橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

小沢一郎立候補らしい!「民主党代表選を政局で語るな!」に追記 「ぶら下がり」について

2010-08-26 08:30:47 | 国内情勢
民主党代表選。今、小沢さんが立候補する意志を鳩山さんに伝えたとNHKが速報を打ちました。さあ、はじまるぞって感じですね。

というわけで、前回書いた代表選についての文章にちょっと補足をさせてください。
「民主党代表選を政局で語るな!政策論に注目~ビデオニュース・マル激に鳩山前首相登場!必見」
に、鳩山さんが記者会見開くと言ったときのことを鳩山さんの言葉の引用で紹介しました。
 鳩山「私どもがホントは記者会見を開きますよってやりたいんだけれども、
    記者会見を開く開かないか、場所を決めるのも、ましてや人間を決めるのも、
    自分たち記者クラブの権利なんですよって、いうふうに彼らは思ってた訳ですよね。」

ちょっと説明が不十分かと思ったので追記します。

このあとの文章で、私は、「あくまでも鳩山さんの言だが、これって、総理が会見開きたいので集まって欲しいと言ったけどダメだったっていう意味なのだろうか???」と書いていますが、やはりそれは現実的に考えてもないですよね。

これは、鳩山さんがいわゆる「ぶら下がり」取材を止めて、時々「記者会見」を開きたいと言ったために、クラブ側は「ぶら下がりを止める」の方に反発したということですね。ぶら下がりも記者会見も両方やるならどっちも出るんでしょう。
朝夕の「ぶら下がり」というのは、昼ニュースと夜ニュースで使えますし、毎日やりますから、メディアに取っては毎日首相のコメントがとれる便利なものなんですね。
でも、ぶら下がられる側からしたら、バラバラ質問投げかけられるだけで、落ち着いて説明したい事もできないから、止めたいと言う気持ちも分かります。
あれって、考えてみたら、小泉さんが始めたもので、その前の首相はやってなかったんですよね。小泉さんみたいなワンフレーズポリティックスの得意な人には便利な仕組みだったんだと思います。

総理にこうして話を聞ける場が多いのは、私も悪いとは思わないのですが、最近のように、言葉の端々を切り取って断片的に報じると、かえって普天間問題のように、物事を混乱させる原因を作っているようにも見え、またあの形態も、煽られるみたいで落ち着いて話せないような環境だし、私も「ぶら下がり」というものには疑問です。

週一か週二くらいで、記者クラブ主催で総理会見を開くという訳にはいかないんですかね。官房長官は毎日会見するんだから。

昨今のメディアの報道は、何にでも、考える前にすぐに反応する、パブロフの犬みたいです。
総理の会見も一週間の事柄を週末にまとめて聞くくらいでいいのじゃないでしょうか。その方がメディアの方も条件反射みたいな質問にならず、問題の本質を一度じっくり考えて、いい質問ができるんじゃないかと思います。

中には、こうした頻繁なメディアへの露出を利用する政治家もいるし、今主流となっている、取材対象者の言葉を一言切り取って使うスタイル(「音」を使うと言いますが)も、もう少し引いた目線で見た方がいいかなと思います。

これから過熱すると思われる代表選についての報道。見る側も一歩引いた目線で見たいものです。

民主党代表選を政局で語るな!政策論に注目~ビデオニュース・マル激に鳩山前首相登場!必見~

2010-08-24 13:24:57 | 国内情勢
もう、政治の話ばかりしたくないんだけど、今日も政治の話だ。
だってさ、日経平均一時9000円割れ、円高も続く。どーすんだろ。
で、民主党の代表選まであと3週間ほどなんだが、なんかテレビ見ても票読みみたいな報道しかしてなくて、脱力。

「代表選」って、いまだ野党の党首選ぶ選挙だと錯覚して無い?
50年以上、総裁=総理だったからなあ・・。なかなか世の中の先入観を変えるのも難しい訳だ。
でも当然のごとく実質次の総理を選ぶ選挙。つまり日本を託す人を選ぶ選挙。

ボロボロの経済ばかりじゃない、100歳以上の高齢者は行方不明で、子どもも虐待死している日本は社会もボロボロ。
バブルの「♪想い出ボロボロ~こぼれるから~、寝返り~うって夢ん中~♪」だ。
なのに、菅さんは、どんどん政権交代時のマニフェストを後退させてるように見えるし、他に政治主導を強く押し進めてくれそうな人材も見当たらないし、自民党と連立なんて論外で、ちょい悪政党(みんなの党のことです)もいや。日本一体どうすんのよ!!!と、今後の収入の見込みさえついていない自分のこと以上に、国のことが心配になる(あ、言い過ぎ。やはり自分のことのほうが心配)。

そんな中、先週末の神保哲生氏のビデオニュースに鳩山前首相が登場した。
テーマは、代表選ではなくて、「私のやろうとしたことは間違っていなかった」。
自分がやろうとした事とは何か、そしてそれを「阻んだもの」について、1時間15分に渡って語った。実は、この鳩山さんが総理として「やろうとしたこと」そして「それを阻んだもの」こそ、代表選を前に、今最も知るべき事ではないかと思う。
この「やろうとしたこと」は政権交代時には、鳩山さんだけでなく、民主党の政権公約であったのだ。

次の代表選は、この「やりたかったことを阻んだもの」と再び対峙し「やりたかった事をやり通せる」代表を選ぶことが求められる重要な政治の岐路だと思う。

私はそもそも鳩山政権時代の小鳩体制に反対ではない。むしろ応援していた。
09年のマニフェスト、政策集には期待するものもあった。
つまり、上記の「やろうとしたこと」を支持していた。
普天間問題の右往左往も、メディアのつまらない先回り報道が、不必要に状況をかき回したと思っている。メディア&官僚の勝利というんですかね。
お前は沖縄県民とアメリカ、どっちの味方やねん!
まあ、そういうと、敵味方の問題ではない。日本全体の国益と安全保障を考えると・・とか言われちゃうんだろうけどね。

そもそも、私がテレビのニュース番組のディレクターを辞めたのは、日々のこうした報道がおかしいと思っていて、そこに加担するのが嫌になったというのが大きな理由の一つでもある。マニフェストに期待して、その新しい時代に向けた政策を、視聴者に伝え浸透させることで、民主党の尻を叩きたかったのに・・。

極端な事言えば、鳩山さんがもうちょっと官僚に抵抗してくれていれば、私もこんな無謀な形で仕事を辞めなかったかもしれない(笑)。いや、やっぱり辞めていたような気はするけど、それでも、鳩山さんが「やろうと思ってやれなかった」原因を作った戦犯は、ある意味、私が仕事やめるきっかけを作った戦犯でもあるわけで、もうこれは、ブログでも書かなきゃ!と思って、メモをとりながら見てしまったワケだ。

今回、ビデオニュースで鳩山、神保、宮台3氏によって語られた内容は、来る民主党の代表選だけでなく、その後の日本のあり方を考える上でも、かなり重要なポイントを語っていたと思う。
ただ、このビデオニュースは有料なので、是非とも会員登録されて有料配信で全編ご確認ください。月500円で毎週配信ですから。

というわけで、ビデオニュースの感想だが、
やはり、鳩山さん、かなりマスメディアと官僚、特にマスメディアに対しては、マジ怒ってた。はっきり言って、鳩山さんが「やろうとしたことを阻んだのは」官僚とマスメディアだ。もちろん、それを乗り越える事のできなかった「自らのパワーのなさ」も原因のひとつだと、鳩山さん自身も語っている。

神保さんは政権交代直前、民主党マニフェストの本を出し、宮台さんも民主党のブレーンをやっていることもあって、鳩山政権発足時に掲げたマニフェストに関しては、利害というか、志は結構近いところにある。
記者会見の解放(記者クラブ問題)にしても、友愛にもとづく地域の再生にしても。なので、話はおのずと、変化を妨げようとする官僚や、政策やマニフェストを正しく伝えないマスコミの批判になった。

普天間問題で沖縄に行きたいのに行かせてくれないとか、
ちょっと空き時間が出来たと思ったら、秘書官が入れ替わり立ち替わりご説明にきて、自分の頭の中の考えを変えさせようとして一日が終わるとか。
また、与党としての経験不足が言われたけれど、逆に経験ができると、行政と仲良くなって取り込まれる可能性があるとか。
これって岡田さんや北澤さん、さらには菅さんを多分牽制してんだろうなあ。
官邸に大臣席つくって各省庁から囲い込めばよかったとも言っていた。

記者クラブ問題は、さらにヒートアップ。
なんか、語気が違うんだよな。官邸の会見解放については、官僚も協力してくれたと官僚をちょっと擁護する一方で、あくまで記者クラブが最後までごねた事を批難してた(その後、3月には結局解放)。

記者会見については、いわゆる午前と夕方の「ぶら下がり」をやめて、時間をとって記者会見を開きたいと主張したが・・・

鳩山「記者クラブと官僚の抵抗がものすごかった。
   官僚は開こうと努力してくれたが、あまり記者クラブの人を怒らせると、
   それが結果として鳩山に響くだろうと、
   メディアを敵に回してヒドくなるだろうと言う配慮が官僚の中にはあった。
   最後松野さんたちが努力してやってくれたが。メディアの抵抗はきびしかった。
   既得権を持ってるメディアは、記者会見を開くのも俺たちの権利だって話でしょ。
   私どもがホントは記者会見を開きますよってやりたいんだけれども、
   記者会見を開く開かないか、場所を決めるのも、ましてや人間を決めるのも、
   自分たち記者クラブの権利なんですよって、いうふうに彼らは思ってた訳ですよね。
   今でも思ってんでしょ。だから中々開かれなかった。
   その発想自体がおかしいと思うんですよね。記者会見やるのは我々の側ですからね。」

あくまでも鳩山さんの言だが、これって、総理が会見開きたいので集まって欲しいと言ったけどダメだったっていう意味なのだろうか???

記者クラブって、確かに、権力が説明責任を逃れようとする時、みんなでタッグを組んで、説明しろ、会見を開けと詰め寄るための組織だったりするのだけど、総理が国民に説明したいって時まで、それを拒むのだろうか。
権力者のプロパガンダに協力することはないって姿勢なのか???
確かにヒトラーみたいな独裁者が戦意高揚のため国民に呼びかけるというなら拒めば良いけど。
それは時と場合じゃないのだろうか。今みたいに、新しい政府の方針、それもこれまでとはガラリと変わる政府の方針を国民に理解してもらうために説明したいというのだから、それはメディアも政府に協力すべきではないのか。そして、おかしなところがあれば、それは批判すれば良い。
もし、記者クラブが記者会見を開く権利があると言うなら、権力者に説明を求める基準とは何かが重要になってくる。記者クラブが聞きたくない事は聞かないし、聞きたい事は聞くってことになってしまう恐れだって無くはない。

別に総理が会見を開きたいならば勝手にいくらでも開ける。しかし、それを広く国民に伝えるのはマスメディアだ。マスメディアが黙殺すれば、会見は行われなかったに等しい。もちろんネットもあるがその影響力はいまだ雲泥のさがあるのは事実。
それこそ、マスメディアの方が目に見えない権力を持っているということだ。
今や、第4の権力が、実はもっとも絶大な力を持っているともいえる。

そして、そんなマスメディアの報道で問題なのは(これは番組でも指摘されていたが)、政局報道ばかりで、ちっとも政策について報じないことだ。今回の代表選だって票読みばかりしている。
記者会見での大手メディアの質問も、政局がらみがほとんどだ。

子ども手当や消費税など、一見政策について質問しているようにも見えるが、それは、「ばらまきだ!」とか「財源はどうする」など最初から批判するためだけの質問で、それらの政策がそもそもどういった内容で、どのような形で世の中に資するのか、もしくはそうではないのかということについて政府に説明を求め、自らの媒体で解説しようとするメディアは数少ない。

解説するにしてもーーこれは宮台氏が指摘していた事で、実はこれがもっとも重要なポイントだと思うのだがーー全て「再配分(ばらまき)vs市場原理(もしくは自助努力)」の二項対立を基準に判断し、別のオプションに思いを馳せない。
すでにこんな単純な基準で政策を論じる先進国など無いのに、日本のマスコミはいつもこの基準でのみ政策をぶった斬る思考停止状態。勉強不足!と番組でも一刀両断していた。

