橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

冷蔵庫刷新事業 調味料仕分けで考えた日本経済とか    その2 分別リサイクル編

2010-05-31 22:55:50 | 日々のつぶやき
冷蔵庫刷新事業 調味料仕分けで考えた日本経済とか その1からの続きです。

妄想はひとまずおいて、中身を出したら次は分別作業だ。
39本のうち、瓶のものが27本、プラスチックのものが12本。

私の住む地域はプラは燃えるゴミとして捨てられるが、瓶は分別リサイクルだ。
分別して出すためには、ラベルとプラスチックの蓋も取らねばならない。この作業も、瓶の整理を億劫にしている原因の一つだ。正直言うと、ラベルや蓋を付けたまま捨てたこともあるし、実際ゴミ収集所には、ラベルや蓋の付いたままの瓶がほとんどだ。

しかし、作業を始めて見ると、ここでも発見があった。
剥ぐのが大変だと思っていた、瓶のラベルは、数分水につけといたら、すぐにペロンと剥げるものがほとんどだった。ペロンとは剥げなくとも、金たわしでこすれば比較的簡単にとれる。水につけるのもほんと数分で大丈夫。これって、主婦の方の間では常識なの?そうだとしたら、私らエコ推進なんてしたり顔で言っとられませんな。
今回は39本も処理してるんで、一仕事だが、日常的に1本2本作業するなら大した手間ではないことを、40過ぎて始めて気付いた。


水に数分つけといてもラベルがきれいにとれなかったのは、27本中3本だけ。


さらに、プラスチックのキャップだが、最近は頭の部分をひねるとピーッとちぎれて引っ張ればスポンと抜ける加工がされている蓋も増えてきてて、半分くらいが簡単にとれた。スポンととれる加工のされてないものも、先の尖った鋏でちょっと切り目を入れて引っ張れば、スポンと抜けた。
結果、どうしてもとれないのが一本だけあったが、27本中26本が比較的簡単に蓋をはずす事ができたのだ。なんか感動――!

これまで蓋を取ろうとして、途中でプチッとちぎれたりすると、メーカーもちゃんと取りやすいのにしとけよ!なんてイライラしていたが、ちゃんと外す気になって鋏を使えば、ものの3~40秒でとれちゃうのだ。そういえば、これまでは、鋏とかの道具まで使って外そうと思っていなかった。どうせ取りづらいんだろ、と思って投げやりにやってた気がする。ちょっと本気出してやる岳で結果も気分もこんなに違うのだということを改めて、こんなこと(瓶の蓋は外し)で、実感しちゃいました。

そして、ここでまた、日本経済の事を考える。
実は、産業構造の転換も、やってみれば可能なのではないか?
キャップが簡単にとれる事を知らずにめんどくさがって、放置しておいた私のように、日本企業の底力を信じられず、改革に着手したら体力がなくて潰れると思い込み、今の状況を放置しているということはないのか?
もちろん、キャップ外しと産業構造の転換はリスクのレベルが違いすぎる。しかし、どちらもやらなかったら、将来に禍根を残す事になるのは同じだ。その上、その禍根の大きさは、産業構造の転換をやらなかった場合の方がずーっと大きい。


<これがあのゾンビたちか!!>

きれいに洗ってラベルと蓋をとった調味料の瓶は、もう元何が入っていたかわからない。薄明かりの中、これがあのゾンビたちかと思える美しさだ。


手前の一番左は、確かオイスターソース。その隣はタバスコ。
後ろの水色のきれいな瓶はお酢の瓶だった。

古い中身を出して、衣装(ラベル)も剥ぐ事で、瓶本来の形の美しさが表面に現れた。花瓶としても使えるほどだ。
で、ちょっと花を入れてみた。
 

左側は、これまでオイスターソースの入れ物として過ごしていた瓶だ。
ラベルを剥いで中身を入れ替えるとこんなにも変わっちゃうのですねえ。
そりゃ、本家本元の花瓶には負けるけど、それはそれで味を出してる。
ただ、いくらきれいだとはいっても、ぜーんぶ取っておくわけにはいかない。
それにやっぱり、この空き瓶よりももっとこの花に合う花瓶はあると思う。
職人さんが丹誠込めて作った花瓶も欲しいしな。

というわけで、最後に瓶のリサイクル情報の掲載されたベージを紹介しときます。

びんのリサイクル by 財団法人環境情報普及センター
http://www.eic.or.jp/library/gomi/re_bottle_s.html

このサイトによれば、リサイクルびんを出す時の注意点として

1、 空きびんのキャップをはずしてください
2、 中をさっと洗ってください
3、 ルールに従って正しく分別して出しれください。(市町村によっては色分けするところもあります)
4、 空きびん以外のもの(コップ、蛍光灯、他)はいっしょに出さないでくださいとある。

ただ、その次にショッキングな事が書いてあった。

「なお、ラベルや外れにくいキャップ、中栓は無理に除こうとすると危険な場 
 合もありますので、つけたままでもかまいません。」だって。が~ん!

