新説百物語巻之二 10、脇の下に小紫という文字ありし事
西国の遊女町に、小紫と言う傾城(けいせい)がいた。
田舎そだちながら、姿心ともにやさしく、歌なども詠んだりしていた。
街道をゆき通う旅人も、小紫の名を知らぬ者は誰一人いなかった。
長崎へ通う商人に、さぬきや藤八と言う者がいた。
彼もやさしい生まれつきで、一年に二回の長崎へのおり下りには、かならずこの小紫の所に立ち寄り、一宿して遊ぶこと四五年に及んだ。
小紫は、どのよう思ったのか、外の客とは違って、一年に二度の藤八が、長崎に下って来るのを待って、むつまじくもてなした。
ある年、藤八は、又いつもの様に長崎へ下って来た。いつもの様に小紫の方によって、一宿した。
小紫は、少し前の頃より大病を患い、なかなか快気の様子も見えなく、次第に衰えていった。
唯あけくれ、藤八の事のみ、夢うつつにも、言っていた。
もはや、命の尽きるのも今日か明日かという時に、藤八は、仕事で立ち寄った。
早速、枕元にたちより、「具合は、どうなのかい。」と言った。
すると、今まで寝ていた様であったのが、目を開けて、にっこり笑い、
「わたくしの命も、もはや今日限りでございます。
どうしたわけか、あなた様の事を忘れることができず、何とぞ命のうちに、夫婦になりたいと思っておりましたが、かなわぬ事となりました。
私の死んだ後に、何にても不思議なことがあれば、よろしくお願いします。」
と、言うかと思えば、そのまま死んで、息が絶えた。
心だてもよろしい者であったので、家内のなげき、藤八の悲しみは、大きなものであった。
藤八も一二日滞留して、葬礼などを終えた。
その後、長崎での仕事もうまく終えて、上方(かみがた)へ上って行った。
その年の霜月、となりの米屋の女房が安産して美しい女の子を産んだ。
近所の事であるので、毎日毎日見まいに行った。
その女の子を、みれば見るほど小紫のおもざしに似ていた。
人に言わないでいたが、何とやらなつかしく思っていた。
百日ばかり過ぎて、母親が湯あみさせた時に、ふと脇の下をみれば、アザなどの様に小紫と言う字が、ありありとあった。
その時、藤八が居あわせて、涙をながし、ありし次第を語った。
世間へは、何も言わずに育てた。
その藤八が四十七歳の時、娘が十八歳であったが、女房にもらって、仲むつまじく暮らした。
娘は、二十八歳の時に病気になって、亡くなった。
藤八は、浮世を思い切って、五十七歳で出家して、最近まで存命であった。