先進国では、もはや市場原理と再分配の考えだけでは、国家の危機は乗り越えられないことは自明で、特にヨーロッパでは、20年以上前から、「地域やコミュニティの相互扶助」など、「財政」による問題解決(平たく言えばお金で問題解決する事)という発想とは別の方策が模索されているという。

そういう意味で、民主党がマニフェストで掲げた「新しい公共」や「地域主権・地方の再生」は、今後の日本のあり方として取るべき方向だと思う。しかし、マスメディアはちっとも伝えようとしない。
これについては鳩山さんも怒っていたが、私も共感する。

去年の夏、政権交代前夜。私の職場のデスクの上にあった民主党マニフェストと政策集の束。そこには、「コンクリートから人へ」の「人へ」の部分である具体的政策、例えばNPOなどの民間を活用した地域再生、学校の空き教室を利用した保育所増設なども書かれていた。
そういうマニフェストに私はほのかな期待を抱いていた。しかし、『子ども手当の財源は?』「ばらまきじゃないか?」という事ばかりが報じられ、ほとんどそうした具体策は国民に伝わらなかったと思う。
政権交代してからも、「財源は?」という突っ込みばかり。

そうした中で、高齢者行方不明事件や、幼児虐待など、日本の社会のほころびがあらわになる事件が次々に発覚する。
日本社会はもはや「財政」とか「市場原理」など、お金だけでは解決できない問題が山積しているのだ。

今の民主党を見ていると、応援するのも萎えるのだが、この2009年のマニフェストと政策集は再度一読する価値はあると思う。
より抽象的なマニフェストよりも、ところどころに具体策が盛り込まれた政策集の方がいいかもしれない。
これが少しずつでも実現して行くなら、日本は再生できると思わせてくれる。

なぜ、民主党の政策はこの政策集からだんだんに遠ざかり始めているのか。
そこを考えてみるべきだ。
どんな圧力が政府にかかり、かつてのマニフェストの実現を阻んでいるのか?

今回指摘された官僚やマスメディアだけではないだろう。
政権交代後、新政府が行おうとする変化を拒んでいるのは、これまで様々な利権に浴してきた既得権を持つものではないだろうか。

そして、今世の中で問題にされる様々な「格差」の縮小は、世代間にしても正規と非正規にしても、この既得権を広く解放できるかどうかにかかっているともいえる。
いわゆる規制緩和だ。限られたパイをより多くの人で奪い合うような、例えばタクシー運転手を増やすような類いの規制緩和ではない。
電力の自由化とか、これまで一握りの人が握ってきた法外に大きな利益を、より多くの人で分け合えるようにしようという規制緩和だ。
電力の自由化は、今喫緊の課題である、代替エネルギーへの転換も促す絶対的に必要な施策のはずだ。

日本はピンチを迎えている。
そんな中で、次の総理を選ぶ民主党代表選の重要さは、政権交代にも匹敵するかもしれない。

もちろん、菅さん続投でもいいわけだが、もはや問題は、誰が総理になればいいという話を超えている。
菅さんでも、小沢さんでも、他の誰であっても、政権交代によって自分たちが何を目指していたのかをいま一度思い出し、目先の批判や、よく考えずにマスメディアに煽られて批判する人には、腰を据えて説得を行い、今の日本に本当に必要な政策を推し進めてほしい。

このビデオニュースの中では、民主党結党時の基本理念がフリップで示された。
基本理念は以下の通りだ。

1) 透明・公平・公正なルールにもとづく社会をめざします。

2) 経済社会においては市場原理を徹底する一方で、
  あらゆる人々に安心・安全を保障し、
  公平な機会の均等を保障する、共生社会の実現をめざしま

3) 中央集権的な政府を「市民へ・市場へ・地方へ」との視点で
  分権社会へ再構築し、共同参画社会をめざします。

4) 「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という
  憲法の基本精神をさらに具現化します。

5) 地球社会の一員として、自立と共生の友愛精神に基づいた
  国際関係を確立し、信頼される国をめざします。

 (私たちの基本理念~自由で安心な社会の実現をめざして~
  1998年4月27日民主党統一第一回大会決定より)

今日本が直面している問題の本質も見ずに、ただ上面でワイワイ騒いでいるだけのマスコミやそれに引きずられる世論、そして政治家自身。

今回の代表選をただの政局にしてはいけない。この機会に、あらためて政策議論を活発に行い、民主党自身が、自らの足下を考え直す契機にしてほしい。

なんとなく、私が鳩山さんを応援してるように見えるかもしれません。
基本的には応援してるんですけど、彼も推進の姿勢を見せている原発推進策だけは納得行きません。友愛と言うならば、それにふさわしいグリーンエネルギーの推進を掲げるべきです。そういう意味では、民主、国民、社民の連立って私的にはいいと思ってたんだけどなあ・・・。

というわけで、その辺の具体的政策については、次回書きますが、
民主党の2009マニフェスト&政策集および2010年のマニフェストを見てみてください。
「民主党マニフェスト2010」
「民主党マニフェスト2009」
「民主党政策集INDEX2009」

あと、ビデオニュースも登録して、番組見てみてください。
「ビデオニュース・ドットコム」のサイト

あと、8月26日にこの記事の追記があるのでご確認いただけるとありがたいです。

民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?
神保 哲生
ダイヤモンド社

このアイテムの詳細を見る

民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)
宮台 真司,福山 哲郎
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

謎。英語公用語化した楽天の社内はどうなってんの?

2010-08-22 20:16:13 | 国内情勢
鳩山前総理がゲストというので、神保哲生さんとこのビデオニュースマル激トークオンデマンドを見ていたら、そのニュースコメントの余談として、こんな話をしていた。鳩山さんの話は別で書くとして、この話もメモっときたい。

楽天の英語公用語化のこぼれ話だ。

先日行われた第2四半期の決算発表の会場での事。
取材記者が、エレベーターで会場に案内してもらっていた時、案内してくれた楽天社員に、記者が日本語で話しかけたところ、「・・・・・」返事が返ってこない。変に思って、「もしかして英語しか話してはだめなんですか」と聞くと「YES」と返ってきたという。

私はツイッター上ですぐさま、この話について「これホント?」とつぶやいたところ、「本当らしいです」とのリプライが。
そこで、その情報源を問うたところ、以下のリンクを教えてくれた。
日刊ゲンダイに掲載された記事がネタ元のようだ。

楽天 英語決算発表の大笑い ゲンダイネット

記事によれば、正確には、「『YES』と言った」、ではなく、「頭を大きく上下に降りうなずいた」なのだが、どちらにしても英語以外はだめで、なんと、外から来たお客さんに対しても英語以外でしゃべっちゃいけないようなのだ。
英語しゃべれないもんは来るなってことかと思ってしまうよねこれじゃあ。

ところで、三木谷社長は「英語だけの強制的な環境を作っています。1年から1年半で、全員が流暢(りゅうちょう)な英語を話せるようになりますよ。私は楽観的に考えてます」(もちろん英語)と満足げな顔を見せていたらしいが、これじゃあ、タモリ、たけし、さんまのお笑いビッグ3の英語禁止ゴルフの逆版だ。ビッグ3ゴルフは、英語のゴルフ用語を使って突っ込まれれば突っ込まれるほど、番組は面白くなるが、楽天では、その度に査定でも下がるのだろうか。
2年後英語のできない執行役員はクビっていうんだもんな。

にしても、さっきのエレベーター内にいた別の社員は「こちらからは何も申し上げられないことになっているんです……」とボソボソと返すばかりだっていうし、社内の英語の出来ない社員同士のコミュニケーションはどうやってんだろう?
筆談?筆談も英語のみ?謎は深まるばかりだ。

現在、楽天には、「英語は話せないが優秀な社員」というのはいないのだろうか?
そうした日本語オンリーの優秀な社員は、業務に役に立つ彼らの知識やスキルをどのように発揮しているのだろうか?

New Boss「Ms.Yuri,What do you think about this issue?」
ゆり「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
  (その企画ヤバいす、なんどもクライアントからダメだし食らってんのに、
   ○○さんがそれ隠して、つらだけ直して再提出してるだけっす、
   ってどう言うの???)

ねえ、どう伝えてんだろう?
それに、英語習得に時間をとられた結果、本来の業務が疎かになってしまうということはないの?

楽天社員の方で、このブログを読んでいる方がいたら、ぜひコメント欄ででもいいので教えて欲しい。もしくはプロフィール欄にある私のメルアドにメールいただいても良いです。よろしくお願いします。

この楽天のエピソードを知った当のビデオニュースでは、神保、宮台両氏が、3年で全社員英語がしゃべれるようになるなんてありえないでしょ、と言った上で、英語公用語化というのはコストがかかりすぎると批判していた。少数精鋭で海外部門とかにしぼってやったほうがいいんではないということ。これからITの時代だから全員にプログラミング教えるコストを払うかということを引き合いに出していた。

私もそう思います。

英語の能力が高くても、必ずしも楽天の本来業務の能力が高いかどうかはまた別の話だ。
歌の上手な人が走るのも速いかというと、そこに関連性はないのと同じ。
せっかく、楽天の(日本語で行う)仕事に生き甲斐を感じ、成績もあげていたのに、英語の習熟が遅いために評価が下がり、会社に居づらくなったり、仕事が嫌になってしまっては本末転倒だ。
このエレベーターの中でのエピソードのようなことが起こっているとしたら、そんなことも起こりそうである。

100歩ゆずって、三木谷氏が言うように、1年半後にみんな英語ができるようになったとしても、そこでは語学に対する歪んだ感情を育んでしまいそうでもある。正しい日本語も満足にできないのに英語できるからとエリート意識を持ったり、逆に仕事の能力あるのに英語の習熟が遅いだけでコンプレックス持つとかね。

英語の得意な人は海外部門に、日本語の営業トークが上手い人は国内営業部門ではだめなのかなあ。

最近つくづく思うが、人には得手不得手がある。物事の上達は努力の量とは比例しない。
語学の上達が早い人もあれば、人の顔と名前はすぐに全部憶えてしまう人もいる。
ほかに得意なものがあるのに、たまたま英語が不得意で大嫌いな人は楽天にはいらないということなのだろうか。
「いらないということではない、努力しろということだ」と三木谷氏は言うだろうか。でも、その努力によるストレスというか、精神的な疲労のことも考えたら、それは膨大なコストであると思う。

それに、英語の義務化で、英語が出来る事が必要以上に評価されるようになった結果(英語が出来ないと評価の対象にもならなくなった結果)、社員たちに「自分はなぜ楽天に入社したのか」「楽天のどんな仕事が好きなのか」ということを忘れさせてしまう危険性はないだろうかとも危惧する。
自分たちは何をするためにこの会社を始めたのかというコーポレートアイデンティティがいつのまにか分からなくなってしまわなければいいけど。
もちろん、今後英語圏だけを相手に商売するというなら別ですけどね。

それにしても、英語しか使えないグローバル企業って、どんなんだろう。
スタバのコーヒー片手に「How is today」といってすれ違い、私がここに書けないような難しい英語を駆使して、スカイプを使いながら国際会議して、いつしか朝の挨拶代わりに「I had a dream in English last night」とかため息まじりに言うようになればいいのかな。もうコーラもコークだし、「暑いからクーラー温度下げて』って言ったら「What?」と言われるし、嫌だー。(クーラーは和製英語。エアーコンディショナーですな)
青いシャツのボタン3つあけた、外資系の自信満々なエリートとか苦手なんだよな私。なんか大味な気がして。
社食のEgg and Mentaiko Bukkake Udonもまずそうだしな。

なんか、国際ジャーナリスト落合信彦!ってCM思い出した。

全て私の勝手な偏見でしたね。三木谷さんすいません。
三木谷さんみたいな興銀出身、ハーバードMBAもっちょるエリートの頭の中まで分かりませんわ。

偉そうなこと、自分の道さえもしっかり確立できていない今の私に言われたくないですね(笑)。
でも、神保さんもちょっと疑ってたみたいに、実は「話題作り」半分だったりしてね。

最後にもう一言。
世界に日本を売りたいならば、日本語の響きが分かっていないと、世界に誇れる日本のイメージは作れないと思う。
言葉はすべての自然や文化や歴史を包含すると思うからだ。言葉の理解は世界(日本語の場合は日本という世界)の理解につながる。