私が半日かけてやった事は何だったの~。
まあいいか、いろんなこと考えたしな。
それにみなさま!今回、外れにくいラベルやキャップは少ないという事が分かったので、大丈夫とはいえ、なるべく外してからリサイクルに出しましょうね。
最後に資料をもうひとつ。

びんのリサイクル
http://www.glass-recycle-as.gr.jp/pdf/07_recycle.pdf

しらべてみようリサイクル〈2〉びん
中村 三郎,本多 淳裕
フレーベル館

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リサイクルビン (講談社ノベルス)
米田 淳一
講談社

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冷蔵庫刷新事業・調味料仕分けで考えた日本経済とか    その1

2010-05-30 13:49:06 | 日々のつぶやき
普天間移設問題に対する政府の方針が発表された日のこと。
朝からテレビは、社民党が政権を離脱するのかどうかばかりを嬉しそうにつついていて、私はというと、官僚とメディアの半年がかりの執拗なる鳩山政権おとしいれ作戦によって、鳩山さんがとうとう辺野古移設を日米共同声明に入れるのかと思うと、もう情けなくて、国民の政治不信はさらに進むだろうなと脱力していた。

気分を変えたいな~と思って台所に行ったら、ふと「仕分け作業」でもやってみようかと思いついた。仕分けと言っても、冷蔵庫に眠る莫大な「調味料瓶の仕分け作業」だ。


<賞味期限切れゾンビーズ>

もう何年、冷蔵庫の抜本改革を怠っていただろうか。
長年の自堕落が祟って、冷蔵庫には瓶のラベルから目を背けたくなる(賞味期限が切れている)年季の入った調味料瓶がゴロゴロしている。ゴロゴロしてるなんて表現は甘いな。そうした調味料に占拠されてるといったほうがいい。他の食品はそうした調味料瓶の脇に差し込まれたり、上に乗っかったりしている始末だ。他人様に見られたら嫁に行けねえ(すでに嫁に行けない歴は長いが)。現在使用中の調味料4、5種類は、賞味期限の切れた膨大なゾンビたちに囲まれて、自らもゾンビとなる日が来ることに怯えているのだ。
どうか最後まで使って我を成仏させたまえ・・。
 しかし、一人暮らしの食卓では、賞味期限内に使い切る事はほとんどない。私の場合、仕事を辞める3月末までの最後の1年間、シフトの都合で、平日の夕食は全て職場で出るお弁当だったため、自炊することが本当に少なかった。
それに、賞味期限が切れて、新しいのを買ってきても、古いのを捨てるのをつい忘れてしまう。中身を瓶から出して、瓶を洗うのが面倒だからだ。それで、ただ奥に奥に追いやられてゆく。
そんなこんなでゾンビは増えに増え続け、近頃では、冷蔵庫を開けるたびにどよーんとした気分になっていた。
テレビを見てもどよーん、冷蔵庫開けてもどよーんだ。
せめて自分の努力で解決できる問題だけでも解決すべきだ!そう一念発起して冷蔵庫からありとあらゆる調味料を取り出し、仕分けにかけたのだった。

うち賞味期限切れの調味料の数はなんと39本!!!
よく冷蔵庫の中に入ってたよなあ・・・しみじみ。

この写真は、39本全部は映ってません。
最初は本数数えようと思ってなかったんです!


そこで改めて認識したのだが、調味料って美味しく食べられる期限である「賞味期限」は書いてあるけど、食用可能期限である「消費期限」というのは書かれてないのね。調べてみたら、消費期限というのは、だいたい5日程度で劣化する長期保存できない食品の食用可能期限のこと。開封さえしなければ長期に保存できる調味料類には書かれていないのだ。
でも、最も問題なのは、調味料に書かれている賞味期限って開封していない場合の賞味期限だけだということだ(つうか、これが冷蔵庫に調味料ゾンビが貯まって行く原因にもなっているのだが、)。一旦開封してしまった場合は、「冷蔵庫に保管してお早めにお使いください」としか書いていない。この「お早めに」っていうのが、どの位を指すのかが最も知りたい事なんだよーーー。
でも、分かんないもんだから、これまでの知識を総動員して考える。酢は腐らないから、ドレッシングって結構大丈夫なんじゃない?とか、塩や砂糖が結構入ってて煮詰めてあるソースってのもかなり平気なんじゃない?とか、でも、乳製品の入ってるドレッシングはヤバそう、え?でもマヨネーズは腐んないよねとか。で、実際に、どろソースなんて開封したまま賞味期限を1年以上過ぎたやつを使ったことあるけど、お腹壊したりはしなかった。そんな経験もあるもんだから、半分以上中身が残ってる調味料はなかなか捨てる踏ん切りがつかなくて、とはいえ、やっぱり使う度胸もなくて(たま~には使ったけど)、もうだめなのかな?どうかな?と日々考えるだけで、今日に至ってしまったのだ。そして、ゾンビは39本にも増えてしまった。

しつこいようだけど、賞味期限の話をもう少しする。
そもそも私は開封後も「開封前賞味期限」を基準に考えていた。
一応、某調味料会社のホームページを見てみたところ、使い切りの目安はドレッシングなら開封後1ヶ月、マヨネーズも1ヶ月。味噌系のペースト状の調味料に関しては、メーカーHPには記載がなかった。
ネット上では、以下のようなページも存在してだいたいの目安を掲載している。

『開封後の「食べ物」賞味期限ナビ』というサイト

しかし、私の持っているゾンビたちは当然のごとく、上記のHPに書かれた期限を大幅に過ぎているもの揃いだし、開封前賞味期限をも大幅に過ぎているものも多い。
例えばペースト状のものなら開封前賞味期限って年単位だ。私は開封後もそれにのっとって、年単位で保存していたし、使ってた。そしてお腹壊した事はない。開封前期限を過ぎて使った事もあるが、大丈夫だ。
年単位の賞味期限が付く味噌系のペースト状の調味料は、発酵食品だし、多分開封後も冷暗所においとけば、実際大丈夫なんだろう。
昔の人は賞味期限なんかに頼らず、野生の勘と生活の知恵で判断してたのだ。
(とはいえ、賞味期限を過ぎて使う事はお勧めはしません)。

