ミュンヘンのビアホールにて。ホーフブロイハウスというビアホールでその歴史は古く、1598年にバイエルン王立醸造所として、開業して以来、400年の伝統をもちます。ヒトラーの著書「わが闘争」にもあるそうですが、1919年の秋に、ナチスの前身「ドイツ労働者党」の最初の大集会を、このホーフブロイハウスで開催したそうです。
普通にこんなおじさんがビール飲んでます。
普通にこんなおじさんがビール飲んでます。
週末は不幸があったため京都までいってきました。まだ34歳、闘病の末の若すぎる死です。自らの命を絶ってしまう人や、生きたいと強く願っているにもかかわらずその望みが叶わない人。「人の命は儚い」というけれど、本当にあまりにも儚く脆いものだと痛感するこの頃です。
「生きることと死ぬこと」って表裏一体の関係で、人によっては「人間は死ぬために生まれてくる」などという話もありますよね。確かに間違いではないけれど、この言葉には続きがあって、「人間は死ぬために生まれてくる。だからこそ精一杯生きなければならない」と続くはずです。
健康な私は、有限な一日を価値のある一日を無駄に過ごしてしまうことがあります。最近の一連の出来事で「自分の余命があと1年だったら、俺はどう毎日暮らすのだろうと」漠然と考えておりました。多分、会社のことや家族のこと、また自分を取り巻く人たちに何か残そうと体力の続く限り取り組むでしょう。若くして生き続けることが叶わなかった人たちは、残された時間を2倍3倍の内容で過ごし、何となく生きている人たち(私を含め)が感じ得ない人生の素晴らしさや、人に感謝する気持ちを強くしたに違いありません。
健康な私が、余命一年の人と同じ気持ちを持てるかといったらそれは絶対無理な話です。ですが、感謝する気持ちや人を慈しむ気持ちは心掛け一つで今より強く持てるはずです。もっとマシな大人になりたいと思います。感謝を言葉に出して伝え、人生って素晴らしいんだと皆と分かち合えるような人間になりたいです。自分を変えたい強く思います。今を力強く生きてると胸を張っていえるような人間になりたいです。
故人のご冥福を心より祈念いたします。またご家族の深い悲しみが一日も早く和らぎますことを。
「生きることと死ぬこと」って表裏一体の関係で、人によっては「人間は死ぬために生まれてくる」などという話もありますよね。確かに間違いではないけれど、この言葉には続きがあって、「人間は死ぬために生まれてくる。だからこそ精一杯生きなければならない」と続くはずです。
健康な私は、有限な一日を価値のある一日を無駄に過ごしてしまうことがあります。最近の一連の出来事で「自分の余命があと1年だったら、俺はどう毎日暮らすのだろうと」漠然と考えておりました。多分、会社のことや家族のこと、また自分を取り巻く人たちに何か残そうと体力の続く限り取り組むでしょう。若くして生き続けることが叶わなかった人たちは、残された時間を2倍3倍の内容で過ごし、何となく生きている人たち(私を含め)が感じ得ない人生の素晴らしさや、人に感謝する気持ちを強くしたに違いありません。
健康な私が、余命一年の人と同じ気持ちを持てるかといったらそれは絶対無理な話です。ですが、感謝する気持ちや人を慈しむ気持ちは心掛け一つで今より強く持てるはずです。もっとマシな大人になりたいと思います。感謝を言葉に出して伝え、人生って素晴らしいんだと皆と分かち合えるような人間になりたいです。自分を変えたい強く思います。今を力強く生きてると胸を張っていえるような人間になりたいです。
故人のご冥福を心より祈念いたします。またご家族の深い悲しみが一日も早く和らぎますことを。
手前を流れるのはライン川です。川の向こうにそびえ立つのは世界遺産の「ケルン大聖堂」です。
ケルン川を航行する船にはゴミが満載されています。船は環境負荷の低い輸送手段としてドイツの物流を支えているそうです。
ケルン川を航行する船にはゴミが満載されています。船は環境負荷の低い輸送手段としてドイツの物流を支えているそうです。
試合勝ちました。あと2勝すると社会人日本一です。社会人日本一になると1月3日には学生日本一との日本一決定戦【ライスボウル】が待っています。2003年にライスボウルに出場したときは、大晦日も元日も練習でした。家族には迷惑をかけますが、選手にとっては至福のときです。何たって元日から大好きなフットボールが出来るのですから。
さて、ドイツ訪問二日目のリポートです。
前日に20時間強の移動時間を強いられ、現地時間21時には就寝(皆そうだったようです)した私ですが、時差ぼけから明け方2時には目が覚めてしまいました。テレビを見てもドイツ語は全く分かりませんし、普段は時間に追われ、時間を持て余すことのない私にとって朝食までの数時間は非常に長いものに感じられました。結局やることがなく、仕事をしてました。
7時から7時半頃まで朝食を取り、「集合時間の8時半までは時間があるし、長時間の移動で運動不足だから、、、」とフライブルグの町をジョギングすることにしました。これが悪夢の始まりでした。。。
ジョギング開始から5分、10分とヨーロッパ特有の町並みに気分も弾み快調に飛ばしておりましたが、そろそろ折り返そうと路地を一つ二つと曲がっていくうちに、あっという間に道に迷い、しまいには大粒の雨が降り始めて、最初のうちは余裕をかましてそのうち何とかなるだろうと思っていた私も、20分を経過するころには半ばパニック状態で、大雨の降る中、既にジョギングではなくフルスプリントで町中を走り回っておりました。
