからダメなんだろという方もいらっしゃるかもしれないので、言い訳がましくも、一応断っておこうと思うのですが、この住宅ローンはやむない事情で組んだのです。

親が暮らしている実家は、本当に古い家で、明治時代に建った商店街の長屋の一軒だったのですが、周りの家がだんだん切り離して建て替えていく中で、支えを無くしたこともあってか、一部土壁は崩れ、本当に地震でもあったらやばいぞってことになっており、父母は日々不安のうちにその家で暮らしておりました。
お金がなくて、それまであまり修理できなかったのもあります。
雨漏りなどもあり、本当にどうにかせねばという状態が続く中、とりあえずリフォームの相談をしてみたところ、これはもう建て替えないとダメだよと知り合いの大工さんにも宣言されたようです。両親もボロい家で暮らす事はやぶさかではなかったのですが、危険と隣り合わせとなり、どうしようと悩んでいたようです。

しかし、シャッター商店街となりはてた地方の商店街で、表具店なんていまどき田舎での需要はのぞめないクラシックな商売をやっている両親にそんなお金はなく、困っていたところに、たまたま出入りの銀行が「住宅ローン借りませんか」という話をもってきたのですね。でも、返済能力のない両親に借りられるはずもなく、私のところにお鉢がまわってきました。

年取った両親に今から東京出てこいと言うのも酷だし、もし実家を畳んで、東京で広い部屋に越したとしても、家賃が激上がりするか、遠くに離れるかどちらか。
それに、細々とはいえ、お店を開けておく事で社会とのつながりを保って生活している両親からそれを奪う事は、生きる張りを奪うようなものでしょう。
また、当時丁度、不景気のおかげなんでしょうか、私のような、テレビ局で契約で働く保証のないものでも、奇跡的に住宅ローンを組む事ができたのです(しかし、結局ローンを組んだのは最初に話しをもちかけた銀行とは違う所になったのですが)。

で、今の実家が完成し、25年の住宅ローンを払い始めました。
払い始めてもう6年になります。
そんなわけで、不可抗力により組まざるを得なかった住宅ローンです。どなた様も銀行様も、こんな景気の悪いおり、たった1年待ってくれという私の願いを聞いてくれたってバチは当たんないでしょ、と思うのですがいかがざんしょ。

ところで、当初の住宅ローンモラトリアムとはちょっと話がずれますが、ここで、この実家の話を少し聞いてもらえますでしょうか。

というのも、この、家に対する思いが、私が仕事を辞めて今後やろうとしていることにも、間接的に関係があるからです。

ローンを組んで新しく建てた実家は、資金不足で、狭い上に、建材などの部分で妥協の産物でもありますが、暮らしやすい家になったと、自分では結構気に入っています。
店舗の裏側に居間があって、その奥に壷庭があります。いわゆる町家風のつくりです。
居間と廊下と台所と風呂場が庭を囲んでいて、どこにいても庭が見えます。狭い庭にはいろんな植物が己生えに茂っていて、ちょっと野山を切り取って来た風情。腰高の風呂の窓を開けると庭に面した露天風呂気分。空を見上げれば時には月も見えます。昔の家からとっておいた沓脱ぎ石は縁側代わりの廊下の前に置かれていて、廊下に座ってぼーっとできます。
居間のサッシの内側の障子は雪見のガラス障子です。
建材などは、カタログから選ぶセミオーダー形式で、窓は普通にサッシ(アーケード商店街は消防法で防火ガラスのサッシにしないと違法なのです)、町家風とはいっても、予算と面積の制約で、京都の町家とは似て非なるものではありますが・・。

今はこの家に満足していますが、昨今の家の標準的スタイルであるLDKな間取りと違うこうした家を作る事は結構大変な作業でした。最初に設計士さんから出されたプランは、店舗の奥のドアを開けると、すぐ廊下があって、廊下の途中にトイレ、その先にキッチンと居間があり、その先に裏通りに面した小さい庭があるというもので、店舗にちょうど2LDKの家をくっつけた感じでした。しかし、町家の作りでは、多分、店舗のすぐ裏は、ちょっとした部屋(玄関間)があるはずです。店番してる時ちょっと中に引っ込んでも、「ごめん下さい」という声が聞こえる位置に部屋がなくてはいけない。田舎の表具店なんて、いつも店に誰かいる訳じゃないですから。お昼ご飯食べるときは引っ込む。そういう時のために店のすぐ裏に部屋が必要なんです。いつでも店番置いてちゃんと商売している今時のお店はそんなことないのかもしれません。そういうちゃんとしたお店なら、近くにあるのはトイレだけでいいのでしょう。しかし、年寄り2人の、人もそれほど訪れない店には、こうした仕様が使い勝手がいい。

