八(はち)に拘るエコグリーン石井光暢のブログ

エコグリーン同様ノジマ相模原ライズへのご声援もお願いします!

友として出来ること。

2006年07月31日 | To heaven
先日、友人T君のお母さんがお亡くなりになりました。友人のT君は太陽のような男で、周りにはいつも仲間が溢れ、常に話題の中心にいる人気者です。そのT君を産み育てたお母さんですから、やはり太陽のような女性で大きな愛でご家族を包まれていたことでしょう。まだ五十代半ばでの若すぎる死に、ご家族の深い悲しみは想像に難くありません。

リリーフランキーの「東京タワー」ではありませんが、息子にとって母親というのは特別な存在です。当然ながら私にも母親がいて、その母親は私にとって特別な存在です。その母親が病に倒れたのは平成14年の1月でした。多発性脳梗塞により、言語機構、咀嚼機能、右肢体麻痺と、身体の殆どの機能を突然奪われ植物状態に陥ってしまいました。昨日まで元気に話をしていたオフクロが、突然倒れ、そして一生その声を聞くことも、歩いている姿を見ることもできないというのは、到底受け入れられるない現実でした。

当時のオフクロは私が抱えていた問題に対し、私以上に心を痛めており、もともと高血圧症だった母親にストレスが良い影響を与えるはずもなく、これほど重篤な症状を招いたのはそのことが原因であることは間違いないことでした。

情けない話ですが、それから三ヶ月間の私は、生きていて死んでいるのと一緒でした。毎日泣いて暮らし、会社の経営にも身が入らず、大好きなフットボールからも、遠ざかり引き込もる日々でした。今でこそ生きていてくれるだけで、良いと思えるし、植物状態になったことで逆にオフクロと一緒にいる時間が増え親孝行ができると前向きになっていますが、当時の自分の心境に立ち返るとともに、大切なお母さんを亡くしたT君の今の心境を考えると、夜毎襲ってくる虚無感に立ち向かい悲しみと戦っている。そんな毎日ではないでしょうか。

私を含む仲間がT君に出来ることは何か。

私たちはその悲しみを拭い去る術を持ちません。私たちにできることは以前と変わらない付き合いをT君と重ねていくことだけです。

今のような深い悲しみに飲み込まれていても、大きな喜びに包まれていようとも、壁にぶち当たろうが、大きな失敗をしたとしても、極論すれば犯罪者になったとて、私たちはいかなるときも絶対に変わることのない仲間であり続けることしかできません。それは誓えます。(犯罪などするわけありませんが)

これだけは忘れないでください。
あなたには献身的に支えてくれる素晴らしい伴侶と、決して変わることのない仲間が沢山いることを。

太陽のような貴方のお母さんは、貴方を太陽のように育てあげました。太陽の周りには星がグルグル周るんダヨ。

言葉で伝えるのは軽々しい気がしたし、相対で文章にするのは照れくさかったので、不謹慎だとは思いましたが、ブログに書かせていただきました。お許しください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりになってしまいました。

2006年07月27日 | monolog
ブログ更新が久しぶりになってしまいました。

今日も、やっと仕事が終わったのでこれからブログを更新しようと思いましたが、

あまりに疲れたので、明日にしようと思います。

お疲れ様でした。

昨日は浜松に行ってきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合宿に行ってきました。

2006年07月20日 | American football
先日の3連休で合宿に行ってきました。


年甲斐もなく35歳になった今でもアメフトを続けています。所属チームはオンワー

ドスカイラークス(以下OS)という社会人日本一にもなったことのあるチームで、

選手数は100名を超えます。


こんな年までアメフトを続ける理由は、勿論アメフトが好きだからということもあ

りますが、勝負の世界に身をおく事で日常では感じ得ない、感情や感覚が研ぎ澄ま

されるからです。

社会人1年生から私のようなベテランまで、厳しい競争がチーム内の各ポジション

で行われています。


次回以降のブログは私がスポーツから学んだこと(学んでいること)をもう少し詳

しく書きたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆さんお疲れ様です。

2006年07月12日 | monolog
皆さんこんばんわ。


今日は朝から、移動移動で凄く疲れました。目がショボショボするので、早めに仕

事を切り上げます。


お先に失礼致します。




コンビニの女性は上海出身だそうです。なぜ日本名の名札をしているのかと質問を

したら、聞こえない振りをされました。これ以上はそっとしておいてあげようと思

います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

廃木材のリサイクル

2006年07月10日 | Company







今日は当社の宣伝を少しだけ。



当社は産業廃棄物の中でも、廃木材に特化してリサイクルをしています。「廃木材

のリサイクル」といっても、あまりピンとこないかもしれませんが、住宅を壊した

ときに発生する廃木材や、コンクリートの型枠として使用され廃棄される型枠材

、変わったものとしては、仏壇やお寺の塔婆などもリサイクルをしたことがござ

います。


当社が一ヶ月にリサイクルする量は約1万トン、体積は100m四方に5mの高さで積み

上げた量になります。(リサイクルの方法についてはhttp://www.eco-g.com/を是

非ご覧になってください。)



リサイクルされた廃木材は

①紙の原料

②住宅の外壁材の原料

③フローリングの下地材の原料

④重油の代わりとしての燃料

などの需要がございます。


会社の宣伝はこのくらいにして、最後に今日一番気になったことを。


会社の近くのコンビニに務めている中国人と思われる女性たちの名前が、全員日本

名になっていることを発見しました。絶対に日本人ではないのに、『鈴木』『佐

藤』など。なんで?

