2月初日の今日は晴れのち曇り。今日は早朝に起きて出かけるつもりだったが、思いっきり寝坊した。目が覚めると枕元の時計の針は午前8時を示している。慌てて起床して、カーテンを開けて窓の外を見た。上空には青空が広がっているものの、雲が多い空模様である。日が射し込んでいて、空は明るくなっていた。窓を開けると、冷たい空気が室内に流れ込んでくる。ベランダに出てみると日射しの温もりが感じられるものの、凜として張り詰めた空気がヒンヤリと感じられた。
明日の早朝に館林で写真部の野鳥撮影会があり、昨年と同様、前日泊をする予定にしている。昨年の撮影会の時は、夜に館林に入ったが、今年はできることなら日中に入って、館林観光をしたいと思っていた。ところが、寝坊して予定が大幅に狂った。準備も万全ではなく、結局、家を出たのは昼前である。
日中は快晴。上空には雲ひとつ無い青空が広がった。昼間の最高気温は11℃で湿度が低く、北よりの風が吹いている。午後になって薄い雲が広がってきた。前日泊するホテルは館林駅が最寄りだが、今日はその前に分福茶釜の寺として有名な茂林寺に行ってみることにして、茂林寺前駅で下車した。
この駅から歩いて10分ほど行ったところに茂林寺がある。この寺は青龍山茂林寺と称し、1426年に開山された曹洞宗の寺院である。駅前には分福茶釜に化けたタヌキの像が設置されている。
駅から寺に向かって歩いて行く。駅の南側に出るとバス通りがあって、その道を東に歩いて行った。しばらく行くと、「←茂林寺」という道路標識が見えてきて、その下に横断歩道が見える。この横断歩道の先に見える道に入ると、そこは茂林寺の門前にある商店街である。
この道を70mほども歩くと、左手に茂林寺の総門がある。
1468年に建立されたという総門は通称、黒門と呼ばれているとのこと。
この門をくぐると参道がある。
参道の両脇には分福茶釜に化けたタヌキの像が片側に11体、両脇に22体配されている。
タヌキの像は、みな表情が豊かで面白い。ちなみに境内にはこの他にも3体のタヌキの像がある他、本堂内や境内のお堂に数多くのタヌキの置物が置かれている。
参道を進むと山門がある。山門は通称赤門と呼ばれていて、黒門から本堂へと続く門である。1694年建立とのこと。
山門をくぐると、正面に本堂が見えてきた。本堂は総門と同じ1468年に建立され、1727年に改築を行い、現在に至るとのこと。本尊は釈迦如来である。なお、堂内に掲げられている涅槃図の保護のため、2月中旬まで扉が閉められているとのこと。
向かって本堂の右手には群馬県指定天然記念物「ラカンマキ」の大木が植わっている。
この木は茂林寺の開基の際、魔よけのためにヒイラギとともに植えられたと伝えられている名木で、樹齢は600年近くになるとのこと。
本堂の左手には守鶴堂というお堂がある。
この寺院の開山は大林正通という僧侶で、美濃国土岐氏の出目とのこと。この和尚に従っていたのが、守鶴という老僧である。この僧侶は大林和尚が諸国行脚の旅の途中、伊香保で出会ったとのこと。
この守鶴和尚はその後、代々の住職に仕えていたが、1570年に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜として、一つの茶釜を持ち込んだという。この茶釜はいくら湯を汲んでも尽きることが無かったとのこと。守鶴和尚はこの茶釜を「紫金銅分福茶釜」と名付けたとのことである。
その後、守鶴和尚は1587年に飄然と寺を去って行方が知れなくなったとのこと。熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いたむじな(狸の説もある)の正体を現わしたとも言われ、後世に狸の化身だと伝えるものもある。