そんなことを考えながら、調味料瓶一つ一つから、残りの調味料を出しては捨て、瓶を一つ一つ洗った。


<中身はいつ腐る?>

中身を出しながら、ふと気付いたのは、賞味期限を2年も3年も過ぎているのに、中には5年も6年も経っているものがあるにもかかわらず、カビが生えたものはなかったし、腐った匂いなどは全くしなかった事だ。
これって防腐剤の力なのだろうか。だとしたらちょっと怖いが、もしかして調味料ってこういうもんなのだろうか?
だからといって、買ってから3年も4年もたったものを食べる勇気はない。

こうして大量のゾンビを片付けながら、またまた、ふと気付いた。
なんで私は、目の前の調味料がまだ食えるか食えないかということをこんなにごちゃごちゃ考えてんだろ、ということだ。よーく考えてみたら、そんな古いもの無理して使う事もないのだよな。すぐ捨てちゃえという意味ではなく、一人暮らしならマヨネーズは小さいの買ってくればいいし、ドレッシングにしても、自炊をしてこまめに使ってれば、そんなにゾンビ化するはずはないのだ。サラダ作るの面倒ならきゅうり1本切っただけでもいいし、使い道はある。ゾンビが発生するのは、そのちょっとした手間を厭うているだけなのだ。
その手間を厭うた分がどこに行ってるかというと、コンビニや外食産業にお金として落ちている。そして、調味料に投下した資金は無駄になる。
今の日本経済、GDPはこうした無駄に支えられてるのかもしれない。無駄をやめたら経済規模が小さくなるのかも・・・。
いやいや、今の日本は無駄をやめて、その分、本当に必要とされる新しい産業を生み出さねばならない時期に来ているのだと思う。なのにそれを厭うているから、衰退し始めてるんだよな・・・。

賞味期限過ぎて5年も経ってるのに、まったく変な匂いもしない、ぱっと見大丈夫だとしか思えない調味料群は、まるで日本の重厚長大産業のようにも思える。何を使って寿命を延ばしているのだろうか、早く刷新した方がいいのに・・・。
ゾンビ調味料をまだ使えるかどうかぐちゃぐちゃ考えていた私は、まるで日本のゾンビ経済を無理矢理長らえさせようとしてる人と変わらないのかもしれない。「もったいない」と言う前に、無駄にならない方法を遂行すべきなのだ。
なんて、考えてたら、瓶を洗う手元にも、思わず力が入った。
が、いろいろ考えてた分、作業時間が倍かかってしまった。

>>>その2「分別リサイクル作業編」に続く
世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか
野口 悠紀雄
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5月28日という日 普天間、ipad、NPT、そして満月 

2010-05-29 18:28:25 | 日々のつぶやき
昨日は、本当にいろんな事があった日だった。
まず、普天間問題の政府方針の発表。そしてipadの発売。国連でNPTの核軍縮の再検討会議も行われた。そういえば、ユニクロは26周年とかで(26とは中途半端。もうなんでもイベント化する?)朝6時開店、恒例のアンパンを配ったが、ニュースが多くて今回はほとんど採り上げられなかった。
これらのトピックどれをとってもそれ一つで論評に値するのだが、今回はちょっとぶっとんで、とはいえ、これらのトピックも関連付けながら、この5月28日という日自体を話題にしたい。

5月28日は、満月だった。
そして、昨日の午前中、牡羊座に天王星が入った。
って、唐突になんのこと?とお思いの方もいると思うので説明すると、これは西洋占星術による昨日の星の配置である。
 
石井ゆかりの「筋トレ」という星占いサイトをご存知だろうか。石井ゆかりの「筋トレ」最近人気急上昇のサイトなのだが、彼女の占いが面白いのは、ホロスコープの説明がかなり書かれている点だ。それが、さっき書いた、「牡牛座に天王星が入った」とかってこと。
彼女はツイッターでも毎日の各星座ごとの占いをつぶやいていて、その冒頭でその日の星の配置を説明している。そんな毎日のつぶやきや、「筋トレ」読んでいると、ホロスコープのどこにどんな星があるとこんな意味があるとか、惑星と惑星の位置関係が真正面になったり、90度になったりでこういう意味があるとかがなーんとなく分かってくる。折にふれ、自分の行動や世の中の動きと星の配置を比べてみていると、おおっ!と思う事もあるのだ。占星術が統計学かもと思ってしまう瞬間だ。

おっと、すいません。占星術にあまり興味のない方のために簡単にホロスコープを説明します。
ホロスコープとは基本的には星の位置情報を書いた地図みたいなもんで、みなさんもよくご存知の12星座が割り振られた円陣に惑星や月、太陽などの位置が書き込まれている。その12分割された場所のどこにどの惑星が位置するか(その時、どの星座の方向にどの惑星が見えているか)や惑星と惑星の位置関係などを見てその時点の状況を占うのだ。惑星にも星座と同様、それぞれに意味づけがされている。

5月28日に「牡羊座に天王星が入った」と書いたが、石井ゆかり氏ほか占星術師の方の言によれば、これには以下のような意味がある。

牡羊座というのは12星座の始まりの星座であり、天王星というのは、変化とか改革を表す惑星である。その牡羊座に天王星が入るという事は、時代の転換点に入った事を表しているという。
さらにこの日は満月だ。機は熟した、次への展開へ移行するポイントでもある。
さらにここで始まる変化は、一瞬にして終わるようなものではなく、これから時間をかけて完成して行く性質のものなのだそうだ。
例えば、昨日の石井氏のつぶやきを一部引用させていただくとこうだ。


<引用ここから><@ishiiyukari>
今日の占い 今日は射手座の満月。で、オイラの持ってる暦では10 時50分に天王星がとうとう、牡羊座入り(どかー  ん!)なにかが「満ちきる」ところから「はじまる」ところへの境目の時間。ほんとに「境目の時間」っていう感じだなあ。 7:30 AM May 28th webから

