橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

原発をどう考えるかは美意識の問題か~岡本太郎の言葉から考える

2011-05-09 15:25:05 | 東日本大震災

 

岡本太郎、小松左京、彼らの著作を今再び手に取ろうとしている(初めて読むものもあるが)。


岡本太郎と小松左京はあの大阪万博テーマ館のプロデューサーとサブプロデューサーだ。

 万博のテーマプロデューサーでありながら、単純な未来志向にノーを突きつけ、

 「人類の進歩と調和」というテーマにも異を唱え、

太陽の塔の中に石器時代や縄文時代を思わせる空間を作った。

 「人類は進歩なんかしていない。(中略)みんなで妥協する調和なんて卑しい」と語った

太郎の言葉を、原発事故という事態に至ってしまった現在を生きる我々は重く受け取るべきだ。


大阪万博公式ガイドには万国博協会会長のこんな言葉も掲載されている。

 

「科学と技術さえも、その適用を誤るならばたちまちにして人類そのものを

破滅にみちびく可能性を持つにいたった。このような今日の世界を直視しながらも、

なお私たちは人類の未来の繁栄をひらきうる知恵の存在を信じる。

多様な人類の知恵がもし有効に交流し刺激しあうならば、

全人類のよりよい生活に向っての調和的発展をもたらすことができるだろう」

 

40年後、私たちは、その人類への希望的観測が

はかないものだったことを思い知らされている。


小松左京の「日本沈没」や「首都消失」は言うに及ばず。

それから40年、彼らが危惧した「科学の進歩の暴走」である原発事故が起こった。

 40年前に彼らが危惧した事態が現実となった。

 かつてSF小説が鳴らした警鐘を今あらためてこころに留め置きたい。


そして再び岡本太郎。

今年は岡本太郎生誕100年で、彼の著作が書店に並んでいる。

これまでに読んでいなかった「今日の芸術」と「日本の伝統」を購入。

ついでに「沖縄芸術論」も購入。あらためて、彼の先見性と本質を見る力に驚いた。


特に、彼の言う「芸術はけっきょく生活そのものの問題」というところに強く共感する。

 

どういう世界に住みたいか、何に囲まれて暮らしたいか、どういう気分で生きたいか、

 そしてどう死を迎えたいか。どう弔うか。

 それらは「美」の問題だ。その中には宗教や思想も含まれるかもしれない。


私は、原発を受け入れるか否かも、結局は「美意識」の問題ではないかと思っている。

原発の見た目が美しいとか美しくないとかいうだけの話ではない。

人間の五感、第六感も含めて、厭な感じを持たず、

体全体で受け入れられるものかどうかということである。


ちょっと話は飛ぶが、

内田樹氏がブログでこんなことを書いている。

「内田樹の研究室~弁慶のデインジャー対応について」

http://blog.tatsuru.com/2011/05/07_1001.php


危機にはコントロール出来る「リスク」と

 人間の能力では避けられない「デインジャー」の2種類あるが、

 「デインジャー」は人間の力では防げないのだから逃げるしか無い。

 現代の人間の多くは「リスク」のヘッジばかりをやって、

 「デインジャー」を察知してはやいこと逃げるというあり方を忘れている。

 「厭な感じがするから今日はやめとこ」みたいな能力だ、というような内容だ。

そしてさらにこう続ける。(以下5行はそのまま引用)

「デインジャー対応」というのは事故前の福島原発を見て、

「なんだか厭な感じがする」能力のことである。

その「厭な感じ」が消えるように設計変更を行ったり、運転の手順を換えたり、

場合によっては操業を停止したりする決断を下せることである。

それができる人間がそこにいれば、そもそも事故は起こっていない。


この内田氏の話にでてくる「デインジャー対応」能力をそのまま美意識というのは飛躍し過ぎかもしれないが、美しいなあ」を初めとして、「いい気分だ」とか、「この雰囲気は好きだ」とか、「抱きしめたい」とか、逆に「これは厭な感じがする」とか、「離れた方が良い気がする」とか、証拠や理由を上げての合理的な説明は上手くできないけれど自分の存在に影響を及ぼしそうな何かを敏感に見極める能力をひっくるめて「美意識」というのではないだろうか。


私たち日本人は、本来なら身の回りに溢れ、

自らの身体感覚ととともにあるはずの「美」を、

 いつのまにか、何か特別なものにしてしまった。

「美」を体現するものではなく、鑑賞するものにしてしまった。

 そこに現代の不幸がある気がする。


そして、311後の世界では、

その不幸を解消する方向に日本は向かうべきだと思う。

そこでは、岡本太郎が自らの著書の中で訴えている

『美を祀り上げない』生活の中の美を見つめる精神が必要だ。


出島プロジェクトでやりたいことはそういうことだ。

椎茸売ったり、火鉢にあたったりしているけれど、

それもそういうことのひとつというつもりでやっている。

 


ちょっと弱音を吐いてみる。~東浩紀のニコ生「黒歴史」発言をきっかけに自分のことをふりかえる~

2011-05-08 21:06:15 | 東日本大震災

東浩紀の論説は、これまでそれほど熱心に追ってきたわけではないが、

去年の夏、ブログで朝生での彼の発言をとりあげたところ、

その記事にめちゃめちゃアクセスが集まり、

それ以来、このブログの検索ワードの首位は毎日「東浩紀」状態だ。

それで、なんとなく彼のツイッターもフォローし、言動をゆるーく追っている。


そんな東浩紀が、先日、といってももう1ヶ月近く前のニコ生で斎藤環と対談したのだが、

その映像を、タイムシフトで今朝視聴した。

 

ホストの斉藤氏としては「動物化するポストモダン」あたりをネタに

311以後、「キャラ的なるもの」はどうなっていくのかを語りたかったようだが、

東氏は自分の震災前の仕事は全部「黒歴史」だと爆弾発言!

震災後自分が分からなくなった、自分なんて誰も認めていない、

自分なんてダメとわめき続けていたのだ。

面白かったけどちょっとびっくり(本気かなあ~?)。

斉藤氏は、本職の臨床医に戻って、口数少なく彼の話を聞いていた。


斉藤氏も言っていたが、東氏がそんなに認められていないとは思えない。

しかし、震災前後で、いろんなことが変わってしまいどうしていいかわからないという気持ちはなんとなく分かる気がした。(東氏からしてみたら、私みたいなものにばかり共感され、認められたい人には認められないとさらに不満に思うかもしれないが)。


というのも、震災のあと、自分もどうしたらいいのかわからないのだ。

そして、それは共感者を失う事からくる経済的喪失への恐れではないかという気がしている。

世の中がこんな状態で、共感の得られない事を言ってしまったら、取り返しがつかなくなる。世間からはぶんちょにされて生きて行けなくなる。そういう恐怖が、私だけでなく、ツイッター上の人々の発言を限定し、減らしている気がする。

 

震災の前と後では、多分、共感を得られることの種類が変わってしまった。

しかし、どこまでが共感の範囲かがわからない。誤解を恐れず言えば、今は震災と原発の話をしておけば大丈夫なのだ。

そして、世の中が、震災と原発の話一色になってしまったことは、それと全く関わりない仕事をやっていた人にとっては、おまんま食い上げの状況を作りかねない。

 

東氏が震災後の自分に自信をなくしているのは(本当になくしているかは別として)、そういう共感がえられない恐怖、ひいては、そこからの収入が得られなくなる恐怖と繋がっている気がしてしょうがない。収入なんて卑近な問題かもしれないが、又、自分が今経済的に厳しいせいかもしれないが、意外とそういう危機感は多くの人が抱いているのではないかという気がする。いや、東氏はホントはそうじゃないかもしれないが、東氏の言動をきっかけに、自分も含めたそういう人々のことを想像した。

こういう感じは、大企業や行政等、大組織にいる人にはわからないかもしれない。私も組織で働いていたらそうだったろう。しかし、組織を出て独りで収入を確保しないと行けない立場になると、共感を持ってくれる人が何人いるかが命綱になる。


また、東氏は必要以上に自分が認められてないというが、それは、大学や学会、文壇などの既存の権威や組織、はたまた自分が信頼している人から認められていないという意味なのだろうか?