ながながくどくど説明しましたが、これを設計士さんに分かってもらうのは実は比較的容易でした。それよりも難しかったのは、昔の家のいい部分を残したいという漠然とした希望を伝える事です。私の主観的な家への思い入れや思い出などが入り混じって、それをどう説明してどう具体的設計にしてもらえばいいものかが分かりませんでした。

実のところ、壊してしまった昔の家、それをそのまま再現したかったのが本音です。
昔の家は、先にも述べましたが、いわゆる町家の作りで、土間があって、家の真ん中に小さい壷庭がありました。庭に面した部屋は表面に歪みのある、昔の流れるようなガラスの入ったガラス戸で囲まれていました。階段は箱階段、風呂は五右衛門風呂、台所は(釜屋と呼んでいましたが)一旦靴を履いて下に降りる土間でした。そういえば和式便器も白ではなく、伊万里風の青い画が描かれたものでした。また、これが子ども心に一番グッと来てたのですが、物干に繋がる木の雨戸には、小さな木の節穴があって、晴れた日に雨戸と内側の障子を一緒に閉めると、節穴から光が入り、ピンホールカメラになって、障子のスクリーンに外の景色が逆さに映るのでした。また、物干から屋根に登って何度も夕焼けも眺めました。瓦と瓦の隙間には雑草が顔をのぞかせています。そこから眺める西の空を鳶が行く様は、私にとっての枕草子の雁の様です。思い出すと涙・・。

住んでいた当時は、もう古いボロ屋で、人を呼ぶのも恥ずかしく、自慢など決してできなかった家ではありますが、ほかにも、挙げだしたらきりがないほどいろんな思い出が詰まっていました。

物理的にそのまま再現するのは資金的に全然無理です。面積からして土間も諦めなくてはならないでしょう。
では、そんな気分だけでも再現できる家はどうやれば作れるのか?
夏休みを家の打ち合わせにあて、実家に帰り考えました。

方眼紙に自分で素人なりの設計図を書いて試行錯誤です。
長屋を切り離すので、間口が片側50cm計1mも狭くなり、建坪も以前よりずっと狭くなります。そのため、当初は、昔の家と同じ間取りで、真ん中に壷庭をとる発想は私にもありませんでした。裏庭でもいいやと思っていたのです。しかし、実際に設計士さんから提示された間取りから見えてくる生活は、どうしてもしっくり来ませんでした。
店舗のすぐ裏に部屋がひとつあって、ダイニングキッチンがあって再奥に庭があるのが何故ダメなのか?

帰郷から何日目だったか、家の向かいの道を登っていったところにある、かつては金比羅様の祀られる本殿のあった場所から商店街を見下ろしていたときのことでした。
「やはり部屋は狭くなってしまうけど、家の真ん中に壷庭つくるしかないなあ」とふと思ったのです。

うちの家が、貧しいながらも、最終的に殺伐としなかったのは、家のど真ん中に庭があったからだ、そう思いました。
そして、それを裏付けるシーンが頭の中に浮かんできました。
大学で東京に行くまでの私は、よく、庭の蟻の行列にすいかの欠片を落としてやったりしていましたが、庭で特に思い出に残っているのが、夜トイレに行く時に内庭に面した廊下から見上げた月や星座です。闇の怖さも覚えています。時には野良猫が侵入しどきりとする事もありました。トイレ(ご不浄)は外に面してないとだめなのです(って決めつけ過ぎw)。水回りはすべて庭に面してる、つまり半分外にあるのが、生活の基本だったことを再認識しました。そういえば、母は洗濯機も外に置く派です。当時は部屋にいるときも台所でも風呂でもトイレでも、一日中何をしている時でも、外とつながって日常を過ごしていました。アーケード商店街という町中に住んでいても、この小さい庭が家の内部にあり、向かいの鎮守には大きな楠木が茂り、秋には葉っぱでたき火をして、木にまたがった。そういう風に四季を感じる事が、お金がないということを私の中で決定的な問題にしなかったのではないかと思えてなりません。

家の中の全ての場所から見える庭。今の建築の主流がどうであろうと、部屋が狭くなろうと、そういう自分の家族の暮らし方の基本だけは崩してはいけないだろうと、その時気付きました。
夕焼け空の下、今は廃墟になってしまった鎮守の崩れ落ちた狛犬の横でアーケード街を見下ろしながら、やっぱり家の真ん中に壷庭をつくることに決めました。
そして、その後、それを基準にして、すべてを決めました。居間などの住居部分は狭くなってしまい、ちゃんとした客間も無いような家ですが、商店ですから、人がくれば店で話をしてますし、両親はこの家に満足しているようです。

長くなりついでにもうちょっと話すと、この家は、もともと真ん中の壷庭をはさんでお店のある表が2階建て、母屋のある裏が3階建てでした。木造の3階建てです。しかし、家業が傾いて来たために、私が生まれる前に裏の3階は他人の手に渡ってしまい、広かっただろう庭には仕切りの塀が作られていました。
今回老朽化を理由に、この他人の手に渡った3階も取り壊し駐車場になりました。
父が小さい頃には、まだこの木造3階はうちのもので、曾祖母らが3階の座敷で映っている写真もあるのですが、この3階というのが、サンルームのようにガラス戸が入っていて、私は一度そこに行きたくてしょうがありませんでした。曾祖父の時代は、茶懐石などもそこでやってたなどという話を聞かされた日にはなおさらでした。でも、そこを買い取った人の家とは仲があまり良くなくて、私は一度もその3階には行けぬまま、家の最後を看取ったのです。
しかも、家を壊す時、持ち主からいろいろ難癖を付けられ、結局裏の3階の解体費用と駐車場にする費用は私が出しました。本当に私が最後を看取りました。
そんなこともあったからでしょうか、私の密かな野望の中には、ゆくゆくは裏の土地を買い戻して3階木造を建ててみたいというものもあったりします。

原体験としてこんな住宅体験をしているために、私はどうしても昨今のフローリングのマンションは買う気になれず、東京で築40年の賃貸ボロマンションに住んでいます(地震が来たらかなりヤバいです)。そのかわり周りの環境は最高です。春は近くで桜が舞います。
さらには、「木造4階建てマンションを建てて母子家庭向けの格安NPO不動産をやって、そこの最上階に住むんだあ」とか、「やっぱり日本の家には借景が必要なのよ」とか、贅沢かつ妄想めいたことを日々口にして、たぶん、多くの人にあきれられています。でも、できる事ならばいつか、日本の風土に合った本当に心地よい家というものを作ってみたいです。自分のためでなくてもいいし、高価なものである必要もありません。

妄想ついでに、最後にだめ押しすると、
今回住宅ローンモラトリアムを申し込んでまで、私が今の仕事を辞めて新しい道に進むのは、以上のような野望を達成するための一歩という意味も無くはないのです。

私はこれから、日本のものを海外に紹介するサイトを立ち上げたいと思っています。まだまだ、日本の工芸や建築や産業や美術についての勉強が足りないのは分かっていますが、もう、歳も歳だし、そろそろ始めないと間に合わない。もう実践と勉強同時進行です。
このサイト計画については、いずれあらためて書きたいと思います。

事業資金借りるにしても、住宅ローンモラトリアムってもらうにしても、
この事業の計画書が鍵となるのでしょうから。

モラトリアムはそんなことでなんとかなるわけでもないのかもしれませんが、
他の角度でのサバイバル法も考えつつ、野望実現に向けてがんばるぞー!なんて言ってたら空が白んで来てしまいました。私は一体何をやってんだー。とほほです。
長い事私の極私的妄言におつきあいいただきありがとうございました。

我はいかにしてツイッターで仕事を辞めしか ~その3~

2010-03-07 19:31:27 | ツイッターで仕事辞めました~その後
「いかにしてツイッターで仕事を辞めしか」を2回書いているのだが、今のツイッター上のつぶやきの方が忙しくて、ついつい続きを書くのを忘れてしまう。
ツイッター再始動して2ヶ月、もはやつぶやき数も659に及んでいる。できればリアルタイムで、現在の仕事を辞めるまで、やめてからなどをつぶやきたいので、早く現在に追いつかなきゃ。

というわけで、その2の続き

1月4日にツイッター再始動した私。
翌日、ご近所さんとつながる喜びを覚え、そして3日目は鳩山さんのつぶやきをチェックする所から始まった。でも、この時点では

「yurys 鳩山さんのツイッターフォロー始めたのですが、あまり面白くないす。普天間問題や藤井さんの辞任など、悩み多き鳩山さんの本音つぶやきが聞きたいのに。でも、首相に本音のつぶやきっても無理でしょうから、加藤紘一氏が総理はツイッターを最もやるべきでないと言ったのは、ある意味正しいですね。」

なんて書いていて、ツイッターのこと全然分かってない。
けど、TL上のいろんなつぶやきにやり取りが発生しているのをみるにつけ、またその中に、RTだの他人のアカウントなどが混じっているのを見るにつけ、自分がどんな意見を言うかより、他人とのコミュニケーションにこそツイッターの面白さはあるんだなあということが漠然と分かって来た。

そして先の「加藤紘一発言」の7分後、

「yurys 鳩山さんは自分がつぶやくというよりは、フォロワーのいろんな声を聞くためにツイッター始めたんですね。つまんないのもしょうがねえか。」とつぶやいている。

さらに5分後にはでは早速鳩山さんに声を送ります!とばかりに

「@hatoyamayukio 鳩山さーん!国家戦略室をはやく戦略局にして、ガンガン政策進めて!私も地域社会に貢献するNPOプランがあるのだけど、政府がこれじゃあ鬼に金棒どころか鬼にうまか棒くらいすぐ折れちゃいそうで、プラン実現に二の足です。ところで鳩山さんうまか棒知ってます?」