このお堂にはタヌキの置物が多数置かれていて、見る者を楽しませている。
この寺で朱印帳に御朱印をもらおうと思ったのだが、記帳はしないとのことだった。そこで、御朱印をもらうのは止めて、宝物拝観をすることにした。本堂右手の受付で拝観料を支払い、本堂に入る。
正面中央には御本尊の阿弥陀如来が安置されている。ここで参拝を済ませると、左手にある涅槃図を拝見させていただいた。その左手奥には開基の大林正通大和尚の像がある。
本堂の裏手に出ると、庭が設けられていた。
庭を見ながら順路に従って、宝物室に向かう。
入口のすぐ右手に「分福茶釜」がある。ちなみに撮影禁止である。堂内をぐるりと廻ると、あらためて本尊に手を合わせてお堂を出た。拝観に要した時間は30分程度か。お堂の中はよく冷えていて、寒かったこともあり、あまりゆっくり出来なかった。
寺を出ようとすると、タヌキならぬネコに会った。
ネコは人なつこく近づいてきたが、しばらくして離れて行ってしまった。
寺を後にすると、茂林寺の北側に出た。このあたりは群馬県指定天然記念物の茂林寺沼及び低地湿原となっている。
茂林寺沼を一望できる展望デッキに出た。
沼にはカモやシロサギが遊んでいた。
低地湿原を抜けて、館林駅に向かう。午後になって次第に雲の厚みが増してきた。太陽が雲を透かすように照りつけていたが、それも夕方になって日が沈むと、急速に暗くなってきた。
館林駅前で写真部の先輩と合流すると、ホテルに向かった。ホテルにチェックインすると、すぐに夕食である。夕食を食べた後は、ホテルの大浴場で温まって、部屋に戻る。
部屋からは沼が一望できるはずだが、窓からは見えるのは漆黒の闇である。それでも深夜になって沼に白鳥が戻ってきたらしい。
窓の外から白鳥の鳴き声が聞こえていた。
今日は晴れ。今日は9時に起床した。カーテンを開けて窓の外を見渡すと、上空には雲ひとつ無い澄んだ青空が広がっていて、日射しが燦々と降り注いでいる。外気の冷たさがガラスを伝わって室内に伝わり、冷気が足下に下りてくるように感じられた。団地の前庭には降り積もった落ち葉が日射しを受けて眩しく見える。すっかり葉を落とした木々の枝の間を鳥が飛び交っているのが見えた。
今日は江の島にイルミネーションを見に行くことにした。関東三大イルミネーションにも認定されているイルミネーションは一部会場を除き、11月23日~2月28日の期間で開催されている。点灯時間は17時~20時(一部会場は21時)となっており、それほど早く行く必要は無い。とはいえ、江の島まで行ってイルミネーションだけを見るのも勿体ないので、江の島を少し廻るつもりで、昼前に外出した。
日中は晴れ。西側の空に雲が少し見えているものの、突き抜けるような青空が広がっていた。昼間の最高気温は12℃で湿度が低く、東よりの風が吹いている。外に出ると空気が氷のように冷たいものの、日射しがポカポカと暖かい。風はほとんど無く、清々しい陽気である。上空を鳥が飛んでいくのが見えた。
日野駅から電車に乗って八王子駅に出ると、横浜線に乗り換えて町田駅に出た。町田駅からは藤沢駅まで小田急線江ノ島線で向かう。藤沢駅前の居酒屋でランチを食べた後は、再び江ノ島線に乗って片瀬江ノ島駅に向かった。
片瀬江ノ島駅で下車すると、駅を出て片瀬東浜に出た。風が強く、海上にはさざ波が立っている。海上にはウィンドサーフィンが疾走していて、波打ち際には多くの人が散策していた。太陽の光を受けた海面はキラキラと輝いていて、空も海も眩しく見えた。
