過去に生きる

2011年04月10日 14時07分39秒 | Weblog




今でもそうだが

幼少のころはよく近所の家から
琉球の音楽が流れていた

学校の帰り道にその家の近くにたたずみ
その音に耳を澄ませていた

それが私の原風景

音が周りに満ち溢れていた

それが光になって見えていた

光り輝いていた

沖縄の空とそれはよくマッチしていて
とてもすがすがしい気持ちになった

家の近くには

インタリュードの看板のある建物があり

インタリュードってなんだろうって
よく思いながら道を歩いていた

カムズハウスの通りもよく歩いていて
なんで昼間しまっているのに
看板が何年もあるのか不思議だと
子供のころはそう思っていた

それがライブ・ハウスなんて
知らなかったものだから…

中学校の周囲には
売春宿の街が囲まれており
多感な少女時代を過ごした

発情にカギをかけ
バカであり、浅はかな人間だったが
この世の則を越えるために
この世の人の幸せを願い
恋愛に走ることなく
勉強に走った

と、同時に
吹奏楽部にてマーチを練習していた

何もかもが新しい体験だった

また、そこでも音に囲まれていた
音の渦の中にいた

その毎日だった

ハーモニーディレクター
というキーボードがあり、
一音おすと音が持続する機能があった

その音に合わせ
フルートでロング・トーンをしていた

そのおかげで

ピアノの鍵盤を弾くと同時に
フルートのフィガリングないしは音を
連想するようになった

ピアノを練習しているときと
同時に
フルートの練習をしているような
そんなものだった

わたしはどちらかといえば
古風な女で
家で機織りをするような
そんな無口な女だった

教師の長女だから
というよりも
そういう性格なのだと思う

とても水商売なんて
できる、そのワケなんて、ない。

デザインとか
針灸とか
臨床心理とか
そういった、
実験とか臨床が好きで
理論物理学も好きだったんだけど

どちらかというと
目利きのある
直観型とか
神がかり的なところのある

そんな不思議な女だった

今もその傾向にある

大人になってからは
アスペルガー症候群だと診断された

へえ、自閉症なんだ・・・

そういえば
カムズハウスの香村さんにも
そう言われて怒られたような気もする・・・

たぶん
男性と恋愛というよりは
保護者がいないと
生きていけない

私はそんな存在なのかもしれないって
そう思った

でも、那覇では
必要最小限の社交レベルがないと
生きては行けないんで

それは必死で演技をしてきたものだ

でも無理をしているよね

だって口から生まれてきた人では
ないし・・・

なんか多重人格的な感じだしょ?

行動療法しろと言われそうですよね

薬では治らんから(笑)

今は過去の思い出にひたり

自宅の部屋で音楽理論の本を読んだり
ユーチューブで好きな音楽を鑑賞したり
豊かなる引きこもりを実行中。

もうすこししたら
まともに作曲とかできてくるように
なるかもしれないけど

まだ、蓄積と分析が足りないな

洞察力とか、推し量りとか

あとはパターン認識とか

それは時間の問題かもね

審美眼を磨くべし。