橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

占いブームだね

2017-10-17 02:02:13 | こじらせ人生

世の中が不安定な時は占いが流行るわけだが、ここ数年で多くの女性誌を席巻し、手帳を売りまくる石井ゆかりブームに続いて、vogue girlのしいたけ占いが赤丸急上昇中。指原やこじるりが名前を出したことでTwitterフォロワー20万人!こちらはテレビラジオなどのメディア露出が急に増えた。

不思議なもので、周囲の人がまだあまり知らないうちは、自分だけが読んでると思うからか、「自分のことを言われてる」感が強いが、どんどん人気が出ると、そうでもなくなる。

無料占いは結構いろいろ読んでいる。15年前〜はジョナサンケイナー、8年前〜は石井ゆかり、そして今年の夏前まではしいたけ占いにはまっていたが、このところ露出が増えだしてからは、しいたけと並行して読んでいるfatale.comの青石ひかりのほうに共感し始めている。と、そんなこと思いながら、今朝ふと、sugerの占いのサイトを開いたら、「なんじゃこりゃあ」のど真ん中撃ち抜かれることが書いてあった。

かに座「正気で狂気の沙汰をする」

https://isuta.jp/category/iphone/horoscope-cancer


結局、自分が考えてることに近いことを言ってくれてる占い師がいいってだけのことです。

とはいえ、星の動きは一様なのであるから、誰が占っても、大体の大きな流れは同じなわけで、要は言葉の選び方。最終的に一番希望を感じられる文章に惹かれているだけなのであります。そして、希望を感じるポイントというのは人それぞれだから、当たってると思う占いも違ってくるのでしょう。

文体の醸す雰囲気だけでいえば、鏡リュウジの文章は占い界のオーソドックス、スタンダード。コーヒーでいえば、昔ながらのサイフォンで淹れたほろ苦いコーヒーで、石井ゆかりは21世紀に入って日本に上陸したたシアトル系カフェ、いや古民家カフェかもしれない、青石ひかりやしいたけはブルーボトルなどの生なサードウエーブ系って感じなのかな、なんて思います。

去年亡くなった英国の大御所・故ジョナサン・ケイナーの哲学的なのか何だかよくわからない、煙に巻くような文体を初めて読んだ時は画期的と思ったわけで、今日本で流行る占星術の文体も、ジョナサンがいたからこそなのかも。ジョナサンの後を継いだオスカー・ケイナーも当初は、ただ意味がわからないだけで、煙に巻くなど程遠く、偉大な叔父を継ぐのは無理かと思われたものの、スタッフの尽力もあったのか、最近では安定を見せてきている気がします。

そうそう、そういえば、ここ2年くらい、青山五行のサイトも見ていますね。基本的な天体の動きを書いてくれているから、各占星術師の方の見立てがどこらへんからくるのかを判断する材料にもなります。

最近はどの占星術の方も、星の動きを書き添えてから見立てを書かれる方が増えましたが、日本では石井ゆかりさんあたりから「水星の逆行」とかいう言葉が頻繁に占いの文章の中に登場するようになった気がします。もちろん、青山五行さん、鏡リュウジさんら20世紀から活躍されてる方は既に使われてたと思うのですが、一般に広まり出したのは21世紀になってから、石井ゆかりさん登場あたりからかなあ・・。でも、ジョナサン・ケイナーやスーザン・ミラーなど海外の大物占星術師はずっと以前からがそういう占いの根拠となる星の動きを書き込んでいたし、やっぱ12星座占いは海外からの輸入物。あちらの方が先行ってるというか、本格的で、日本も徐々にそれに近づいてきたってことなんでしょうか。それとも、また独自の発展の仕方をしちゃってるのでしょうか?

それにしても、私は何でこんなにいろんな占いを読んでいるのか・・・。それは人生に迷いが多いからだと思います。いっそのこと、占い評論家にでもなろうかしらねえ。

占星術はもう少し勉強してみたい気がするな。

サビアンとか。

ちなみに私はゴンドラに乗ってセレナーデを奏でているらしい。


津波の映像

2017-03-12 09:09:18 | こじらせ人生

津波の映像、見せないほうがいいという意見もあるけど、被災者の方には申し訳ないけれど、この映像は被災地以外の人が見るために流してもいいと思う。

見ないと人は忘れてしまう。

他人事ではない。これは日本全体の問題であって被災地だけの問題ではないということをひしひしと感じるべきだ。

自然の猛威の前には人間の作ったものなどひとたまりもないということを謙虚に受け止めるべきだ。私たちが盲信する科学など自然の前には赤子のようなものなのだ。

6年目の3月11日を過ぎて、そうした謙虚さはさらに影をひそめ、人間は傲慢になろうとしている。

津波の映像を見て、反省するべきだ。


日曜日、朝早くテレビをつけたら

2017-03-12 06:33:30 | こじらせ人生

朝早く起きてテレビをつけたら、「日本テレビ放送なんとか審議会」の模様を放送していて、「一周回って知らない話」について、審議委員が意見を開陳していた。

途中からであったが、漫画家の槇村さとる、脚本家の岡田恵和、増田明美、高橋源一郎、檀ふみ、あと知らないおじさん。

「一周回って〜」は見たことないけど、局の審議会ってこういう人呼ぶんだあって興味深かった。他局はどういう人に意見聞いてるんだろう。

フジテレビでは「皇室ご一家」放送中。日曜の早朝のテレビは70年代の空気感が今も漂う。

オザケンが歌う、並行世界みたい。


鈴木清順監督の思い出

2017-02-23 01:42:57 | こじらせ人生
鈴木清順監督が亡くなった。
私が初めてディレクターをやらせてもらった30分の旅番組で旅人として出演していただいたのが鈴木清順監督だった。
監督の冥福を祈るとともに、監督に懺悔したいと思います。
(以下、長いのでご注意を)