片瀬東浜から弁天橋に出ると、江の島に渡る。江島神社の境内には入らずに、御幸橋をくぐって、御岩屋道通りに出た。江の島頂上部分から岩屋洞窟にかけて続く商店街を歩いて稚児ヶ淵に出る。
島の西南端の岩屋海岸周辺に広がるこの辺りは江の島の隆起現象と海食で生まれた景観が広がる。打ち寄せては砕ける波の向こうには富士山と烏帽子岩が見えた。
上空にはトンビが飛んでいるのが見える。
やがて日が傾いてくると、沖合に見える大島と山々のシルエットが影絵のように見える。大島の右手には三宅島の島影も見えた。
富士山の南側に夕日が沈むと、海水の溜まった稚児ヶ淵がオレンジ色に輝き、富士山の姿が黒々と見える。この辺りは夕日の美しさで知られていて、「かながわの景勝50選」にも選ばれている。波しぶきに湿った風が凍えるように冷たく感じられた。
日が沈むと、夕日のかけらを受けたように富士山がほんのりと赤く見える。
空が暗くなってきたところで、御岩屋道通りを登って、江の島頂上部分に向かう。江の島頂上部分には「江の島サムエル・コッキング苑」がある。
ここは自分が藤沢に住んでいるときは「江の島植物園」と呼ばれていたが、2003年に「江の島サムエル・コッキング苑」として生まれ変わったとのこと。江の島の貿易商サムエル・コッキング氏が明治に造成した和洋折衷の庭園跡で、苑内には展望灯台「江の島シーキャンドル」がある。この灯台は苑と同じく2003年にリニューアルされたとのこと。「江の島サムエル・コッキング苑」はイベントが無い場合は終日無料だが、イベント開催時は17時以降、有料となるとのこと。入口で「シーキャンドル&コッキング苑セット券+ナイト」を買うと苑内に入った。
正面のエントランスには「湘南の宝石」とかかれた看板が掲げられたオブジェクトが設置されている。関東三大イルミネーションに認定された宝石イルミは湘南の海の揺らぎと広大な星空を思わせる空間で、繊細かつダイナミックな世界が広がっている。
苑内はディズニーランドを思わせる混雑ぶりで、シーキャンドルに登るには30分待ちとのこと。ちなみにシーキャンドルに登るためにはシーキャンドルの真下で整理券を発行してもらう必要がある。
まずは苑内をぐるりと廻った。エントランスを過ぎると右手奥にはウィンザー広場と呼ばれる温室の遺構がある。
ここからシーキャンドルを見渡すと星の海にシーキャンドルが屹立しているように見える。
シーキャンドルに向かって歩いて行くと、湘南シャンデリアという名称の付いた光のトンネルが見えてくる。
青い光に包まれたトンネルの中央にはシャンデリアがあって、華やかな空間となっている。
横にそれると、暗い植物園の中に光が散りばめられているように見えた。
植物園の中を歩きながらシーキャンドルに向かう。
整理券の番号が来たので、シーキャンドルのエントランスに入った。エレベーターで海抜101.5mのガラス張りの展望室に到着すると、そこから階段で屋外展望台に上る。上空には澄んだ暗い空に星が瞬いている。しかし、風が強くて凍えるように寒い。
LEDの冷たい光に照らされた苑内を見下ろした。その先には明るくライトアップされた弁天橋が延びていて、湘南の街並みの夜景が望める。灯台のサーチライトが規則正しく廻っているのが見えた。
しばらく屋外展望台と展望室を廻って、夜景を眺めると下に降りた。湘南シャンデリアの脇には江の島サムエル・コッキング苑内に植えられた3万本の早咲きのウインターチューリップが咲き誇っている。さまざまな色のチューリップはLEDの光に照らされて、鮮やかに見えた。
脇道に入ると、うっそうと茂った木々の中にホタルが舞っているかのような幻想的な世界が広がっている。