と鳩山総理に返信したのだった。もちろん鳩山さんからの反応はなし。こんなもんかと思いながらも、ちょっと寂しい感じもあった。

この日は、また、自分のブログ更新のお知らせもツイート。
しかし、まだURLをつぶやきの中に入れるという初歩的な事さえやっていない。自分のプロフィールの所にブログのURLが書いてあるからいいかと、このときは思っていたのだが、これでは、ブログ見ようと思ったら、一度私のプロフィールページに行かねばならず、ひと手間多くなってしまう。それでお客さんがぐっと減るなんて、この時はあんまり気付いてなかったのだなあ。

その後、その週は主にテレビや新聞を見ながらのつぶやきに終始。有名人のフォローとかをとっかかりに少しずつフォロワーを増やしてった。

そして、一週間の仕事を終えて迎えた土曜日の朝。
パソコンを開いて、TL上に現れたのは「しりあがり寿」先生のこのつぶやきだった。

@shillyxkotobuki全人類に告ぐ。目を覚ませ!ヤカンを火にかけ、湯を沸かせ
8:11 AM Jan 9th

冬の寒い朝のこのつぶやきは、私のこれまでのツイッター歴の中で、燦然と輝くベストつぶやきだ。

組織の中で、自分の考えと組織の考えの折り合いを付ける事に一日の力の多くを使い、しかし決して今のままでは、誰かに指示された仕事しかできない。その限られた範囲の中で、自分の思いを少しでもどう滑り込ませるか・・・。息の詰まるような毎日に、日に日に今の仕事を辞めるという気持ちは膨らんでいる。しかし、先立つものもなく、仕事人としての自信も無く、どこかに突破口は無いかともがいているような日々。年は開けたものの、一向に気分は前向きにならなかった。

番組改編の4月まであと3ヶ月。自分はどうするのだ・・・。なんとか1週間の仕事を終え、眠りについて、そして目覚めた土曜の朝に飛び込んで来たのがこのつぶやきだったのだ。

「全人類に告ぐ。目を覚ませ!ヤカンを火にかけ、湯を沸かせ」

寒い冬の朝、湯気の立ち上る湯のみからすするお茶のほっとするありがたさがよみがえる。さらには、枕草子の「冬はつとめて・・・」の情景が浮かぶ。寒さで張り詰めた空気の中をさみーさみーと思いながら、朝起き抜け最初の火を入れる。空気がほっとゆるんで、固まってた気持ちも緩む。昔は炭起こし、今はガスをパチン。

朝一番のあたたかいお茶は、気持ちを目覚めさせ、身体を温め、今日も一日がんばりますという気持ちを、大げさではなく、静かに呼び起こす。

世界の皆さんおはようございます!!

私の部屋のテーブルには常にティファールが置かれているので、つい目に入り、しりあがり先生に「ティファールじゃダメ?」と返信してしまったのだが、これはやはりダメだなと後悔。先生のつぶやきを遡ってみたら、すでに電気ポットはダメとつぶやかれておりました。

でも、この土曜の朝のつぶやきは、私を、新しい朝が始まる気分にさせてくれた。

そしてこの日、私はツイッター上で、この朝のつぶやきとは全く違う世界とも接触することになる。

その4へ続く>>>



我はいかにしてツイッターで仕事を辞めしか~その2~

2010-02-23 15:20:55 | ツイッターで仕事辞めました~その後
2月20日アップ その1から続き>>>

 《ツイッター再開への道》

正月休みは、掃除だけで過ぎていった。
今の仕事を辞めるために、具体的な計画を練らなければと思っていたが、
考えはまとまらないまま、鬱っぽい気分で、
身体もだるくなんとなく10日間が過ぎた。
仕事を辞めることは去年の夏頃から考えていたにもかかわらず、
なかなかいろんなことを実行に移せず、
袋小路に入ったような気分になっていたのかもしれない。
これまで、日々の忙しさに追われて意識に上らなかった不安が、
正月休みに入って一気に吹き出したのだろう。

そして、何の進展もないまま、
次に、ツイッターという言葉を聞いたのは、1月4日。
鳩山総理が始めたというニュースが報じられ、
谷垣さんが「私はつぶやかない」と言った記念すべき日だ。
政治家がツイッターをやることの是非が語られ、がぜん興味が湧いて来た。

そういえば、オバマ陣営も選挙でこのツイッターを活用したはずだ。
報道の現場にいて、オバマ就任式には、冬休みを投じ自費で駆けつけた私が
(もちろんチケットは取れず、遠―くで見てましたが)
ツイッターにこんなに疎くて大丈夫か、と突っ込みながら、
そして、去年の年末に聞いた、
『ツイッター面白いらしいよ』の言葉を思い出し、
ツイッターを再開してみようかと思った。