道を尋ねようにも言葉は通じないし、しかも雨が降っているので歩行者も少なく四面楚歌になっているところに日本人らしき人が車を運転しているのを発見し、藁をも掴む思いで大急ぎで駆け寄っていったところ、あっさりと逃げられました。絶望し、道に腰掛けどうしたものかと思案しておりましたら、何やら電車の音が遠くから聞こえます。ホテルは駅の目の前。「ヨシッ!線路沿いに帰ればホテルに辿りつく筈だ!」と音のする方にフルスプリント。線路を発見した時点で時間は8時10分。そこから結局ホテルまで15分かかったのですが、15分間フルスプリントの状態でホテルに着いたときは放心状態でした。5分遅刻の8時35分には皆と合流しましたが、あまりにも情けなく、そして疲れてしまってこの話は皆には詳しく話していません。
画像はフライブルグの教会です。教会前の広場では毎日朝市が開かれています。
さて、ドイツ訪問二日目のリポートです。
前日に20時間強の移動時間を強いられ、現地時間21時には就寝(皆そうだったようです)した私ですが、時差ぼけから明け方2時には目が覚めてしまいました。テレビを見てもドイツ語は全く分かりませんし、普段は時間に追われ、時間を持て余すことのない私にとって朝食までの数時間は非常に長いものに感じられました。結局やることがなく、仕事をしてました。
7時から7時半頃まで朝食を取り、「集合時間の8時半までは時間があるし、長時間の移動で運動不足だから、、、」とフライブルグの町をジョギングすることにしました。これが悪夢の始まりでした。。。
ジョギング開始から5分、10分とヨーロッパ特有の町並みに気分も弾み快調に飛ばしておりましたが、そろそろ折り返そうと路地を一つ二つと曲がっていくうちに、あっという間に道に迷い、しまいには大粒の雨が降り始めて、最初のうちは余裕をかましてそのうち何とかなるだろうと思っていた私も、20分を経過するころには半ばパニック状態で、大雨の降る中、既にジョギングではなくフルスプリントで町中を走り回っておりました。
道を尋ねようにも言葉は通じないし、しかも雨が降っているので歩行者も少なく四面楚歌になっているところに日本人らしき人が車を運転しているのを発見し、藁をも掴む思いで大急ぎで駆け寄っていったところ、あっさりと逃げられました。絶望し、道に腰掛けどうしたものかと思案しておりましたら、何やら電車の音が遠くから聞こえます。ホテルは駅の目の前。「ヨシッ!線路沿いに帰ればホテルに辿りつく筈だ!」と音のする方にフルスプリント。線路を発見した時点で時間は8時10分。そこから結局ホテルまで15分かかったのですが、15分間フルスプリントの状態でホテルに着いたときは放心状態でした。5分遅刻の8時35分には皆と合流しましたが、あまりにも情けなく、そして疲れてしまってこの話は皆には詳しく話していません。
画像はフライブルグの教会です。教会前の広場では毎日朝市が開かれています。
ドイツ訪問リポートのさわり部分のお話です。
22日早朝(5時半)に東京を出発し、成田を飛び立ったのが9時55分。
飛行機に乗ること12時間。フランクフルトでトランジット2時間、フランクフルトからバゼル(スイス)空港まで1時間。そして、バゼル空港はフランスとスイスの国境を跨いでいる空港なのですが、言葉の全く読めない私たちは、スイス側に出なければいけないところ、フランス側に出てしまったため、入国手続きを再度やり直し、約1時間のロス。やっと空港を出発した私たちが宿泊先のフライブルグ市内のホテルに到着したのは自宅を出発してから約20時間強の時間が経過しておりました。
ヘトヘトの私たちは、ホテル近くで軽食を済ませ現地時間21時には就寝してしまいました。いやあドイツは遠かった。。。。
しかし、島国ニッポンの我々には中々理解しがたいのですが、この日の私たちは、日本→ドイツ→フランス→スイス→ドイツを1日で往来したことになります。これだけ近い距離にありながら、言語も文化も、ときには宗教も違うのですから争いも起きて当たり前だなと勝手に納得しておりました。
画像はバゼル空港のフランス側で往生している私たちです。
22日早朝(5時半)に東京を出発し、成田を飛び立ったのが9時55分。
飛行機に乗ること12時間。フランクフルトでトランジット2時間、フランクフルトからバゼル(スイス)空港まで1時間。そして、バゼル空港はフランスとスイスの国境を跨いでいる空港なのですが、言葉の全く読めない私たちは、スイス側に出なければいけないところ、フランス側に出てしまったため、入国手続きを再度やり直し、約1時間のロス。やっと空港を出発した私たちが宿泊先のフライブルグ市内のホテルに到着したのは自宅を出発してから約20時間強の時間が経過しておりました。
ヘトヘトの私たちは、ホテル近くで軽食を済ませ現地時間21時には就寝してしまいました。いやあドイツは遠かった。。。。
しかし、島国ニッポンの我々には中々理解しがたいのですが、この日の私たちは、日本→ドイツ→フランス→スイス→ドイツを1日で往来したことになります。これだけ近い距離にありながら、言語も文化も、ときには宗教も違うのですから争いも起きて当たり前だなと勝手に納得しておりました。
画像はバゼル空港のフランス側で往生している私たちです。