そのまま進んでいくと、エントランス広場に出た。時計を見ると、既に午後8時を廻っている。3時間近く苑内を歩き回っていたらしい。
だいぶ疲れたのと、お腹も空いたこともあって、サムエル・コッキング苑を出た。江島神社の中津宮と辺津宮を経て弁財天仲見世通りに降りる。参道の両側の店は既に閉店していて、街灯が道を照らしていた。弁天橋を渡り、小田急線片瀬江ノ島駅に着いた。ライトアップされた駅舎はまさに華やかな竜宮城に見える。
改札に入り、電車に乗って藤沢駅に到着すると、駅前の飲食店で夕食を食べて帰宅する。電車を乗り継いで日野駅に到着する頃には既に夜11時を廻っていた。上空には暗く澄んだ空が広がっていて、星が瞬いているのが見える。風が氷のように冷たく感じられた。
クリスマスの今日は晴れ。今朝は上空に澄んだ暗い空が広がっていて、星がちりばめられたように煌めいていた。南東の空にブーメランのような月が浮かんでいるのが見える。今朝の気温は-3℃で湿度が高く、西よりの風が吹いていた。
今日は1日年休をとった。仕事に少し余裕が出てきていて、特に予定が無いこともあるが、職場から見える富士山があまりにも綺麗で、写真を撮りに行きたくなったというのも理由の1つである。そこで、富士山を撮りに出かけることにした。
外出するために玄関の扉を開けると、冷凍庫を開けた時のような冷気が室内に流れ込んできた。外に出ると、冷たい風が吹いていて、吐く息が白く見える。アスファルトの路面が氷のように冷たく、足下から冷気が立ち上ってくるように感じられた。
日野駅から中央線大月行きの電車に乗る。ホームに着くと、グリーン車を連結した12両編成の電車がホームに滑り込んできた。グリーン車の平屋席に座り、リクライニングシートの背もたれを最大限に傾ける。これで大月まで寝ていける。
八王子、西八王子、高尾と電車は西に向かって行く。各駅の東京方面のホームで電車を待つ通勤客を横目にラフな服装でシートに寝そべっているのもなんだか妙な感覚だ。奇妙な優越感に浸りながら、車窓を楽しむ。とはいえ、まだ外は暗く、どこを走っているのかもよく分からない。目が覚めると、電車は大月駅に到着していた。
大月駅で富士急行線に乗り換える。最初の目的地は下吉田駅である。
下吉田駅に着くと、電車を降りた。目の前には富士山が鎮座しているのが見える。
駅を出る。駅前には誰もいなかった。
下吉田駅から歩いて新倉富士浅間神社に向かった。駅から神社までは5分ほどで到着した。
鳥居をくぐって、本殿に向かう。
まだ、早朝ということもあって、本殿は閉まっている。この本殿の上には新倉山浅間公園があって、そこまでは境内社の塩竃神社の脇の階段を上っていくのである。咲くや姫階段という名の階段は398段あり、これを登り切ると、目の前に忠霊塔という五重塔が現れた。赤と白の彩色が華やかに見える五重塔は富士吉田市戦没者慰霊塔である。この五重塔の裏手に展望台があり、そこから見る富士山は富士山の絶景スポットとなっている。
神社の本殿が開くのが午前9時とのことなので、それまでこの展望台で富士山を眺めることにした。ガイドブックやSNSなどで拡散されているからなのか、かなり外国人客が多い。中には三脚を立てて動画を撮っている外国人客もいて、ちょっと迷惑だ。
時間になると、階段を下りて本殿に向かう。
新倉富士浅間神社の御祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の三柱である。
参拝を済ませると、本殿に向かって左側にある授与所で御朱印をもらう。この神社の御朱印は「荒浜神社」「通常」「月替わり」「限定(冬)」「切絵(雪)」の5種類があって、「限定(冬)」「切絵(雪)」は書き置きに日付を記入してもらえる。この神社では「月替わり」の御朱印を頂いた。