楽天は多分アメリカの企業、もしくは無国籍企業になりたいんだろうな。

その英語、ネイティブはカチンときます (青春新書INTELLIGENCE)
デイビッド・セイン,岡 悦子
青春出版社

このアイテムの詳細を見る

mini版ネイティブスピーカーにグッと近づく英語 (アスコムmini bookシリーズ)
デイビッド・セイン
アスコム

このアイテムの詳細を見る





リーダーとファッション その2~こんどは鳩山さんが白ずくめin軽井沢研修会with小沢一郎

2010-08-21 11:03:31 | 国内情勢

もう、おとといの話になってしまいましたが、19日軽井沢で鳩山さんの研修会が開かれました。(これは20日の東京新聞)

先日、菅さんの白々ルックを批判したと思ったら、今度はこの方が白々ルック。

(写真詳細はこのリンク記事でご確認ください)
軽井沢での鳩山研修会 鳩山由紀夫&小沢一郎
(リンクの写真では今ひとつよくわからない部分もあります。ニュース映像ならよくわかります。各局のサイトでご確認を。テレビのニュース映像は1週間で削除されるのでリンクはりません)

いつもの事ながら、誰の趣味か分からない派手なシャツ。
よく見ると前身ごろに金の刺繍みたいな模様が・・・。
お金持ちなのになぜこうなるの・・・(汗)。
でも、その金の刺繍に、品が良いとか悪いとかそんなところに頓着しない鳩山さんの凄さを感じたりもします。
ホント真っ白って難しいです。

一方の小沢さんは、政治家ルック。
この鳩山さんの強烈な白ずくめの前にあっては、この装束がかえって涼しげに見えます。
みんなが、避暑地向けにと、ノーネクタイでボタンを開けてたり、綿や麻の白いジャケットでやってくる中、いつもの格好を貫くのは、別にファッションに興味が無いからでしょう。
でも、集まってきた人の中で一番涼しげに見えたのは、なぜかこの小沢さんでした。
他人の事なんかどこ吹く風で我が道を行ってるからかなあ。
きちんとボタン止めてるほうが涼しげに見える。でも、これで冷房ガンガンにするんだったら意味無しですけどね。

再び鳩山さんのファッション。
同じ白々、センスいまいちでも、変に周囲を気にする色気が見え隠れする菅さんよりは、この鳩山さんの頓着のなさの方がやや好感がもてる感じがします。

頓着のない鳩山さん、ファッションに興味無しでわが道を行く小沢さん。
今みたいな混迷する時代には、周囲の声に惑わされないこんな2人、いいコンビじゃないかと思います。

しかし、この2人のわが道を行く頓着の無いスタイルだけでは、庶民の感情おいてきぼりな感も否めません。やっぱり誰しもいやらしい欲も色気もありますから。そこで、やはり、庶民オヤジがちょっと色気出しました的ファッションの菅さんも仲間に入れて、それでやっとバランスが取れるんじゃないでしょうかね。
菅vs小沢対決だの、政界再編だの、喧嘩を煽る声ばかりが聞こえてきますが、彼らのファッション見ていると、3人仲良くしなよって感じですわ。

でも、3人でバランスは取れるとはいえ、レベル低すぎなので、願わくは、本気でセンスのいいブレーンを囲い込む事をおすすめします。古くさいセンスで政策を語る人間の話にばかり耳を傾けていては、この危機は乗り切れませぬぞ。
かといって、チョイ悪センスの人たち(このチョイ悪については、リーダーとファッション その1を参照)が新しいとも思いませんので、仲良くする相手については十分熟慮くださいまし。

「若者不幸社会」自虐はデフォルト?~「ダメ人間漂流記」を読む その2

2010-08-18 13:52:50 | 国内情勢
「若者不幸社会」自虐はデフォルト?~「ダメ人間漂流記」を読む「その1」からの続きです。

こうして「ダメ人間漂流記」というブログを紹介したのだが、私にはどうしても腑に落ちないことがあった。
それは、このブログのタイトルが「ダメ人間漂流記」である通り、著者は自らの事をダメ人間だと主張していることだった

偏差値の低い高校を出て、SEかプログラマーになりたくて情報処理の専門学校に行ったものの、自分は頭が悪く、勉強しても国家試験には受からず、そうした職種への就職も叶わない。バイトの面接さえ失敗続き。誰も自分を雇ってくれず、結局働けるのは請け負い会社経由の製造業。もはやそういう仕事しか雇ってもらえなくなってしまっているという。

それで、彼は自分のことをことあるごとにダメ人間だと言う。
地元の田舎町は保守的で、請負で働いてるなんて言ったら、親戚にもバカにされ、友人もいなくなり、結婚式にも呼ばれないとも語る。

でも、自分のことをそれほどダメだと語る彼は、工場での労働の傍ら、これだけ大量の文章を生み出しているのだ。
これだけ文章が書けるのに、なんで自分をバカだと思うのだろうか。そして、そんな彼を周囲の人間はなぜバカにするのか?

テレビの仕事をやっているとき、ディレクターでも、全然文章書けない後輩がいた。彼はそれにくらべたら、全然自分の思ってる事を伝えられてると思う。
これだけ大量に書けるのは、ある意味才能だと思うのだが、彼は書く事を仕事にしようとは思わないのだろうか?

ふと、最近のアフィリエイト狙いのブログの乱立のことが頭に浮かぶ。
ブログの広告でアフィリエイト収入を得るためのテクニカルな方法をレクチャーするとされる情報商材を紹介するブログがある。そして、そうした儲かる方法を実践しているとするブログがある。
世の中に何も訴えたい事など無いのに、ただ金儲けのためだけに、内容を無視した広告を貼付けるためだけのブログを山のように作る人がいる。
そういうものを見ていると、彼が自分のブログにかけている労力と熱意がなぜ換金されないのだろうと思えてくる。

もちろん、私が今こうして書いている文章も、全然お金にはなっていない。だから、彼の文章がなぜ換金対象にならないのかなどと思うのかもしれない。

『自分がそれまで生きていた場所では、自分の主張に耳を傾けてもらえない』そう思って、ネットにその場所を求めた点では彼も私も同じだ。
私もこの自分のブログで、自らの立場の弱さを吠えていた。アラフォー独身、保証無し、仕事辞めた、をネタにしようと思っていた(いる、かな?)。
しかし、彼と違うのは、ずうずうしくもブログのプロフィールに、書く事を仕事にしたいと書いている事だ。
彼は、そんな野心はほとんど見せない。

私から見れば、自分より10歳以上も下の人が、これだけいろんなことを書いているのは、同い年の頃の自分とくらべたら尊敬に値するのだが、彼にとっては、違うのだろう。彼と私と、現在の客観的状況はあんまり変わらないように思う。仕事してるだけ彼のほうが偉いくらいだ。
しかし、彼は言うかもしれない。
今の状況や実力がどうであろうと、一旦請負の穴に滑り落ちると上がって来れないんですよと。

そんな彼と私に違いがあるとすれば、学歴だ。
たまたま大学生時代がバブル景気にあたったため、田舎のビンボー人の私も、某有名私大に入れた。

たしかに世間体はいい。しかし、いいのは世間体だけだ。

世間体・・・。

もしかしたらが世間体がいいことで、私は無駄な悩みから解放されていたのだろうか。嫌な話だ。でもそうかもしれない。

この『世間体』ということが、ものすごく大きいのだという事をあらためて感じさせられてどんよりする。
「世間体」が彼が持てるはずだった「自信」をスポイルしてしまっている。世間体は、人の才能も自信も奪ってしまうほど幅を利かせている。そうして人の行動を制約してしまっている。

「学歴」か「職業」、「容姿」、「金」これが表の世間体、表の人間の判断基準だとしたら。裏の判断基準は「オモロい」かな。最近「人脈」ってのも流行ってるけど。

秋葉原事件の加藤被告は、前者4つを持ち合わせず、世間体(特に学歴)を重んじた(裁判からはそう見える)母親から無言の圧力を感じる。一方、ネット上では、自虐ネタで「オモロい」ことを言う奴と認識され始めた。しかし、それさえも「なりすまし」によって奪われる。


ところで、2009年10月31日の彼のブログに「仮想世界」と題したこんな記事があった。

<引用>
『所詮ネットなんてもんは、今も昔も便所の落書きで、肥溜め以下の価値もない。こんなところに期待してもなにも解決しないし、なにも変わらない。どんなに派遣だ請負だと言ったって、何百回も加藤が彼女がいなくてさみしいだと書き込んだって、何も変わらなかったものが、たった1回だけ秋葉原で大量殺人を犯すだけで世の中の仕組みが簡単に変わる。そんなもの。
 0と1の2進数で作られる虚構の世界。ネットはリアルになりえないし、ネットはリアルの代替には絶対なりえない。それはゲームにも言える。こんなものに肩肘張ってはりついても意味は無い。書きたいことがあれば、ただ書きなぐればいい。むしろそれがネットの正しい使い方だ。』
<引用ここまで>

ネット上に書く事に、意味を見いだしていない投げやりな感じ。
NHKの「フリーター漂流」を見て、自分なりの回想録をブログに書こうと決意した時の彼も、既に上記のように思っていたのだろうか。書いたものを本にしようとはこれっぽっちも思わなかったのだろうか?

彼は、なぜ日本では労働者のデモが起こらないかを綴った文章の中で、こんなことも書いている。

<引用>
『この国の中にいる、いわゆる『負け組み』の連中の願いは、なにも豪邸に住みたいだとか、大量の美男美女に囲まれて豪遊したいだとか、そういうことじゃない。ただ、かつて『普通』と呼ばれた、マジメに働いていれば家庭を築けるくらいの給料をもらえて、ささやかな幸せが手に入るくらいの『中流』の生活が欲しいだけだ。(中略)こんな時代、職を求める奴らなんかいくらでもいる。底辺を生きる者が『普通』になりたいとデモなどで声を上げると、『普通』の人間とはみなされなくなり、『普通』の生活が遠のいてしまうという、悪循環。希望もなくジリ貧のまま底辺を続けているが、声を上げられない。実際、僕が「暴動おこそうぜ」と呼びかけたところで、誰からもなんの反応すらもらえないだろう。現に今までなんの反応も無かった。底辺のままでは希望が無い。それは分かっているがデモすら起こせない。そのやりきれなさ。それがこの国をおおっている閉塞感の正体なのかもしれない。』
<引用ここまで>

『普通』の『中流』生活が欲しいだけ。
よく聞く言葉だ。しかし、ちょっと引っかかる。
なぜ、普通しか中流しか求めないのだろう。いつから求めなくなったのだろう。

今現在、『普通』の生活が手に入っていて、それを守るためにいろんなことをガマンするというのならまだ分かる。しかし、まだ手に入っていない、手に入るかも分からない『普通』の生活の『可能性』を無くすのが怖くて、必死でやり切れなさに耐え、声を上げる事をガマンしている。
そして、結果、雇用する側の都合のいいように使われてしまう。
どこまでお人好しなんだ。

それって「欲しがりません勝つまでは」みたいじゃないかー。

「自虐」ということがネタを超えて、一部の若者のデフォルトになっているのか・・・。

こうした発想は、現在の雇い雇われるという関係の外に出るという発想が無いからではないだろうか。彼らは多分、自らが起業するとか自営をやることは考えていない。多分、できるわけがないと思っている。
私の親の世代は、まだまだ個人商店も多く、学校の連絡簿には職業の欄に自営の文字が多かった。
学歴も無い、資格も持たない人々が、一国一城の主としてなんとかかんとか生計を立てていた。それがここ30年でずいぶん状況が変わった。みなが大企業の傘下でおとなしく働く、それも『普通』しか求めず。

世の中には若者に対する自己責任論もはびこるが、高度成長期以降、日本をこうした自虐的で画一的な働き方生き方しかできない社会にした、指導者層の責任というのもあると思う。

日本の繁栄を支えてきたと自負されている爺様、おじ様方は、そういう意味で、謙虚に若者の話に耳を貸すべきだ。若者もちゃんと主張するべきだ。
とかく団塊の世代の方の多くは、話を聞くぞと太っ腹な振りをしつつ、実は自分に都合のいい話にしか耳を貸さない方がいらっしゃる。
私もそれでげんなりした体験がある。

池上さんもベストセラー「伝える力」で言っている。
『謙虚にならなければ、物事の本質は見えない』

よろしくおねがいします!!