旅先は鹿児島と私が担当になる以前から決まっていた。梅崎春生の小説の舞台となった「桜島」に行きたいという清順さんの意向以外は特に決め事もなく、旅の内容は私に委ねられた。20代半ば、初めてのディレクター。今考えると、本当に何もわかっていなかった。ただのアホだった。小説「桜島」も斜め読み。その内容を掘り下げて、旅を構成していく力量など当時の私にはなく、ただ、桜島の名所と、小説の中に登場した鹿児島の地名を追って、坊津や枕崎を訪れた。

よくある旅番組のごとくに、70歳の清順監督を、桜島の寒風の中、海を望む露天風呂に入らせたり、開聞岳を望む砂風呂に埋めたあげく、鹿児島の果て、鑑真和上がたどり着いたという坊津では、ただ「果て」というイメージに惹かれ、あてもなく歩きましょうと、「鶴瓶の家族に乾杯」のごとく、ノープランで田舎町を歩かせた。怖いもの知らずとはこのことだ。結果、その日の夜に清順さんとカメラマンから、ちゃんと撮りたいものを決めとかないとだめだろうと怒られた。本当にアホだったと思う。

あれから23年、学徒出陣で応召し、22歳で終戦を迎えた清順さんが小説「桜島」に抱いた思いとはどんなものだったのか、あらためて「桜島」を読んでみた。

読んだ。言葉が痛かった。

沖縄が玉砕したあと、水上特攻基地といわれた最前線の桜島で本土決戦を待つ人々。ほぼ死を宣告されたようなものの、ただ「勝つ」ことしか許されず、死ぬことも負けることも許されない人々の極限。そこで生き延びる人たちは時に人間であることを失う。

『(引用・ある兵隊の言葉)志願兵でやって来る。油粕をしめ上げるようにしぼり上げられて、大事なものをなくしてしまう。下士官になる。その傾向に、ますます磨きをかける。そして善行章を三本も四本もつけて、やっと兵曹長です。やっとこれで生活が出来る。女房を貰う。あとは特務少尉、中尉、と、役が上って行くのを楽しみに、恩給の計算したり、退役後は佐世保の山の手に小さな家を建てて暮そうなどと空想してみたり。人間の、一番大切なものを失うことによって、そんな生活を確保するわけですね。思えば、こんな苛烈な人生ってありますか。人間を失って、生活を得る。そうまでしなくては、生きて行けないのですか。』

そして、いよいよ本土決戦の空気が濃厚になると・・・

『(引用・主人公の言葉)私とは、何だろう。生れて三十年間、言わば私は、私というものを知ろうとして生きて来た。ある時は、自分を凡俗より高いものに自惚うぬぼれて見たり、ある時は取るに足らぬものと卑いやしめてみたり、その間に起伏する悲喜を生活として来た。もはや眼前に迫る死のぎりぎりの瞬間で、見栄も強がりも捨てた私が、どのような態度を取るか。私という個体の滅亡をたくらんで、鋼鉄の銃剣が私の身体に擬せられた瞬間、私は逃げるだろうか。這い伏して助命を乞うだろうか。あるいは一身の矜持を賭けて、戦うだろうか。それは、その瞬間にのみ、判ることであった。』

戦後72年。
これらの本土決戦を前にした人々の言葉は、今、私たちの心の中に浮かんでは消える言葉とどこか似ている。もちろん、志願兵などない、銃剣が体に擬せられることもないけれど、今、この日本の空の下で苛烈な人生と引き換えに生活を得、「私とは何だろう」と多くの人が自問している。

23年前、この小説をさらりと斜め読みしてしまったのは、私がアホすぎたのもあるが、1990年代半ばという時代はまだまだ「戦後」であり、この小説は私にとって「過去の話」だったからだと思う。当時の私は根拠のない明るい未来ばかりを妄想し、未来は過去とつながっていることに気づきもしなかった。そして、未来につながる現在がどんなものを孕み、時代はどんな方向に向かっているのか、兆しを感じることさえできずにいた。この「桜島」に描かれたような人間の本質が時代をどう変えるかなどに思いをいたす滴ほどの知恵もなかった。気づけば「戦後」は「戦前」になり始めている。

鈴木清順監督。
そんなことに今頃気づいたこのアホを許してください。

そんな監督との旅の最後は鹿児島の果ての坊津だった。
ノープランで散策しましょうと言われた清順監督は、小さな路地の奥に、縁側のある一軒の家を見つけ入っていった。私はカメラマンと少し離れたところからその姿を見守った。

縁側にはモンチッチのような小さなおばあちゃんが、一人ちょこんと座っていた。

「おばあちゃん家族はいないの?」
「息子らは大阪に行っとる」
「おじいさんは?」
「もう死んだ」
「そう、じゃあ今一人なんだ?」
「いや」
「え?死んだんじゃないの?」
「まんまんさんがおる」
「まんまんさん?」
「仏さんや」
「…あっ…そう…」
「・・・・」

そこで、ホーホケキョとホトトギスが鳴いた・・・ような気がするのは私の記憶の捏造だろう。黒い屋根瓦の上には白い花がちらほらと残る梅の枝が枝垂れている。空は花曇り。まだ少し肌寒い。縁側の、時間が止まったような空間にちいさなおばあちゃんと清順さん…。なんだかジーンとしたのはおばあちゃんの相手役が清順さんだったからに違いない。他の人と同じ会話をしたとして、幻のホトトギスの声は聞こえただろうか?

実はこのシーン、観光名所を巡る他のシーンとあまりにも落差がありすぎて、力量のなかった私はこれをうまく番組の中で活かすことができず、放送にのせることができなかった。けれど、これまでに私が関わった番組の中でいちばん思い出に残る場面を挙げよといわれると、今もこの場面を真っ先に思い出す。

人は誰でも「まんまんさん」になる。
このおばあちゃんのだんなさんも、戦争で特攻隊として海に散った若者も、清順さんも、そしていずれ私も。しかし、その人がどういう気持ちでまんまんさんになったかは誰にもわからない。

小説「桜島」の中で唯一死んだ見張り兵は、死と背中合わせの日々の中で「私は近頃、滅亡の美しさというものを感じますよ」と語っていた。しかし、その死後、主人公(梅崎春生)はこう語る。

「(見張り兵が)滅亡の美しさを説いたのも、此処で死ななければならぬことを自分に納得させる方途ではなかったのか。不吉な予感に脅おびえながら、自分の心に何度も滅亡の美を言い聞かせていたに相違ない。自分の死の予感を支える理由を、彼は苦労して案出し、それを信じようと骨折ったにちがいなかったのだ。」

鈴木清順”浪漫三部作”の美しさは、耽美と退廃の匂いをさせてはいるが、そこにあるのは滅亡の美だけではないと思う。”自分を納得させる方途”とか、”言い聞かせる”などといった消極的な美しさではなく、破滅に向かわずにはいられないほどの生命力のほとばしりが、その心臓を破裂させた鮮烈さ…のようなものがある。滅亡ではなく、生き切ったと言うべきだろうか(とか語ってますが、実はこれらの映画でさえも、かつて真剣に見ていなかった私は、ちゃんと語れるほどには憶えていないのです。しかし、多分そうなんじゃないかと思うのです)。

戦争というものは人々に「滅亡の美しさ」という悲しい幻を見せる。逆に言えば、その「滅亡の美しさ」が見え始める時、戦争は少しずつ私たちの足下に近づいて来ているのかもしれない。
そんな「滅亡の美しさ」と「生ききった末の滅びの美しさ」の違いを私は見分けることができるだろうか。

「戦後」が「戦前」に変わらないように、まずは自らの人生を「生き切る」努力をせねばならないと思う。

これが93歳まで生き切った清順さんの訃報に際して、考えたことである。

清順さん、あんな旅をさせてしまい本当にごめんなさい。
「まんまんさん」の世界も楽しんでください。


今期の各局ドラマの辛い台詞に打ちのめされておる今日この頃

2017-02-18 00:23:41 | こじらせ人生

今期の各局のドラマは今の自分に追い討ちをかけるような台詞が多くてちょっとブルーになる。

前期は『逃げ恥』にしろ、『校閲ガール』にしろ、夢物語みたいなドラマが多かったので、終始ご機嫌だったのだが、今期は

『タラレバ娘』のタラとレバに「30過ぎて、男も仕事もお金も何もないなんて今まで何やってたの?」と責められて「私はアラフィフだよ…」とうなだれ、

『カルテット』では「志のある三流は四流ということ」と言われて、「私は四流か…」と固まり、

『就活家族』では清掃のバイトをやりながら個人コンサルを立ち上げた三浦友和の姿に世間知らずな自らの姿を重ねて、今後の自分の行く末を憂えてしまう。

『クズの本懐』とかタイトル見ただけで怖すぎて、ドラマ見られない(ブルブルガクガク)。

『大貧乏』は共感できるのかと思ったが、貧乏がテーマではないし、

『嘘の戦争』はつよぽんの頬の陰影がキツくなればなるほど見てるこっちが辛くなる。

アドラーはもういいや。

なんか、前期のバラ色から今期は鈍色、どどめ色へ。どうしてこうも夢破れるシーン、希望が潰える瞬間を畳み掛けるのか…。そんなに現実の厳しさとやらを突きつけたいのでしょうか?

「夢破れて山河あり」と胸を張る余裕も無いのは、今の日本自体が夢破れてさらに山河なしって状態だからなのか…。

もう常識を超えるしかないのであります。

 


火鉢クラブ的 東京之夜

2016-05-23 01:38:59 | こじらせ人生

このボロマンションで暮らせるのもあと10日を切った。

6月に入ればじき取り壊されてしまう(アスベスト使用の問題ですんなり取り壊しが始まるかは微妙になっているが)。ここから見える景色ももう見納め。私にとって何よりの宝だった。スカイツリーの横に上がる小さな隅田川花火。寝転んでオリオン座流星群も見た。明け方国際宇宙ステーションも見えた。そして今夜は今日4周年を迎えたスカイツリーの横に満月を眺める。

震災以降はひび割れ、あぶなっかしくて人も呼べないボロ家だったが、それがかえって秘密基地のようでもあった。ここ一年は他の住人も順に出て行き、最後は私だけが残っていた。

いい歳して、秘密基地とか、子供みたいなことばかり言ってるから、私の人生どこまでいっても安定しないんだろう。私が男だったら、もう少しは”痛く”ないんだろうけど、こういうのが好きなんだからしょうがない。結局、次の引越し先も生活の利便や安心よりも景色を優先してしまった・・・。

上野のお山のボロマンション。12年間ありがとう。
(ちなみに写真に写ってるのは友人です)


大どんでん返しか!?不動産業界の裏を勘ぐる 引っ越し顛末記2

2016-05-10 03:30:35 | こじらせ人生
引っ越しの顛末続報。
なんと、せっかくボロマンションに決めようと腹をくくったのに、今日思いもかけない事が起こった。

土曜日午後に大元の管理会社(元付けというらしいが)に確認して、空いてますよと言ってた浅草の賃貸物件。この元付けの管理会社、この日はたまたま電話が通じたものの、営業日ではなかったようなので、月曜日朝にあらためて仲介会社から連絡してもらったら、なかなか連絡が取れなかったらしく、夕方やっと連絡が取れたと思ったら、なんとなんと、土曜日に空いていた部屋に今朝申し込みが入ったという。あんなボロいマンションにそんなことがあるのか?と思って、それは私たちの申し込みと勘違いしてるんじゃないのか?と聞いたら、仲介会社はそうではないようだと言う。私は5階の部屋を希望していたのだが、それは今朝埋まって、3階の部屋は空いているとの事。ほんとかよ!?

本当に偶然で運が悪かったのか、仲介会社がまじめにやってなかったのかは分からない。3階は空いてるというが、3階は大抵窓の前に高圧線があり、私はこれまで高圧線が窓の前にある部屋は断って来た。もし、ここも目の前にあったら、私はそれを断ると思う。しかしそうなると、今入れそうな部屋というのはその仲介会社がずっと最初から勧めて来ていた、エレベーター無しの4階で、もう何ヶ月も空室になっている部屋だけになる。

昨日ブログに書いた、もうひとつの候補だった設備の整ったマンションというのも、ボロマンションに申し込むということにしたため、申し込みをとりやめてしまっているし、現時点での選択肢はその仲介会社一押し物件しかないのだ。新しく部屋を探すには、現部屋退去を約束した5月末までには日数も厳しいし・・・。

これは本当に偶然なのか、はめられたのか・・・。
もちろん、それは明日以降、元付けの管理会社に問い合わせればわかることだし、問い合わせれば分かるのに嘘はつくまいとも思うが、なんだか解せない。

というのも、最後の最後に残った物件というのが、よくよくこれまでの仲介業者の発言を思い返してみると、かなり業者に都合の良い物件のようなのだ。

業者によれば、この物件は「大家さんと直接交渉できる物件」とのこと。つまり、元付け管理会社のように仲介手数料を100%受け取れる物件という事になる。さらに、なかなか決まらない部屋の場合、大家さんが広告宣伝費として家賃の1ヶ月分ほどを払ってくれる場合があるらしく(これをADというらしい)、この物件はその可能性が高い。というのも、ネット検索してみるとわかるが、この物件の元付け業者は他にもいるようで、そうした業者のサイトには、この物件は仲介手数料50%オフもしくは無料と書かれているし、今回の仲介業者もこの物件は手数料サービスできますと言っていたからだ。なぜ仲介手数料を無料にできるのか?それは、前述したように、大家からの広告宣伝費が別に出ているからなのだ。つまり、客には手数料を少しサービスするといいながら、ぜんぜん損してない。むしろ、契約が決まれば1ヶ月分+αの収益があがる仲介業者にとっては優良物件なのだ。しかし、客にとっては、大家が宣伝費を払う程の「決まらない物件」であり、人気のない物件に入った事になる。

現在、私の目の前に最後の選択肢として残されたエレベーター無しの物件は、エレベーターが無い4階ということと、ベランダが北向きで屋上が使えないということを除いては、部屋の設備は古めなものの、そんなに嫌な感じの部屋ではない。シンプルで、間取りの感じは良い。かつて、一瞬はここでもまあいいかとも思った部屋だ。しかし、当初から、なにか仲介業者がここに入れたがっているという思惑を感じ、それに易々と乗る事を良しとしない気分が働いて、ずっとスルーして来たのだった。

そして、ここに来て、さらにボロいマンションに決めると腹をくくったところで、どたんばの「申し込み一歩遅かった」との報告。そして、残ったのはそのエレベーター無しの物件。
仲介業者の画策を疑ったとしてもおかしくはない気もしません?
わたしの勘ぐり過ぎかなあ・・・。

近年の不動産業界では元付けの不動産屋の物件情報をいわゆる仲介会社が共有して、仲介のみやっている。なので、情報が又聞きになり、時には仲介会社の思惑で情報操作されることもある。すでに契約済みなのに、まだ募集をかけているかのごとくに情報が出ていて、結局、別の物件を紹介される、いわゆる釣り物件などはその代表的なものだ。