まだ完全に新しいところに入りきってもいないし、でも過去の場所 からは出発してしまう。神社とかお寺とか、入り口が多段階になってるよね、長い階段があったり、幾つも門があったり、鳥居が何重にもなってたり。 7:31 AM May 28th webから

今はそういう、門や扉をいくつもくぐり抜けてくようなときで、そ のなかのでかい門の一つが今だ、というイメージなんだ。たった一枚のドアを開けて過去から未来に行くんじゃなくて、いくつかの大事な門をくぐりながら徐々に、過去を完成させ、未来に関連づけて、進む、という感じなんだろう。 7:31 AM May 28th webから

<引用終わり>

これを踏まえて、28日の出来事を振り返ると、全てこの状況に合致するような気がする。

特にIpadの発売は、今後書籍というもののあり方を変え、グーテンベルク以来の活字文化を映像とも融合し、新しい情報の時代が始まる事の象徴だ。
そういえば、グーテンベルクが活版印刷を発明した時代というのは、ヨーロッパの大航海時代、また、この世紀(15世紀)の終わりにはイベリア半島をイスラム教国から奪還しようとするキリスト教国の再制服活動であるレコンキスタが終わりを迎えヨーロッパは大転換期を迎える。そして、そうしたことがあいまって、資本主義が発達していった。
そう考えると、今の時代というのは500年レベルの変化の入り口なのかとさえ思えてくる。

しょっぱなからでかい話になりすぎてしまった(汗)。

というわけで、国内の問題に目を向ける。
普天間の問題は、結局、辺野古と入った政府決定がなされ、現行案に近い物が日米共同声明として出されたが、この問題とてこのまま終わるわけがない。
5月末の決定がこういう形になったことで、かえって今後の政局の混乱や沖縄の反発が予測される。
また、沖縄から少しでも基地を減らすべきだという思いは、今回のことで以前に比べれば全国的に共有されたのではないかと思う。国民の間には「しょうがないじゃない、沖縄にガマンしてもらおうよ」とは決して言えない空気ができた事は確かだ。
福島大臣を罷免した事でも、今後また別の動きが出てくると思われ、日本の安全保障を根本から考え直すきっかけになるかもしれない。まさに変化の始まりだ。

また、普天間問題だけが鳩山政権の政策かのようにメディアはこれまで大騒ぎしてきたが、私たち一般人も、この大騒ぎに懲りて、日本の再生のためにも、ほかの政策にもきちんと目を向けるべきだということもそろそろ自覚すべき変化の時だと思う(もちろん普天間問題は重要なことは変わりないが)。

普天間問題の狂騒にかき消されてしまったが、鳩山政権は官僚の反発もある中、いくつか成果も挙げているのだ。

○「密約」は、問題はあれ、政権交代があったからその存在が認められた。

○ 自民党政権が行わなかったシベリア抑留者の補償を行うための「特別給付金」の制度は現在国会で審議されている。
  自民党時代この補償を行わないという方針は、官僚主導で決められたことが分かったというニュースが報じられていたが、  これなどは鳩山政権が政治主導で政権を動かそうとしている事の現れではないかと思う。

○ ほかにも、水俣病に関しては救済措置により未認定患者にも救済の道が開かれた。

○ また、方向性はちょっと違うが、冤罪が疑われた「郵便不正事件」の村木厚子元厚労省局長にも無罪の公算が出てきた。こ れも政権交代の影響があるんじゃないかと思う。
 ちなみに、この村木さんの冤罪を訴え、裁判の傍聴期をツイッターでつぶやいていた「ナミねえ」こと社会起業家の竹中ナミ さんは、先日NHKの経営委員に選ばれている。

これらは明らかに変化の兆しではないのだろうか。

いま一度国際問題に目を向けると、国連で行われていたNPT再検討会議では、28日「核なき世界の実現」に向けた64項目の行動計画を盛り込んだ最終文書が全会一致で採択された。具体策に乏しいと評価は低いが、これまで核保有に言及する事がタブーとなっていたイスラエルに対しNPT加盟を求め、イスラエル核を念頭にした「中東非核地帯構想」を議論する国際会議を2012年に開催することが盛り込まれた。これって、今後の実効性はともかく一応進展ではないか。アメリカ国民のオバマを選ぶという選択がなかったら、こうした変化もなかっただろう。

これが、星によって運命づけられたものだとは言わない(やっと占星術の話に戻ってきた・・)。
星がどう言おうが、間違っていると思えばそれに従う事はないし、未来がどうなるかは、私たち一人一人の思いと行動次第だ。
ただ、現在の状況を見ると、私たちが目指すべき未来を、空の星たちも祝福しているのではないかと思えたから、占星術の話をしてみたくなったのだ。
現在日本は経済的にも大変な状況に直面している。すがれるものなら藁でもすがれ、大変な時にはいろんなものに背中を押してもらえばいいのだと思う。私も「筋トレ」にちょっと背中を押されて以前の仕事を辞めて一歩を踏み出した(まだ踏み出したといえないかもしれないけど・・)。
いかに実効性が低いと思える事でも地道に主張すれば少しずつは動いて行く。諦めがもっとも大きな敵だ。
私たち庶民が関わる事のできないと思えるような政策も、私たちが選んだ政治家が決めている。いや、官僚が決めてんでしょ、という声もあるだろうが、世論の大きなうねりには官僚もあらがえない。世論の強いバックアップを受けた政治家の主張は受け入れざるを得ないのだ。だからこそ、政治家は選挙を重視する。
だから諦めないで、理想の実現のために一票を投じたいと思うのだ。

