参議院選挙が始まり、国会議員の女性の数が他国と比べて極端に少ない・・・とか。
同性同士の結婚が認められないのは不当だと、全国で起こしている集団訴訟の2件目が大阪地裁で「同性婚は認めない」と判断されたり(1件目の札幌地裁は憲法違反と判断)、この種の問題が度々ニュースになります。
昭和のオッサンである私にはなかなか理解できず、あまり考えないようにしていました。
しかし、、、例の「暇」と言う力が働いて、この事を少しだが考えてみる事に。
この種の事で類似する言葉が多すぎて、それぞれの本質が分からない。
・トランスジェンダー ・LGBT ・ジェンダーフリー ・ジェンダーレス ・性的マイノリティー
この種の事の話の時に出てくる色々な言葉、もうそれだけで何がどのような意味なのか解らない
裁判で争われている同性婚もあれば、夫婦別姓もあるし、政治家に女性が少ない、企業の取締役に女性が少ないと言うのも有る。また、スポーツでは性転換した人がどちらの競技に参加するかという問題も有る。
これらがゴチャゴチャになっていると、無知な私は感じてしまいます。
男が女に性転換して、女子競技のルールをクリアして出場した結果、ダントツのタイムを出して1位になったりして、女子の競技者から不平等だと意見が出されたりしています。
この問題と夫婦の別姓とか同性婚とは、全く別の話だと思うのですが・・・
なんかねぇ~ 何もかもが不平等な性差別の問題としているような気になっています。
個人的には遠い昔から女性議員は増えた方が良いと思っていますが、それは特別扱いで女性議員を増やすのではなく、能力のある女性の出現に期待しての事。
残念ながら政治家になって欲しいなと思う女性は政治家を目指さないんです。
その結果、女性を増やすと言う一点縛りで無能な女性が出てくる。
そして、、、、「やっぱり」と思われるような言動を繰り広げてしまいます。
そう言うのも有れば最近の日本の大学で、医学部受験において男女で男有利な配点がなされていたのには驚きました。
科学者は昔から男の世界らしくて、未だに女性を排除しているんですね。
科学者の世界の偉いさんに・・「お前ら相撲取りか」と言っておきます。
囲碁・将棋などは女流と言うのが有り男とは別のフィールドで活躍しています。
こういう競技に体力差は関係ないと思うのですが、それぞれの力には天地の差があり完全に男の方が強い。
ですから体力が大きく影響するスポーツと同じように男女が対等に戦って1位を決める事は有りません。
こんな例を挙げて体力も知力も男が有能だと言っているのではありません。
囲碁・将棋に必要な脳の働きは男の方が有能なのかも知れないが、それは脳の働きのごく一部にしか過ぎません。
感情のない駒や碁石を動かすのと、感情や意思の有る人間を動かすのに必要な脳の働きは違うでしょう。
国は「こども家庭庁」を作りましたが、これはいかにも女性をトップにする感じですね。
私が望むのはそういう事じゃなくて、他国と交渉する外交官だって女性の方が良いかも知れないし、企業の取締役だって女性の方が良いかも知れない。それは必ず良いとは言う根拠は有りませんが、ダメだと言う根拠もない。
ですから、そういう分野で選ぶときには性別を項目に入れてはいけない。
これらの様な事には理解して賛成したいのだが・・・
ジェンダーと言う言葉を持ち出せば、その人が「被害者」の立場になり特別扱いを受けるのは賛成できない。
そもそも「ジェンダー」と言う言葉は時代とともに変化している。
おおむね現代では、、、「性によって合理的でない差別は良くない」と理解して良いのではないかと感じています。
・・・と言うものの、昭和のオッサンは
男は男らしく、、、女は女らしくと言うのが大きな問題とは感じないんです。
私は男らしくありたいし、、、その「らしい」は時代の流れと共に自然に変化して行くもので、ある時に強制的に変化させるものではないと思っています。
女性が管理職になっても女性としての感覚は持ち続けて欲しい。
男と変わらない女なんて、、、それなら別に男でも良い・・・。
医学的に生まれながらにして身体と精神が一致していない人を、性と精神が一致している人たちと同一に扱うと言うのには少し疑問が有ります。
そういう人も人権は尊重しなくてはならないのは当然ですが、ことが結婚とか戸籍の話になるとどうしても「違う」と言う感覚がぬぐえません。同性で一緒に居たいなら、大事なパートナーとして好きにすれば良いと思うのだが・・。
その人たちに言わせれば、一般的な男女が結婚すれば得られる権利・保護を国から受けるが、自分達には無いのが不平等だと言うのです。。
これは国を存続する為に大事な子供を作り育てるので、それに国が協力しているのであって。
愛し合う2人が一緒になれば、色々な保護を与えるという趣旨ではありません。
この点を政治家や影響力のある人がハッキリと言ってしまえば世間の批判の的になるので言わないだけです。
同性愛者の主張はそこを逆手に取っている感じさえします。
私の様な考えの人に対して、何故か病気などで子供を授かる事の出来ない人達を引き合いに出してきたりします。
これは良くないと思います、性と精神が一致しない人や同性愛者は病人なのかと思ったりします。
この種の問題に否定的な意見を言うと、保守的だとか人権を尊重しない人の様に言われてしまう。
どっちが被害者なのか分からなくなる。
「ジェンダー問題」は個々を切り離して考えて、一つづつ解決していく方が結果的に早くて多くの人に理解されやすいと思うし、そうしなければ精神的・性的に未熟な子供たちに悪影響があると感じています。
判断能力や性的に未熟な時期には「流行り」に乗りやすく、素早く乗らなければ「遅れている」と馬鹿にされます。
そんな状況だと、同性婚も一般的な結婚と同等に扱うべきで、それが人として平等だとなってしまいます。
そんな考え方が、自分は進歩的だと主張したい教育者によって、性的に未熟な小中学に余分な同性愛者を生み出すことになってしまう。
少なくとも人も一種の生き物としてとして同性愛は目指すべき方向ではない。
同性愛者の社会的立場を認める事と、同性愛そのものを認める事は違う。
判断能力や性的に未熟な子供は「認める事」によって、そのこと自体が「正しい事」と誤解してしまう。
そんな悪影響を与えるのが一番怖い。。。。そう思うのは昭和のオッサンだからなのでしょうか。
私の頭が固くて能力がないのか、、、
未だに「トランスジェンダー」や「LGTB」や「性的マイノリティー」など、それぞれを区別して考える事が出来ません。
わからん