今まで、とある仲介会社の兄ちゃんが何件かの内見につき合ってくれていたので、私が直接大元の管理会社を見つけてやりとりできる物件でも、義理立てして、そこを通して契約してあげようと思い、今回の件でもそのようにしていた。しかし、土曜日、仲介会社は大元の管理会社と連絡がつかないという。しかし、もう時間も無いし、はやく空室かどうかだけでも知って、もし埋まっていたら、週末また別の部屋を探さねばと思い、私自身もそのあと管理会社に電話してみたのだ。すると、なんか休みっぽかったけど、店の人が機嫌悪そうに電話口に出て、嫌々「空いてますよ」と教えてくれた。よし、じゃあ契約だと思ったが、やはり私は、仲介会社に義理立てし、「分かりました。空きだけ知りたかったんで。空いてるってことだったら、検討して、またあらためて連絡します。」といって電話を切った。で、仲介会社に連絡し、「空いてると言ってるから、進めて下さい」と言ったら、月曜日の今日、なんと「今朝決まった」という返事なのだ。

いろんなことが考えられる。
①本当に、今朝その部屋に申し込みがあった
②元付けの会社が仲介に入られて手数料収入がとれなくなるのを
 いやがって、わざと申し込みがあったと嘘をついた。
③仲介の会社が、自分の会社に有利な物件に入れようと、
 私の希望の部屋はすでに申し込みがあったと嘘をついた。

②③は考え過ぎなのかもしれないが、
実際のところはどうなのだろう?
やはり私はこの部屋と縁がなかったのだろうか?
新月の夜に結構考えて決断したのに・・・。
それとも3階の部屋でがまんしとけということか?

さあ、もう5月も10日となった。
本当に私は5月中に引っ越せるのか?!

ほんとにこんなもん書いてる場合か!
明日は出かける用事があって引っ越し片付けもできない。
部屋は見つからない・・・。
もう投げ出したいぞ!!

ボロマンションと屋上の誘惑〜引越し顛末記1

2016-05-08 19:50:29 | こじらせ人生
結局、また築年数が自分の歳に近いおんぼろマンションに引っ越そうとしている。今度はもうちょっと人を呼べるようなところにしようと思って候補をあげていたのだが、最後の最後、どうも私には似合わない気がしてやめてしまった。こんどは閑静な住宅地でも無いので、朝の鳥の鳴き声や近所の桜並木も無い。ベランダも無い。風呂やトイレも最低限の設備。風呂にはなんと換気扇もついていない。洗面台も無い。なぜそんなところに住むのかといえば、一番の決め手となったのは、最上階で、そこから階段でつながる屋上を物干しに使っていいと言われたことだ。その屋上には藤棚みたいな鉄の物干し台と小学校の校庭の水飲み場みたいな水場もついていて、洗濯のみの利用ではあるが、夏には物干し台に釣り忍と風鈴くらいぶら下げたところで怒られはしないだろう。

同時に迷っていた部屋は地下鉄の駅から2分、今時のタイマー付きの広くて窓のあるお風呂。ウォシュレットトイレ、オーブン作り付けのシステムキッチン、部屋も明るい、しかしベランダは狭くて北西向きという物件。この部屋は、ボロマンション付属の屋上に負けた。この駅から2分の部屋も、立地と設備の良さ、窓の多さから考えたらかなり安い物件だったと思うのでちょっと惜しいのだが、ボロマンションとの差額と屋上の存在を考えて諦めることにした。

こうした普通の物件では、「屋上は共有部分だから使えるとか考えないでください」と言われ、そういう時の不動産屋の私に対する目は、面倒な人、変わった人、そんな感じなのだ。共有部分だったらみんなで使えばいいじゃないと思うけれど、なにか面倒が起こった時のことを考えると、どうしてもその前に、使わないほうがいいとなってしまうのだろう。

そういう「常識」に辟易して、私のような「非常識」な人間が東京で暮らすのならば、そういう社会のエアポケットに暮らすしかないのだろうと腹をくくった。坂口恭平に共感してるんだから、これは当然なことなのだが、やっぱがんホルダーで、体休めたほうがいいんだから、生活からストレスはとりのぞきたいという思いが、これまで私を日和らせていた。でも、何がストレスになるかは暮らしてみなければわからない。それに、普通に暮らすことにどれほどの面白さがあるのか?そんなことを考えてしまう私は、やはり変な物件に住んだほうがいいんだろうとも思った。

もはやアラフィフ、独身、仕事だって安定しない、さらにがんホルダーで、住宅ローンはまだ十年続く、などなど、いわゆる「普通の幸せ」など望むべくも無い私だ。もう「おかしな幸せ」にたどり着くしかない。「非常識」に生きずしてどう生きるのだ。極論すれば、サバイバルするとは非常識に生きることではないか。

そのボロマンションの換気扇の無い風呂はカビが生えるかもしれない。カビを生えさせないための努力が必要だ。しかし、近所には深夜1時までやっている銭湯もある。換気扇設置を大家さんに掛け合ってもいいかもしれない。部屋の広さも予定よりちょっと狭くなって、今の広い部屋から考えたら、どんな生活になるかまだ想像もつかないが、とにかく屋上にあがれば、広いシーツも大判のバスタオルも燦々と輝くおひさまの下にのびのびと干せる幸せは味わえる。私の中の幸せな風景のひとつが、青空の下、シーツをはためかせながら干す風景なのだ。夕焼けを見ながら洗濯物を取り込み、しばし暮れ行く空を眺める。

