意味は二つあると理解してます。
「口先だけで意気地がない」
という意味と、
「江戸っ子は口は悪いが、腹の中には何もなくサッパリしているということ」
悪口とも取れる意味と江戸っ子の粋を現す意味の相反する二つの解釈があります。
まぁ江戸っ子にも色んな人が人がいたでしょうから、二つのタイプの人がいたのでしょう。
でも、江戸っ子の多くは前者のタイプを許さなかったでしょうね。
母は数えられるだけでも五代続く江戸っ子で、親父は千葉の外房御宿、漁師町の生まれの両親を持つ僕ですが、東京の下町の人と御宿の人はすごく似ています。
口は悪いが腹の中には何もなくサッパリしているのです^_^
その2人の血を受けているので、僕も吹き流された五月の鯉です。まぁ口は悪くする必要はないので、これから「も」言葉遣いは丁寧にいこうと思っています。
私の腹の中は空っぽですよ^_^
#FInE #ForInfinityEnergy #ecogreen
自分を変えられるのは自分だけです。
ですが、自分のことを客観的に理解できている人は少ないです。私含めて。
だって、とか。でも、とか。言い出したらキリないですよね。
知恵を働かせて、身体動かして、弱音を吐かない。最後までやりきる!
必ず最後までやりきる。 頑張れ!
ただ身体だけ動かしたってダメなんだよ。。。。
何度となくブログなどで書かせていただいているが、
とにかく、やると決めたら「やる」「やりぬく」大袈裟かもしれませんが、命懸けでやりぬく。
他責は排し自らに常に自問自答し高みを目指す。
そんな人間に憧れるし、そんな人間になりたいし、なってみせる。
口でいうのも書くのも簡単だが、かかわる全ての場面で超一流になってみせる。決してブレない。
最近、起業を目指す若者と話す機会があった。
その若者から26歳で起業なんて凄いですね、とお褒めいただいたが、
当社はまだまだ成長半ばであるし自分自身何も成し遂げていないので、謙遜抜きで
恐縮です。はい。
私は26歳で会社を起こしたが、起業したとは思っていない。
生活するために働き、自営で働いていくには会社組織にする必要があったので会社を
起こしたのである。
「起業」といえば聞こえが良いが、必要に迫られて「仕方なく」会社を起こしたのである。
その時の気持ちは「社会を変えてやる」とか「理念」とかの熱い気持ちはなく、生き残る
ため、家族を食わせるために貪欲に仕事に取り組み将来は絶対に這い上がってやるという
信念だけだったように思う。合理的な根拠もなく将来は絶対に金儲けしてやる、と心の底から
信じて疑わなかった。若さって怖い(笑
なんで今更こんなことを書いているかというと、その若者からの質問がきっかけとなっている。
「起業家の方たちはしっかりとした経営理念を持っていますね」
何も言い返しはしなかったが、あれからずっと考えていた。何となく違和感があったからである。
理念ありきではなく、それよりも大事なことがあるような気がしていたから。。。
もちろん、理念は重要だけれども。。
当社がなぜ20年存続できたか。。
理念が素晴らしかったから。。。
違うな。
必死こいてたからです。命懸けで仕事したからです。
商売に貪欲にお客さんや仲間に喜んでもらうことが何よりも嬉しくて、一心不乱に働いたからです。
やり抜く力はどこの会社にも負けませんし、自分たちの可能性を誰よりも信じています。
言葉遊びに陥ることなく、やると決めたことを必死に取り組むことができるかどうかが成功のポイント
だと信じています。
若人よ頑張れ。
僕の心は狭い。ある領域ではとてつもなく広いが、ある領域では突然信じられないぐらい狭くなる。
それは飲食店である。
「いらっしゃいませ」を言わない従業員→100%アウト
返事をしない従業員→70%アウト
オーダー覚えられないくせに伝票を書かない奴→100%アウト
お店の名前は伏せることにするが、年末の忘年会で全てを兼ね備えた従業員が勤めているイタリアンに出くわした。
いらっしゃいませも言わずにおしぼりを配り、「お飲み物のご注文は?」ときた。
カチーン。。。
我慢、我慢。。
オーダーを取りまとめて、私から「彼」にオーダー。
「生ビール6個と烏龍茶2個にハイボール1個でお願いします。」
返事もせずメモも取らずに私の前から消える「彼」。
30秒後に戻ってきて、「生ビール何個でしたっけ?」
カチーン。。。
「6個です」
またもや返事もせずに立ち去る「奴」。
その30秒後、三たび舞い戻る。「ソフトドリンクはオレンジジュースでしたよね?」
そんなもん頼んでねーよ!と怒鳴りたい気持ちを抑え、小さな声で、かつ、心からの怒りを込めて「烏龍茶です」と伝えた。
2分ぐらいすると、飲み物が運ばれてきた。
でも一つ足りない。
なんと、私のハイボールが!
気がついたときには店中に響き渡るような声で、「俺のハイボールーーー!」と叫んでいました。
すみません、私は心の狭い男です。
久しぶりの投稿となってしまいました。
そして、あっという間に10月で、今年も残すところ3ヶ月。
まだ1年を振り返るのは早いので、それは改めて。
神無月の語源は、
全国の神が出雲に集まって1年のことを話し合うために、出雲地方以外では
10月のことを神無月という。。。
のだと思っていました。
しかし、これは中世以降に出雲大社の御師(今でいう旅行代理店です)が流した
語源俗解なんだそうです。
本当は語呂合わせ的なことなんだそうです。
でも、私は神様が1年のことを話し合うためにはやっぱり10月がベストだと思います。
今年1年を省みながら、来年の計を立てるのは10月がベストかと。
そんな季節です。
常に次に備えなければなりません。生きている限り戦いに終わりはありませんからね。
もちろん、今年は今年でやりきります。
オリンピックはやっぱり良いですね。
4年後の東京が今から楽しみです。
さて、ネットでは昨日の卓球女子の準決勝について色々書かれていますね。
価値観は多様ですから、それらを否定するものではありません。
ですが、ちょっと違うかな と感じてしまったのでそのことについて書きます。
最後のボールがエッジだったかサイドだったか という点でアレヤコレヤとなって
おりますが、勝敗の全てがそこだったわけではありませんね。
そこを誤ってはなりません。
たまたま最後の1点が微妙な判定だったわけです。もちろん勝負を決する1点で
あったことも事実です。
ですが、試合そのものは実力が拮抗し、どちらが勝ってもおかしくないものでしたし、
福原選手は連続6ポイントを奪取するも勝ち切れなかった。という事実もあります。
それは福原選手ご本人が痛感しているはずです。
声を大にして言いたいのは、マスコミの方々はスポーツをしている子供達にも影響が
あることを考え記事を書いていただきたいです。
整理すると、
試合のポイントは「エッジかサイドか」だけの問題ではないこと。
エッジかサイドか、、、だけの論争が一人歩きするとスポーツをしている子供達に決して
良い影響はありません。
なぜなら、スポーツを通して子供達に学んでもらいたいのは、
①仲間を信じること
②自分の役割をやりきること
③他責は排すること
④結果は受け入れ、這い上がること
だからです。
卓球女子日本代表の皆さんの悔しさは想像を絶するものでしょう。
でも、スポーツを極めた人たちならば必ず切り替えてくれるはずです。
頑張れニッポン!