とにもかくにも、鳩山由紀夫ツイッター開始の翌日1月5日、
私の第二のツイッター人生が始まった。

メモっておいたIDとパスワードを確認し、ログイン!
使い方はまだ勉強していない。
とりあえず、昼だったので『昼休み』とつぶやく。

手元には、新書「ツイッター社会論」「ツイッター140文字が世界を変える」
とりあえず、字が少ない後者をマニュアル代わりに読み始める。

「フォロー」という事を知るが、誰がツイッターをやっていて、
どうやったらフォローできるのかわからない。


 《『フォロー』と『返信』の発見》

とりあえず、「友だちを検索」をクリックしてみる。
そして、その中の「おすすめを見る」を開いてみたが、
既に莫大なフォロワーを擁するツイッターセレブの顔ぶれにはあまり惹かれない。
そこで、ふと思いついた近所のショップの店名を友だち検索の窓に入れてみたら、
なんとツイッターをやってた!早速フォロー。
近くのラーメン屋のラーメンが好きだとつぶやいてたので、
「今度行ってみます」と返信しようとして、返信方法を探る。
カーソルを適当に動かしてたら、
つぶやきの右下に『返信』という文字が現れた。

おー、早速クリック。

つぶやき窓には、相手の@アカウントに返信しますと出てくる。

おー、簡単だあ!

で「今度行ってみます」と返信。

すると、しばらくして「海の家みたいな味で、また行きたくなる」旨の
返信が帰ってきたんですねえ。
知ってる人からとはいえ、なんだか繋がってる感を感じて、
ちょっとほっこり。

一人暮らしというのはご近所づきあいが希薄で、
私のようにテレビの仕事なんてしてて帰りの時間が遅いと、
地域社会を感じる事はほとんどない。
このところ、近所に若い人が始めた小さなお店が増えてきて、
そういう店に顔を出して、ちょっとだけお話しなどするようにしているが、
まだまだご近所さんの域には達しない。
せっかく、谷中根津千駄木いわゆる谷根千に近い地域に住んでいるのに
もったいないよねえ・・・なんて、小さな幸せを感じつつ、
ツイッター再開翌日にして小さな喜びを感じることができたのであった。

しかし、私はまだまだ、このツイッターとは何かを理解してはいなかった。

その3へ続く>>>


我はいかにしてツイッターで仕事を辞めしか ~その1~

2010-02-20 19:58:26 | ツイッターで仕事辞めました~その後
深夜帰宅して、このブログを開いて驚いた。
なんと、19日の訪問者数が1580IP 閲覧数が2629PV!!!
アクセスランキングは、136万ブログ中なんと160位!!!
これまで多い日で訪問者は100IP行けば良い方
アクセスランキングなんて、いつもランク外だったのがこれである。
理由は当然ツイッターだ。

昨日のブログを読んでいただければ分かるが、
昨日、私は、ツイッター上で、
浅草キッドの水道橋博士宛に、このブログのアドレスを添付して
あるつぶやきを返信した。

  @shakase ちなみにブログにこんなの書いてます。
 『ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?』
  http://mjk.ac/q3J2vm 
  仕事辞める時、後先考えずバカかと言われました。
  誰か、私にバカじゃないと言ってー。
   約1時間前 webで

これを博士がRT=リツイートしてくれてフォローが激増。
150ほど増えたから、ブログのアクセス数も増えるだろうとは思っていたが、
ここまでとは思わなかった。すごい、ツイッター!

先日の記事「私ツイッターで仕事辞めました」には、
実のところ、なぜツイッターで仕事を辞めようと思うに至ったかは
書かれていない。
現在のテレビ業界の居づらさや、将来への不安を、
辞める理由として挙げているだけだ。

そこで、今回は、ツイッターを本格再開した年初から今まで1ヶ月半の
私のツイッター体験中心にを紹介したいと思う。
ツイッターの告知からこのブログにやってこられた方は
もう、分かりきった事も書くかもしれないが、
まだ、ツイッターをやっていない方も読者にはおられると思うので、
ご容赦ください。ただ、いちいち丁寧に語句説明などはしてないので
分からない方は、ググったりして調べてみてね。
というわけで、私のツイッター体験→→→

私がツイッターに登録したのは、実は去年の6月だ。
イランの大統領選挙が行われ、デモの状況を国民が
「ツイッター」というメディアで国外に情報を発していると知って、
早速登録した。そして検索窓に、
適当に iran electionなどのキーワードを入れてつぶやきを検索した。