次の選挙となる参議院選挙は7月11日となる公算が高い。
実は、この翌日7月12日(日本時間)、南太平洋で皆既日食が起こる。
日食というのは占星術的に言うと、太陽が象徴する権力側を月が象徴する民衆側が隠すことを意味するという。この権力側とは、これまでの世の中で権勢をふるっていたもの既得権を持つもののことだ。
まだ政治主導を達成できず、官僚や業界団体やメディアなど既得権を持つものの反発にあっている民主党は権力を握っているとはいえないのかもしれない。日本を本当に牛耳っている(笑)のは誰なのか・・・

次の選挙で、どの権力が覆い隠され、再び姿を現すのは誰なのだろうか。
この日食を境に廃れてゆくのはどの勢力なのか。
日本では日食は見られないけれど、このグローバル時代だもの政治への影響もあるんじゃないの?なんて勝手に解釈しつつ、占星術を選挙の際のもう一つの楽しみとしてみるのも一興である。

しかし、どの権力を選ぶかは私たちの一票だ。
私たちの民意の重さは、宇宙の星にも抗えない。

そして、その日食の日7月12日は私の誕生日でもあるのだった。
何が起こるかなあと、ちょっとドキドキな今年の夏なのだ。
電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)
佐々木 俊尚
ディスカヴァー・トゥエンティワン

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星占いのしくみ 運勢の「いい」「悪い」はどうやって決まるのか (平凡社新書)
石井 ゆかり,鏡 リュウジ
平凡社

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沖縄基地とイラク戦争―米軍ヘリ墜落事故の深層 (岩波ブックレット)
伊波 洋一,永井 浩
岩波書店

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徹底討論 沖縄の未来 (沖縄大学地域研究所叢書)
大田 昌秀,佐藤 優
芙蓉書房出版

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沖縄、基地なき島への道標 (集英社新書)
大田 昌秀
集英社

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通勤しないという事 新しい働き方とは・・

2010-05-19 01:41:54 | 日々のつぶやき
もう20日もブログを更新していなかった。久々の更新。
今日は、ご無沙汰してしまってた知人から電話をもらった。
「どうしてるかと思って・・・。」そうだよな・・・。
ブログにも、4月半ばに、日本を世界に発信するウェブサイトを作りますと書いたきり、それらしき動きもなく、ブログの更新もなくじゃ大丈夫かと思うのも無理ないかも。
それで、そろそろ、ブログを再開しようと思います。

仕事を辞めてから1ヶ月半、お金になる事はひとーつもやれなかったのだけれど、これまでとは本質的に違う時間の流れに身体を慣らしてるところなんだなーという気がなんとなくしている。
お金はないけど時間はあるので、この一ヶ月半、地元のイベントに参加したり、ツイッターで呼びかけられたイベントに参加したり、街を散策して入ったお店で話し込んだり、四国の実家にも久しぶりに帰ったし、その途中で、上関の原発建設問題で揺れる山口県の祝島にも行ってみた。

これまでに取材以外では会う事のなかった人たちとする世間話。
地元の町で商売をしている人や伝統工芸を守る人、はたまた芸大出の音楽家から、IT企業を立ち上げたカナダ人(日本に観光に来てた)、漁業と農業で生きているじいちゃんばあちゃん、基地問題に取り組む沖縄の人たち等々、この一ヶ月、いろんな人々と話しをした。
大きな会社に勤めている人はほとんどいない。
会社に頼らず生きていくというのはどういうことなのか、自分よりも若い人たちやパソコンなどさわった事の無い田舎のじいちゃんがみな自立して生きている。

早く事業計画を書いて、新しいプロジェクトを立ち上げねば!と退職直後は意気込んでいたが、誘われるまま気の向くまま、いろんな人と会ったり、いろんな風景に接したりしているうちに、ちょっとの間だけ、こうしたゆっくりとした時間の流れを感じていてもいいのではないかと思えてきて、自分の怠け癖がそうさせるとは分かっているが、まあそこはちょっとだけ、ということにしてほんのちょっと焦りを忘れることにした。

話は変わるが、地元密着でゆっくりと暮らすと、食事がまともになる。
朝7時前に、近所の豆腐屋に油揚と豆腐を買いにいって、それでみそ汁を作るなんて今までの生活では考えられなかった。おかずは、前日、上野公園の物産市で買った旬のうどのきんぴら。昼には、近くの商店街で買ってきたカブときゅうりのぬか漬けとおにぎりを食べる。こうした食材の買い物のときにも会話が生まれる。
さらに、こうした食事をしているせいか、最近、便秘癖が治ってきているのも効用だ。

そして、通勤がないことで嬉しいのは、やはり、どこで仕事をしてもいいことだ(まだ仕事ではないですが)。本や新聞は上野公園のベンチや国立こども図書館のカフェのテラスで読むと気持ちがいいし、ペンと付箋を持ってても、オフィスと同様の集中力は得られる。多分3Gのipad持ってたら最強だ。
これぞまさしく、佐々木俊尚氏が「仕事するのにオフィスはいらない」で言っていたノマドワークスタイルではないか!
さらに、人に会わないときは化粧もする必要ないし、どんな格好でもいいし、それにかける時間がいらないのは凄く楽だし、健康的でもある。

ただ、セルフコントロールできない人に、ノマドワークスタイルは向かないと佐々木氏も言っていってたように、これまでずーっと与えられた仕事を時間内にこなすことに慣れてきた私は、ノマド脱落予備軍最右翼だ。
その上、このゆーったりした時間を気持ちいいと思ってしまっちょる。
ついつい、気持ちのよいそよ風に青空を見上げ、ベンチの下でちょこちょこ動くスズメを観察してしまう。そして、こんなに気分のいいのは何年ぶりだろうと感じている。仕事しないでこんなに安心している私は、本当は働くのが好きではないのかもしれない。