思い切って明日聞いてみようと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タコ親父伝説

2006年07月08日 | Favorite
今週中にケリを付けたい仕事があったので、今日は仕事をしています。



ブログをはじめてから真面目な話しばかりでしたので、今日は趣向をかえて私の生

まれ育った東京の下町のお話しをさせて頂きます。

私の母親が、墨田区の東駒形の出身ということもあり、我が家族も私が1歳のころ

からやはり墨田区に住んでおります。(今現在も実家は墨田区にあります。)


1歳から5歳ぐらいまでは、母の実家近く(東駒形)に住んでいました。この東駒

形というところは浅草から自転車で10分~15分程度の距離で、近くには高砂部

屋があり、当時関取だった高見山をよく見かけました。夜になるとお相撲さん達が

自転車に乗って、コインランドリーに行ったり、公衆電話で長電話しているのが日

常風景の町でした。

その東駒形から、小学校入学の手前に、花王石鹸の東京工場の真裏にある墨田区の

文花にある都営団地に引っ越しました。

ここは5階建ての団地が30数棟、12階建ての団地が5、6棟もある一大団地ランドで

した。同じ階にも同級生、上下階にも同級生、とにかく遊び相手には困ることはな

く、暗くなるまで毎日遊んでおりました。週末になると「お泊り会」と称して、2

階(私の家)から3階に泊まりに行ったり、またその逆があったりと今振り返ると

全く意味のないことをやっておりました。(団地ですから部屋の間取りは全く一緒

です。)


遊ぶ内容といえば、「駄菓子屋に入り浸る」「意味もなく自転車で徘徊する」「目

的もなく浅草や錦糸町、上野まで遠征する」「野球」「自転車レース」といったと

ころです。


このように我々下町の悪ガキにとって自転車はなくてはならないものでした。


そして、いつものように自転車に乗っていると必ず、ある人物と遭遇します。


『タコ親父』です。


スキンヘッドに肌着一枚(たまに上半身裸)で警察官が乗るような自転車にまたが

り、後ろの荷台には何故かヤクルトが一本だけ紐で括りつけてあります。喋りなが

ら自転車に乗っていたり、わき見しながら自転車に乗っていると顔を真っ赤にして

こう怒鳴りつけてきます。しかも地の底から湧き出るような大きな声で。

『キオツケー、マエヲムイテ』

逆にその大声で倒れそうになるくらいです。


ある奴が「すみません」と謝ったら荷台のヤクルトをくれたとか、タコ親父は元小

学校の校長だったとか、戦争に行って精神が病んでしまったとか色んな噂が飛び交

っていましたが、それらの噂が真実かどうかは最後まで知り得ませんでし

た。年を重ね、タコ親父のこともすっかり忘れ、高校に入学して暫くたったころ、

足立区の西新井の友達との会話の中で、何故かタコ親父の話題になりました。する

と友人は言いました。「西新井にも出没していた」

私の家から西新井まではおそらく10キロ弱。とてつもなく広いエリアをタコ親父は

カバーしていたんだなと、少し感動したのを覚えています。


今の時代にタコ親父がいたら、子供が犯罪にあうことも減るかもしれませんね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮の弾道ミサイル

2006年07月06日 | 政治経済
友人の結婚式でハワイに行っておりました。ハワイを発った日はアメリカの独立記念日で、ハワイはお祭りムード一色でした。

そんな余韻を残しつつ、昨夜帰国したところ、日本を離れている間にビッグニュースが幾つかあったようです。


①橋本元総理の死去

個人的には橋本元総理は好きな政治家でしたけれども、端正な顔つきとは裏腹に、シニカルな印象が強い方でした。それだけ信念がおありだったのでしょうが。


②北朝鮮のミサイル発射(今回はこの問題から将来のアジアを掘り下げてみます)

北朝鮮のミサイル発射ですが、これは国防上由々しき問題で、相手が日本でなければ間違いなく戦争に発展しうる出来事です。憲法九条だ、日米安保だ集団的自衛権だといっているうちに、北朝鮮に攻め込まれたらどうするのでしょう?唯でさえ日本人は危機意識が足りない上に、最後は誰か(アメリカ)が何とかしてくれると思っている節があるように思えてなりません。(私自身にも少なからずあります。)

短期的に考えてみても、日米安保を含む日米の在り方を見直す時期に来ているのだと思います。やはり自国は自国で守るというのが大原則だと思いますから。
 しかし、武力を武力で制すというのは賛成しかねますし、必ず将来に禍根を残すことになりますので、長期的なレベルでの解決策には成り得ないと思います。

ではどうしたら良いか。私は経済レベルでの交流を進めることだと思います。FTAの拡大もそうですし、現在考えられる最終形は東アジア共同体の結成ではないでしょうか。経済格差が戦争や病を生むことを考えたら長い時間を掛けてでもチャレンジする価値はあるはずですし、欧米型の市場原理主義的な資本主義ではなく、アジア版資本主義を形成し発言力を高めることが、欧米への牽制になり、世界の均衡を保つはずです。その取り組み、チャレンジの中で、アジア最大の経済大国日本がどんな役割を担うか。こういうことにチャレンジしてこそ政治家ですよね。

話しは大分それましたが、経営者として業績を伸ばし会社の価値を高めることが、日本経済を強くし、そのことがアジアにおける日本の発言力を高め、結果的にアジア平和そして、世界平和に繋がればいいなぁと思っています。(本当に)

それには、地元の利益や支援母体の利益を優先するのではなく、国益を追求する骨太の政治家が必要なのですが。それには政治の在り方、、、、、、また話がそれるので今回はこの辺でやめておきます。

それにしても北朝鮮問題は頭が痛いですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする