橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

七輪カフェ in 千駄木ケープルヴィル 残席あります!

2016-02-11 00:44:29 | Weblog

2月13日(土)開催(昼、夜2回)の
「七輪カフェ〜Carcoal Varentine」@千駄木ケープルヴィル

★七輪でチーズフォンデュ&フォンダンショコラでバレンタイン。フォンデュ用のパンを七輪で焙って。

★パン以外の焼き物サイドメニューも用意する予定です。

★焙烙(ほうろく)とお茶も置いておきますので、ご自由に焙じて、お土産にお持ち帰り下さい!

◇炭チャージ500円とケーキとチーズフォンデュ&パンで1500円。参加費は合計2000円。

▼お申し込みはケープルヴィルか http://capleville.com/
 この火鉢クラブのfacebookへメッセージ、
 もしくは火鉢クラブのメールdejima2010@gmail.comまで。
 お名前、人数、昼夜どちらかの希望、ご連絡先を書いてお申し込み下さい。

 

お待ちしていま〜す!

今回、バレンタイン企画で、焼き物感が前回より少ないですが、ちゃんと炭火の楽しさを味わっていただけるよう、焙烙体験できるよう準備しておきます。


なぜ雑な家飯は美味しいのか

2016-02-04 01:07:17 | こじらせ人生

一度一緒にお茶したことのあるコンノさんが、facebookで「適当で雑な家ご飯の幸せ」について書いていた。わかるわかる。なぜだろう。フライパンで適当に玉子をぐちゃぐちゃっと焼いて、一緒にベーコン炒めて、ネギ刻んで、トマト切って、ご飯の上に乗っけて、お醤油とか辛みそとか添えるだけ。それだけ。例えば、ひき肉オンリー炒めて玉子で巻いたオムレツとパン。野菜スープは大量な作り置きを温めるだけ。

このまえ、ナレーション原稿の追い込みで5分の時間も惜しかったとき、部屋のガスストーブの上に網を乗っけて、冷凍庫にあったキスの一夜干しを焼いてかじりながら仕事した。人参は生でスティック、キャベツをちぎって味噌で食べる。それがご飯。なんてお行儀の悪い…。でも、そういうご飯がなぜか美味しいし、幸せな気がする。お腹が減っているから食べるというシンプルな動機。時間が無くて、凝ってる暇がないから、目の前にある材料を無我の境地でなんらかの形にするだけだ。

このまえ、某有名ホテルを引退したシェフがやってる小さな洋食屋に行く機会があった。70歳になるそのシェフの経歴は日本の高度成長とともにあった。そんな彼が日本の料理について思うのは、ある時代から能書きの時代になったこと。ただフレンチが好きで作っていたけれど、ある頃から言葉の飾りが必要とされるようになったという。しゃらくせえと思った。

食べる幸せとは何だろう。それは多分言葉にできないものだ。それを言葉で語ろうとして、能書きで語るグルメの時代になって、言葉にする為に無理をして、本当に美味しいとはどういうことか、食べる幸せとはどういうことかが見えなくなってしまっている。

美味しいと言われるレストランで食べる時、オシャレと言われるカフェへ言ったとき、私たちは知らない間に批評する癖がついてしまっている。人が美味しいと言ったものが本当に美味しいのかを確認しないと済まなくなっている。済まないどころか、自分なりの点を付けようとする。そして、コストパフォーマンスなんてものを無意識に計算している。なぜそんなに批評眼を競わなくてはならないのかわからないが、なぜか「目利き」というものが、歴史的に世間でもっとも尊敬をあつめる職業なのだからしょうがない。みんなそうなりたくて、ついそういうフリをしてしまうのだ。

でも、本当は食べるものを批評なんかしても意味の無いことはみんな薄々分かっている。だから、適当に作った家飯がこんなに美味しいのだ。

いつから料理は虚栄の象徴になってしまったのだろうか。おもてなしはいいのである。きどらないはずの普段の食事までもが、能書きを必要としていることがおかしいのだ。

 

あ、コンビニの弁当って結構美味しいんだよねとかいう偽悪的なのは論外です(キリッ)なんて言ったら感じ悪いかしら(笑)。

 

みなさんどんな食事してますか?
 