でも、決してやる気を無くしている訳でもないし、希望もある(と先日ツイッターでつぶやいてみた)。
私にとって、自らの意思で、自らの信じることを、自らの手で、そして自らの責任で仕事にしていくという作業は、その大変さだけでなく、その楽しさも含めて、いまだ未知の領域だ。働くのが本当に好きでないかどうかは、それを試してみてから判断しても遅くはないかもしれない。いや、これまでだって、好きで働いていたのだけど(問題はあったけど)。

こんなお気楽で、本当にお金を稼いで今後生活が成り立っていくのか全く不安が無いわけではない。でも、今感じている気持ちの良さを全て振り切ることなく、職業生活を成り立たせられないものかと考える。
日常生活の気持ち良さと引き換えのようなところのあった今日のキャリア生活を、「両立」以外の言葉で成り立たせる方法を見つけられないものか。
久しぶりに見始めた朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」を横目に朝ご飯を食べながら、仕事も日常のうちなんだしなあなんて頭の中でつぶやいてみる。

とまあ、なんだかんだいいながら、これまで職場に通勤する生活をしてきた私。その習慣にかなり身体が慣れとったなと思う一方で、会社に通わない事に全く不安感がないのは、やはりサラリーマンの子どもではなく、家で仕事する親の姿を見て育ったためなんだろう。それが決して儲かる商売でなくてもだ。

そして、これからの世の中、少し個人事業主が増えてってもいいんじゃないかと思う。「FREE」書いたクリス・アンダーソンの次回作は「個人」をテーマにしたものらしいから、そういう動きはあるのだろう。

金融危機とか、政権交代とか、時代の変わり目ということは疑いの無い今、「働き方」も変わっていくのだと思う。
変わった方がいいよ。

5月後半は、占星術でも物事が動き出す時期に当っているようです(by石井ゆかり)。私も星の動きに合わせて、始動しようと思います。金曜日には思い切って買ったエルゴヒューマンの仕事椅子が届きます。

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)
佐々木 俊尚
光文社

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日本人は温かい飯にて生きるぞかし あったか弁当の勧めは地産地消の勧め

2010-04-27 22:04:45 | 日々のつぶやき
昨日は久しぶりにお天気もよかったので、自転車で出かけました。千駄木の団子坂を上り、本郷通りを東大の方に向かったのですが、
東大の並木を走っていると、何やら人だかり。


何かと思って近づくと・・・
 

今まさにお昼時、みんな「ほっともっと」でお弁当買ってんですね。
それにしても、他に店ないんか?と突っ込みたくなる混雑ぶり。
学食はどうなってんだろうと思いつつも、ほか弁ってたまに食べたくなるんだよなあと、「めんから」や「しゃけ弁」を思い出しました。
私がよく買っていたのはまだ分裂してない頃の「ほっかほっか亭」ですけどね。
ちなみに「めんから」というのは「海苔唐明太」の略です。のり唐揚げ弁当ののりの下に明太子が引いてあるという素晴らしきマッチングの弁当。今もあるのかなあ? 
ちくわの唐揚げ乗っけてもらったら最強!!

日本人はあったかいご飯さえあれば、おかずはちくわだろうが、漬け物だろうが美味しく食事をいただけるんですよね。
このときも、近くのコンビニは比較的空いてたから、東大生も”ほっかほか”がお好きなようです。あったかいのを売ってる店が隣にあったらそっちを選ぶよなあという話なんでしょうねえ。

で、ほか弁屋の数を調べてみたら、業界1~3位の「ほっともっと」「本家かまどや」「ほっかほっか亭」を合わせても、全国で6000店舗ほどのようです。
一方コンビニは、業界1位のセブンイレブンだけで全国で約7500店。業界10位までを足すと、30000店舗を超えます。もっと小規模なチェーンまで入れれば43000店近くあるようです。
コンビニが繁盛しているのは、「そこにあるから」じゃないかという事を裏付けるようなデータでは有ります。
ただ、最近ではコンビニ弁当も進化し、結構おいしいよと言ってる人にも出会います。でもやはり私は、電子レンジでチンしたあったかさはだめなんですよねえ。

ちょっと話はそれますが、私が3月までいたテレビの制作現場というのは、本当に弁当が日常にある世界です。私もこれまでどれだけの弁当を食べてきたかしれません。
昨年度一年間は業務の関係で、平日毎日、夕食はデリバリーのお弁当でした。
当然飽きるので、ADさんが手を替え品を替えいろんなお弁当を頼んでくれます。弁当選びの手を抜いてるADは「これも仕事だ」と注意されることさえあります。
テレビも制作費削減だとか言われながらも、局制作であれば、まだお弁当発注の価格の上限は1000円くらいでしょうか。デフレの今、上限1000円というのは結構なお弁当を頼めますから、デパ地下に並んでいるような料亭の幕の内的なものや少し前の時期ならお花見弁当的なものも届きます。
しかし、みの的お嬢さんが手を叩いて喜ぶデパ地下弁当も、窓も無いテレビ局のスタッフルームで沢山のモニターに囲まれた環境で食べるのでは、ただの冷たいコンサバ弁当なのです。桜の下でこそのお花見弁当、歌舞伎座でこその幕の内です。
私もADの頃はいろんな弁当を発注しました。私が20代の頃はテレビ業界もまだ羽振りがよかったので、会議の時に出すデザートも工夫しました。
そして、今、ADさんが発注した弁当を粛々といただく側になって(もう辞めましたが)、これまでの経験をもとに粛々と日々ダメだしをしておりました。もちろん褒めることもありましたけどね。
「食べる環境と好まれる弁当の関連」で報告書をかけば、そこらへんのコンサルタントの100倍いいものが書けると思います。
もちろん、テレビ局でうける弁当の究極のパターンなんてのはありません。すでに各お弁当屋さんが作っている弁当に対し、ここはもう少しこうした方が良い、ああした方がいいとアドバイスしてマイナーチェンジするということなんでしょう。