授与所に「富士山 神玉巡拝マップ」のチラシが置かれていた。平安時代より大願成就を記念して神社を巡拝する風習があったということで、河口湖から山中湖にかけてのエリアにある7つの神社のマップが書かれている。下吉田駅の近くには小室浅間神社があるようだ。まだ時間も早いので、小室浅間神社に行ってみることにした。
下吉田駅まで歩いて戻ると、駅前の通りを歩いて小室浅間神社に向かう。駅から小室浅間神社までは5分ほどで到着した。
通りから通りをくぐって神社本殿に向かう。
この神社の御祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、平安時代に征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の途次、この地から富士山を拝して戦勝を祈願し、数年後に功業が成就したので、その報賽に神社を創祀し、神護を謝したとのこと。
境内には鎌倉幕府を倒幕し、建武の新政期には征夷大将軍に就いた護良親王を祀った「大塔宮桂之古跡」という桂の御神木がある。
大塔宮とは護良親王のことで、出家して天台宗門主となり、法勝寺九重塔(大塔)周辺に門室を構えたため、大塔宮と呼ばれていたとのこと。その後、還俗して鎌倉幕府を倒幕し、建武の新政では征夷大将軍に就任するも、足利尊氏との政争に敗れて鎌倉に幽閉され、暗殺される。首をはねられて捨てられた首級を側室である舞鶴姫が持って落ち延びたとのことである。舞鶴姫は現在の上野原市と都留市の境界にある舞鶴峠で亡くなり、家臣がこの神社の境内地にある桂の木の根元に葬ったことが伝わっているとのこと。
「大塔宮桂之古跡」の背後には富士山溶岩流原形剣丸尾溶岩と呼ばれる起伏のある岩の堆積が見られる。西暦937年の富士山の噴火の際に流出した溶岩枝流の突端に当たるとのこと。
境内には神馬の馬場がある。9月には流鏑馬祭が開催されるとのこと。
馬場では一頭の神馬が日なたぼっこをしていた。
神社で御朱印をもらい、神社を後にする。鳥居を出て本町通りを南に向かって歩き出した。
通りの正面には富士山が見える。多くの観光客が下吉田観光案内所前から見える富士山を撮っていた。
( 北口本宮富士浅間神社 に続く )
文化の日の今日は晴れ。今朝は上空に澄んだ暗い空が広がっていて、星が瞬いている。東の地平線付近は、ほのかに明るくなっていた。今朝の気温は13℃で湿度が高く、北よりの風が吹いている。昨日深夜まで降った雨で濡れた路面は所々に水たまりがあるものの、既に乾き始めていた。潤った空気が心地よく、風が涼しい。
連休2日目の今日は秩父に出かけることにした。平日と同じ時間に家を出ると、日野駅に向かう。駅に着いてホームに上った。白っぽく見える東の空には雲が影絵のように浮かんでいて、その下には朝焼けで赤く染まった空が見える。次第に東の空が明るくなってきた。
高尾行きの電車に乗って八王子駅に着くと、八高線に乗り換えて東飯能でに下車した。東飯能駅から西武秩父までは西武秩父線に乗って行く。西武秩父駅に到着すると、秩父鉄道御花畑駅まで歩く。8分ほど歩いて駅に到着すると、今度は秩父鉄道に乗って長瀞駅を目指す。長瀞駅に到着したのは7時51分である。
早朝の秩父は下車する人も少なく、駅構内や駅の外は閑散としていた。
まずは宝登山ロープウェイの宝登山麓駅を目指す。日中は宝登山ロープウェイ宝登山麓駅と長瀞駅を結ぶシャトルバスが運行している。運行している時間は土休日は9時40分~17時の間なので、シャトルバスは走っていない。そのため、長瀞駅から宝登山ロープウェイの宝登山麓駅まで歩いて行くことにした。ちなみに要した時間は30分ほどである。