今回の引越しは、東京の都心でこれが実現できるだけでも良しとせねばならないのかもしれない。それに、多分ここ、部屋からでも隅田川の花火見えるんじゃ無いかなあ。

住処をつくる、もしくは選ぶということは、そこに自分の生き方があらわれる。自分が普段語ってる哲学みたいなものとか、私だったら「火鉢クラブ」で言ってることなんかだが、それがどこまで本気なのかが試される。そういう意味では私もぜんぜん筋金入りでは無いし、便利さに日和ってしまう時もあるが、まあ私の周りで、こんな部屋に住もうなんて人は皆無だと思うし、あまり筋通し過ぎて苦しくなっても本末転倒だ。そこらへんもゆるーく快適な暮らしとは何かを探りたい。

でも、この半月ほど部屋探しをして、私自身、本当に求めている暮らしとはどういうものなのか、いろいろ考えさせられた。無意識の部分を掘り起こしていくと、また違ったものが見えてくる。理想の家というのはあっても、この東京にあってそれをそのまま実現することなど、夢のまた夢。それに、街と切り離された家としての理想は、快適な暮らしをあらわすものとは言えない。本当に快適な生活への模索はまだまだ続きそうだ。

今、ボロアパートを見違えるように・・・みたいなベージにはまっている。

次は家賃と収入について書くかなあ・・・

 

なぜ雑な家飯は美味しいのか

2016-02-04 01:07:17 | こじらせ人生

一度一緒にお茶したことのあるコンノさんが、facebookで「適当で雑な家ご飯の幸せ」について書いていた。わかるわかる。なぜだろう。フライパンで適当に玉子をぐちゃぐちゃっと焼いて、一緒にベーコン炒めて、ネギ刻んで、トマト切って、ご飯の上に乗っけて、お醤油とか辛みそとか添えるだけ。それだけ。例えば、ひき肉オンリー炒めて玉子で巻いたオムレツとパン。野菜スープは大量な作り置きを温めるだけ。

このまえ、ナレーション原稿の追い込みで5分の時間も惜しかったとき、部屋のガスストーブの上に網を乗っけて、冷凍庫にあったキスの一夜干しを焼いてかじりながら仕事した。人参は生でスティック、キャベツをちぎって味噌で食べる。それがご飯。なんてお行儀の悪い…。でも、そういうご飯がなぜか美味しいし、幸せな気がする。お腹が減っているから食べるというシンプルな動機。時間が無くて、凝ってる暇がないから、目の前にある材料を無我の境地でなんらかの形にするだけだ。

このまえ、某有名ホテルを引退したシェフがやってる小さな洋食屋に行く機会があった。70歳になるそのシェフの経歴は日本の高度成長とともにあった。そんな彼が日本の料理について思うのは、ある時代から能書きの時代になったこと。ただフレンチが好きで作っていたけれど、ある頃から言葉の飾りが必要とされるようになったという。しゃらくせえと思った。

食べる幸せとは何だろう。それは多分言葉にできないものだ。それを言葉で語ろうとして、能書きで語るグルメの時代になって、言葉にする為に無理をして、本当に美味しいとはどういうことか、食べる幸せとはどういうことかが見えなくなってしまっている。

美味しいと言われるレストランで食べる時、オシャレと言われるカフェへ言ったとき、私たちは知らない間に批評する癖がついてしまっている。人が美味しいと言ったものが本当に美味しいのかを確認しないと済まなくなっている。済まないどころか、自分なりの点を付けようとする。そして、コストパフォーマンスなんてものを無意識に計算している。なぜそんなに批評眼を競わなくてはならないのかわからないが、なぜか「目利き」というものが、歴史的に世間でもっとも尊敬をあつめる職業なのだからしょうがない。みんなそうなりたくて、ついそういうフリをしてしまうのだ。

でも、本当は食べるものを批評なんかしても意味の無いことはみんな薄々分かっている。だから、適当に作った家飯がこんなに美味しいのだ。

いつから料理は虚栄の象徴になってしまったのだろうか。おもてなしはいいのである。きどらないはずの普段の食事までもが、能書きを必要としていることがおかしいのだ。

 

あ、コンビニの弁当って結構美味しいんだよねとかいう偽悪的なのは論外です(キリッ)なんて言ったら感じ悪いかしら(笑)。

 

みなさんどんな食事してますか?
 