最後にちょっと付け足すと、ブログの彼も書いてるが、今の若者の側に生きるモチベーションが低い人、理想だけ高い人が多いというのも、間違いではないんだろう。若者ももっと元気出せよ。
若者も、「卑屈」じゃなくて「謙虚」になれよ!!

まあ、あんまり人のこと言えないんだけどね。

今回ここに書いたのは、ダメ人間漂流記に書かれたほんの一部から考えた事だ。一面的にしか問題を取りあげられていない。ブログには、彼がダメ人間という人々のもっといろんな側面が描かれている。お時間のある方は読んでみて「若者不幸社会」について考えてみてください。続・ダメ人間漂流記

うげー、ちょっとのつもりがこんなに長くなっちゃったよ。反省。まとまりのつかない内容で失礼いたしました。ここまで読んでいただきありがとうございました。
伝える力 (PHPビジネス新書)
池上 彰
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る


「若者不幸社会」自虐はデフォルト?~「ダメ人間漂流記」を読む~ 「その1」

2010-08-18 13:40:22 | 国内情勢
15日、テレビ東京で放送した「池上彰の戦争を考える3時間SP」を見た。
放送後、番組への感想が結構アップされてるんじゃないかと思って、ググってみたところ、すでにいくつも記事がアップされていた。
そして適当に、その中のひとつのブログを訪問したのだが、その池上さん番組の感想どころか、一日そのブログのほかの記事を読みふけることになってしまった。

そのブログのタイトルは、「続・ダメ人間漂流記」という。

そのブログが、なぜこの暑い中、私の貴重な一日を奪う事になったのか・・・。

実はこのブログ、彼が2001年に情報処理の専門学校を卒業して以来、製造業請負の現場で働いてきた数年間の詳細な記録なのだ。
その文章量たるや凄まじく、一つのカテゴリーで70数回連載されたものもあった。ちょっと、そのブログのカテゴリーを紹介しよう。

○ダメ人間回想録・第1部・底辺フリーターの世界
○ダメ人間回想録・第2部・漂流者たちの携帯工場
○ダメ人間回想録・第3部・ニートな日々(某カレー工場の話)
○ダメ人間回想録・第4部・液晶工場は黄昏て・・・
○ダメ人間回想録・第5部・DVDラインの哀歌を口ずさみながら
○テレビ番組
○ニュース
○日記・エッセイ・コラム
○映画
○本と雑誌
○競馬
○雑学

4年前、このブログは上記カテゴリーの第1部から始まった。それが専門卒後の彼の日々だ。その後、ブログは第5部までつづく。
彼は、2005年にNHKで放送され製造業請負の問題を浮き彫りにした「フリーター漂流」という番組を見て、そこで紹介された工場がかつて自分のいた工場だと気付く。そして、番組で紹介されていたことは、ほんの一部であり、請け負い労働者のすべてを伝えていないと感じ、この回想録を書く事を決意した。

この回想録は、去年の7月に完結し、現在では、私が最初に読んだ、池上さんの番組への感想のような、さまざまな雑記が掲載されている。
しかし、その記事の根底にはずっと、請負や派遣を放置する社会への批判が横たわっている。

これだけ大量に書かれた派遣(正確には請負)日記には初めて出会った。
携帯工場のカテゴリーだけでも75回+追記がある。
私はこのブログに昨日たまたま出会ったが、これは派遣や請負の実態を知ろうとする人の間では結構有名なブログなんだろうか?

最初の頃は伏せ字が入ってた企業名も、途中からは伏せ字が無くなっている。
そこには日本の名だたる企業、知る人ぞ知る企業の名が並ぶ。自分の目で確かめた訳ではないので、これが事実かどうかの判断は保留にせざるを得ないが、一読の価値はあると思う。
もしこれをすべてでっち上げで書いているとしたら、それはそれで驚くべき才能と言えるような、詳細なレポートなのだ。
そして、そこに書かれている各工場の実態よりも、記事に書かれた、彼自身の心情や、彼によって描写される様々な上司や同僚の言動にこそ、今の日本の実情が映し出されているのだ(事の真偽は読んでみて考えてください。決して、そこに書かれている固有名詞だけ煽らないように)。

とはいえ、労働自体も過酷である。
私は携帯電話の組み立て工場のカテゴリーを30数回分と、その他ランダムにページを開いて読んでみたが、携帯工場の非正規職員の労働は想像以上だった。

日勤と夜勤に分かれ、日勤は朝8時半から夜の12時まで、途中休憩は挟むものの、ずっと一種類の単調な部品組み立て作業をやり続けるらしい。夜勤は、日勤以外の時間の全てだ。つまり、工場は24時間稼働するのだ。

請負会社の担当者に「もう身体がもたないのでこんな仕事は辞めたい」といえば「君が辞めたせいで、生産台数が達成できなかったらどうするんだ」と、自分より生産台数達成の方が大事だと言われ、さらに「すぐやめるようなスタッフを派遣した派遣会社が悪いって、派遣先企業から訴えられたことがあるんだよ」と辞めないように担当者は迫ってくる。しかしそうした引き止めも、仕事の速い人間に対してだけで、仕事が遅く、ラインに組み立て部品が溜まってしまうようなスタッフはすぐに首を切られるのだ。

<ブログから引用>
『もはや僕は決められた作業を決められた時間で行うマシンになっていた。
 つまり人材。僕は人間という材料になっていた・・・。
 いや、僕だけではなくこのラインに居た人全員が組み立てだけを行うマシン 
 になっていたのかも知れない・・・。』<引用ここまで>


さらに、正社員と非正規の間の差別だけでなく、製造工程の種類によって、見下したり見下されたりがあることなども、生々しく書かれている。

私のブログでは、例の朝まで生テレビ「若者不幸社会」について書いた回が、いまだにアクセス数がどの記事よりも多い。ブログ解析の検索ワードも、このところずっと、「朝生、東浩紀」か「若者不幸社会」で、ネット上でのこのテーマへの関心の高さが分かる。

しかし、あの朝まで生テレビに出演して発言していた人や、番組を見ていた人の中で、こうした職場の実態を生々しく知る人がどれだけいるだろうか。
田原総一朗氏は知っているのだろうか。

番組の感想の記事では、若者不幸社会の分析ばかりではなく、その先へ進もうというようなことを中心に書いたが、それを行う上で、若者の現状を置き去りにする事もできない。
そう思って、今日、このブログについてとり上げてみた。
詳しい内容は、実際にこのブログを読んでみて下さい。
続・ダメ人間漂流記

ただ、こうしてこのブログを紹介したのだが、私にはどうしても腑に落ちないことがあった。
それは、このブログのタイトルが「ダメ人間漂流記」である通り、著者は自らの事をダメ人間だと主張していることだった・・。 (長くなったのでここで分割して、「その2」に続けます)

「若者不幸社会」自虐はデフォルト?~「ダメ人間漂流記」を読む~「その2」に続く

リーダーとファッション~衝撃の菅首相夏休みファッション

2010-08-17 16:39:04 | 国内情勢
夕べの事、ふと、駅売りの日刊ゲンダイに目をやって驚いた。
菅さん夫妻が軽井沢プリンスホテルで夏休みを過ごしてきたという記事なんだけど、この白ずくめファッションには驚いた。


しかし、日刊ゲンダイが批判しているのは、服装ではなくて、そのイメージとはかけ離れた夏休みのあり方だ。
小泉さん御用達だったプリンスなんて行くもんだから、「限りなく自民党化する菅政権」なんて書かれちゃって、庶民感覚が薄れてきたとか、円高が進んでるのを放っといてとか、突っ込まれ放題だ。
でもさ、考えてみれば、総理大臣になったんだからSPもつけてるし、庶民的な場所にそうそう簡単に行けるもんでもない。かえってそっちの方がセッティングが大変なくらいで、庶民派を装うためにそこまでするほど策略家じゃないということなのかもしれない。

でもなあ、このファッションはいただけない。
ちょっとヤバくないか?この白ルック。ヤ○ザかと思た。
オシャレした事ない人が、注目されるもんだからちょっと気張ってみましたという典型。

総理大臣なんだから、そんなに嘘くさい庶民派を装わなくてもいいし、避暑地に行ってもいいよ。でも、この服装だけでなく、プリンスホテルを選ぶところとかも、センスを感じさせない。
庶民派は装わなくても、次代のコンセプトをにおわせるような訪問地を選ぶ事は可能だと思う。プリンスホテルなんて選んだって、日刊ゲンダイに「小泉と同じ」とか言われこそすれ、他にメッセージ性なんてなんもない。
例えば、「林業の再生」とか、就任会見で言ったんだから、そういうビジョンをビジュアルで見せられるような場所に行ってそんなコメントするとか、いろいろやりようはあろうに。

結局、「豊かな生活」とは何かなんて考えていないことが丸バレなのじゃった。

服装のセンスのなさというのは、その現れでもあると思うのだ。

* この写真を載せたいけど、無理なんで、このリンクでディテールは確認してください。
菅直人首相夫婦で夏の軽井沢 服装ばっちり全身写真(代表撮影)

というわけで、ここで、洋服好きの私に、洋服について一言言わせてください。

菅さんだけではなく、実は伸子夫人も失敗してる。
写真を見れば、一見さわやかに見えるけど、よく見れば、手に持ってる袋はあれ何なのかなあ、巣鴨のおばちゃんが持ってるエコバッグみたいにみえる(お高かったらごめんなさい)。ああいう袋が悪いっていうんじゃないよ。あのワンピースには合わないと言いたいのだ。
さらに、こんな避暑地のバカンスに、それもせっかくの涼やかな水玉ワンピに、ストッキング履いちゃだめざんしょ。
この洋服ならサンダルも紺色で合わせるとかさ。白いストッキング履いといて水色はないよなあ。膨張して足が太く見える。
それでも、まだ奥さんのほうがマシ。

菅さんの白いジャケットとパンツは一体誰が選んだんだろう。
夏には涼やかに白!とか思ったんだとしたら大間違い。
この白白ファッションが問題なのは、白なのに暑苦しいってところだ。
この素材感だと全然涼しそうに見えない。洋服の涼しさは色だけで表現できると思ってないか??
素材だけではない。ズボンのサイズがぶかぶかで、そのだらしなさが暑苦しさに繋がってるということに気付いてるだろうか。ポロシャツも、ボタンを結構上の方まで留めて、さらにしっかり襟を出してるってのも暑苦しさ倍増。こんなにしっかりと襟を出しちゃいかんよな。ポロシャツのボタンをもひとつ開けて、ジャケットの前もボタンを開けるか、ちゃんとボタン留めてきちんとしたいなら、ポロシャツの襟はジャケットの内側に入れといたほうが上品に見えると思う。
まあ、紺のポロシャツなんだから、ジャケット脱げばいいと思うんだけど、ジャケット着るなら、下のズボンは、もう少し細身で薄めの色のものにするかしたほうがいいんじゃないか。まあ、単に私の好みですが。

菅さんのことばかり言ってしまったが、日本の総理大臣って、サミットに行った時に本当に情けない。それは背が低いとかどうとかってのじゃなくて、着こなしがみんな上手くないのだ。
各国の首相。特に洋服文化の古い欧米の首脳は、やっぱり洋服の着こなしはかっこいい。もちろん胸板が厚いとか、体型が洋服に合ってるからってのもあるんだけど、それにしても差が大きすぎる。

G8だけでなく、G20も集まるようになって、インドやアフリカなどには、民族衣装を着てくる首脳もいる。そのほうが板についていて、かっこいい。インドのシン首相とかターバン巻いて堂々としてるしね。

私は、ニュースの仕事をやってたとき、配信されるサミットの映像を見て、参加者のファッションをチェックするのが楽しみだった。放送はしないけど、編集前の配信映像を見られるのをいいことに、仕事に直接は必要ないのにチェックしていた。
洋服にはやはり着る人の人となりが現れるような気がするのだ。
CIAのプロファイリングにはどこのブランドの服着てるとかまでチェックされるそうだし、ブッシュ前大統領と、処刑されたイラクのフセイン元大統領が、おなじイタリアのアルティオリというブランドの靴を履いていた話も有名だ。