長瀞駅の正面の宝登山参道を歩いて行くと、正面に宝登山神社前のロータリーが見えてくる。この左手の坂を登っていくと、宝登山ロープウェイの宝登山麓駅に着く。かなり急勾配の坂で、これを昇っていくと、目の前が開けた。宝登山ロープウェイ宝登山麓駅に着くと、往復乗車券を購入した。
宝登山ロープウェイは標高差約237mを約5分かけて昇っていく。
宝登山頂駅に到着すると、駅の外に出た。
早朝にロープウェイに乗ったのは、雲海が見られるかも知れないという期待があったからである。宝登山ロープウェイでは宝登山頂から雲海を鑑賞するための早朝運転を日程限定で実施している。ちなみに雲海が発生しやすい条件というのは①前日に雨が降ること、②朝晴れること、③風が無いこと、の3つであり、今日はその条件を完備していると思われた。
しかし、雲海は見ることができなかった。駅員によると、ここ3~4年は雲海を見ることは無いとのこと。今朝も眼下に雲が浮かんでいるのが見えたが、やがて無くなったとのことだった。
駅から眼下を見渡すと、長瀞の町並みがあって、その先には秩父の山々が広がっている。
駅の西側を見渡すと奥秩父の山々の風景が広がっていた。
宝登山頂駅から徒歩5分ほどの所に宝登山神社の奥宮がある。
宝登山神社の本殿に参拝していないのに、奥宮を先に参拝していいのかどうかは分からないが、ロープウェイで一旦降りて本殿に参拝し、改めて奥宮に参拝するのは時間的にもお財布的にも、ちょっと無理なので、先に奥宮を参拝することにした。
宝登山神社は古代日本の英雄である日本武尊が神霊を拝したところと伝えられる。日本武尊が東国平定の折、分け入った山で炎に包まれて危うい事態に陥ったところ、何処からか現れた大きな山犬たちに救われたとのこと。尊は山の神が眷属の大口真神たる山犬を遣って救ってくれたのだと悟り、山頂に山の神の大山祇神・火の神火産霊神を祀り、山の名を「火を止める山」と表して「火止山(ほどさん)」と定めたとのこと。このことが寳登山神社の始まりとされるとのことである。
奥宮を参拝すると、山頂付近を廻る。山頂には小動物園の他、臘梅(ろうばい)園や梅園があるが、まだ花はほとんどついていない。山頂を一周すると、再びロープウェイで宝登山麓駅に降りた。
あらためて本殿に参拝する。本殿はロータリーより奥まったところにある。
鳥居をくぐり、手水舎で手を清めると、石段を登って本殿を参拝する。現在の本殿は明治に完成した社殿で、平成21年に社殿を飾る24孝の欄干彫刻を始め、軒下の小壁などに彩色を施したとのこと。
本殿の奥には日本武尊が東国平定の帰りに禊ぎをした泉がある。ここで身を清めて宝登山に登られたと伝えられている。この泉は「玉の泉」とも称されている。
本殿を一周して境内を出た。授与所で朱印帳を購入する。朱印帳は通常の朱印帳に加え、四季シリーズ秋季限定版(9月~11月)「ライトアップ大鳥居 紅葉と夜空の流星群」と題された朱印帳が販売されていた。通常の朱印版に比べて、秋季限定版の方がひとまわり大きい。今回はこの朱印帳を買うことにした。朱印帳に朱印をもらうと、境内を出る。
( 長瀞@秩父 に続く )
( 宝登山@秩父 から続く )
再び長瀞駅まで戻ってくると、今度は線路を渡り、岩畳通りを歩いて荒川に出た。この辺りは荒川中流域で、川を挟んだ正面には「白鳥島」と名付けられた岩が見える。
川の左岸には国指定の名勝・天然記念物「長瀞岩畳」が連なっている。「長瀞岩畳」は隆起した結晶片岩が畳を敷き詰めたかの様に広がっている。荒川を挟んで「明神の滝」が見えた。