自らのつぶやきは、最初にひとつぶやき。
「いまなにしてる?」に答えて
「I am working in our office」とかなんとかつぶやいたきり。
それから半年、まったく私はツイッターのことを忘れていた。
最初の時の印象は、いろんなひとのランダムなつぶやきがただ並んでいるだけ。
最初から情報検索目的で、使い方もろくすっぽ学ばず、
他人のつぶやきを読んでただけ。基本の「フォロー」さえ知らなくて、
自分のTL=タイムラインには自分の初つぶやきだけがぽつんとあった。
その時の私は、ツイッターでコミュニケーションができることさえ
把握していなかった。

ツイッターについての新書が書店に並び、
それを購入するほうが先だったか後だったか、
去年の年末、ツイッターは再び私の前に現れた。
知人と3人で忘年会と称してお好み焼きを焼いてた時のこと、
うち一人が、『○○がツイッターおもしろいって言ってたよ』とぽつりと言った。
半年前から塩漬けにしてた私は、
『うーん、そうかなあ。あんまりそうとも思えないけどなあ・・。』
そう言ったきり、ツイッター話は終わった。
ただ、○○が言ってたという事にはちょっと引っかかっていた。
○○さんとはMac信者で、IT関係の話には20年前から詳しかったからだ。

(長くなったので、分けて掲載します。
 その②は少々お待ちください。  その②に続く)

今日もツイッターの話題ですが・・やっぱ凄いかも

2010-02-19 03:33:42 | ツイッターで仕事辞めました~その後
水道橋博士の「博士の異常な鼎談」のツイッターの回
前編(ゲスト津田大介氏)をyoutubeで見たのだが、
博士がツイッターにハマっていく過程が、自分の体験と似ていたので、
勝手にシンパシーを感じて、博士宛に以下のような返信してしまった。

その時の2つのつぶやきがこちら>>

@shakase ちなみにブログにこんなの書いてます。
『ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?』
http://mjk.ac/q3J2vm 
仕事辞める時、後先考えずバカかと言われました。
誰か、私にバカじゃないと言ってー。
約1時間前 webで

@shakase 「鼎談」見ました。私も半年放置後twitter再開。
『「新世紀メディア論」ありがとうございます』と
小林弘人さんにつぶやいたら、即『こちらこそ!』と返信!
記者クラブ問題つぶやいたらフォロワー増、
勇気出て今の仕事辞める決心してしまった報道系のテレビ屋です。
twi心中

この2つをつぶやいて、10分か15分経った頃からだろうか
突然、フォロワーが増え始めた。
もしやこれは博士がRT(リツイート)してくれたのかと思い
確認したら、まさにそうだった。

RT=リツイートをご存じない方のために説明すると。

私が送った上記のつぶやきを、博士が引用して、
自分のつぶやきとして発信してくれたという事だ。
博士のつぶやきをフォローしている人、もしくは
博士のつぶやきを見に訪れた人のところには、
この引用された私のつぶやきが届くというわけ。

それで、興味を持った方が、このブログの
『私ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?』
のページを訪れてくださったようで、
私のツイッターアカウントの方に、ブログを読んでの励ましの言葉が
たくさん届き始めたのだ。
つぶやいてから2時間でなんと60人近くがフォロー!
同業者(テレビ関係)の方も何人もいて、
同じようなことを考えてる人いるんだなあと、なんだか心強くなった。

仕事を辞めると決めて、残り少ない現在の職場での日々を過ごす現在
ちょっと将来について不安になったり、
テレビに対する未練を感じたりすることもある今日この頃。
またまたツイッターに救われてるなあと思った次第。
本当はツイッターを使って、私の言葉に反応して下さったみなさんに
救われたというのが正しいのだが、
それにしても、こんな仕組みを作ったツイッター創業者、すごい!
匿名だからいくらでも言葉をかけられるんだと
おっしゃる向きもありましょうが、
それでも、心強いことに変わりはない。
あとは、調子に乗らないで冷静になるだけだ。

このツイッターのいいところは、
ツイッターにハマる事で、
バーチャル空間に現実逃避してしまうというのではなく、
この空間で共感を得たり、意見を交わしたりする事で、
現実世界でも挑戦する勇気が湧いたり、やる気が出たりする事だ。
また、実際にツイッターからつながって、現実に知り合いとなり、
共にプロジェクトを立ち上げたりということもあるらしい。

自分のことを、別な角度で振り返れば、
現実の厳しさがまるで見えなくなっているという見方もできる。
今の仕事を辞めて、新しい事始めてみたら、
現実世界はさすがに甘くなくて
食い詰めてしまうということだって十分ある。
しかし、仮にそうなったとしてもだ、
現在、私のタイムライン上で繰り広げられるつぶやきの多くに
世の中を少しでも良くしたいという思いが感じられる
という点だけでも、このツイッターに背中を押されて、
新しい一歩を踏み出す価値があると思えるのだ。

なんだか、夜中に書いてるせいか、
ちょっと酔った文章になってるかもしれません。
何割か割り引いて読んで下さい。



ツイッターは下克上のツールか?

