科挙とは中国に1300年間続いた官僚試験のことで、科挙登第とはその官僚試験
に通ることを指す。
科挙の最難関である「進士」の倍率は最盛期で3000倍を超えたとされる。
「進士は日月をも動かす」といわれるほどであったそうだ。
驚くべきは、支配する皇帝や皇族が変わっても1900年初頭の清の時代まで
科挙制度が続いたことである。
このことが中国の近代化を遅らせたとさせる説もあるが、1000年を超える
制度などあまり聞いたことがない。
浅田次郎の「蒼穹の昴」に詳しく書かれているので、是非お薦めです。
歌舞伎(かぶき)などで、主人公がその役の性根(しょうね)、役柄を発揮する、最も重要な場面。
転じて、ここぞという大事な場面・局面。「―を迎える」
今まさにフットボール人生の正念場。
この2週間に全てを賭ける。
俺は俺のフィールドでやりきる。
仕事もフットボールも一流になる。絶対にブレない。
僕が生まれ育ったところは東京の下町、今でこそスカイツリーだなんだで
ちょっぴり注目されていますが、僕の青春時代はさながら岸和田少年愚連隊でした。
もちろん、真面目な人たちもいましたし 賢い人たちもいましたが、当時の僕たちは
意味もなく不良に憧れ、勉強など全くする気はなく高校進学さえ気乗りしなかったのを
覚えています。
僕が住んでいたのは、当時圧倒的に住宅の供給量が足りなかった都内において各所に
大量に建設された団地群の一角でした。
5階建ての団地が約50棟以上あったと記憶しています。
そこに住んでいる人たちはほぼ親世代も同世代で、子供もうじゃうじゃおりました。
全く同じ間取りの団地なのに、仲間の家に泊まりにいったり、家に風呂があるのに10人
以上連れ立って銭湯にいったり、銭湯の帰りに真っ暗の中野球をやって家でまた風呂に入ったり
と沢山のやんちゃをして、親だけでなく地域の人たちに育ててもらいました。
母親や婆さんには「うるせークソババア」なんて言葉を小学生から吐き、大切にしてくれる人たちに
これ以上ない悪態をつき、心配をかけて大きくなった私は気がつけば44歳のおっさんになってました。
「三つ子の魂百までも」とはよくいったもので本質的には今も変わってないです。
外面は良いけど身内には冷たい。そんな人間です。
はい。そんな人間です。
変わりたいとは思っております。傷つけた人たちにも本当に申し訳なく思っております。
しかしながら、一番の被害者のお袋と婆さんはお空に昇ってしまいました。
はて、どうしたものか。
粗野な性格を少しでも変える努力をいたします。
少しの配慮ができる人間になれるよう努力をいたします。
そして、自らのフィールドで全てにおいて一番を目指します。
本来的には、そのことと近しい人への対応は別の話なんですけど過ぎた時は巻き戻せないし、全てに
一流を目指すことで人としても成長していくことが遠回りのようで一番の近道で解決策かな なんて
都合よく考えています。