かつてのフランス大統領のシラクとか、やはりシック。
ベルルスコーニは金持ちだけあって良いもん着てる感じだし、おちゃめな自分のキャラが立っているし、第一色気がある。素行は最悪だし、やってる政策も批判を免れないが、彼が首相であり続けられるのは、この人間としての色気のおかげでもあるからだと思う。よくも悪くもスターなんだよな、外国の首脳たちって。
ブレアもかっこ良かったし、ブラウンだってモンティパイソンに出てきそうだったし、今のキャメロンはどうかな、まだよくわかんないけど。サルコジもモデルのカーラ・ブルーニと結婚したり、オバマはいわずもがなのスター。

日本の首相には、色気がない。セクシーという言葉が似合わない。そのくせ下心だけはあるオヤジにみーんななってしまう。
もちろん、そういうオヤジの良い部分も分かるし、日本で大人の男のセクシーとかいうと、変な「チョイワル系」になっちゃって、それもげんなりしてしまう。

「みんなの党」がまさにそんな感じだよね。
この前の選挙の時の候補者、チョイワル揃いだったもん。
渡辺喜美を筆頭に、眼鏡がオシャレ系、ストライプのシャツがパリッとしている。選挙カーの上ではノーネクタイでボタンを3つ開けている。でも、実は汗をやたらかいているって感じでしょうか。
いいもの身につけてるけど、アブラギッシュ。アブラギッシュだけど、ベルルスコーニほどかわいげもない(まあ、彼のは悪人の魅力なんだろうからそう持ち上げられないかもしれないけど)。

でも、海外の首脳たちだってもとからかっちょいいわけじゃない。
オバマも、私服のジーンズとかみると、ちょいダサだったりするし、ミシェル夫人にも腕利きのスタイリストがついている。なんとミシェルは、日本が誇るブランド、コムデギャルソンまで取り入れているのだぜ。私も日本のショップで見たことのある、JUNYAWATANABE COMME des GARCONのカーディガンを着てる姿はニュースでも配信されていた。
もともとのファッションセンスはいまひとつでも、立場が変われば、それに合わせて戦略を練り、努力している。そのおかげかミシェルは一時、アラフォー世代のファッションアイコンにもなった。
日本の政治家(や夫人)たちの多くにそれができないのは謎である。

ファッション、おしゃれすることは、日本のオヤジの社会では、ちゃらちゃらした事と思われがちだ。しかし、本当におしゃれでいいものを知ることは、職人の素晴らしい仕事を理解する事でもあり、またそれを着こなす能力を養うことは、文化の本質を身を以て理解することであると思うんだけどな。
そういう意味で、本当にかっこよい首脳というのは、ちゃらちゃらしてるどころか知的なんじゃないかとさえ思う。

日本のオヤジがおしゃれなんて女子供のすることと思い始めたのはいつの頃からだろうか。戦国時代の武将たちは、その鎧兜のセンスを競い、人知れず着物の柄にこだわった。歌舞くこと、人の目を引きつけることも多くを率いるものに必要なセンスだったし、それは、そうした技術を産業として振興する事にも繋がった。

重厚長大産業が疲弊していく中で、今後の日本は、デザインや工芸の分野でも未来を模索していくべきじゃないかと思っている私としては、まず、政治のリーダーに、身の回りの衣服から、ちょっと意識していただきたいのだ。

いいものは自ずと値段も高い。だから、高いものを着ろというのではない。
日刊ゲンダイは、プリンスホテルに行った事を、「小泉純一郎のサルマネ」と批判していたが、着るものでも、菅さんには「自分のファッション」をして欲しかった。それは、庶民的な格好という意味ではない。自分に似合うものを知って欲しいということだ。そして、値段が高かろうが安かろうが自分なりのファッションを国民に見せて欲しいという事だ。
これは、先に書いた、デザインや工芸の振興という視点からずれるように見えるかもしれないが、自分なりにいいと思うものが見えてくることは、トップレベルの良いものを見極める際にも役に立つはずだと思う。

これがおしゃれですと、周りから押しつけられたファッションを身につける事は、政策においても、こうしましょうと周りに言われたことを批判無く受け入れることに繋がる気がする。

このお仕着せのようなファッションを見て、菅さんの最近の言動とつながるところがあるなあと思い、ここまで長い文章を書いてしまった。
着るものはその人を表す。特に人の前に立つ人は疎かにしてはいけないと思う。

最後になったが、同じ白い上下だったら、この人くらいやってほしいものだ・・。
(写真がリンクなのが残念)
白スーツを着こなすカダフィ その1 in09年ラクイラサミット
白スーツを着こなすカダフィ その2 in09年ラクイラサミット

1日遅れですが、原爆の日に寄せて「もう、核の『平和利用』という言い方やめませんか」

2010-08-10 22:48:23 | 国内情勢
昨日9日は「長崎原爆の日」だった。
6日の広島の慰霊式典には、アメリカの駐日大使や国連事務総長が65年目にして初めて出席するという記念すべき年となった。
アメリカでオバマ大統領の支持率は低下しているというし、日本の民主党も語るべくもないが、両国で政権交代が起こった事は、今現在がどうあろうと、やはり意味があったのだと思う。
ただ、当の日本政府はまた「非核三原則」を法制化するのしないのでガタガタしてるように報じられているが、実際のところどうなのだろう。
これまでの教訓を生かして、しっかり法制化にむけて動いて欲しい。

「非核三原則」をしっかり法制化することは当然の事だが、それよりも今現在、私が気になっているのは、昨日の「長崎平和宣言」で田上市長も批判をした、日本が核保有国インドと原子力協定の交渉を始めたことだ。

「核兵器」はあれだけ声高に廃絶を訴えるのに、政府は「核の平和利用」つまり「原子力発電」は推進する立場をとり、海外への輸出も奨励している。温暖化対策という大義名分のもと、原発輸出を現在の行き詰まった日本経済の成長戦略の一つに据えているからだ。

しかし、原子力発電の輸出は「核の平和利用」に抵触しないのだろうか。

NPT(核拡散防止条約)に加盟し、世界の核を監視するIAEA(国際原子力機関)に監視を受け入れれば、「核の平和利用の権利」は認められる。

しかし、日本が原発輸出の協定交渉を始めたインドは、核兵器の拡散を防止するNPT(核拡散防止条約)に加盟せず、核兵器を保有している。こうした新興国や途上国への原発技術売り込みは過熱してきており、3年前に既に協定を結んでいるアメリカを筆頭に、韓国もインドとの交渉を開始した。
そんな中、中国はインドと対立する隣国パキスタンへの協力を決めている。
パキスタンもNPTに加盟していない核兵器保有国だ。

NPTを脱退し核保有宣言をした北朝鮮にはいざしらず、NPTに加盟している上に、自らが行っている核開発は「平和利用だ」と主張し続けている(真実はわからないが)イランに対し、あれだけの制裁を加えておいて、なぜインドには原子力技術を供与するのか。
このダブルスタンダードに国内からももっと大きな批判の声が上がらない事に私は疑問を感じる。

それよりも何よりも、唯一の被爆国としてNPT体制の遵守を訴えている日本が、NPTに加盟していな核保有国と原子力の分野で協力するようなことがあっていいのか。こうした行動や姿勢が、NPT体制をなしくずしに崩壊させかねないのではないだろうか。

現在、世界の核を監視するIAEA(国際原子力機関)の事務局長は日本人である。それこそ、日本は核の平和利用をたてに核物質を持とうとする国に付け入る隙を与えるような行動を慎むべきではないかと思うのだが、岡田外相はこのインドとの原子力協定について「(インドを)国際的な核不拡散体制に関与させ、一定の範囲内で責任ある行動を取らせる」と、日本がインドの原子力発電に関わる事を逆手に取って、彼らをNPT体制に引き込む役割を果たすような趣旨のことを語り、インドとの交渉開始を正当化している。

詭弁だ。

私は、この核の平和利用という言い方にも懐疑的だ。
原子力発電は、本当に核の平和な利用法なのだろうか。

自前の資源を持たない日本は「核の平和利用大国」であり、
IAEAのお墨付きをもらい、核の平和利用をやりまくっている。
おのずと使用済み核燃料は大量に生まれ、さらにそれの再処理にも手を染める。
六ヶ所村の再処理工場は試験運転中の不具合で本格稼働が延び延びになっているが、政府はいまだに本格稼働を諦めていない。
核兵器保有国以外でこの再処理工場を持つ国は日本だけである。
昔から稼働している東海村の再処理工場などで再処理して抽出されたプルトニウムの量は核弾頭数発分になるともいわれ、海外には日本が核兵器保有の野望を持っているのではないかと懸念する国もあるという。
当然、日本政府はそんな野望はないというだろうが、例えば北朝鮮が勝手にそう思ったとしても仕方ない状況ではあるのだ。

また、軍事的に平和か否かだけが、平和の尺度ではない。

当然すぎてここまで書かなかったけど、原子力発電によって生まれる放射性廃棄物の問題を、為政者たちはどう考えているのだろうか。原発事故の懸念だってゼロではない。原発稼働による被爆や温排水の問題もある。
もちろん政府は、人体や環境に影響はないと言ってはいる。
しかし、先日東京都が、築地移転予定地における土壌のベンゼン汚染の浄化実験の調査データを大幅に偽って安全宣言を出していた事が発覚したが、それを考えると、政府の言っている「人体に影響が無い」だってにわかには信じがたいのだ。

地球温暖化問題が浮上し、化石燃料にかわる代替エネルギーに注目が集まる中、世界各国で太陽光や太陽熱発電、風力発電、バイオマスなどが普及し始めている。
私だって、温暖化対策のために、原発以外の方法が全くないというのなら、まだ理解を示したかもしれないが、今や上記のような代替エネルギーが生まれてきているのだ。すぐに全ての原発を無くす事はできないかもしれないが、人口が減りつつある日本においては、少なくとも国内の新たな原発建設予定はすべて凍結し、その分、グリーンエネルギー施設の建設に回すことはできるはずだ。

そしてさらに、中国やインドにも原発ではなく自然エネルギーによる発電で協力できないものか?
スマートグリッドの共同開発はできないものなのか?

「しかし」、と一部の人は言うだろう。「それでは間に合わないんだ」と。
中国とインドに急速に経済発展してもらい、ものを買ってもらわない事には、日本だって、そのほかの先進国だってもうこれまでのような生活レベルは維持できない。だから中国やインドに原発を建設し、急速な経済成長を促すのだ。太陽光じゃコストの問題や技術開発のスピードの問題などを考えると間に合わないんだ、とね。

時間がかかりすぎて新興国の成長に間に合わない・・・かあ。
しかし、それは次世代エネルギーの技術は持ちながら、それを実用拡大に向けて本気で準備してなかった怠慢が、今になって自らの首を絞めているに過ぎないのではないだろうか。
日本はやろうと思えば太陽光発電なんてもっと普及させられたはずだ。先が読めなかったか、目の前の安寧に胡座をかいただけだと思う。
自分が怠慢だったのだから、そのつけは、更なる努力で補うしかないのだ。
その努力をしないで、問題だらけの原発輸出で一時しのぎをしていては、日本にも地球にも未来は無いと思う。

結局、これまでの生活様式やレベルをそのままの形で維持するという考えはもう成り立たないと言う事だ。
しかし、一旦、無限のエネルギーを持つ太陽光などによる自然エネルギーの発電が普及してしまえば、今とはまた違った形の比較的高いレベルの生活が戻ってくるのではないかと思う。
そこには発電施設の建設反対運動もないだろうし、事故の恐怖も少ない。
建設をめぐって人々がいがみ合う事も無い世界だ。

これまで原発という既得権を持ち続けてきた人たちに言いたい。
世界のために、日本のために、既得権を手放し、新しい自然エネルギー普及のために、これまでの利益やつちかった技術や人的パワーをそこに投資して欲しい。それは、とてもめんどくさいことだろうし、労力のいることだろうけれど、それが実現した時には、再び尊敬もされれば、利益も大きいはずだ。
一時的な厳しさを受け入れて欲しいのだ。