 斎藤氏も「三島賞をとりツイッター7万人のフォロワーというのはスゴいのになんで?」と訝っていたが、安定の得られる場所(既存の権威や組織)や信頼できるものからの承認ではないことが、この震災後において、彼を不安にさせているのではないだろうか。そんなチンケな人間じゃないぜと東氏に怒られそうだが、きまぐれなツイッターの空気はすぐに変わる。震災後すでにがらりと変わっていて、これまでと同様の承認が得られるかは未知数なのだ。

 

震災後の日本にあってより実感として感じるのは、象の余裕とねずみの焦りだ。


東氏くらい有名人になると、そんなに心配しなくてもいいと思うし、こんな話に東氏を引き合いに出すのは間違いかもしれないが、東氏の言動をきっかけにこんなことを考え始めたので、ここまで、ニコ生の話使わせてもらいました


ということで、まさに「ねずみの焦り」の側である自分のことである。

振り返るってみると、私も震災によって、それまでやっていたことをどう扱っていいか分からなくなってしまった口だ。

 

今年に入って、寄付付きのメイドインジャパン商品というものを開発して販売しようとしていた。イラクの子どもの描いた絵をメイドインジャパンの高品質製品にコラボさせ、価格の2割を、イラクへの医療支援NGOへの寄付にあてる。NGOの乏しい活動資金が、正当な経済活動によって生まれたらいいなと思って始めた事だが、震災後、すべての支援のこころざしが日本の被災地に向かい、イラクへの支援は目を向けてもらいづらくなった。

 まあ、それは当然の事だ。今は、国内の復興に国内の資金を集中させる事が急務である。

 

問題はそのあと。

じゃあ、国内の被災地支援向けに何か企画をと思った時に、無償でないと受け入れられない空気が出来上がっていた。私が震災前にめざした、誰も経済的にマイナスにならない形で、つまり経済活動で支援金を生むというスキームは、儲け主義と受け取られかねない雰囲気になってしまった。

チャリティを目的とした品質二の次の商品を売って募金を得るのではなく、チャリティでなくとも欲しいと思ってもらえる魅力ある商品を作り、たまたまそこに募金が含まれているというちゃんとした商売にしたかった。商品を通してNGOの活動についても知ってもらえればと考えていた。しかし、世の中の人みんなが、無償でボランティアをやりたいと言っている今、自分の生活費をこのチャリティ事業で稼いで、一部を募金しようと言うスキームは理解されづらくなってしまった。


こういう善意を経済活動にしようとした私が間違っていたのか?

欧米では一般的になっているスキームは日本人の心情にはそぐわなかったのか?


いや、すでにチャリティの権威として存在している赤十字は、

寄付だけを集めるとはいえ、職員の人件費は寄付金から手数料として抜いている。

それには誰も違和感を持たない。

しかし、ちゃんと商品を作ってその価値に見合う価格で販売し、さらにその一部を寄付しようという行為のほうが、なぜか儲け主義と思われてしまう。


おかしな話だが、最初から「寄付付き」と言わねば良いのである。

言わずに商品を売って、利益の一部を寄付したら、良いことだと言われる。

多くの大企業が実際にそうしているように。

最初から「寄付付き」と言ってしまうと、この機に乗じてと思われる。

結果、寄付をするのは同じなのにである。


では、あなたも寄付付きと言わねば良いだろうという人もいるだろう。

そう、言わなくていいのである。

しかし、資金の無い私のようなものが、大企業のふんだんに宣伝費、流通費をかけた商品と同じ土俵で競争するには、何か別にアピールするものがなければ戦いにならないのだ。私のような個人には、商品が売れなければ寄付するお金さえ捻出出来ない。宣伝費もかけられない。そこで、「寄付付き」をうたう事で、商品に興味を持ってもらおうと思ったのだ。そもそも、寄付する先の状況(イラクの小児がんの状況など)を知ってもらいたいという目的があるのだから、寄付付きをうたう事が、状況を知らせる入り口にもなる。もちろん、震災前の状況で考えた事だ。


もともとお金のある人はいくらでも支援ができるが、私のように収入のないものは支援しようにも支援出来ない。

多分、今、この震災後にも被災地の支援したくてもできない人というのはいくらでもいるだろう。身体一つでボランティアに行こうにも、養う子供がいて働かねばならないとか、家族がいるのにリストラされたとか、自分の生活で精一杯の人は、被災地の惨状をテレビで目の当たりにしながら、募金箱を見るたびに、何もできない自分にうちひしがれているかもしれない。

どうせ何かはやってお金を稼がねばならないのだから、それを仕事にすればと思ったのだが・・・。

状況が変われば上手くいかないものだ。


震災を経て、資本のあるもの、既得権のあるものの強さをまざまざと見せつけられた感じだ。持つものと持たざるモノの差をひしひしと実感させられた。(もちろん、これは差があるという事実を述べているわけで、批判しているわけではない。こういうときに資金のあるものからの支援はもっとも重要だし、素晴らしい事だと思う)。


仕事を辞めて資金も無く、アイディアだけでなんとか乗り切ろうと思ってやってきたが、この未曾有の危機に、なんとかなっているのは大企業ばかりだ。仮設住宅の発注も結局、国は大手に丸投げしている。


新しく始めた事、小さな集団でやっていることなど、

まだ何者か分からないものは、こうした危機的状況のとき敬遠されがちだ。

震災後の統一地方選挙でも現職の当選が多かったように、

人々は、その内容よりも、見知ったもののほうに動く。


ただ、希望がないわけではない。

自分の目で見た範囲では、どうかんがえても、

小さい集団がやっているもののほうが楽しそうだ。実際楽しんでやっている。

合理的でもある、美的にも良い。

将来性はこっちのほうがあるように見える。

 

それに、上記で述べたような事も、私の思い込みの部分が大きいかもしれない。

一部の人の言葉を拡大解釈してしまっているのかもしれない。


自分の事で言っても、

上記チャリティ以外に進めている火鉢クラブは

お金にならないながらも、やるたび共感を得ている。

震災後の暮らしを考える場になると思うし、

自分の中でも、いろいろな発想がつながってきている。

このコンセプトをどう収益の上がるものにしていくかだ。


それに、上記のチャリティ商品に関しても、

将来、国内が落ち着いてきたら、再び国際支援が必要になってくる。

イラク戦争の検証にしても、アフガンの問題にしてもなんら解決していないのだ。

徐々に宣伝を再開したいと思う。


東氏が新しく借りたコンテクスチュアズの事務所も、震災でひび割れたそうだが、

私のマンションもひび割れが広がり、先日、2階のコンクリが一部はげ落ちた。

こうした物理的な不安が、その他のいろんな心理的な不安に繋がってるのだろうな。


鬱々して、やるべきことをやってないだけかもしれないのだと思う。

その不安がまた不安を増幅している気もする。

動き出せば、また共感者を見つけ、そこに希望が出てくるかもしれない。

たいていいつもそうだ。私はがんばり屋さんではないので

いつもこうして言い訳ばかりしている。

 

東さん引き合いに出してすいませんでした!

基本的には関係ないです。ただのきっかけ。



イラクの子どもアートと今治タオルのコラボ商品はこちら

「shop出島DEJIMA」http://dejimajapan.com

 

「火鉢クラブ」のブログはこちら

http://hibachiclub.blogspot.com/







 


電気料金値上げはコラテラルダメージと言っていいんじゃないか

2011-05-08 16:17:04 | 東日本大震災

アゴラに掲載されていた東電の電気料金値上げについての前田拓生氏のブログを読んだ。

http://agora-web.jp/archives/1321517.html

 「株式会社だから利益を出していかねければいけないことから、

 電気料金を引き上げるしか無い」という解説が

テレビでされていたらしい。

 本当にこんな解説をしていたのだろうか。

だとしたらアホである。


普通に考えて、逆だろう。

 株主がその責任を負えばいいんじゃないのか。

 これまでそこから利益を得ていたんだから。


電力供給をせねば国民生活が・・・というならば、

資産を吐き出させて、一時的に国有化すべきだ。

 

海江田大臣が「東電には補償のために稼いでもらわないと」とか、

 「電力供給義務を果たせるようにしないといけない」とも言ったというが、

 それは詭弁というものだ。

単なる「値上げ」を「稼ぐ」というのは・・・


それに、そもそも日本の電力事業というのは、

「稼ぐ」と言っていいんだろうか。

生活にどうしても必要なもの、買わざるを得ない商品を売っている上に、

それを一私企業が独占する形になっているからだ。

営業せずとも、サービスせずとも、

頑張らなくても収入が約束されている。


実際の電力以外に電力会社が私たちに与えてくれるサービスがあるとしたら、

 それは、安全に発電を行い、安全に送電してくれるということしか無い。

 つまり、彼らが「稼ぐ」ためにやるべき事は、

より確かな安全を提供することだ。

まさに、現在、福島第一原発で作業されている作業員の方たちは、

その安全のために働いている。


もし、値上げされたとしても、

それがその方たちの追加手当というならば文句はない。

しかし、それは現場で作業しもしない社員の給与を、

2割なんてもんじゃなくもっと大幅にカットするなり、

送電網等の資産を吐き出したりした上での話だ。

いくら賠償のためとはいえ、

現場で働きもしない社員の給料を2割とか、

数千万円貰っている役員報酬5割カットというだけで、

電気料金さらに値上げというのは納得出来ない。

どうせなら、

現在現場で働く下請け業者と東電社員の給料を逆転してはどうだろう。

 

都合のいいときは一私企業といい、

都合が悪くなると電力はインフラですからという。

本当にありえんわ。

東電だけの問題ではない、これは国ぐるみの問題だ。

 

こうした電気料金の値上げとか、増税とか

震災や原発事故の影響によるリストラは

被災地だけでなく、全国に及ぶ。

こういうのをコラテラルダメージ(二次的被害)というのだ。

今後は、こうした二次被害についても

少しずつ考えて行かねばならないと思う。



 

 

 


どーでもいいけど、NHK「土曜マルシェ」が気になって、どうでもいいことを書いちゃった

2011-05-07 17:16:17 | 東日本大震災

最近、全国の緊急地震速報を確認するためにずっとNHKをつけている。NHKしかついてないと言っても過言ではないかもしれない。そんくらい、震災後はどんな番組をやっているかに興味が向かないのだが、実は結構、番組入れ替わってるんだよなあ。そんな中ひさびさになごやかに突っ込める物件を発見した。