 
 

夜の喫茶店でタロットを引く

2016-02-03 01:18:26 | こじらせ人生
喫茶店でお茶を飲んでいたら、このあとタロットカードの時間になりますと、一枚のチラシがテーブルに置かれた。それから2時間の間、店にタロット占いの人が来て、希望の人は占ってもらえるのだそうだ。誰がやるの?とチラシを置いてくれた店員の男の子に聞いたら、「こちらの方です。」と私の背後に座っていた女性の方を指した。「あ、そうなんだ」と反射的にこたえながら、「そうなんだ」という言い方がもしかしたら失礼に聞こえていないだろうかと気になったのもあって、それにもちろん、タロットに少し興味が合ったのもあり、観てもらうことにした。これも縁だ。とはいえ、そんなにお金もかけられないので、ワンカードを引く簡易バージョンにする。

さて、何を聞くか。タロットは現状を見るのが得意とのことで、じゃあ今の私の状態は底なのか否かと聞いてみた。普通に考えたら、私の現状なんて、誰も真似したくないような程度のものである。とはいえ、今が底ですと言われるのも面白くはない。けれど、今が最高ですなんて言われたら、かえって落ち込んでしまう。それに、タロットでは判断材料となるカードを引くのは自分である。果たして私はどんなカードを引くのか…。

しかして、36枚あるカードの中から私が引いたのは「THE WORLD」。ただし、カードが逆さになった「逆位置」であった。つまり、理想に向かって進んではいるが、その理想実現のために、今は何らかの障害がある状態とのこと。障害があるのは事実だと思うし、実際にもがいている現時点が理想でなくて、ちょっとホッとする。

占い師さん曰く、「逆位置ではあっても、36種類もあるカードからこのWORLDのカードを引いたということは、理想に向かうという意味が強く、そこに向かっている過程であるのは確か。今考えている道は間違っていないと思う。」と。

考えてみれば、これは現時点の自分が最も求めていた答えではなかったのか。精神を集中して自らが引いた一枚のカードは、偶然かも知れないが、自分の心を投影していた。結局、答えは自らの中にありということをここでも見せつけられた。

にしてもTHE WORLD。世界は我にあり(笑)

低所得高齢者への3万円給付の矛盾〜扶養されてる低所得高齢者の問題

2016-02-02 22:32:22 | 国内情勢
低所得の高齢者に給付される3万円が問題となっているが、これについて、私自身、矛盾にぶち当たったので報告しときます。
というのも、うちの両親は商店をやっていて、お店は開けているものの、田舎の商店街の疲弊は激しく、収入は低くて、住民税は非課税の範囲内なので、私の扶養家族となっております。とはいえ、別世帯なのですし、国民年金の最低額しかもらってないので、経済的に余裕はありません。で、今回の給付金はもらいたいところなのですが、先日、市役所から「今回の3万円の給付にあたって、両親の扶養者となっている私の非課税証明書を提出しろ」との書面が送られて来たそうです。つまり、親を扶養している私が住民税非課税になるほどの低所得、つまり年間収入100万円以下でないと、親も3万円をもらえないということのようなのです。例えば、私が年収120万円だと、それに扶養されている親はもう3万円もらえないということになります。そこで、市に私が電話して、「非課税になるほど低所得で親を扶養出来るわけがないじゃないですか。なのに、なぜわざわざ、非課税証明書など求めるのですか?」と問うたところ、市の職員も「そうですよねえ…」といった反応でした。
住民税というのは預貯金や株などの資産にもかかりますが、預貯金に関してはその利子にしかかからないので、例えば労働収入がなくて、貯金が10億円ある人というのは、この低金利で利子は年20万円ですから、この人に扶養されてる親は、子どもの住民税非課税証明書をもらえば3万円もらえることになってしまう…。まあ、こういう特殊なケースってほとんどないんでしょうが、課税所得200万とかの子どもに扶養されている低所得の親が3万円もらえないことは問題ではないでしょうか。
扶養控除とか引いたら、課税所得200万の人なんていっぱいいるんじゃないかと思いますが、それで、妻、子ども、親を養うのはギリギリだと思うのです。そういう人の親に3万円あげないのってどうなんでしょう・・・。
この「扶養の場合」という問題に多くの人が気づいてないんじゃないでしょうか?