日本は高度成長期を経験し、いろんな利益を先取りしすぎたのかもしれない。
これまで経済的にいい思いをした既得権益を得た人たちは、富を先取りしたにすぎず、これからは、その先取り分を使って、次世代のインフラを作っていかねばならないのではないかという気がする。
次世代のインフラとは当然、自然エネルギー施設である。

去年、まだニュースの仕事をしていたときに、こんなデータに出会って放送で紹介したことがある。
国税庁が調べた業種別の男女平均年収ランキングだ。
パートや正社員も含めて平均したデータだということだが、
トップは「電気・ガス・熱供給・水道業」で平均675万円
最下位は「宿泊業・飲食サービス業」で平均250万円だった。

他の業種も見たい方はこちらのPDFファイルの表紙と目次を除く15ページ目の「業種別の平均給与」の項目をどうぞ
「国税庁 平成20年分 民間給与実態統計調査」

なんとなく世界中が原発推進に立ち戻っているように見えるけれど、意外に欧米は自然エネルギー開発も行っている。そうこうしているうちに日本は太陽光発電においてのセルの製造シェアも導入量もどんどん世界での順位を落としてしまった。
あのグーグルがスマートグリッドに参入するのも、将来の発電が原発などの巨大プラントから一方向的に供給されるものから、各家庭の太陽光パネルなどから供給し合うような双方向的な仕組みになっていくことを示しているのだと思う。
原発輸出に燃えているうちに気がついたら世界から取り残されていたということにはならないようにして欲しい。


最後になったが、
広島原爆の日の前日の国会中継を見ていたら、政治家たちがみな、原子力発電技術の輸出や外国人留学生に教育する事を推進しようとしていた。それを受けて私はツイッターにこうつぶやいた。

<ここからつぶやき>
国会中継続き 原子力を世界に広めるのは「儲かるから」だろう。海外留学生に技術を伝達なんてきれいごとで化粧しないで欲しい。 地球温暖化対策という体のいい隠れ蓑にシメシメと「儲け話」を進めている。原子力は決して核の「平和」利用ではない。なぜなら、コストはかかれど他に代替案はあるから 11:38 AM Aug 5th webから

もう原子力は「核の平和利用」といういい方はやめたほうがいいと思う。そりゃ、核兵器にくらべれば「平和」だが、絶対的な平和でないことは明らかだ。人を殺す兵器と比較してどうすんだ。ほかにもっと平和な発電設備が発明されている時代に、この国会は何を遅れた話をしてるんだろう。 11:41 AM Aug 5th webから

We should stop using the words 'the peaceful use of nuclear power. Nuclear Power is not peaceful. It's NO WAY to compare NP to the nuclear weapons! 11:51 AM Aug 5th webから
<つぶやきここまで>

意外と、核兵器廃絶などという巨大な目標を達成するための意識改革は、こうした生活の中の核「原子力発電」についての考え方の変化から起こったりするんじゃないかなと思う。

東京新聞「探訪・都の企業 デフレ奮闘編」から考えた「わけあり」デフレ社会

2010-07-19 18:29:37 | 国内情勢
夏休みに突入したのを機に(って別に関係ないが)今日からたまに、新聞やら雑誌やら書籍やらを読んで気になった事を書いてみようと思う。私は今新聞は東京新聞しかとっていないので、他紙は喫茶店や、たまたま駅売りで買ったときにしか見ないが、まあその辺の網羅感はごかんべんください。

東京新聞では、昨日から1面で「探訪・都の企業 デフレ奮闘編」というのをやっている。昨日(上)今日(中)ときたので、あす(下)でこのデフレ奮闘編は終わるのだと思うが、読みながら、紹介された企業のさまざまな工夫と努力に感心しつつも、どこか割り切れないものを感じている。

(上)のテーマは居酒屋。
金融危機後、関西発の280円均一の居酒屋に客を奪われた都内の居酒屋が250円均一に踏み切った話と、客が食材を買って自分で調理する居酒屋の話が採り上げられていた。

前者は徹底したコスト削減で、値下げを実現したよくあるパターン。取締役は「安いだけではだめだ」と語り「超低価格」と「質」という矛盾したテーマに取り組む構えだと締めくくられている。ユニクロ型をめざしてるんだろう。

後者はある意味「場所貸し」で、人件費もかからない。にもかかわらず客の一人単価は3000円前後と、決してデフレ価格ではない。
デフレ時代の隙間産業というか、デフレだ不況だといいながら、まだまだ3000円そこそこは娯楽に支払える、自称ビンボー、自称清貧、自称スローライフの存在する日本ならではのアイディアだとは思う。まあ、そういう意味で、デフレの中で奮闘している企業なのかもしれない。

そして、連載2回目の今日(中)で紹介されたのは、「箱に穴があいていたら三千円引きます」という「箱破損」で割引をする秋葉原の家電ネット通販の会社だ。このサービスは「わけありくん」というんだそうだ。
「わけあり」という言葉、通販ではもう聞き飽きた言葉だ。
「わけあり」がとうとう箱の傷にまで及んだかと、少々げんなりした。

このサービスのきっかけは「箱に傷が付いている」という客からのクレームだったそうだ。部長は「商品自体に問題がなくても、消費者は箱のかすり傷やへこみに敏感です。店頭渡しなら気にならない傷でも、ネット通販の場合、とりわけ消費者の目が厳しくなる」と話している。

そうなんだ・・・。
店頭渡しだろうが、通販だろうが、輸送される過程のどっかで傷がついたことに変わりはないのに、そんな消費者心理の違いがあったとは・・・。
自分も箱の傷、少しは気になるけど、通販と店頭との違いなんて意識した事無かった。店員の顔が見えないという事は、こうも客の側が強気になれるのかとちと驚いた。

また、10万円以下の商品の場合、「かすり傷」なら千円、「大きなへこみ」は二千円、「穴があいていたら」三千円の値引きになるそうだ。
でも考えてみたら、箱に穴が空くほどの何かが起きた可能性の或る商品を、例えばコンピュータなんかの場合、たった三千円値引きされても買いたいと思うだろうか???
なんだか、その辺の客のクレームの付け方と損得勘定のあり方が、私には理解できなかった。

売る側は、「わけあり」で売り上げアップと喜んでいるし、買った側も三千円安く買えたと喜んでいて、ある意味これがウインウインの関係っつうやつかもしれない。かすり傷くらいだったら私も千円引いてもらえれば嬉しいし、コンピューターとかじゃなく、扇風機とかあんまり精密そうじゃ無いもんだったら、箱に穴開いててもノープロブレムだ。

しかし、それでもどこか、本当にこれでいいのかと疑問を持ってしまう・・。

 本来は、箱に穴が開いてたら、輸送上の問題があったんじゃないかという話になるんだと思う。でも、いちいちそれで運送会社をつつくのもめんどくさい。そこで、それを不問にして、その追求コストとしてかかるはずだった分を、「値引き」としているという風にも、見方を変えれば考えられる。実際にそうかどうかは別としてだ。
客と店の間でも、本来ならクレームをつける所が、それを先回りして値引きすることでクレームへの対応コストを無くしている。
たしかに、プラスマイナスゼロで、経済的にはきれいに収まっているようにも見えるが、そういう人間と人間の交渉のコストやモヤモヤを全部金銭に換算してしまってもいいのだろうか。
多分、そういう思いが私を釈然とさせないのだと思う。

それにさ、かすり傷くらいでクレームつけんなよ!さすがに穴はしょうがないけど・・。っていう素朴な感情が一番大きいのかもしれないけど。

「箱破損のわけありくん」の話が長くなったが、今朝の記事ではもう一つ、都内デパートの「わけありセール」についても採り上げている。

「賞味期限まで余裕があるのに販売しなくなった商品1000種類40万点」を3割~7割安で売るのだとか。バイヤーは「お客様が納得して買うのなら・・」と言っているらしいが・・・。って、なんだよ、この「賞味期限まで余裕があるのに販売しなくなった」って、しかもそれが「40万点」って???意味分からん。これって売らなかったら、捨てる運命にあったってことですか?

多分、売れなかったから眠ってた商品なんだろう。

そうなんだよなあ・・・。
私はここに今の日本の(世界かもしんないけど)問題があるんだと思う。

『そもそも、売れもしないダメな商品作り過ぎなんじゃないのか!』
『もっと考えて、ちゃんとしたものづくりすべきなんじゃないのか』
『作りゃいいってもんじゃないだろ!』

いやいや、中には良いものなのに売れなかったという商品もあるだろう。

しかし、多分それは、売る側がその商品の良さをちゃんと理解して、それをちゃんと消費者にアピールできていなかったんではないのか?

そう、
『商品への愛情や思い入れが足りんのとちゃう!』
『ちゃんと自信もって売っとる?』だ。

もちろん、そうではない、しょうがないパターンもあるとは思うが、この大量生産大量消費を前提とした薄味の世の中が、そうした「40万点」を生んできたのではないだろうか。
だからこれを「わけあり」って呼んでいいのか・・・。

以前、テレビ朝日でやっていた通販を題材にしたドラマ「コールセンターの恋人」で、明太子の「わけあり」商品をテーマにした回があった。
不況にあえぐ明太子業者が、通販の販売権を取りたいがために、正規の商品までわざと潰して「わけあり」商品を作っていたという話だった。悩みながら手塩にかけた明太子を潰す従業員たち。見かねた社長の娘がコールセンターに匿名で抗議の電話をかけるのだ。
実際にこうした事例があるのかどうかはわからない。

しかし、「わけあり」ということがもはや、本来は発見の産物である「わけあり」を超えて、「作られたわけあり」、つまり「わけあり」でもなんでもなくなりつつあるのも今のデフレ商売の一面だと思う。

以前はバッタもん屋とされていた、100円や300円の激安ショップも、ちゃんとそのために生産された商品を置く100円均一ショップになってしまった。「わけあり」はあのいかがわしい感じがよかったのに、それさえもデオドラント化されてしまった感じだ。

確かに、いくつかの100円ショップには、そうしたいかがわしさや、妙な面白さも残っていて、私もよく覗きにいく。面白いデザインのものや、懐かしいものもあって、上野の某店などは、現代社会の真空地帯みたいな不思議な魅力を発揮していると勝手に思っている。
でも、そうしたオモロい商品は100円じゃなくともいいでしょと思うのだ。
100均には、私なら、200円以上でも買うと思う商品が時々あるのだが、それを200円にしたら、もはや売れないのかなあ・・・。

東京新聞では、今朝の記事に「“わけあり”逆手に活路」という見出しを付けている。

でもこれは本当に「逆手に活路」なんだろうか?

これまでの記事で紹介されたデフレ奮闘事例は、デフレな世の中にどっぷり浸かった消費者の購買行動を前提に、「活路」を見いだしたものだ。
もちろん私もこの努力を否定はしない。
しかし、この状況が続けば、いわゆるデフレスパイラルに陥って、ゆくゆくは皆が小さなパイを奪い合い、全員共倒れなんてことになりはしないのだろうか?

いつか誰かが、こうした消費者の購買意識を変えるべく、全く違ったアプローチのものの売り方に挑戦せねばならないのではないだろうか。

そして、今、そのアプローチは、海外に活路を見いだすということになりつつあるようだ。今朝の新聞でも、たまたま喫茶店で読んだ毎日新聞ではユニクロの柳井社長のインタビューが載っていた。彼が取ろうとしている方法がまさにそれだ。
しかし、それは一時的に奪い合うパイを広げるだけのことではないかと私には思える。
先に述べた全く違ったアプローチというのは、また別の方向にある気がするのだが、その辺、経済に携わる方達はどう考えているのだろうか?