土曜朝の情報番組「土曜マルシェ」だ。訳すと「土曜市場」。

 

ちなみに番組サイトには

「新感覚“癒やし”系マガジン番組。心豊かな生活をおくるための様々な情報を発信します!毎回、大物ゲストが愛するペットと登場。プライベートライフを赤裸々に語る「マルシェでわんにゃん」や、ガーデニング、クッキングのコーナー、そして巷で噂のカルチャースクールから、プチ旅行まで、さまざまな話題をお届けする「もぎたてマルシェ」など、おしゃれライフを演出するさまざまな情報満載でお送りします!」とある。


よくもここまで、視聴率とれそうな気がする要素を並べたもんだ。プライベートを「赤裸々に語る」とか、土曜朝とは思えないエグイ言葉も見える。それで視聴率がとれると制作者が本当に思っているのかは疑問だが、震災後の空気の中、素通りしてしまう番組がほとんどの中で、司会者同士がやたら牽制し合ってたのが気になって、時々見てしまっている。

 

司会者同士の牽制だけではない。よく見れば、番組の風体も極めて平穏を装いながら、その実、違和感満載。たまに奇をてらい、しかしその実何も考えてない。そんな印象を受ける不思議な番組だ。

 

チェックや水玉模様のセットに囲まれて番組を進行するのは、薄ら笑いをうかべるチュートリアル徳井。その隣で不敵な笑みを浮かべるMEGUMIとNHKのアラサー女子、神田愛花アナ。3人が横並びで進行する。横並びだけどバラバラ。

 

初回から「僕たち噛み合ってないですよね」と笑っている時の徳井の口元が引きつっていて、2回目以降大丈夫かと心配になった。みんな自分の役割がつかめていない。つかめてないというより、つかみたくなくて好き勝手やっている。でも心の奥ではちょっと躊躇もある。そんな感じ。


はっきりいうと、番組の進行を仕切る親分がだれか分からなくて、微妙な空気を醸しているのだ。

なんだか今の日本みたいだ。


多分、メインはチュート徳井。しかし、ボケの徳井を前に、MEGUMIとしてはしっかりした私が進行せねばと考えているふしがある。あの、テレ朝深夜の名番組「虎ノ門」で、並みいるお笑い芸人を審査員としてバッサバッサと斬ったMEGUMIN姐さんとしては、そう振る舞わざるを得ないのかもしれない。でも、メインは徳井。


徳井とMEGUMIの関係性をなにかに例えれば、親分の愛人の相手をしてる最近勢いを増した子分みたいな感じだ。オヤジの女には服従ですわ。でも今人気あるのはオレなんですわ、か。


そして、こんな姐さんたちを横目に、私そんな世界の人たちとは関係ありませ~んといった風情でのほほんと我が道を行っている神田アナ。番組ウェブサイトを見てみると、「NHKアナの中でも特にオシャレ好きな神田アナ。さらに、釣りや歌舞伎観劇など趣味にもかなりのこだわりが。」との紹介。アラサーの「オシャレ好き」。

 

この3人のキャスティング誰が考えたんだろう?としみじみした。


番組のブログでも、徳井があの薄ら笑いを浮かべながら

我々MC3人も、探り探りですが、これから楽しんでいきます。」と書いてるし。今日の放送でも「大丈夫かなっていうくらい、3人が3人ともリラックスしてるから・・・。」自虐発言。

番組始まってもう1ヶ月以上になるのに、この人たちは、自分たちの居心地の悪さを、色んな形で毎回毎回言及してるのだ。


でも、この奇妙な違和感は彼ら出演者のキャラクターの関係性の問題だけではない。番組内容自体が奇妙だ。


ウェブサイトの番組紹介だけみてもかなりゆるい番組だとわかるが、グロテスクなゆるさというか、癒しとか言いながら、バブルの人特有の肉食っぽい匂いとかキャリアの匂いがする時がある。

 

私が、たまたま目にした回で言うと、バイオリニストの高島ちさ子がゲストの回のカルチャースクール紹介は、確かポールダンス。天井まで伸びた棒につかまって妖艶なダンスを繰り広げる、バブル以降、六本木とかの外人クラブとかでよくやってたやつ。圧巻は、高島のバイオリン演奏に合わせて、教室の先生がポールダンスを踊って、スタジオ大喝采の図。


今日のゲストは、メロリンQ山本太郎がゲスト。

 カルチャースクールは、ロココ調の椅子作り教室。椅子作り名人から教わるロココの技。材料費15~50万円!それを18個も作った女性が紹介されていた。スタジオにはルイ15世の座ったという椅子が登場。徳井が座るパフォーマンス。


これって、癒し?

癒しというより、さらなる精進。

いや、精進する事が癒しとなる時代なのだろうか?

もうひとつの「やりがい」を得ることが、ある意味「癒し」となる人もいる。これはステレオタイプな癒しに辟易した人のための、新しい形の癒しなのか?確かに番組紹介にも「”新感覚”癒し系マガジン番組」とある。ネタのセレクトといい、薄ら笑い妄想芸人徳井をキャスティングしたことといい、このズレ感は狙いなのだろうか?

もしかしたら、このわけのわからなさが時代の閉塞を打破する希望に繋がる可能性を秘めているとか?それで、あえて違和感を醸すような、にゅるっとしたキャスティングをしてるのか?

繰り返すが、これは制作者の狙いなのか?しつこくてゴメン。


結局、司会3人の座りの悪さや微妙な空気は、お互いのキャラクター特性はあれ、こうした番組自体の突拍子も無さとか、統一感のなさとか、わけわからなさにも由来しているのではないかと思えてきた。


そう考えると、表には出てこない、番組制作者のことがもっとも気になる。誰だこの番組作ったのは?

出演者の3人をも翻弄する制作側は何を考えてこの番組を制作したのか(って、おおげさかw)。

 

ワンマンなチーフディレクターとかプロデューサーの意図的な演出なのか。それとも、ワンマンな指導者不在で、スタッフ皆での制作会議で、癒し、ペット、ガーデニング、クッキング、カルチャースクール、プチ旅行とかいうわかりやすいキーワードを並べて、その範囲で、とりあえず見た事なさそうな珍しいネタを集めました!ってだけなのか?

 

後者な気がする。

 

結局、私が感じた番組への違和感のもとは裏側にいる多くの人間なんだろう。それも表に決して顔を見せない。そして、その違和感が生まれた理由が、彼らの意識的なものか無意識かはわからない。

 

別に糾弾しようと思わないのは、番組に悪意が感じられないからだ。そして、糾弾しやすい独りの突出した意図が見えづらいからだ。でも、それのほうが怖いんだよな。

なんかやっぱり日本っぽいなあ。


もう自分でも何がいいたいのか分からなくなってきた。

 

いろいろ書いたけど、そもそもこの土曜マルシェに引っかかったのって、

単純に「徳井、こういう番組やっていいのか?!」と思ったからだよなあ。

妄想で売ってる芸人がある意味常識必要な情報番組の司会者やっていいのか?

猫の写真撮って、優しい徳井くんでいいのか?そっちへ行っちゃうのか?


つうか、そういうこと考えてる事自体が、もはや古くさい感じがする今日この頃。

私自身、自分自身の方向性が正しいかどうかもよくわからなくなっている。

徳井君のように、目の前にあるものをやるしかないのかもしれない。

そしてやりながら考えるしかないのかもしれない。

 

私は多分もうテレビはやれない気がしている。

いろんなことを考えながらやるには、せわしすぎるのだ。

テレビの仕事を辞めて、火鉢カフェやったり、イラクのチャリティ商品作ったり、行商したり、全ては人に何かを伝える仕事をテレビとは別の形で実現したいという思いからやっている。

人に何かを伝える仕事とはなんだろう。

また、テレビの仕事をやろうと思うときはくるのだろうか?

 

どーでもいいことに時間を使ってしまった。駄文。

 

 

 

 

 

 

 

 



東電賠償金のせいで電気代値上げとか、ほとんどホラーだ

2011-04-25 02:19:06 | 東日本大震災

外では、ゴーゴーと世界の終わりのような強風が吹き荒れている。

ただでさえ、余震が続いているのに、この強風。やめて欲しい。冗談じゃない。

うちのボロマンションが風でも揺れる、あまりの音の凄さに窓を明けたら

放射能も入ってきてんのかなあ・・・、それとも風で吹き飛ばされてんのか・・・。

世紀の初めなのに、世紀末みたいな、もうほとんどSFの世界に私たちは生きている。

現実がSFならば、私の行動もあり得なくていいはずだ。

原子力安全保安院の西山さんが、ウナギイヌに似てるなら、私はバカボンのパパでもいいはずだ。

ならば、パパは、電気代払いたくないのだ。

 

出荷停止や風評被害に苦しむ農家のところに、

ビニールハウスの暖房費として東京電力の請求が来たらしい。

 

ずーっと原発反対だった私の電気代が、

東電の賠償金のせいで値上げになるとか、ほとんどホラーだ。

上がった分の電気代は、原子力がクリーンエネルギーだとか言ってた人たちで払ってほしいよ。

 

それとこれとは話が別という人もいるだろうが、

それならば、賠償金の税負担の代わりに、東電が持っている資産を極力放出すべきである。

もっとも大きいのが送電網。

これを独占しているおかげで、電力会社は民間企業であるにもかかわらず、

競争にも晒されず、高い収益を独占することができている。

これは、放送権と並ぶ巨大既得権の代表だ。

 

原子力はコストが安いはずなのに、世界一高い電気代を払わされている日本人。

本当に原子力発電のコストは安いのか?