そんな弁当天国(地獄か?)で過ごしてきた私が、弁当の極意として、唯一胸を張ってでかい声で言えるのが「温かいものがいい」ということなんです。まさに”ほっかほか”。一見あたりまえのことのようですが、長年の弁当修行の末獲得したのは、驚くほど単純な事実でした。

レンジでチンすれば温かくはなりますが、やはり、違います。
微妙な風味の変質は当然の事ながら、いろんな食材の入っている「弁当」には、あったまって良いものとそうでないものが混在している時がある。
豚キムチの横に野菜サラダがあると、豚キムはよくても、サラダは残念なことになります。
ポテトサラダやマカロニサラダ、プチトマトなども温めたくはありません。
そうそう、わかめとキュウリの酢の物とかはアラフォーディレクターの疲れた身体に一口嬉しい献立だったりしますが、銀紙の容器に入ってる時はホッと胸を撫で下ろし、蓋に乗っけて分別です。別れてなかったら、御愁傷様。オレンジのくし形に切ったのとか言語道断。一口饅頭とかお菓子類など、素敵な心づくしはテレビのスタッフ弁当には必要有りません。
また、意外な落とし穴が筑前煮。これは冷たい方が美味いんです。炊きたてはいいけど、あっため直すととたんにダメになる。米だけ温かくしてくれ!!!

長々書きましたが、仕事で疲れた身体には、ただただ、湯気の出ているものを食べさせてくれー、につきる。そばやラーメンの出前とかもあったかくはあるのですが、あったかいご飯の威力とはまた別物です。
おかずが温かくとも、ご飯が冷たくては喜び激減。ご飯が温かい事がすべての難を取り払います。贅沢を言えば、温かいだけでなく、米が旨いことも喜びをアップさせます。

まずは旨い米で温かいご飯を提供する事。
もちろん、おかずが湯気を出しているような時には、米は冷めていても有りではあるのですが、それも旨い米に限ります。冷めたまずい米は温かいおかずの価値をもチャラにする。

実は、誰でも分かっていることしか書いてないんですが、意外と、これが達成されている温かいご飯(おかずも)のデリバリー弁当って少ないもんなんですよ。
結局は、近場のお弁当やさんやレストランに作ってもらって、できたてを運んでもらうのが最善の策なのです。

大量生産することで、食べ物だって安くはなりましたが、結局遠くから運ぶことで、運送費やそのための人件費がかかり、結局消費者に届く時の価格は変わっていません。最近安くなっているように感じるのは、生産者が切り詰めて無理をしているからです。
それに、遠く離れた事で生産する事で、保存料などの添加物も必要になり、美味しさを半減させます。

温かくておいしいデリバリー弁当が少ないのは、大量生産大量消費で「地産地消」の文化が消えつつある現代社会のシステムの問題だったりするのです。

仕事を辞めて、自炊を頻繁にするようになってつくづく思います。
家で食べる、めざしと大根おろしと野菜のみそ汁と納豆とが異常に美味しく感じるのは、やはり作り立ての熱々を食べているからなのですよね。

そんなことを考えていたら、東大前の「ほっともっと」の行列も納得が行きました。
もちろん、「ほっともっと」もでかいチェーン店ですが、その場であったかいのを弁当箱に詰めているだけでも、家庭の味に近いのでしょう。

「ほっともっと」の前を通り過ぎた後、裏通りに入ると、いろんな持ち帰り弁当を売っているお肉屋さんに出くわしました。2、3人お客さんが待っていて、おにいさんが何かを揚げていました。値段も適当で、手書きのメニューボードがそそります。
残念なことに写真をとるのを忘れましたが、今度是非一度買って、東大構内に潜入し、木陰で弁当ランチしたいと思います。

やっぱ食べ物は温かいに限ります。
冷めたお弁当だと「他に選択肢がなくてしょうがなく買う」という感じがするのですが、温かい弁当だと「積極的に食べたいから買う」に近づくような気がするんですが、どうでしょうか?

日本人は温かい飯にて生きるぞかし。

食べ物は地産地消の精神で。
顔の見える食べ物は、安全であるという前に単純に美味しいのではないでしょうか。

最後に提案。
「ほっともっと」や「ほっかほっか亭」「本家かまどや」の経営者のみなさん。

マイお弁当箱のシステムを作りませんか?衛生上の問題があるということですが、弁当箱は店側が用意して、デポジット制にしてもだめでしょうか。使い終わったのを次回持ってきてもらい、新しい別の容器にいれて渡すのなら、衛生的には店側の管理になりますよね。もちろん使い捨てパックと併用でめったに来ない客は使い捨てで。頻繁に利用するお客さんにだけ登録してもらってバーコード付きのカードで管理すればいいと思います。もちろんデポジット制だから前の容器返却した時に割引ありです。どうでしょう。設備投資大変??洗うのが大変?宣伝効果と天秤にかけてみて下さい。
弁当箱のデザインも、ピカチュウからキティ、来年やってくる上野のパンダとか、いろいろ遊んでノベルティにしてもいいし。欲しい人には売っても良いし。

それにしても、ちょっと弁当屋の行列目撃しただけで、こんな文章ながなが書いちゃって、私は何をする人ぞ。

というわけで、企業の皆さん、もし、アイディアが使えそうと思ったら、買って下さい(笑)。私、今、はっきり言って無職です。自らのウェブサイトを作る資金も必要なので、何卒、よろしくお願いいたします。



それにしても涙もろい。実録「主に泣いてます」東村アキコ先生に捧ぐ(ウソ)