 
 

夜の喫茶店でタロットを引く

2016-02-03 01:18:26 | こじらせ人生
喫茶店でお茶を飲んでいたら、このあとタロットカードの時間になりますと、一枚のチラシがテーブルに置かれた。それから2時間の間、店にタロット占いの人が来て、希望の人は占ってもらえるのだそうだ。誰がやるの?とチラシを置いてくれた店員の男の子に聞いたら、「こちらの方です。」と私の背後に座っていた女性の方を指した。「あ、そうなんだ」と反射的にこたえながら、「そうなんだ」という言い方がもしかしたら失礼に聞こえていないだろうかと気になったのもあって、それにもちろん、タロットに少し興味が合ったのもあり、観てもらうことにした。これも縁だ。とはいえ、そんなにお金もかけられないので、ワンカードを引く簡易バージョンにする。

さて、何を聞くか。タロットは現状を見るのが得意とのことで、じゃあ今の私の状態は底なのか否かと聞いてみた。普通に考えたら、私の現状なんて、誰も真似したくないような程度のものである。とはいえ、今が底ですと言われるのも面白くはない。けれど、今が最高ですなんて言われたら、かえって落ち込んでしまう。それに、タロットでは判断材料となるカードを引くのは自分である。果たして私はどんなカードを引くのか…。

しかして、36枚あるカードの中から私が引いたのは「THE WORLD」。ただし、カードが逆さになった「逆位置」であった。つまり、理想に向かって進んではいるが、その理想実現のために、今は何らかの障害がある状態とのこと。障害があるのは事実だと思うし、実際にもがいている現時点が理想でなくて、ちょっとホッとする。

占い師さん曰く、「逆位置ではあっても、36種類もあるカードからこのWORLDのカードを引いたということは、理想に向かうという意味が強く、そこに向かっている過程であるのは確か。今考えている道は間違っていないと思う。」と。

考えてみれば、これは現時点の自分が最も求めていた答えではなかったのか。精神を集中して自らが引いた一枚のカードは、偶然かも知れないが、自分の心を投影していた。結局、答えは自らの中にありということをここでも見せつけられた。

にしてもTHE WORLD。世界は我にあり(笑)

「長くなるのでまたにする。」

2016-01-24 17:20:43 | こじらせ人生
「長くなるのでまたにする。」
考えてみれば、こんなことばっかりだ。
話そうとすると、やっぱり長くなりそうで、ふにゃらむにゃら…。世の中はかくも複雑。公私さまざまな事情にまみれる。
宮沢章夫節健在。
装丁イラストの上路ナオ子さんとのコンビは村上春樹と安西水丸のコンビを思わせる。文章にもイラスト添えて欲しかったなあ。

そうだ、村上春樹&安西水丸といえば、「ランゲルハンス島の午後」というエッセイ集を再読した。

この「ランゲルハンス島の午後」の話しは、私の中では遠いところでこんな新聞記事と繋がっていたりするのだが、それはやっぱり、長くなるのでまたにするのだった。
 
 

 


野坂昭如の遺稿とたき火

2015-12-23 01:46:07 | こじらせ人生

今、出ている週刊金曜日に野坂昭如の遺稿となった「俺の舟歌」が掲載されている。話の導入は庭の桜の枯葉の話。

 

毎朝45リットルのゴミ袋2、3袋になる枯葉。かつては焚火の材料で、焚火は冬の風物詩。でも今や条例で禁止され、子供たちは童謡の「たき火」を知っているのだろうか、もちろん落葉の中で焼いた芋の味など知るわけがなかろう。大人たちの責任。というような内容。

先日、火鉢クラブのイベントにあわせて作った冊子の冒頭は「火のある暮らし、日本の暮らし」として、枕草子の炭火、徒然草の家のつくりようは夏を旨とすべし、そして童謡「たき火」を取り上げ、私なりの言葉を添えた。「たき火」にそえた言葉の趣旨はほぼ野坂さんの言葉と同じで、ちょっと涙が出そうになった。

冊子に載せた童謡「たき火」に寄せる言葉は以下・・・
「今では、たき火は町の嫌われ者です。並木道の落葉はかき集められ、ゴミ袋に詰められて、収集車が集めて行く。放っておけば土に還るはずのものが、わざわざゴミ焼却場に運ばれて行く風景は空しい…。40年ほど前までどこでも見られた、この「たき火」の幸せな風景を私たちは何と引き換えに捨ててしまったのでしょう。火は危ないと言いながら、私たちは今やその扱い方も知らない。」

こうした風景を愛する気持ちはたんなるノスタルジーではなく、自然を愛する心、ひいては自分をとりまくすべてを愛する心につながっている。戦争を絶対にしないという強い気持ちもこうした身の回りの小さな幸せを愛するところから始まるのだと思う。寒さの中のほっとする暖かさを知ることも、お芋を焼いた楽しい想い出も、火の始末がちゃんとできることも、火に責任をもつことも…。たき火にまつわるすべてを、危ないから「触らぬ神に祟りなし」とばかり、すべて捨ててしまったのが今の世の中。そうしたことはたき火に限らない。触らぬ神に祟りなし…。野坂さんが亡くなる直前の別の文章で、「戦前がひたひたと迫っている」と書いたのも、誰かさんのせいではない。私たちすべてのあり方が戦前を呼び寄せているのだ。

私がなぜ「火鉢クラブ」を始めたのか…。野坂さんの文章につられて、つい無粋にも吐露してしまった。政治とはまさに日々の暮らしなのだと思う。


「文体」をつくるには体力が必要だ

2015-11-14 19:32:13 | こじらせ人生

ナンシー関亡き後、ぽつりぽつりと、彼女が築いたテレビ批評というエベレストに果敢に挑戦しようとしているチャレンジャーに出会う。

ナンシー関と比べられることも多い今をときめくマツコ・デラックスはテレビ批評という山には登らず、自らテレビの中に入って、丁々発止を繰り広げることで、ある意味、批評の場を築いた。