 

<東電の電気代内訳>

原発の発電コスト+安全確保のためのコスト+

   安全をアピールするための広告コスト(メディア等への接待コスト含む)+

   東電社員の高給(電力ガス業界などインフラ業の平均月収は70万円超)+・・・

   そこに「賠償金コスト」が加わったわけだ。

 

発電コストのほかにかかるコストというのはいろいろある。

コストが安いっていうデータの意味をちゃんと検証すべきである。

 

ほんっと、電気代高いよ!

 

参考:

河野太郎ブログ「ごまめの歯ぎしり」

http://www.taro.org/gomame/index.php

賠償金のための電気代値上げについてのほか、原発問題についての声の上げ方などの記事、要チェックです。


節電は重要だが・・・

2011-04-23 02:06:34 | 東日本大震災

このところ、どこへ行っても節電節電である。

しかし、それが本当に必要な節電かそうでないか疑問に思う事もしばしばだ。

 

例えばこれ

時々見かける2階部分が渡り廊下的な広場になっているビルの外階段。

階段は結構な高さである。

このビルの7階に行く用事があったので、

では1階からエレベーターで上がろうと1階の正面玄関にまわった。

 

ここにはエスカレーターのことしか書いてないが、エレベーターがある場所に通じる自動ドアは停止していて、先ほどの外階段をのぼって、2階からエレベーターに乗るしか上に上がる方法がないらしいのだ。また元にもどって、外階段をのぼった。

私らはまだ、「いい運動」と言って済ませるが、お年寄りは大変ぜよ。

 

この後、もよりのJRの駅に行ったら、ホームに上がるエスカレーターが止まっていた。お年寄りや赤ちゃん抱えたお母さんも多いので、こういうのは動かしといて欲しい。

駅というのは、民間企業でも公共の場所だ。

会社のビルの外階段等は、利用する人の多くがビジネスマンなど働いている人と思われるので、エスカレーターが止まっていてもまだ許せるが、駅は動かした方がいい。

 

 

こんなことになって、これまで以上に感じるのは、人間はなんて自分たちの身の丈以上にデカイ建物をこんなにたくさん作ってきたのだろうということだ。これまで、デカいけど、エレベーターやエスカレーターでスーイスイと思っていたものが、電気がなかったらとたんに不便な代物に変わってしまう。

人間に合ったスケールってどのくらいなんだろう。

 

とはいえ、もうぜんぶ平屋にもどしちゃえってわけにもいかないし、鉄道は無くすわけにいかんので、なるべく、公共の福祉に合致した節電の仕方をして欲しいと思う。

 

 

あと、これ、ATMも結構閉まってる。

 

ここに案内されている近隣ATM、お年寄りの足で、徒歩だと20分くらいはかかるだろうか。都バスの場合は老人は無料パスもあるが、バスでお金出しに行くのかあ。以前過疎地の特定郵便局のことが問題になったが、民間企業であっても、こうした社会インフラに近い物は、節電対象にしないで欲しいものだ。

 

勘ぐって申し訳ないが、是非とも、

「節電」をいいことに利益の少ない施設を閉じるような事はしないでほしい。

 

 

一方で、必要ないなと思われるところで電気が使われている事も多い。例えば、一昨日の地下鉄。

4月にしてはちょっと寒い日であったからか、暖房が少し入っていた。寒かったので、せっかくそれなりの格好をしていったのに、暑くなって上着を脱いでしまった。1枚羽織る事でなんとかなる。こういう暖房は必要ないだろう。

 

今日入った喫茶店でも、少し暖房が入っていたみたいだ。

そこまで寒くないだろ!何のための上着?って思う。

 

これまでの空調の基準がおかしすぎたから、

節電してさえもこうなのだろう。

 

やはり、大きなビルや会社の一括空調って大きい気がするんだよなあ、東京の場合。来る今夏の電力需要の厳しさをメディアは煽っているが、大きなビルの空調のおかしさを適正にすれば、随分と節電になると思う。

 

これまでの夏、28℃に設定してますといいながら、結構なビルが実際にはそれより低い体感温度だったように思う。もし、本当に28℃だったというならば、設定温度はもっと下げられるという事だ。私は体温は決して高い方ではないが、めちゃめちゃ冷え性というほどでもない。

 

ここ10数年間の通常の夏と冬、夏は冷房が寒すぎて羽織ものが必要だし、冬は暖房が暑すぎて分厚いセーターなんて着られなかった。

毎年、冬物の洋服を買いに行って、店員の「このセーター暖かいですよ」という常套句に対し、「いまどきの職場は、暖かいセーターなんて汗かいちゃって着れないんですよ」と憎まれ口をたたくのが恒例となっていた。

夏も、冷房対策用の薄手の長袖のカーディガンを毎年1枚買うのが恒例になっていた。最近では、メーカーもそういう需要を見越しているようで、夏物新作として長袖カーディガンが結構目立つところに置かれるようになっていた。

 

おかしいだろ!

 

おっさんたちがネクタイと背広をやめればいいのだ。

タクシーのエアコンも寒すぎる。いつも温度上げて下さいと言っていた。それもおっさんたちが、「あじい、あじい」と言うからだ。男性の方が体温が高いとは言うけれど、あれは、会社のエアコンの設定温度の低さに慣らされた部分もあると思う。とにかく背広を脱げ!ネクタイ外せ!

わー、テンション上がり過ぎたーーーーーー。

冷え性のおじさまごめんなさいね。

 

これまで冷房に慣らされすぎたせいで、

多分、私たちの暑さに対する耐性は弱くなってもいるのだろう。

 

それに、冷房を強めれば強める程、室外機から出る熱量は多くなり、東京の炎天下はより厳しいものになっている。節電で暑さに弱いお年寄りが亡くなったりしたら目も当てられない。東京のヒートアイランドからの脱却法を、本気でそろそろ考えにゃだめだろう。

 

ほかの元気なお方は、

節電というならば、まずは、自分たちの身体の感覚を

節電に耐えうる状況にもっていく努力もしなければならない。

 

汗はかくもんなんだよ!と開き直る。

着替えを持っとく。などなど。

 

エアコンバリバリの電気の大量使用が、デオドラント志向の先にあることも意識した方がいいと思う。そういう人間の日常生活全てを包括して考える先に本当の意味での節電がある気がする。

 

だいたい、体温下がるとガンになりやすくなるのですよ。わたしはガン体験者だからここは口酸っぱくしていいたいっす!そう考えたら、エアコンの設定温度もっとあげたくなりませんか。

 

ここまでテンション上げて書いてきたが、

もちろん、現在のシステムで動いている街を、

急に新しい方針に従って動かせといわれても難しい部分があるかもしれない。これは原発の話と似ている。だからこそ、すぐには難しいかもしれないが、すぐに変える事を目標にして、最大限の努力をすべき項目だ。

 

我が出島プロジェクトの「火鉢クラブ」では、日常生活の衣食住の中に、節電出来る工夫を見いだす努力をしていきたいと思う。

 


第3回火鉢カフェ報告:福島県三島町、宮城県酒蔵組合に義援金送りました。

2011-04-22 16:56:22 | 東日本大震災

出島プロジェクトの活動の一つ、「火鉢クラブ」では、

 4月9、10日両日、

~電気がないなら炭を使おう、宮城の酒を飲もう~を

テーマに第3回火鉢カフェを開催しました(開催内容は過去記事参照)。

 

そこで集まった義援金を、昨日、2つの窓口に振り込んできました。

 

以下、義援金の報告です。

 

<義援金総額>

  23,400円

 

<義援金の内訳>

 

  • 火鉢カフェの炭チャージの10%

 

○参加者28人×チャージ500円×0,1=1400円


  • 募金箱投入分 

10900円

  • 合羽橋の炭屋・斉藤商店提供の商品のチャリティオークション

○岩手切炭6kg+特製火起こし⇒5000円で買っていただきました

○珪藻土七輪+特製火起こし⇒5000円で買っていただきました

 


上記合計、23,400円を、以下の2カ所の団体に

11,700円ずつ送らせていただきました。

 

 

<義援金の送り先>

 

①福島県大沼郡三島町

 

今回、福島県は大沼郡三島町の会津キリタンで濾過した水をお茶をいれるのに使いました。この商品は11月の発売という事でまだ購入出来ず、サンプルをいただきました。次回の火鉢カフェでも、この濾過炭を使用して、福島県を応援したいと思います。

 

 

 

*振込名義は、出島プロジェクト火鉢クラブとすべきところですが、今後の連絡の便宜上担当者名も入れさせていただきました。

 

②宮城県酒蔵組合 宮城蔵元救済義援金窓口

 

石巻で被災した酒蔵「墨廼江酒蔵」の「燗たのし」というお酒を取り寄せて、みなさんでいただきました。とてもおいしいと好評でした。夏には、冷酒で美味い酒を取り寄せて、火鉢カフェ(夏は涼みカフェですかね)やりたいですね!