2010-02-16 02:32:14 | ツイッターで仕事辞めました~その後
今日、ルーマニアはブカレストの方からフォローされた。
これまでにも外国人からのフォローはあったが、
ネットワークビジネスっぽいものだったりして、
適当にほかしていた。
それが、今回はなんと日本のことを
世界に発信するブログをやってる人で、
かなりな日本通。
実は、私もウェブで日本を世界に発信したいと
思とったところで、
そんな時なぜこの方が私をフォローしてくれたのかと、
勝手に運命を感じたりした。

それにしても、彼女はどうやって私のつぶやきに遭遇し、
フォローしようと思ったのだろう。
彼女のブログは英語で書かれている。
私はこれまでほぼ日本語でつぶやいてる。

世界で2500万人とか3000万人とか
やってると言われる中、こうして出会うなんてねえ。
ツイッターすげえわ。

ツイッターをマーケティングツールと考えている人は
他にもいろんなフォロワーの付け方発見してんだろうなあ。
たしか、周辺地域でつぶやいてる人をチェックするのもあったし。

とはいえ、ツイッターをやってて強く感じるのは、
まずマーケティングありきでは、
この世界では生き残れないということだ。
主張や考えがまずあって、
もしくは絶対的なおもしろさという
核があってこそのツイッターなのだ。

そして、つぶやいてる人の顔が見えてこなければならない。
もちろん、ハンドルネームでやっている人は多いが、
自分の素性を必要以上に隠した発言しかしないものには
あまりフォローが集まらないし、
自分の意見が明確でないモノはスルーされる。
ツイッター上では、中立性というのは必ずしも重視されない
(もちろん物の見方の公正さというのは必要だが)。

そして、この個性が前提となる点が、
匿名組織であるマスメディアと違うところだ。
マスメディアのつぶやきはニュースフィードでない場合
かなり思い切った発言をしない限り、
共感を得づらいと思われる。
TBSラジオのKiraKiraやLifeは
組織なんかぶっとばせの勢いで
ぶっちゃけてるからツイッター上で評価を得ている。

ツイッター上ではマスメディアと個人の力関係が
逆転している。
マスメディアでも今、
ツイッターの活用法をいろいろ模索しているようだ。
しかし、今のまま、誰が物事を決めているのか全く分からない
個人の意見が見えてこないシステムのままでは、
マスメディアがツイッター上で勝利することは望めない。
もちろん、ツイッター上でなど勝利しなくてもいいのかもしれないし、
ツイッターなど、まだまだ一部の人々の関心事なのかもしれない。

ただ、ツイッターを日々やっていて感じるのは、
個人の言葉を武器にした人々が、今ツイッターというツールを得て
マスメディアに勝負を挑んでいるということだ。
日々のツイッター上でのつぶやきの連鎖は、
あたかも薩長同盟前夜の密談のようにさえ感じられる。
ただ、そうした改革の空気にあおられて、
言説が暴走していると感じられることもあるし
それが、変な方向に行かなければいいが
という危惧を感じることもある。

ツイッターに看過されて、
仕事まで辞める決意をした私が言うことではないかもしれないが、
やはりいつでもどこでも冷静さは必要とされるということも
ツイッターのタイムラインを見ていると感じるのだ。
もちろん、それは熱い思いがあった上での冷静さであるが。

ツイッターは下克上のメディアか?

坂本龍馬ブームの昨今。
あのときの失敗、あのときの真実を
今一度しっかりと見つめ直し
今の新たな時代の到来を冷静に見つめたいと思う
今日この頃なのだ。

この文章、具体例が書かれてなくて、
何のことを言ってるか分からなかった方、
是非とも、一度ツイッターでどういう議論が行われているか
見てみてください。




私ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?

2010-02-13 02:00:21 | ツイッターで仕事辞めました~その後
鳩山総理がツイッターを始めたあたりから、
急激に世の中のツイッターブームに火がつきだした。
もちろんもっと前から流行る所では流行っていたのだが、
おじさん週刊誌もツイッター攻略法を載せるまでに流行り始めたという事だ。
私の職場である、テレビの世界でも、ツイッターツイッター言い始めた。
テレビは世の中で最もネットを無視している世界と言ってもいいが、
それが、ツイッターに注目し始めたのだ。

何を隠そう、このツイッターブームに影響されているのは
まさに私自身である。
そして、タイトルにも書いたが、ツイッターによって妄想を抱き
大変な決断をしてしまったのも私である。

私は、ツイッターでのコミュニケーションの面白さに背中を押され、
なんと、今のテレビの仕事を辞める決心をしてしまった。
ツイッターの面白さと仕事を辞める事がどう関係すんの?と
疑問にお思いだろうが、自分の中でそういうことになっているのでそうなんだと思う。
あえて、かなりおおざっぱに言えば、ウェブの可能性に賭けてみたいと
安易にも思ってしまったわけだ。