2010-04-15 10:11:01 | 日々のつぶやき
前回の記事で、タラ・ハント著「ツイッターノミクス」のトークイベントで自らの体験談を語り、感極まってしまった反省談を書いたのだが、私は相当に、いや異常にというほど涙もろいのだ実は。何でもかんでも泣いてしまう。
いや、私を以前から知ってる人からみて、私はそれほど泣いているイメージはないと思う。しかし、実のところ、見るもの聞くもの自分のツボにはまったが最後、必ず涙が湧いてきて、人知れずまぶたを濡らしているのだ。ほんと必死でごまかしてます。
また、その涙があふれるツボというのも、自分ですら予測不可能なんで困る。
電車の中で新聞の政治面や国際面を読んでいて涙が出てくるなんてしょっちゅう。今日も、甲冑職人のおじさんの話を聞いてたら、そのプロ魂に感動し涙がにじみそうになって慌てた。公民館の簡単な展示の番をしてたおじさんに立ち話程度に話を聞いただけなのに、目が潤むなんて、おじさんも驚くよ。もう、必死でこらえた。

この涙もろさは年を追って激しくなっている。
以前はもう少しましだった気がするのだが、新聞読んで涙すると書いたように、最近では、通常の生活や仕事に支障をきたすと思われるほど酷くなっている。
例えば、「天才柳沢教授の生活」が掲載された週の週刊モーニングは電車の中では読まないようにしている。「柳沢教授」絶対洪水だし。下手すると「ピアノの森」だって危ない。そういえば、先日買った「Real Clothes第9巻」でも泣きはらしてしまった、って「Real Clothes」そんなマンガか?!まあ洋服好きの私としてはツボにはまってしまったわけです。でもこんなじゃ、人前で本も読めない。

こんなに涙もろい人ほかにいるのだろうか?
そう思って、「涙もろい」でググったら、結構いるのだ、涙もろくて悩んでいる方。YahooやらBIGLOBEやら各種の相談箱に同様の質問が来ていた。水戸黄門で涙する方(これは私もたまにある)や中には公園に捨ててある食べ残しのお弁当を見て涙する方もいて、みなさんかなりな涙猛者!お弁当の場合、擬人化して感情移入するんだろうな。私は物が捨てられない方なのだがそこにも、この擬人化のプロセスが働いていると思われる。

一方、回答には、気になさらない方がというものから、ホルモン状態の変化や老化と関連づけるもの、うつ(躁鬱)、自我肥大を原因とするものまで様々で、原因や理由は人によってもちろん違う。
私の場合、原因として思い当たるのは、もう40過ぎだし、更年期の先触れみたいなもんとか、自意識過剰(笑)とかだろうか。情動のコントロールを司る大脳皮質「前頭前野」が老化して理性の働きがやや鈍っているという原因を挙げていた回答もあったが、最近物忘れもはじまってるし、そういうのもあるかもしれない。どっちにしろ複合的なものなんだろう。

とはいえ、「泣ける」とかポップに書いてるような物件ではほぼ泣けないし、。
本当に人によって「泣きのツボ」は違うんだよなあ。

涙で景色が滲んで滲んで心の震えを押さえるのに、かなりな労力を費やしている私だが、涙が出るという事は、気恥ずかしくもある一方で、力の源泉ともなりうるのも事実。
最近、涙が溢れて力が湧いた一番の事例は、何と言ってもトリノのフィギュア世界選手権、浅田真央選手のフリーの「鐘」の演技だ(例のツイッター事件は除いてです)。
トリプルアクセルの成功はもちろんのこと、表現力の得点ではキム・ヨナ選手に負けていたが、私は表現力でも浅田真央の方が上だったと信じている。
かつて、可愛く可憐に舞っていた真央ちゃんは、今回、逆境を経て力強い滑りを身につけ、「鐘」という曲が描く自由と解放を求める人間の力を体中で表現した。暗闇の中から一歩先に進もうとしている人間の苦悩や希望や情熱が彼女の滑りから溢れ出していた。あの曲に込められたものをフィギュアの表現に昇華した彼女の努力。そこには、成長し自由と解放を勝ち取った19歳浅田真央の等身大の姿があったー(わ~号泣~!)。
これは、私の勝手な思い込みであるが、こうした思い込みが時には自分をも勇気づけてくれる。

先日、たまたまある知人が、浅田真央に会う機会があるというので、ならば彼女に「真央ちゃんの「鐘」の演技に自由と解放を感じて新しい道に踏み出した人がいると伝えてー」と冗談半分に言っといたら、その後、その知人から「ばっちり、真央ちゃんに伝言しましたよ!」とメールが来た。
金メダリストに対して私ごときが僭越ですが「真央ちゃん、共にがんばろうね!!」と心の中でつぶやいたら。また涙がでそうになった(笑)。
こりゃ、涙もろいのもう治りそうにないな。私、主にに泣いてます・・・。

ところで、最後にちょっと余談。
あらためて自分の文章の書き方見て思ったのだが、私って劇場型の盛り上げ症候群かもな。ガラスの仮面症候群といってもいいかもしれない。実際に浅田真央VSキム・ヨナの戦いをマヤVS亜弓さんに勝手に当てはめて観てたし(もちろんこの2組を取り巻く環境の状況も違うのだが)。
70年代少女漫画のドラマティックな展開が、当時の少女の深層心理に与えた影響は計り知れないなあ・・・。この世代の晩婚化の一因になってるかもしれん。なんか涙もろい話が、浅田真央になり、70年代少女漫画から晩婚化に。飛躍しすぎてすいません。

とにもかくにも、もうすこし冷静になろー(キリッ!)
つねちゃんをめざせ!!

ちょっと今日は箸休めでした。

涙の理由
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