 

 

以上、参加して下さったみなさま、本当にありがとうございました。今後の企画も考えております。もうあまり時間がないですが、できれば、ゴールデンウイークの後半にも火鉢カフェができたらと思い、検討中です。今後ともよろしくお願い致します。

 

 


深夜のマ○ド○ルドにて

2011-04-21 08:25:05 | 東日本大震災

深夜のマ○ド○ルドの2階席には、最近老人の一人客が多い。

それも老女が多い。場所柄なのかもしれないが、私がたまに行くマ○ド○ルドには多い。

昔はこんなことなかったと思う。

「そんな事知ってるよ」、なんて言わないでほしい。

なんで、ばーちゃんがこんな時間に、こんなところに何人も、それも一人でいるのだ。

 

そんな深夜のマ○ド○ルドは、テーブルの下にもゴミがちらつき、場末の空気を放っている。

ここ1、2年のここのマ○ド○ルドは、アメリカの貧困地区にあるマ○ド○ルドのようだ。

マ○ド○ルドだけではない、

最近増えたコンビニのイートインも、同様のうら寂しさを醸している。

こうした場所に入るとき、日本はアメリカになるのかなあ・・・と漠然と感じる。

 

マ○ド○ルドの商品を買い込み、

食べるんだかどうかもわからない紙袋を2つも3つもぶら下げて、

自分の席のまわりを行ったり来たり、独り言をつぶやいてるばーちゃん。

その対角線では、別のばーちゃんがテーブルを紙ナプキンで丹念に拭き、

手に持っていたペットボトルをテーブルに置き、他の荷物は椅子にきちんと乗っけて、

自分用の席をきれいにセッティングしてから、1階に商品を買いに行った。

その隣の席には、荷物をクッション代わりに腰にあて、

ほとんど寝ているばーちゃんがいる。

そして、その3人とで作られる四角形のもう1点に私がいる。

これは私の30年後か?

珈琲を一口飲んで咳き込んだ。

 

ふと顔を上げると、さっきまで徘徊老女のいた席にやってきたのは

かかとの高いポックリ靴に、ストレートの盛り髪。

引田天功みたいなアンドロイド女性。美人だ。

 

ものすごく遠くに聞こえるBGM。話し声も少ない。

3人で来ている若い男の客も、3人並んでゲームボーイをやっている。

 

よく見れば、私の目の前の老女2人は、

かなりなファッションセンスの持ち主だ。

 

ほとんど寝ている方は、黒い薄手のダウンジャケット風、

ズボンは渋いピンク色の細いコーデュロイ。

短めで、くるぶしが見えている。

靴下はくるぶしがちょっと隠れるくらいのショート丈。

腰にクッション代わりにあてているバッグは、

ピンクとブラウン系のエミリオプッチ風柄のナイロン製。

ピンクの毛糸の帽子をかぶってる。

 

もう一人の老女は白髪のアップ髪、

薄汚れてはいるけれど、足元は白地に赤い星コンバースのローカットの皮バッシュ。

2本線のカーキのジャージをふくらはぎまで折上げて、

その上に同じカーキ色の膝上丈のスカート、

そしてまた同じカーキ色のジャンパーを着ている。

 

放射能に萎縮する東京で、

カーキ色の老女は、足を組み腕を組んで、周りの客を品定めするように見渡す。

ピンクの帽子のばーちゃんと、アンドロイドと私は、

眼下を流れてゆく空車のタクシーと青い大きな清掃車を

ほおづえついて眺めている。

 

店内放送が入る。

3階客席は1時半をもって店内清掃のため閉店だという。

しばらくすると、2階席も2時までという。

店頭には24時間営業の文字。

「節電」が「非情」という言葉に思えた。

 

気がつけば、隣の席の引田天功はいなくなり、

鋲のついたジーパンに皮ジャンのロカビリー男に変わってた。

ロカビリー男は席を立ったが、

自分のトレーを片付けようともせず出て行った。

 

2時3分前、突然店内がざわめき始める。

じいさんばあさんが立ち上がる。

 

トイレから出てきたじいさんは紙ナプキンで手を拭いている。

ばーちゃんは紙ナプキンを2枚とって、トイレに向かう。

そしてゆっくりゆっくり身支度を整えると、

目の前のじゃまなテーブルをわざとのように押しのけて出て行った。

みんなどこへいくのだろう。

もう四月も終わりだというのに、やけに寒い。

 

明日は我が身という言葉には、

そうはなりたくはないというニュアンスがあるが、

なりたいとか、なりたくないとか

そんな感情とは別な次元に、マ○ド○ルドの2階席は浮いている。

 

年寄りがいなくなった2階席で

モップをかける店員は、

明日もスマイルを売り続けるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 


国際森林年国内委員会の傍聴に行ってきました~その2~テーマは国際森林年を震災復興に役立てるために

2011-04-19 22:32:04 | 東日本大震災

~その1~からの続きです。

先日4月14日に行われた国際森林年国内委員会の委員の発言の一部を以下に紹介します。多少私の感想も混ざってます。

<岩手県住田町 多田欣一町長>

 

多田町長は震災を受けて今回から委員になった。

住田町自体は震災による大きな被害は無く、隣町である大船渡、陸前高田の後方支援を行っているが、その一環として、地元国産材による木造仮設住宅建設を進めている。当初、仮設住宅案件は県の範疇、町が隣町のためにやるなんてダメだと各方面からずいぶんお叱りを受けた。しかし、進めていくと、資金面で支援するという民間団体も出てきて認められ始めた。


なんと、この仮設住宅を請け負う地元第三セクターは、町長の意向を汲んで、発注前、すでに図面をつくっていたとか。すばらしい!誰がお叱りになられたかは知らないが、実行力のあるリーダーの前には、結局黙らざるを得ないという好例だ。

さらに町長曰く、

「小さな町の大きな挑戦だと思ってあえて木造の一戸建て仮設住宅を造っている!」やるなあ~。地方自治体あなどれずだ。


誰かが言ってたけど、やっぱりこれからはネズミが象と同じ土俵で戦う時代なんだなあ・・。

東京電力やJALなどの大企業がのきなみ醜態を晒しているだけに感慨深い。


仮設住宅の建設に関して、国交省は基本的にプレハブ協会に建設要請を行っているが、この方式だと、地元工務店に仕事がまわらない可能性もあることが、ツイッターでつぶやかれている。

地元工務店を使う事が一番の復興の早道なのに、手続きの煩雑さゆえ国はプレハブ協会なのだろうか? 震災前からこういうことを想定して地元工務店を使う方法を模索していれば、他の自治体にも住田町のようなことができたろうに。今後、地方自治の時代に向けての課題である。


今回の住田町のプロジェクトに協力しているmore treesのブログに

この仮設住宅の建設風景が出ているので是非見てみて下さい。


また、この住田町の仮設住宅建設資金を応援したい方は、

 下記のサイトからどうぞ。


「FSCジャパン震災被災地復興支援緊急募金」

  http://www.ichise.co.jp/2011/04/06/


  *FSCとはForest Stewardship Council 森林管理協議会のことです


多田町長によれば、将来的に自力再建が難しい世帯には、

 恒久住宅として提供する事も模索するということだが、

今後、地震の活動期に入るといわれている日本の住宅は、

このくらいシンプルなものでいいのではないかという気がする。


マスメディアは、国と県の進める仮設住宅のニュースばかり流すんじゃなくて、こういう画期的な試みを採り上げて欲しい!


ほかにもこうした国産木造仮設住宅の斬新な企画を推進している団体はあって、田中優氏らの「天然住宅」が、将来の増築移設が可能な、「仮設じゃない”復興住宅”」というプロジェクトを開始している。これにも注目です!

詳しくは「天然住宅バンク」のサイトをhttp://www.tennenbank.org/



以下、完結に委員会での各ご意見を紹介する。


<大久保尚武 経団連自然保護協議会会長>

○個人的な提案との前置きで、三陸の海岸線に、各企業が資金を出して緑の回廊のような森を作れれば。東京都がやっている海の森のようなかたちでやれば、5億円で100haできる。50億円くらいあれば、被災地に新しい森ができるのではないか。



<仁坂吉伸 和歌山県知事>

○なかなか林業では採算が取れないが、それを解消するには、間伐が経済的にできることが仕上がりの姿だと思っている。部分かいばつがやや採算ラインに近い。しかし、自然災害 などのことを考えても、本当の間伐ができるようになる事が大事。


   →なら、私からは皮むき間伐をおすすめしたいです!

   「皮むき間伐体験記」

    http://www.dejima2010.com/2010/07/in.html


○国際森林年が今年なのに、今年こんな事をやってる事がおかしい。でも、もうありものでやるしかないので、和歌山県でやる植樹祭を国際森林年風に脚色したい。


<出井伸之 美しい森林作り全国推進会議代表>

エメージェンシーアクションという意味で、支援の緊急性への政府対応に疑問。また、政府には復興へのグランドビジョンがない。日本列島を中国や海外の国々が羨むような国になるようなグランドビジョンを持って欲しい。その中で森をどうするかという考え方をして欲しい。

原発の怖さはわかったので、森と代替エネルギーをからめて語るべき。森の間伐のための道の脇に太陽光パネルを敷くなどの、はかない抵抗でもいいので、外国人が羨んで日本に視察に来るようなグランドビジョンをもってほしい。


<赤池学 ユニバーサルデザイン総合研究所所長>

震災復興のその先の価値開発を。

国際森林年を日本刷新の本格的な議論の機会にして欲しい。

日本の家作りどうするのかを考えると、伝統工法を使えない現状の建築基準法がどうなんだという話になってくるはず。養老先生のおっしゃる参勤交代論など、ライフスタイルや山村のあるべき姿とか考えたい。バイオマス路線の普及も含めて、電力自由化のことなど、骨太のエネルギー議論をできる機会にしてほしい。


<C.W. ニコル 氏>

家のぬくもりは「火」。安全で安くて頑丈な薪ストーブを考えた。石油やガスが無い場所などでは便利。またチープな石油やガスのストーブは危ない。それを考えるとこのストーブはいい。こうした器具のイノベーションも考えて欲しい

田舎に住みに来てよ!