というわけで、東京新聞のデフレ奮闘編(下)最終回?が明日どういう結論で終わるのかを期待しつつ、次はユニクロと全く違ったアプローチについて考えてみたいなあ・・なんて考えている。




菅直人の誤算? 民主党は地方の思いをすくいあげられるか

2010-07-13 18:27:20 | 国内情勢
いやあ、選挙の結果出そろった。
民主惨敗、自民改選第一党。
みーんな言ってる事だけど、今回の選挙は勝者のいない選挙。
投じた票に国民の期待というものがほとんど乗っかってない選挙だった。
では、なぜ投票するのか・・・。
私の場合は「最低限の国民の権利だから。」
この権利まで放棄してしまったら、国民はなすすべなく、日本の無気力状態は救いがたくなる気がして投票に行った。

果たしてこの結果。
民主党の議席が増えるとは思っていなかったが、自民党が50を超すとも思わなかった。
1人区で民主党がのきなみ負けていることを考えても、多分これは疲弊した地方の反乱なのだろうな。
消費税を上げられて直接的に打撃を受けるのは、疲弊した地方の所得の少ない人々だ。
コンビニやユニクロやマクドナルドの地方支店の収益は中央に集まるんだもん。
地方の富を中央が収奪する仕組みを変えない限り、地方の怨念はくすぶり続ける。

中央に集まる富を地方にももたらすドラスティックな改革をやってくれるのが民主党だと思っていたのに、その改革は進まない上、消費税を上げるとまで言い出した。地方一人区の支持が離れるのも無理は無い。

前回衆院選で小沢一郎がくまなく地方を廻り、元自民党支持層を根こそぎかっさらった結果が政権交代だ。疲弊した地方が期待をかけたのが、民主党による中央と地方の富の偏差をただす再分配だったのに、今回の選挙戦での菅さんの主張は、まるでそれを覆すかのようなものだったのだから。

皮肉なものだ。

以前より厳しいとはいえ、まだしがみつく既得権のある「中央」のマスメディアは、いつの間にか消費税を選挙の争点にしてあおり立てた。もちろん、普天間問題を争点にしたくない民主党の思惑もあったろうが、消費税の議論なんて今の地方経済の厳しさを考えれば、議論の優先順位は第一位じゃないはずだ。なのにいつのまにやら、財政赤字削減は急務みたいな話になってしまった。地方の人は本来ならば、地方の景気対策を先にやってくれと叫んで、それをやってくれそうな議員や党に投票すべき時なのに、消費税報道の盛り上がりに乗せられて、消費税を上げるか否かが最も重要な問題のように錯覚してしまった。
消費税を上げるって言ったって、それ次の衆院選の3年後以降でしょ。そんなの今最大の争点にしてどうすんの?3年後景気が変わってば空気も変わる。

財政赤字をはやく減らしたい財務省にメディアも民主党も乗せられたとしか思えない。
地方の人が「今」訴えるべき、考えるべきは、地方経済の復活のための処方箋なのになあ・・・。
結果、消費税報道にのせられて、それが大事だと錯覚し、貧乏くじ引かされるのは、地方の人であり、国民なんだよね。ホンッと皮肉皮肉。

それにそもそも地方の時代って言ってたのって、民主党なのにさ。

テレビだって新聞だって広告収入は減ってきて、安泰とは言えないけれど、それでも地方に比べれば、まだまだいい思いをしている。通信と放送についての制度を変えようとする、つまり既得権益への新たな参入を認める民主党の方針を骨抜きにしようとする動きは確実にあって、今、自民党の議席が増える事にほくそ笑んでいる人たちがいるというのに、そうした規制緩和や改革には誰も注目しない。そしてそんなメディアから流される報道に地方の人はだまされる。
だまされるという言い方は人聞きが悪いかもしれない。別にメディアの人々は、意識的にだまそうなんて思っていない。善意で、今、消費税増税問題が重要な争点だ、もしくは、こんなときに消費税を争点に持ち出す菅さんはアホだ、と思ってまじめに報じている。でも、そうまじめに思ってしまうのも、彼らが多分、地方がどれだけ疲弊しているかが実感として分かっていないからだと思うのだ。明日の資金繰りに冷や汗流す生活が、生活費にも事欠く生活が、高給取りのサラリーマンに本当に実感として分かるのだろうか?(わかるのだったらすいません)

菅直人首相は、現実をしっかり見るべきだ。
鳩山小沢退陣後、小沢はずしで一時的に支持率が急上昇した事に浮かれ、突然、消費税の話を持ち出した。
勝負勘がなさすぎる。つうか、日本の現状認識が甘すぎる。
菅直人って、俺は現実路線を行くってことが、口に出さずともオヤジ臭のごとくに滲み出してるのだが、
もともと市川房枝さんのところから出てきたということで、左翼扱いされることを極度に恐れて、こんな訳の分かんない状況になっているように思える。

私は、今や、地方のあり方を見直す事でしか日本の再生はないと思っている。そして、民主党のもともとのマニフェストには、その可能性があると思って期待していた。なのに今、こんな状況。小沢一郎を嫌う若い議員たちが、どこまで本気で日本の地方をどうにかしようとしているか。そこができなかったら、いくら「小沢独裁」を排除したところで、彼らのいい分は都会のエリートさんの言うことよと簡単にいなされてしまうのではないだろうか。

今後の政権党は、単なる都市型政党ではなりたたない。
しかし、一方で地方の住民も、もう少し、個として考える事も必要だと思う。よらば大樹の陰ではない生き方は、地方にこそ早急に求められている気がする。

ところで、鳩山前首相が小沢一郎を道連れに辞任した時、次は菅直人だなと思って、本棚に眠っていた菅直人著「日本大転換」と小沢一郎著「日本改造計画」を引っ張り出して、あらためて前書きを見比べてみた。

1990年代に書かれたこの2つの本。
前書きと目次だけでも、今比べるとちょっと面白いので、開いてみてはいかがでしょうか。
と思ったら「日本大転換」アマゾンにも中古しか無いわ。イメージも張られてない・・・。

日本 大転換―二十一世紀へ希望を手渡すために
菅 直人
光文社

このアイテムの詳細を見る

日本改造計画
小沢 一郎
講談社

このアイテムの詳細を見る

今日は参院選 その2 投票終了まであと49分

2010-07-11 19:11:36 | 国内情勢
選挙を前にこんなことも書いてたのでいまさらながらアップ。
タイミング悪くてすいません。でもせっかくなので(汗)

<スローガンのまやかし>
選挙報道では、「消費税増税」だの「子ども手当」だの分かりやすい争点を設定して、各党各候補者が、それに賛成か反対かを提示する。
見出しが立てやすいからだ。
世論調査の項目もしかり。子ども手当に賛成か反対か?消費税引き上げに賛成か反対か?など2者択一で語られることが多い。
しかし、実際に人が集まって、子ども手当や消費税について語り合うと、それに賛成か反対かということよりも、「子ども手当には反対だ、その財源を保育所などの別の政策に回したほうがいいと思う」など、反対という部分よりも、後半の「保育所などに回すべき」という部分の方に力が入るのではないだろうか。私の経験上はそうである。
ついさっき、知人らと話していた時も消費税増税の話が出たが、そこでも賛否よりも「でも、食品など低所得者増税になる物は非課税に」などの部分のほうが主張の中心だったりした。「金持ちの贅沢品には高い税率かけりゃいいのよ」である。私は今回の消費税増税には納得いっていないのだが、消費税増税賛成の彼女の「金持ちの贅沢品は高課税」という考え方には大賛成だ。

会話の中で、「後半部分」は、消費税引き上げ賛否を語る上でのおまけのように扱われるが、実はこっちの部分にこそ、語る人の求める政策の本質が語られている。

しかしそんな複雑な意見をすくいあげていたら、世論調査というものが、パーセンテージという数値で表せなくなってしまうから、「どっちがいい?」と有権者に迫って答えさせているだけなのだ。

本当に重要なのは、消費税を上げる候補に投票するか上げない候補に投票するかよりも、後半の部分である。消費税を上げようが上げまいが「低所得者増税にならないように配慮する」候補を選ぶ事だ。
消費税増税に反対とか賛成とか、大きなスローガンに注目するよりも、より具体的な「後半部分」についてそれぞれの候補がどう考えているかの方が重要なのだ。

というわけで、今後こそ本当に投票行ってきます。投票所まで徒歩8分。

参院選 投票終了まであと1時間。投票行動に思う。まだの人はこれ読んで行ってね!

2010-07-11 18:53:27 | 国内情勢
選挙の投票行動のことはもっとはやくブログに書くべきだった。今痛く反省している。

午前中からの用事をすませ、やっと一服ついて朝刊を開き、選挙特集を読んでふと思ったのだ。書かねば・・。

もう投票終了まであと1時間。
でもいい。まだ投票に行っていない人に向けて、
少しでも読んでくれる人がいることを期待して書こう。


<バランスとり過ぎに注意「バカと思われたくない」は世の中を悪くする>

選挙当日の朝刊には、著名人と言われる人のコメントが並ぶ。
個人への応援や非難はできないから、一般的な論調ばかりになるのはしょうがないが、なんだか大所高所から見た物が多く、生活実感が感じられない。
まあ、著名人というのには、ほぼ生活困窮者というのはいないだろうから、自分の身近な話より、ついついマクロな視点で物事を見てしまうのはしょうがない。

例えば、法人税を引き下げたら企業の国際競争力がつくとか、国の財政は火の車だから消費税引き上げはやむなしとか・・。

そして、我々庶民は、こうした著名人のご意見を伺って、時にはふむふむなんて思ったりして、投票行動の参考にしてしまったりするのだけれど、本当にそれでいいのだろうか。

あなたは、本当に心からこういう説に賛同して、ふむふむなんて思っている?

『法人税を下げたら、企業の設備や人材への投資が進み、国際競争力がついて、大企業はもうかり、それが賃金に反映され、日 本の景気は良くなっていく。』

それは本当の本当に本当なのか?
あなたは実感として、その状況を想像できているのだろうか?

現代の世の中では、マスのメディアが手を変え品を変え、分かりやすく複雑な状況を解説してくれる。それ自体は悪いことではないと思うが、そのために、それぞれの問題を、自らの状況に照らして考えるというプロセスを、視聴者それぞれがはしょってしまってはいないだろうか。
あまりにも情報が氾濫しすぎて、何が本当かを突き止めるのは至難の業だ。そんな時代に、自分の情報を集めて、自分にとっての正解を導くのはめんどくさくって、てっとりばやくもっともらしい話に飛びつくのはある意味しょうがない。

しかし、全く無批判に飛びつくのではなく、それが本当にもっともなのかを、一度立ち止まって冷静に考えてみることは必要だ。そして、その時に必要なのが、「自分の生活実感」だと思う。
実感無くして頭で考えただけの判断は、ただのかっこつけ、バカと思われたくない人の手っ取り早い怠慢ではないか?

私たち人類は、正しい事を主張したがる癖がある。
ついついバランスばかりとろうとしてしまう。
自分がどうして欲しいか、自分が望むのはどういう世の中であるということをストレートに主張する事は、思慮の浅いバカな人のすることのように思い込んではいないだろうか。

そして、万人によかれと思って、マクロの罠にはまってしまう。
直接的に自分の生活が良くなる個人や地域レベルの政策よりも、「景気が良くなる」とか「国際競争力が増す」とかいう社会的な規模のマクロなレベルの政策の方が高尚であるという勘違いをしてしまう。

人は生活に余裕ができるとマクロな事を考えたくなる。
もちろん自分の生活に余裕が無くても世界の平和を望んでいる人はいる。
しかし、別にみんながみんなそんなことを考えなくてもいいと思うのだ。
考えたい人は考えてもいいけど、そんな有名人の話を受け売りにするくらいなら、ちゃんと自分の生活の周りを見渡して、そこから判断して、身近で必要な政策を唱えている候補者を見つけ出す努力をした方がいい。
テレビで、子ども手当はやめるべきと言っていたって、何人も子ども抱えて生活が大変な人は胸を張って賛成すればいい。もちろん、それでも子ども手当は間違っているという信念があるのならば別だけど。
要は、自分の生活実感に従って、自分にとって必要な政策に興味をもち、それについてはちゃんと自分なりに調べて自分なりの意見を持つことが重要だ。

そうして行くうちに、実感としてマクロな社会のあるべき姿も見えてくると思う。

受け売り要注意だ。

みんないっぱしの意見を言って、頭いいと思われたい、というより、バカと思われたくないと思いすぎているんじゃないかと思う。バカでもいいから、自分の生活実感に沿って正直にものを考えてみる事も必要なのではないだろうか。

「バカと思われたくない」これが世の中を一番悪くしていると私は思う。

あとねえ、政局報道ばっかりやってるメディアのせいもあると思うけど、有権者の方も、誰それのどういう政策に共鳴するという理由じゃなくて、「この状況だと、どこどこ党の誰々に投票するのが政局に最も影響を与えそうである」という理由で投票行動を決めている人が思いのほか多いのではないかという気がする。もちろん自分の1票をなるべく有効に使いたいという気持ちは分かる。しかし、その場合参考にするであろう、事前の世論調査や、選挙の事前予測が前回の衆院選でも結構はずれてたことを考えると(選挙当日にむけてどんどんデータの修正が入って行ったが、1~2ヶ月くらい前までは政権交代実現???だったと思う)、それをもとに考える政局的投票行動って、意味があるのだろうか?