けれど、だれでもがあのポジションを築けるわけもなく、丁々発止の必要ない、パソコンの前の安全地帯からあれこれもの申している書き手がほとんどだ。

そんな彼らの批評コラムは、言い得て妙とか、いいおとしどころをみつけようとするあまり、論がからまわりし、自分の本心をどこかに置いてきてしまっているようでもある。本当にお前はそー思っているんかーと突っ込みたくなるときが結構ある。

無理しなくていいぞ、テレビごときで(ちょっとナンシーのまね)。大抵の人がナンシー関の文体に引きずられ、自分の心眼の奥のかすかな光を見失っている。

それだけナンシー関はすごいことをやっていたということだ。あれだけ言い得て妙なのに、実は作為などない本音の文章。私はそんなコラムを、ほかに見たことが無い。

何が違うんだろう。「文体」って何だろうと思う。ナンシー関の文章とその呪縛を脱せられていない文章を比べるたびに、語尾や語り口を工夫したって、独特な文体なんてものは手に入らないと感じる。そんな小手先の問題ではないのだろう。

何に注目するか、切り口は斬新かという前に、自分の心の中をどれだけ冷徹に見据えているか。想定内の落としどころで良しとしそうになる自分に、厳しく突っ込みを入れられるもう一人の自分がいる。その極限までに厳しい突っ込みの存在こそが、ナンシーの文体になっているんじゃなかろうか。

特徴の無いつまらない文章というのは、結局、そこまで突き詰めてないってことで、どっかで聞いたような、ありそうな結論で満足してるってことだ。結局、コピペの成分が含まれているってことである。そのコピペの成分をどこまで減らして研ぎすませるか…。文体がある書き手の文章は、自らの心眼をその奥の奥まで見据えて、究極の「私はこう思う」を抽出しているからこそ、独自の文体になっているんだろう。

そこまで研ぎすませるには、脳みそを究極まで回転させて文章を抽出せねばならない。

文体をつくるには体力が必要だ。

追記:あ~、まだ本当に言いたいことが書けてない。なのにブログだとアップしてしまう。それがダメなんだなあ・・・


この秋初めて、火鉢に炭火を入れました。

2015-11-14 16:34:13 | こじらせ人生

今日は冷たい雨。東京は15時の気温13℃。
初めて火鉢に炭火を入れてみました。なんか落ちつく~。
でも、換気はしっかり。サッシをすかしてますが、たまに冷たい空気が流れて来るのが、かえって気持ちがいいのです。スイカに塩をかけると甘さが増すようなもんで、温かいところに、ちょっと寒さが流れ込むと、温かさが際立つという感じ。

 

日本の家はいつのまにか冬を旨として作られた断熱材&密閉型になってしまったけれど、日本の気候を考えれば、徒然草にも書かれているように本来、「家の作りようは夏を旨とすべし」なはずで、夏の熱中症増加などをみるにつけ、もっと空気を通すことを考えた方が良いのではないかと思います。

火鉢が危険とみなされて消えて行ったのは、この「家の密閉」と、火の扱い自体を人々が忘れてしまったせいだろうと思います。もちろん、めんどくさいっていうのもあるけれど。まあ、現代の暮らしの中で、これがメインの熱源になることはもうないとは思うけど、娯楽としてもかなり楽しいですよ、これ。

因みに、ちょこっと見えてるのは、角度、高さ調節可能なパソコン台。座りっぱなしは身体に良くないということで、机の上に載せれば、立って作業もできる優れもの。畳の上では、正座に疲れたら、キャッチャーのように中腰になったりしつつ使ってます。この中腰、どうかと思っていたけど、いつのまにかふくらはぎに筋肉ついてる気も…。


荷物は軽く、人生も軽く

2015-11-12 23:16:01 | こじらせ人生

ここのところ、荷物が軽いと、歩くのがこんなに楽なんだなあと実感している。いつも本やらノートパソコンやら重い荷物を持ち歩きがちだったが、本当に必要なとき以外は、もたないようにしてみた。そしたら、信号を待たずに歩道橋を駆け上がれるし、変わりそうな青信号めざしてダッシュ出来るし、運動のために階段登ろうと思うし、バスの中では立ってつま先立ちしてるし、身体がとっても自由だ。薄手のトートバッグに、財布と携帯とミニタオルと小さいノートにペン1本、文庫本1冊、今日の新聞とエコバッグを入れて。帰りに夕食の買物と12個入りのトイレットペーパーを買って坂を上る。全く苦ではない。

もしかしたら必要かも、電車の中で読めるかも、途中、カフェでPC開いて仕事するかも…。かも、かも、かもの貧乏性。そんな可能性だけで、いろんなものを持ち歩いた結果、肩が凝る、腰が痛くなる。それに、かも、かも、かもは結局やらないことが多い。

もう若くはないし、一日にやれることも多くない。今日はコレと決めて、シンプルに生きる方法を身につけねばいかんな。家の断捨離はなかなかできないが、とりあえず、持ち歩く荷物は極力減らすようにしたい。

荷物を軽くすると、人生も軽くなるにちがいない。

写真は今日持ち歩いたオバマプリントのトート。2009年、大統領就任式に行ったとき買ったもの。Tシャツはもはやちょっと恥ずかしいけど、これは結構、しれっと使える。このところ活躍してます。