<天野礼子 氏>

「三陸バイオマスタウン構想」というのを総理に提出した。

木材の乾燥は今、90%以上は重油でやっているが、中には木屑を燃やして木質バイオマスエネルギーでやっているところもある。そういうことをやってはどうか。養老さんのやっている参勤交代論の一形態に近いが、紋別市が港区に対し、もし港区で災害があった時には、紋別の木材と資材を供給する、また、災害がひどい時には港区民は紋別においで、という契約を結ぼうとしている。

都会の人間は田舎にも逃げ込む場所を作っとこうという提案を林野庁からもして欲しい。


<飯塚昌男 日本林業協会会長>

民主党政権は100万人の雇用を作ろうと言っていた。この機会に被災者を雇ってほしい。また林野庁として、林業の現場に雇用を作って欲しい。生椎茸の風評被害があるが、こういうことを広報する場合、だめだというなら、補償の方法を明示してから広報して欲しい。


<佐々木毅 座長>

今年の夏は再び計画停電に直面するかもしれず、森林保全啓発のプランを考えてもいいかなと思う。



委員会の内容は以上。


割愛した人もいるが、だいたいはこのような意見だった。これらの理念が実現されれば本当にいいことなんだけど、仁坂和歌山県知事も言っているように、今年が国際森林年なのに、今頃こんな会議やってるってどういうこと?との感は否めない。この意見が行政の手にかかりどのように実践されるかは未知数だ。


今回の委員の話の中では、行政の慣習を破って反発にもめげず独自の仮設住宅を作っている岩手住田町の多田町長の話がもっとも興味深かった。最初は批判を浴びても続けていれば、政府も認めざるを得なくなって、こうして国際森林年の国内委員にまで選ばれるのだ。

みなさん、自主規制なんてしないで信念貫きましょう!


というわけで、私は政府に頼らないで、ぼとぼち独自でプランを進めて行くとするか・・。


私が現在やっている「火鉢クラブ」では、前回4月9日10日に行った第3回火鉢カフェに続き、しばらくのあいだ「電気が無いなら炭を使おう」のコンセプトで、イベントを企画したいと思っています。


火鉢クラブは火鉢や炭火のみならず、日本の伝統的な住環境の心地よさを現代に生かすことを目標としています。夏の暑い時は、「電気無しで涼を感じる」をテーマに火鉢カフェ夏バージョンを企画する予定です。


イベントはこのブログもで告知しますので、よろしくお願いします!



追伸:

ところで、いまさらだけど、モアトゥリーズやってる坂本龍一氏とか小林武史氏とかミスチルとかで「国際森林年」のテーマ曲作りませんか!私的には、「ONGAKU」みたいな曲希望!


 


第三回火鉢カフェ報告 その2 日本での暮らし方を考える

2011-04-14 16:13:48 | 東日本大震災

 

「第3回火鉢カフェ報告~その1~」からの続きです>>

 

今回の火鉢カフェは、震災の影響もあり、カフェでの話題はもっぱら次世代エネルギーや今後の私たちの暮らし方についてだった。自然エネルギーへの転換はもちろんのこと、社会のあり方などにも話は及んだ。というのも、この火鉢カフェの会場である長屋が、まさにその社会のあり方を示唆していたからだ。

今回は、そんなに寒くなかったので、常に縁側のガラス戸を開け放っていた。すると、通る人々は中をのぞいて、近所の人は必ず挨拶をしていく。中から顔を向けて目が合えば、知らない人でも「こんにちわ」と声をかける。そうした、かつてはあった日常が、まだここには残っていることを、参加した方の多くが感じていたと思う。ドアのチャイムを鳴らさずに宅急便屋さんがやってきたり、お向かいの女の子が部活から帰ってきてお帰りとか、子どもが入園式を終えて戻ってきて、おめでとうとか、そういう会話が交わされていた。

 

先日、作家の高橋源一郎氏が、雑誌のSIGHTでの対談で、宮崎駿氏と会ったという話をしていた。

宮崎氏は次回作のために、昭和30年代の「町の音」を収録しようと日本中をロケハンして廻ったのだそうだ。しかし、そのことによって、もはや日本には「生活音」は存在しないことが分かってしまった。最終的には屋久島まで行って、昭和30年代の町の音はもう日本にはないことを確認したのだ。気密性が高い現在の住宅事情では、朝のまな板の音も、雨戸を開ける音もなく、子どもの声も聞こえない。密閉された空間に閉じこもり、音をたてずに過ごしている。窓も開けない。

 

それが、現在の疎遠な地域社会を作ってしまったのだろうか。

 

私は、地域社会のあり方は、住宅のあり方によって少なからず規定されると考えている。住宅の形態が変わる事によって、人間関係も変わってきた。木と紙でできた、隙間だらけの低層の住宅が建ち並ぶ社会から、コンクリートで密閉性の高い、高層マンションが主流の世の中に変わっていった事が、今の社会を形作る上で大きな影響を与えていると思う。もちろん、プライバシーという概念が導入された事は悪いことではない。でも、よく考えたら、家や部屋に関するプライバシーなんて、部屋を汚くしてるからお客さんには入ってもらえないとか、恥ずかしいとか、その程度のことのような気もしないでもない。

 

この宮崎駿氏の話には続きがある。

さらに彼は、「アニメは僕で終わりです」と語ったんだそうだ。

なぜか・・・。

「火とか水とか風とか音とかを再現するのがアニメ」で「それを知らない人間には再現できないから、もう不可能です」ということらしい。彼曰く、最近のアニメーターは炎が描けない。なぜ描けないんだと聞くと、「見たことがない」と答えるらしい。

 

確かに。

今回カフェに来てくれた方のほとんどは、炭火は非日常だと言っていたし、20代の女性は、私たち世代には全然未知の世界と言っていた。本当に「炎を見たことがない」若者がほとんどなのだろう。

 

私は年齢40そこそこでも、ゾンビのように生き残った商家の長屋、さらに向かいに鎮守の森、自転車漕げば海があり、という特殊な環境で育ち、五右衛門風呂とか、秋の落ち葉炊きとか、海を渡る風とかを日常的に経験している。火鉢カフェでの炭火も別に珍しくはない。でもそれは多分特殊なのだ。

 

*火鉢クラブ設立のきっかけとなった内子町石畳の炭窯

 

今、宮崎氏はアニメを自分とともに終わらせるための葬儀をやろうとしているという。

 

宮崎駿のアニメは、そのストーリーの好き嫌いはあれ、水のたゆたい方や、風の流れや、木のざわめきにおいては、確かに、自然のそれを経験した時の記憶を包含しているような気がする。自然を目の当たりにした時に感じた、快楽や恐怖感や説明できない色々な感情をそのセル画を重ねた映像は呼び起こすのだ。確かにそれは他のアニメとは違うかもしれない。

 

「アニメ」が「アニメもどき」になっていくのは時代の宿命かもしれない。

 

でも、私には「葬儀」をやろうとは思えない。炎を知らない若い人に「火を扱う事を知ってみない?」と呼びかけたい。別に、昔に戻りましょうと言いたいわけでもない。

 

ただ、火を扱うことは楽しいのだ。それを伝えたいだけだ。

 

理屈を言えば、今回の火鉢カフェのテーマにも掲げたように、震災等で電気が止まるような非常時には、炭や薪などで火を使えることも必要だともいえる。火は人間の文明の源でもあるから、それを忘れる事は、重要な何かを忘れるようなものだ、とも言えるかもしれない。

 

けれど、なぜ火鉢カフェなんかをやっているかを本能に従って答えれば、「火は楽しい」というところに行き着く気がする。

 

火がつくまでの過程、その上でモノが焼ける様、焼けたもののおいしさ、火の側にいる気持ちのよい暖かさ、火力を強めたり弱めたりコントロールする面白さ、大きくなったり小さくなったり、強くなったり弱くなったりする炎。そして、その赤い色。

 

とにかく、面白いのだ。

 

しかし、それがゆえに使い方を誤り、炎が牙を剥く事もある。その怖さを知るにも火を使ってみなければわからない。

 

使いながら、「火」の人間にとっての意味、現代における意味を考えてみたいと思う。現代の生活の中で、火を扱うメンタリティを生かしたエネルギー政策とはどんなものだろう。

 

誰もその姿を直接は見ることのできない「原子力という火」を捨てて、その姿を拝める「原始的な火」について、いま一度考えてみる事も、次へのステップに行くためには必要なんじゃないかと思う。

 

自分でも分かったような分からないような締めだけど、これから考える事は多いということだけは確かだ。

 


第三回火鉢カフェ報告 その1 炭団に羽釜も登場!