「長瀞岩畳」を歩きながら川の上流に向かう。
昨日の雨で荒川の川面は茶色く濁って見える。その両岸を切り立った岩肌が見事な景観を作り出している。正面に「秩父赤壁」が見える所まで来た。中国の赤壁になぞらえて名付けられた岩肌は地殻変動によって作り出された割れ目の壁である。
日中は快晴で、上空には雲ひとつ無い青空が広がった。昼間の最高気温は22℃で湿度が低く、乾いた北よりの風が吹いている。カラリとした暑さで、空気が心地よく感じられたものの、強い日射しが照りつけていて汗をたっぷりとかいてしまった。
「月の石もみじ公園」まで来ると、一旦川岸から南桜通りに上がった。公園のもみじはまだ濃い緑色で、紅葉までにはまだ時間がかかりそうだ。少し上流方面に向かって歩き、再び河岸に降りる。河岸は「長瀞岩畳」が無くなっているものの、茶褐色と白の縞模様が見られる盛り上がった岩場になっている。この石が「虎岩」である。少し歩いて行くと、大きな石が川端に鎮座していて、その頂上には金剛棒のような杖が岩に付き立っていた。
岩を廻って川面に近づく。土色に染まった川面は日射しを受けてキラキラと煌めいて見える。激しい流れで、濁流のような水面は少し怖い。折り畳まれるように褶曲して、トラの毛皮のような模様に見える虎岩は地下深部の高い圧力の下で形成されて隆起したものとのこと。
少し上流には秩父鉄道の荒川橋梁が見える。その手前の向い岸には長瀞ライン下りのAコースの親鼻橋乗船場所が見えた。
河岸から上長瀞駅に向かう。秩父鉄道の踏切を渡ると、警笛が聞こえてきた。親鼻駅方面から長瀞駅方面に向かう貨物電車が通り過ぎていった。
上長瀞駅近くの蕎麦屋でお昼を食べると、秩父鉄道に乗って一旦、長瀞駅に戻る。長瀞ライン下りを体験することにして、長瀞駅前の案内所でAコースのチケットを購入すると、Aコースバス乗り場から送迎バスに乗って、親鼻橋乗船場所に向かった。
乗船場所から舟に乗る。舟の舳先と船尾に1人ずつ船頭がいて、舟を操る。舟の両脇に席が設けられていて、ライフジャケットを着て席に座る。川面は後ろを振り返ることによって間近に見ることができる。カメラで写真を撮るにはかなり厳しい姿勢である。座ったのは進行方向右手の席である。後で考えると、「長瀞岩畳」を間近で見るには反対側に座れば良かったが、そこまで思いが至らなかった。
舟が岸を離れると、まもなく、進行方向右手に「亀の子岩」が見えてきた。
亀の形に見えるという「亀の子岩」は 川の流れに侵食されてできた自然のアートである。
Aコースの川下りは3キロコースを約15~20分ほどで下る。乗ってみれば、あっと言う間だった。やがて舟が「長瀞岩畳」にさしかかってくると、まもなく下船ポイントである。
先ほど歩いていた「長瀞岩畳」の岩肌が間近に迫る。「明神の滝」には小さい虹がかかっているのがみえた。
舟を下りると、長瀞駅に向かう。舟に乗って写真を撮るのはかなり難しかった。
長瀞駅に到着するとちょうどSLが到着するところだった。沿線には多くの観光客が詰めかけていた。
長瀞駅からSLが熊谷駅方面に発車するのを見送った後、今度は電車に乗って御花畑駅に向かう。御花畑駅に到着すると、電車を降りて西武秩父駅まで歩いた。お土産などを買って、西武秩父駅から電車に乗って帰宅の途に着く。だいぶ日も傾いてきて、空が薄暗くなってきた。
西武秩父駅からは西武秩父線と八高線、中央線を乗り継いで日野駅に向かう。日野駅に着く頃には既に夜7時近くになっていた。電車を降りて改札を抜けると駅の外に出る。上空には澄んだ暗い空が広がっていて、星が瞬いていた。昼間の陽気からぐっと気温が下がって夜風が冷たく、肌寒いほどに感じられた。