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地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

阪神淡路大震災から30年

2025-01-17 10:50:11 | 日記
1995年の1月17日に発生した「阪神淡路大地震」
それから30年が経ちましたが、その間にも熊本・東北・能登など大きな被害の出た地震が続いています。

1995年の頃は大阪で住んでいて、マンションの基礎の周りが5cmほど沈下しました。
部屋の中は本棚が倒れたりしてグチャグチャになりましたが、これと言った被害は有りませんでした。
・・と言うのですが・・・
これは周りの人達の被害を見たら、自分の小さな被害など口に出来ないんです。

地震後の早い時点で現地に行きました。
目にする光景は想像を絶する。
あの高速道路が倒れているのも近くまで行き見ました。
割れた橋脚から鉄筋が伸びてむき出しです。
周りには焼け焦げた車、ゴミも散乱していました。
近くの駅のトイレは汚物で足の踏み場もない。

家の屋根にブルーシートを張っている人に「手伝いましょうか?」と声をかけて手伝ったりするのですが、黙々と作業をするだけで、励ましの声をかける事も出来ない空気でした。

神戸には姉夫婦も住んでいるので心配したが、大阪からだと被害の大きい地区の向こう側。そう簡単には行く事が出来ません。

後日、六甲の山の中の道路が使えると情報が入り、車で姉夫婦の家に向かったが、、、当然のように大渋滞、雪は降るしほとんど動かない時間が過ぎるだけでした。何時間かかったか解らないけど、なんとか姉夫婦の家に着いた。
見ると・・・家の通し柱が基礎からズレているんです。もう少しで外れてしまう状態で、もし外れていたら倒壊して夫婦と子供が被害にあっていただろう。
家の中に入ると柱と壁が離れていた。
大きな余震が有れば危険な感じがしました。

大きな地震は物だけでなく、人の心も傷つけます。
姉は直ぐに逃げる事の出来る、一階の窓際でしか寝る事が出来なくなっていました。

大地震は怖いのですが、その後の火事も大きな被害を発生させます。
私の友人家族も火事で家を失った。それを知ったのは少し日にちが経っていたのですが、焼け跡のビルの中で生活してると・・・
小さな子供も居るのに・・寒い1月に焼け跡のビルで・・
まるで敗戦直後の生活です。
私は当分の間は徳島で生活するので、大阪の部屋を使えと提案。
家族全員で数十キロの道を歩いてやって来た。
その姿は・・・酷いものだった。

今生活している徳島もいつ来るか解らない「南海トラフ巨大地震」の恐怖におびえています。
先日に有った内閣府からの発表で、30年以内に発生する可能性が80%となりました。地震予測で「巨大」と着くのは、この地震だけです。
南海トラフ地震の予測はマグニチュード8~9とされています。
M9と予測される地震は南海トラフ地震だけで、他は7~8と予測されています
マグニチュードが1違えば、そのエネルギーは約32倍です。(0.2で2倍)

ちなみに阪神淡路地震を受けて改正された2005年の建築基準法をクリアしている家はかなり強い。
能登の地震でもほぼ被害は出ていません。
古い我が家は100%倒壊しますね。古いだけじゃなくて、すでに基礎が壊れてますから😢
来るなら来い!! 成るようにしか成らないって、防災対策を放棄しています。


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