2011-04-14 15:50:46 | 東日本大震災

 

「電気が無いなら炭を使おう」をテーマに、福島の炭を熾し、福島の濾過炭で濾した水でお茶を入れ、宮城の酒を試飲した第3回火鉢カフェ。4月9日、10日、初めての2日連続開催でした。

もう、大盛況!と言いたいところですが、初日は雨、翌日10日は、2日前に追加開催を告知したので、知られていなかったのか、天気がよかったにも関わらず、客足はまばらでした。原発事故による放射能汚染の問題もあるのか、9日に雨が降ったのは痛かったです。ただ、来ていただいたお客さんとは、炭火の話、自然エネルギーの話、地酒の話で盛り上がり、人数は少なかったけれど、とても有意義な会となりました。30人近くの方にご来場いただきました。

 

では、

第三回火鉢カフェの報告です

 

根津は藍染め長屋の澤田さんちの軒先も春めいて、アケビが緑を滴らせ、紅葉の青葉が清々しい中での火鉢カフェとなりました。

 

 

アケビの花なんて見た事ないという方のために、花のアップを。

 

花の向こうにボケて見えているのは、澤田さんが染め物で使うクチナシと唐辛子です。

 

 

いつもの玄関と縁側。縁側には火鉢を花器にして花を生けてみました。この火鉢は茶室用で、中に炭を入れて使う暖房用。

 

縁側に募金箱も置いて、入ってくるとき目に入るようにしたのですが・・・。

裏道なので通行人もまばら。思った程は集まらず残念な限り。

またGWにでもイベントを企画しようか、構想中です。

 

というわけで、やっと中に入ります。

 

参加者は合計28人だけど…。盛り上がりました!


8畳一間のカフェは、少しのお客さんでいっぱいです

(募金を集めるにはもっと広いところでやらなきゃダメかもしれません)。

しかし、お客さん少ないながらもおおいに盛り上がりました。少ないといっても室内はいっぱい。火鉢カフェというより、囲炉裏カフェになっちゃってます。結構あったかかったので、熱源はこの囲炉裏と、火鉢一つだけにしたためです。

 

もう一つの熱源の火鉢とはこちら。

この珍しい猫足の火鉢は、合羽橋の炭屋「斉藤商店」さんからお借りしたものです。まわりに湯のみが置けてとても便利。みな口々に「欲しい!」。

 

 

500円の炭チャージでお茶とお酒はフリー

 

と、こんな設えで始まった第三回火鉢カフェ。

 

炭は告知の通り、福島産の炭を中心に使いました。炭が主役にも関わらず、炭のヨリの写真が無くてすいません。接客しながら、ふと気づいた時に写真を撮るので、どうしても取材をするようには万全に写真を撮れないのですね・・・とほほ。

 

写真の囲炉裏の真ん中に見えているのが焙烙(ほうろく)です。緑茶を炒ってほうじ茶にして飲んでもらいました。もちろんお水は、福島の桐炭を加工した濾過炭会津キリタン「桐切舞(きりきりまい)」で濾過した水です。

この濾過炭を開発しているのは福島県大沼郡三島町の商工会と役場で作った

三島町炭化プロジェクト委員会事務局です。

この会津キリタン「桐切舞」の発売は11月ということで、ちょっとお待ちいただく事になりますが、興味のある方は、上記のURLをクリックしてみて下さい。

 

また、三島町ではいわき市をはじめとした自治体の被災者を受け入れ支援しています。

被災者や支援についての情報と、

三島町への義援金をお考えの方は以下のページをご覧下さい。

 

 

次に、宮城石巻のお酒「墨迺江」。

会場写真の右下隅にちょこっと、とっくりの口が見えていると思いますが、これが墨迺江酒造の「燗たのし」のぬる燗です。現場で写真撮るのを忘れてしまい、事前に撮った写真でご勘弁。

みなさん、美味い!と舌鼓。

 

10日閉店間際には、「墨迺江」でネット検索してこの火鉢クラブのブログにたどり着き、カフェまでやってきて下さったという地酒好きの女性もいらっしゃいました。なのに、火鉢カフェの案内看板に不備があり、澤田さんちにたどり着くまで1時間も迷ってしまったということで、本当に申し訳ない事をしてしまいました。とはいえ、墨迺江「燗たのし」にはご満足いただけたようです。このお酒「燗たのし」というだけあって、やはり冷やより燗のほうが美味しい気がします。火鉢カフェにぴったりのお酒、墨迺江酒造さん、がんばって来年も「燗たのし」よろしくおねがいします!

 

火鉢カフェは終わってしまったので、あとはみなさま各自、以下のサイトから募金にご協力いただければと思います。

 

「宮城蔵元救済義援金」お願いページ 

   

 

 

http://bit.ly/fjGvcW(←クリックで飛びます)

 

 

 

 

 

また、今回は、火鉢カフェの常連、愛媛県内子町の酒六酒造さんから、酒粕も提供していただいたので、甘酒もフリーで振る舞いました。

酒六酒造さんが、自信をもって勧めて下さった酒粕だけに、アルコール臭さは無く、上質なヨーグルトドリンクのような感じさえする飲みやすさ。美味い。普通のお酒は飲めないという女性も、この甘酒なら飲めると、何杯もおかわり。あまりに気に入られていたので、お土産にペットボトルでお分けしました。ちなみに、上の写真は一日目の甘酒です。二日目は黒砂糖を入れ、焦がしてしまったのでもっと茶色い色になってしまいました。


サザエさんも作ってた?こんなものも初登場


また、今回いろんな火鉢をご提供下さり、とてもお世話になった合羽橋の斉藤商店さんですが、さらに、こんなものもいただきました。炭団(たどん)です。

私自身も、炭団は初めて。お客さんからも「かわいい!」の声が!

また、お客さんからは「サザエさん」の漫画(本)の中で、サザエさんが炭団を作っているシーンがあったという話を聞きました。かつて、炭が家庭の熱源の中心だった頃は、大量に出る炭の粉を、少しでも無駄にしないよう、家庭でもそれをかき集めて炭団を作っていたのでしょうか?今では、炭団が何でできているかわからない方も多いようで、ほとんどの方が「初めて見た」とのこと。炭団は、炭の粉を水で練り、ふ糊で固めます。

火がついた状態がこれ。かなり時間経ってます。結構長もちするのにはびっくりでした。

 

これは、火のついた炭団を割っちゃった状態ですが、丸いまんまだとまるでドラゴンボール!

 

 

斉藤商店さんによれば、もう島根県の業者しか作っていないとの事ですが、

こんなに良いもの絶やさないで欲しいなあ・・・。一気にファンになってしまった。

 

備長炭で炊く羽釜のご飯はスゴい!お金をかけない贅沢


ところで、上の写真の炭団の横に転がっているのは紀州備長炭です。基本的には福島の炭を使ったのですが、カフェの最後に、ご飯を炊くために備長炭を使いました。もちろん、囲炉裏でではなく、こちらの珪藻土の七輪に羽釜を乗せて炊きました。

ご飯を炊くには、火力の強い備長炭でなければなりません。けれど炊飯自体は思いのほか簡単でした。真っ赤に焼けた備長炭を七輪に入れ、お米と水を適当に入れた(本当に適当な計量)羽釜を上に乗っけて、ただ待つのみ。湯気が出たのを見計らい、その湯気がちょっと焦げ臭いなと思ったら、火から下ろして蒸らすだけ。何分とか時間を気にするでもなく、途中火加減も見ず、ただ放置。途中一度、湯気の臭いを確認しただけ。

蓋から吹きこぼれる事も無く、火が燃え上がる事も無く、静かに静かに、知らぬ間にご飯は炊きあがっていました。

 

炊きあがりのきれいな状態を写真に撮れれば良かったのですが、またこれもタイミングを逃し、気づいた時には・・・。

でも、美味い!!!

普通の値段のお米です。その上、あんな適当に炊いてこの美味さ。さすが炭火あなどれず。今回も販売した、おなじみ愛媛県は内子町小田の原木椎茸と海苔を焙って一緒に食しました。なんという贅沢!でもちーともお金かかってないんですよね。みんな普通の値段。

このご飯サービスは、10日の閉店前にいらしたお客様だけになってしまったので、今後はもっと食べていただけるよう工夫出来たらと思います。

 

これ、今回販売した内子町小田の原木椎茸です。

 

このお客様は、1日目来店でこの椎茸を気に入って、翌日も買いにきて下さいました。そして募金もしてくださいました。にしても立派な原木椎茸でしょう! マジうまです! また取り寄せますね。

 

というわけで、二日間の火鉢カフェは無事終了。

ただ、参加人数が少なく、募金があまり集まらなかったのが残念でした。

 

 

火鉢カフェで集まった募金について

第三回火鉢カフェで集まった募金額は、まだ一部受け取っていない募金分がありますので、その分を受け取ったら、まとめて報告致します。少々お待ち下さい。

 

というわけで、以下、今回の火鉢カフェで考えた事を書こうと思ったんですが、書き出したら長くなったので、ここで分けます。


次回は

火鉢カフェ報告~その2~カフェのテーマ「日本での暮らし方」を考える


 


 

 

 


中沢新一氏が「緑の党(らしきもの)」結党宣言したみたい

2011-04-08 11:06:15 | 東日本大震災

中沢新一氏が「緑の党(らしきもの)」を立ち上げるんだそうである。

内田樹氏にも、「隠居なんてしないで・・・」と誘いをかけていた(らしい)。

メンバーはまだ明らかになっていないが、今ならいけるかもしれない。

「僕らの世代の優秀な人って政治家になってないよねえ、

 理系の学者で優秀な人は原子力にもいってない・・・」とは中沢氏が

「緑の党(らしきもの)」立ち上げを公表したustでの発言。

 

次の時代を動かすのはどういう人たちになるのだろうか?