今の閉塞感いっぱいのテレビの現場で、自分の立場の弱さと
意見を言えば言うほど、居づらくなる空気を感じながら
社外スタッフである自分がここで働く事の限界を感じていた。
時まさに大不況、これからはメディア受難の時代である。
ずっと、いつ辞めよういつ辞めようと考えてはいたのだが、
新しい食い扶持も明確でなく、なかなか踏ん切れないでいた。
それが、このツイッターでのやり取りを通して、
どうしたことか、辞める!と思えたわけだ。
毎月の決まった収入もなくなるし、
私は、自分の賃貸住宅の家賃の他に、毎月実家の住宅ローンも払っている。
それでこの不況の折に今の仕事をを辞めるなど、
そんな常識はずれなこと、本当に大バカものである。
実際に今の番組のプロデューサーからは、「バカか」と言われた。

でもそれもすべてツイッターのせいである(笑)。
ここは、すべてツイッターが悪いんだー、ということにして
とりあえずは先般法律が通過した、「住宅ローンモラトリアム」を
銀行に申し込みにいかねばなるまい。収入なくなるんだからさ、当面は。
せっかく報道局で働いていたのだ、自分たちがニュースで報じた政策を
実際に、身をもって利用させていただこう。

もちろん、「あんたは派遣切りとかじゃないんだから」とか言われるかもしれないが、
今自分から辞めなかったら、テレビ局がもっと業績が傾いた時、
突然、辞めてと言われる可能性だってなくはないのだ。
私なんてアラフォーだから、ギャラも結構高い方みたいだし、
それに、国際情勢とか一生懸命専門家の話聞いたりして勉強しても
結局、支局と違う見方を提示したら、ぜんぜん採用されなくて、
かえって、そのへんで意見を言うとめんどくさがられるくらいなもんで、
今、雇用が確保されてるからって、いつどうなるかは分からない。
だから、状況がもっと悪くならないうちに先手を打つまでの事。
テレビ業界が縮小する事くらい、政府も分かってるでしょうに。
で、新しく起業するために一時的に家計が苦しくなるから、
1年間くらい住宅ローン猶予して下さいって言う話で、
それを断る理由は政府にも銀行にもないだろうと思う。
社員じゃないんだからというところを強調したい。保証されてないんだよオレは!
今、辞めないで、テレビ業界全体の状況がもっと悪くなってからあわてて
住宅ローン猶予してくださいなんて話になったら、その時の猶予はもっと
長引く可能性だってあるんだから。ね!そうでしょ亀井さん!そして銀行の皆さん。

と、勢いでここまで書いて来たが、
そんな事言ってたら、先週の大河ドラマ「龍馬伝」の、
吉田松陰が、無謀にも黒船に乗り込もうと企てて、
結局失敗して捕まってしまうシーンを思い出しちゃったじゃないか。
冷静な方の自分が、バカの方の自分に
「おまえ何一人でテンション高くなってんだよ、どうかしてんじゃね?」と
今、ささやいている。

ああ、私もこんな無謀な企てをして、生きて帰って来れるのか?
無謀な企てっつっても、ここまでの文章の中で、その企てについては
まったくといっていいほど触れていない。
お前はどんな壮大な事を企てて、そんなに熱くなっておるのだと突っ込みを入れられそうだ。
はい、まだその企てについては、言えませぬお代官様許して下せえ。
黒船にのるくらい壮大なことだということだけ吐きますぜ。

こんな深夜に、おかしい頭で分け分かんない事を吹かしてすいません。

とにかく、私、ツイッターで仕事辞めました。

とにかく、新しい仕事を立ち上げなくてはなりません。
住宅ローンモラトリアム申請については、先々身を以てリポートできればと思います。
また、事業計画を書いて、国の融資にも挑戦しようと思います。
旧・国民金融公庫、現・政策金融公庫の創業融資を受けられるのか、
もうこうなりゃ自分自身がネタです。
この大不況の時代、裸一貫でどこまでやれるか、ツイッターとブログでつぶやきます。
乞うご期待。とりあえず、明日は勉強会です。

あーあ、ツイッターはやはり罪作りなツールか?
私の頭がおかしいのか。後者の様な気もするが、
もう決めたんですから、そんな事言ってる暇はない。
こうして、皆さんに訴えることを心の支えに、
少しの人でも幸せな気分にできる仕事を始められたらと思います。

そーだ、貯蓄も少ないので、起業までの間にライター仕事とかありましたら是非!
報道情報系放送作家もやれます。
乳がん体験も語れます。切らずに6年です。体験談書こうと思てます。
って、そんな都合のいい仕事なんてあるわきゃないとわかってはいますが
一応お願いいたしますという事で

ツイッター心中!!