なんかそんな姑息な(すいません口悪くて)ことすんだったら、もう、皆が自分の思うまま、財政赤字の事を考えれば・・とか日本全体を憂えているようなことをいわないで、団体での拘束も無く(建前では無いですから)民主主義の原則の通り、自分の意見を尊重して、もう誰にも遠慮せず投票するのが一番いいですよ。

いろんな配慮をして、バカにならず、誰か著名人の言ってる意見に近いような近くないような輪郭のはっきりしないぼんやりとした集団の意見に組して、あいまいな投票行動をとるくらいだったら、「自分」による「自分」のための投票をしてもいいんじゃないかな、と思います。

そして、そんな「個人」の意見の集合体である投票結果というのを見てみたい。
そうして出てきた投票結果こそ、実は「公共の福祉」に益する結果となっているのではないかと無想する。
「社会」は「個人」の集合体なのだから。


<最後に・・・「だってしょうがない」じゃない投票行動を>

あと一つ思うのは、投票行動を決するために物事を判断するとき、「だってしょうがないじゃない」ということを言ってはいけないと思う、ということ。
いろんな事情があるのは分かる。世の中にはいろんな勢力がいて、物事は簡単に進まないのもわかる。
でもこれまで、「しょうがない」とか「私が投票したって変わらない」と言って、ベターな結果が出た事があっただろうか。
マイナス思考の向こうにはそれ以上の結果は待っていない事は、これまでの歴史が証明している。

だからといって、期待しすぎて後でがっかりさせられるのは嫌と、去年の衆院選で民主党に投票した多くの人は言うかもしれない。しかし考えても見てください。あそこで政権交代が起こらなかったら、今頃日本を待っていたのは何なのか?
今よりよい世の中になっていたと思いますか?

沖縄の人々は言っているのではないだろうか。
最後に鳩山さんがあんな判断した事には怒っているけれど、沖縄から基地を減らす議論が全国的に共有されるようになったことは、長い目で見れば悪くはなかったかもしれないと。

急いで書いたので、分かりづらい文章でくどい所もあったかもしれません。ご容赦ください。

では、私もそろそろ投票に行ってきます。
まだ行っていない方は是非。まだ1時間あります。



世界は小沢一郎で廻っている? 総理交代記念・テンプレート変更

2010-06-05 01:16:16 | 国内情勢
総理大臣が変わったので、気分を変えてテンプレートも変えてみました。
飽きたらまたすぐ変えるかも。って、それじゃまるで日本の総理大臣みたいだ。
菅さんだって、選挙管理内閣なんて言われちゃってはいるが、本人の表情を見ていると、9月以降も続けるつもりのように見える。

それに、今回の総理交代は、「小沢一郎の影響力を排除する」記念すべき総理交代劇になるのではという妙な期待も、いろんなメディアの報道から垣間見える。

一部では(いや、ほとんどか)、今回の小鳩ダブル辞任は鳩山さんのクーデターみたいなもので、あのサムアップ(親指ガッツ)は、小沢さんを道連れに出来たことに対するガッツポーズだと解説されている。
官房長官と幹事長という2大要職も、仙谷由人と枝野幸男という2大反小沢勢力が占めようとしていて、今回の一連の動きは小沢一郎の影響力を党内から排除する方向に動いていると、マスメディアは嬉しそうに伝える。
マスメディアだけではない。これまでマスメディアを批判してきたインターネットを主戦場とするメディアやフリージャーナリストも、民主党の中枢から小沢一郎の影が消えることに関しては、マスメディアとそう変わらない論陣を張るものもある。
ニュースで紹介される街の声も、鳩山さんには同情的なものもあるが、小沢さんに対して同情票はほとんどない。
かろうじて、小沢さんを擁護する声が聞かれるのはツイッター上くらいだ。

日本中がそうまでして排除したい「小沢一郎」とは何なのか?

なぜみんなそんなに小沢一郎が嫌いなのだ?

金権政治の象徴のようになってるから?でも、実際に利権をむさぼっている人は他にもいるだろう。
湾岸戦争を機にPKO法を成立させ自衛隊の海外派遣の道筋を作ったのが小沢一郎だから? でも、今回の普天間問題で、大臣を罷免された社民党の福島さんに「あんたたちが正しいよ」と言ったのも小沢一郎だ。
それともやっぱ、あの悪人顔のせいか?

確かに、政策調査会をなくし、政策立案を一元化したことに対する独裁だとの声は分からなくもない。
原理主義者だから周りを排除しちゃうこともあるんだろう。
記者会見のやり取りを見ても分かるけど、勉強不足の人や権力に対して媚びへつらうタイプも嫌いそうだしな。
基本的に小沢一郎っていわゆるエリート面した似非セレブが嫌いなんだと思う。

また、政治記者などの話では、小沢さんって急に態度が豹変したりするらしい。
これまで親しくしてたのに、突然、電話にも出なくなったりするというのだ。記者の方では理由が分からない。でも、小沢一郎は電話に出ない・・。それで記者は嫌いになっちゃう。
小沢さんは小沢さんなりになんか理由があるんだろうけど、往々にしてそういうのって本人にしか分からない理由だったりするからな・・。そういうのが敵を増やしてるということに無頓着なのも小沢一郎という人なのだろう。

とはいえだ、そういう政策以外のことが、これほどまでに政治家小沢一郎を否定する理由となろうか??

他に、小沢さんはやりたい政策なんかない、選挙で勝って政権交代することだけが目標だという批判もある。
じゃあ、もし参院選に大勝して、政権が盤石になれば、小沢一郎は満足して引退するのか?それは否じゃないのか?
ああ、わからん。


うわー、明日朝早いのにもうこんな時間だ!

とにかく、小沢一郎さえいなくなれば、なんか問題解決~みたいな空気がちょっと気持ち悪い。みんなが妙に明るいのが気持ち悪い。小沢さんの影響力が低下しただけで、これまで民主党をぶったたきまくってたマスコミは手のひら返しそうな勢いだ。

まあ、実際どうなるかはわからないが、反小沢とか親小沢とか、小沢一郎という人物を軸にしてしか日本の政治の話は成り立たないということが、ここ数日でさらに浮き彫りになったのだった。

そんな小沢一郎は、一体、日本の中の何を象徴しているのか?

もう、ねむねむで頭が動かないけど、眠くなくても、その答えなんて簡単にでるはずない。

こんなとき、橋本治だったらなんて言うんだろう。聞いてみたいけど、今は彼のコラムを読める雑誌ってないんだよね(もしあったら教えてください)。それに、このブログのタイトルであるナンシー関も生きてたら、あの鳩山さんの親指サムアップをどう解釈したんだろ。小鳩の消しゴムハンコ見たかったよ・・・。

小沢一郎とは日本人にとって何なのか・・・?

高橋源一郎はナロードニキと言っていた。農村部から中央に対する恨みを代表して小沢一郎が抱えている。そうしたルサンチマンが彼の政治の原動力だという。だとすると、理念が無いわけでもなさそうなんだけどな・・。
本棚にある小沢一郎著「日本改造計画」もあらためて読んでみるか。

あ、ほんと眠い。
頭がクリアなときに少しずつ考えていこう。何か重要なことのような気がする。
今日は、もうまぶたが・・・。
ちなみに、明日から能登半島に行ってきます。

世界は小沢で廻っている。

日本改造計画
小沢 一郎
講談社

このアイテムの詳細を見る

小沢一郎 嫌われる伝説
渡辺 乾介
小学館

このアイテムの詳細を見る

剛腕維新
小沢 一郎
角川学芸出版

このアイテムの詳細を見る

小沢一郎の功罪 佐高信の政経外科 XII
佐高 信
毎日新聞社

このアイテムの詳細を見る

虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実 (講談社プラスアルファ文庫)
平野 貞夫
講談社

このアイテムの詳細を見る








友愛の焼け跡闇市

2009-10-08 03:03:39 | 国内情勢
今日、同業の知人と雑談をしていて、政権交代後の希望という話になった。
私は、チェンジの後にすごく希望を感じているというと、
驚いたように、へー、と言われた。
その知人は、まだまだ先は見えなくて不安だという。
確かに、失業率は高いし、私がいるテレビの業界もリストラの嵐が吹き荒れている。
こんなところで、批判めいたこと書いてる場合じゃないのかもしれない。
でも、私は、やはり世の中が変わる予感で、気分は前向きだ。

彼が言うには、新政権の前には、自民党が残した負の遺産が山積していて
めまいがしそうなのだそうだ。
確かに、その通り。なぜに自民党が好き勝手して、そのあとに置いてった
産業廃棄物を新政権がすべて処理しなければならないのか、
ダムにしたって、空港にしたって、不条理の極みだ。

けれど、だからといって、
それは先は暗いということには直結しないと思うんだけどなあ・・。

マスメディアは、新政権の先を憂いてばかりいる。
しかし、閣僚の姿を見ていると、
みんな結構やりがいを感じて精力的に動いているように見える
(官房長官はちょっと微妙だけど)。
明治維新と比べられるほどの変革を、実際その中心に立って
実行できるなんて、嬉しくないはずが無い。
大変かもしれないけど、自分が世の中を変えるというのは、
政治家としては本望だろう。
それって、ずーっとまんねり政権を続けて来た自民党の
議員たちにもできなかったことなんだから。

それを、メディアは、これまで通りの政局好きを露呈して
「連立与党でズレ」とかそんなことばかり言って、
その旧態依然をあらわにしている。
自民党から民主党にチェンジして、もっとも大きく変わったのは
実は、政治の動きの中心が、政局から政策に移ったことじゃないのか。

今回の政権交代の風に、最後まで気づかなかったのがマスコミである。
マスコミが実は、最も古い思考パターンで動いていて
一般の国民の意識よりも一歩遅れているから、
不幸のどん底にいた人々が政権交代で抱いた希望に気づかないのだと思う。
これまで大きな既得権の恩恵に浴したための油断と、
今後、メディアも厳しい時代に突入していくという不安が、
今後の政治にも希望を抱かせない理由かもしれない。

では、私がなぜ、今希望を感じるのか、不安を抱かないのか。
私は結婚もしていないし、
田舎の両親を扶養しているし、そのため貯金なんてないし、
テレビ局の社員でもないから、将来の高い年金も
退職金もない。もし、今、仕事をクビになって、
次の仕事が見つからなかったら、すぐに崖っぷちだ。
本当に、テレビによく採り上げられる派遣切りにあう直前の人たちと
なんら変わらない。実家の住宅ローンと今の賃貸の家賃両方を抱えてる分、
私の方が危ないかもしれない。

けれど、なぜ、希望なんて感じているかと言うと、
多分財産というものを持ったことがないからだ。
うちは親の代からなんにもなかった。
たまたまバブルの時代の恩恵にあずかって、
苦学しなくても大学教育は受けることができたけど。

今よりも財産が減るということは、
もうどうしようもないということで、
それはそれで、開き直るきっかけとなる。

私が不安じゃないのは、
かくも大バカ者だからである。

ある意味、平成の焼け跡闇市がやってくることを期待している。
ただ、弱肉強食ではない「友愛」の(笑)焼け跡闇市だ。

民主党代表選

2006-04-12 02:37:11 | 国内情勢
民主党は代表選挙の結果、小沢一郎が代表になり支持率もアップ、今後に期待がかかるという展開になった。
代表選前には、メディアのあちこちから『ここで選挙をやらなかったら民主党はおしまいだ』とか『密室談合で代表を決めるのはよくない』といった声が聞こえてきて、どうにも選挙をやらずには済ませられない雰囲気だった。

サンプロで、代表選は各マスコミがこぞって大きく取り上げて、メール問題が吹っ飛んだ、誰がこの絵を描いたのかと田原総一朗が小沢一郎に聞いていた。
これまで