またどういう思想になるのだろうか?

 

明治維新後「軍事力」、敗戦後「経済力」、そして、原発震災後は・・・?

「理想力」って言葉があるかどうかは知らないが、

 なんかそんなもんであるような気がする。

「腕力」⇒「金」と来たら、次は「夢」ではないかと思うし。

これまでは非現実と思われてきた「夢や理想」を語る「言葉や思想」が、

現実的なものとして浮上して来はしないかと思うのだが、どうだろう。

単なる夜中の思いつきであるが、漠然と以前からこんなことを感じていた気もする。

世の中にコミットするということの意味がどう変わっていくのだろうか。

 

で、話は違いますが、

明日明後日4月9日(土)10日(日)両日、

東京は根津の藍染め長屋で開催の「火鉢カフェ」、

花見と都知事選挙のついでにお誘い合わせの上おでかけください。

テーマは「花冷えの4月、電気が無いなら炭を使おう」

福島県の炭を火鉢に熾し、お茶をいれる水は

福島の桐炭を使った濾過炭で濾過したものを使います。

また宮城県「墨迺江酒蔵」の「燗たのし」も試飲していただき、被災地募金を募ります。

ほかに、愛媛内子町の原木椎茸の販売、酒六酒造の酒粕で作った甘酒試飲やります。

合羽橋の斉藤商店さんにお借りした珍しい火鉢も登場します。

詳しくはこちらを http://hibachiclub.blogspot.com/ 

 

緑の党(らしきもの)ちょっと期待だ

 

 

 

 

政治の世界に入るか、行政官となるか、メディアで発言するか、財界産業界で大きな権力を持つか・・・。

政治の世界にどういう人たちが入って行くかは、その時代を象徴するのだろうか?

 

 

 


火鉢カフェ、4月9、10日両日開催することにしました!珍しい火鉢の登場も決定!

2011-04-07 12:21:45 | 東日本大震災

今回の火鉢カフェは、土、日曜日の2日間開催することにしました

 

 ~花冷えの4月、電気がないなら炭を使おう~

サブテーマ:福島の炭を使う、宮城の酒を呑む 



 

日時:2011年4月9日(土)午前11時~午後7時

               4月10日(日)正午~午後5時


       ○場所:根津藍染め長屋 澤田さん宅

        地図・アクセスはこちらを(←ここをクリック)

        ○料金:500円

         *火鉢で焙じるほうじ茶、お酒試飲などは料金に含まれます


 

 

今回の火鉢カフェに、急遽、珍しい火鉢が届けられることになりました。

 

合羽橋の炭屋「斉藤商店」さんが、ご自分で集めている火鉢を貸して下さいます!

 

これは、中に灰と炭を入れて蓋をしたらアンカみたいになる火鉢。

周囲に小さい穴があいているので空気が入り、炭火が消えません。

 

  

以下は、炭団(たどん)を入れて使う火鉢。これも直火ではなく、あったまった陶器からの熱で暖をとるもの。右の卵形のはお茶席等で使われるものだとか。左が炭団です。

 

また、珪藻土七輪と南部鉄の羽釜もやってきます!

 

 

 

 

 

 

ご飯を炊くのにはやはり火力の強い備長炭ですが、下の写真は、

 

紀州備長炭の材料となるウバメガシの苗です。紀州備長炭を扱う炭屋さんで育ててるそうです。 

 

 

 

 

  

 

 

というわけで、以下は前回のお知らせでも紹介した、

今回の火鉢カフェの内容です。      


1)お茶をいれる水は、桐の産地・福島県大沼郡三島町の桐炭を加工した濾過炭「会津キリタン」で濾過した水を使用します。

*この濾過炭はまだ未発売です。発売前の事前のご紹介になります。

 カフェでは資料を配布します。発売時期や予約等の情報は、被災地の事情もあり

 まだ確定していませんが、今年秋には発売予定。

 カフェ当日にはもう少し情報をお伝え出来ると思います。


 

2)被災した宮城県の酒蔵「墨迺江酒蔵」の燗酒「燗たのし」を試飲用にご用意しました。


 

 

 墨迺江酒蔵は、石巻の酒蔵で、津波で蔵が冠水し大きな被害を出しました。しかし人的被害は無く、現在すでに来期の酒に向けて始動されているようです。よろしければ被災酒蔵への募金をお願いします。宮城県の被災酒蔵義援金窓口に寄付致します。

http://bit.ly/fjGvcW(←宮城蔵元救済義援金お願いページ)

 

参考)東北の酒応援サイト「Save The 東北の酒」

 

   復興への決意を語る墨迺江酒蔵の記事(河北新報)

 


3)愛媛県内子町小田産の原木椎茸販売(中止の場合もあります)

*先ほど(4日昼時点)現地より、今週は運送に3~5日かかる可能性があるとの連絡があり、場合によっては原木椎茸がカフェ当日に間に合わないかもしれません。東北地方への宅急便がこのところ復活したため、現在、そちらへの物資輸送を優先しているためだということです。原木椎茸販売が可能かどうかは状況が分かり次第このブログとツイッターでお知らせします。

 

お誘い合わせの上、おいで下さい。

 

 


第3回火鉢カフェを開催します。福島の炭を使います。

2011-04-02 13:40:28 | 東日本大震災

 

ちょっとお休みしていた火鉢クラブの活動、再開します!

 

桜の散り始める頃に、火鉢カフェを開催することにしました

 

 ~花冷えの4月、電気がないなら炭を使おう~

サブテーマ:福島の炭を使う、宮城の酒を呑む 



 

日時:2011年4月9日(土)午前11時~午後7時

  

       ○場所:根津藍染め長屋 澤田さん宅

              *地図・アクセスはこちら

        ○料金:500円

         *火鉢で焙じるほうじ茶、お酒試飲などは料金に含まれます

      

1)お茶をいれる水は、桐の産地・福島県大沼郡三島町の桐炭を加工した濾過炭「会津キリタン」で濾過した水を使用します。

*この濾過炭はまだ未発売です。発売前の事前のご紹介になります。

 カフェでは資料を配布します。発売時期や予約等の情報は、被災地の事情もあり

 まだ確定していませんが、今年秋には発売予定。

 カフェ当日にはもう少し情報をお伝え出来ると思います。


2)被災した宮城県の酒蔵「墨迺江酒蔵」の燗酒「燗たのし」を試飲用にご用意しました。

 

*墨迺江酒蔵は、石巻の酒蔵で、津波で蔵が冠水し大きな被害を出しました。しかし人的被害は無く、現在すでに来期の酒に向けて始動されているようです。よろしければ被災酒蔵への募金をお願いします。宮城県の被災酒蔵義援金窓口に寄付致します。

http://bit.ly/fjGvcW(←宮城蔵元救済義援金お願いページ)

 

参考)復興への決意を語る墨迺江酒蔵の記事(河北新報)

 

 

 

3)愛媛県内子町小田産の原木椎茸販売もあります

 


<福島の炭を使って被災地を応援>

震災で大きな被害を受けた福島県。山村部は炭の産地です。

今回は福島県の炭を使う事で、気持ちだけでも被災地を応援したいと思います。

気持ちだけではなく寄付も受け付けます。

集まった寄付金は、今回火鉢カフェで紹介する「会津キリタン」を開発した福島県三島町に送りたいと思います。

 三島町自体は大きな被害はなかったようですが、そのため、

現在、いわき市をはじめとした19自治体から被災者を受け入れ支援を行っています。その支援活動の費用にあててもらいたいと思います。


<被災地に木炭とコンロが届けられました>

また、今回の震災では、被災地への支援物資として木炭とコンロが届けられました。阪神大震災の時は行政に裸火は危ないと断られたそうですが、炭への理解が生まれたのでしょうか。

当日、浅草の斎藤炭店さんが、被災地への木炭の配布に関する資料をお持ち下さいます。みなさんに見ていただけるように準備しておきますので、興味のある方は是非おいで下さい。


火鉢カフェ開催場所アクセス(←ここをクリック)



未曾有の大災害で、現在のエネルギー基盤の脆弱さが露になりました。

人間にとって、火は恐ろしいものである一方で、いかに大切なものであるかも実感します。しかし、いまや、その「火」を扱えない人が多くなってしまっています。災害に備えるというわけではありませんが、炭火を扱う事で、火を直接扱う方法も学んでおいても良いのではないでしょうか。


今回の火鉢カフェは、

1)火の扱いを知る

2)福島県の炭を使う事で支援する

をテーマにしながらも、

花見の帰りにのんびりと、ほんだらほだらだくつろぎながら

炭火を楽しんでいただきたいと思います。


お誘い合わせの上、おいで下さい。