ある人から
門松
というあだ名をつけられ
それをどういう意味なのか
辞書を引いてしらべた。
実はおめでたいという意味合いなのだが
それに気が付かないのだった
じつはそういう子供であった
逐語訳という心理学の用語があり
そういうものに相当するのであるが
おめでたくなければ勉強もできなかったし
ぎゃくにおめでたい限りで
浅はかで至らない人間でもあり
それで無性に死にたくもなるのも事実だ
バカが一番つよいという言葉もあるし
薬では治らない、ということもよくわかる
誰かが定義しないと、何の事だかわからない
という状況もある
心理学だけでなく、文学の素養も必要だし
女性学とか宗教も一度はスルーしておくことも
重要だと思う
実は母は、私を出産するとき麻酔をかけられ
生まれた瞬間というものがわからなかった
弟が生まれたときは、育児書に、話しかけなさいと
書かれてあったので、弟には一生懸命話しかけたが
第一子である、わたしには言葉をかけなかった
らしい。
ゆえに
弟は口から生まれたかのように話すのだが
私は、まるで言葉が出てこず
もし口にしたとしても
母には、まったく 相手にされていない
という事実がある
実は
無口で暗い印象の私を見ると
母親自身の暗いキャラクターを見出してしまい
それで、嫌い、相手にしないのだった
創価学会にいた母は
話しかけるとか、会話をするとか
そういったことは皆無なのだが
一生懸命、お経を何時間も唱えていた
食事時間も会話がなく
音のない、部屋の中で何時間も過ごす
という子供時代を過ごす
この、音のない、静寂な空間に身を置くことで
宗教的な情緒というものを経験する
テレビも付けず、ラジオもつけない
そんなところで過ごしていた
お寺に預けられているかのようだ