( 富士吉田浅間神社巡り から続く )
本町通りの先には富士山が鎮座しているのが見える。赤富士通りと交差する金鳥居交差点まで来ると、その先に金鳥居がある。
この鳥居は俗界と神聖な富士山の「結界」として1788年に建てられて以降、何回か建て直されているとのこと。現在の鳥居は1956年に建てられたもので、一之鳥居とも称されている。北口本宮富士浅間神社の鳥居ではなく、富士山という神の山の鳥居と考えられているとのこと。
金鳥居をくぐって更に通りを歩いて行くと、上宿交差点に出た。この交差点を左に折れて国道を少し進むと右手に北口本宮富士浅間神社の鳥居が見えてきた。
昼前から薄い雲が出てきたものの、日中は晴れて薄日が射す空模様となった。昼間の最高気温は9℃で湿度が低く、東よりの風が吹いている。塵ひとつ無い澄んだ空気が氷のように冷たく感じられたものの、写真を撮りながら歩いていると汗をかくくらいに体が熱くなってきた。
北口本宮富士浅間神社の鳥居をくぐり、参道を歩いて大鳥居に向かう。うっそうと茂った樹齢300年以上の杉と桧の木々からは木洩れ日が射し込んでいて、凜と張り詰めた冷たい空気が少し緩んだように感じられる。
参道の先には橋があって、その先に大鳥居がある。この大鳥居は富士山の鳥居とされて、この神社の社殿が建つ以前よりあったとされる鳥居である。
日本武尊が当地で富士山を遙拝した時に大鳥居を建てたと言われ、60年を以って式年と定め、建て替えまたは修理がされてきたとのこと。現在の鳥居は1954年に造営され、2014年に修理されているとのこと。扁額には「三国第一山」とあり、1636年に奉納されたものとのこと。三国とは日本と中国、インド(天竺)の三国で、世界一高く麗しい山とされた富士山を射すとのことである。
大鳥居をくぐると、その先に随神門がある。大鳥居に続く第二の入口で、重要文化財に指定されているこの門は1736年に建立されている。彫刻意匠が多く、装飾性に富んだ建物で、左右に豊磐門戸神(とよいわまとのかみ)、櫛磐門戸神(くしいわまとのかみ)という祭神が安置されている。
随神門をくぐると、その先に神楽殿があり、その裏に社殿がある。
北口本宮富士浅間神社の御祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天孫彦火瓊瓊杵尊(てんそんひこほのににぎのみこと)、大山祇神(おおやまずみのかみ)の三柱である。日本武尊が東国を平定した帰り、神社の南西に位置する大塚丘で富士山を遙拝したことに始まる神社である。
社殿の南西に富士登山道吉田口がある。
ここから5分ほど道を行くと、左手に小高い丘がある。これが北口本宮富士浅間神社発祥の地である大塚丘である。丘の上には日本武尊が祀られている。
参拝を済ませると、社務所で北口本宮富士浅間神社と大塚丘の御朱印をもらった。
時計を見ると既に午後1時を廻っている。境内の南側にほうとう専門店「浅間茶屋」本店があるとのことだったので、そこでお昼を食べるつもりで店に行ってみると、水曜日は定休日だった。仕方ないので、富士急行線富士山駅まで戻り、その周囲の店でお昼を食べることにした。
( 今日のランチ(富士山うどん大@とがわ) に続く )
富士山駅ビルショッピングセンター「Q-STA」内の土産物屋でお土産を購入すると、駅に入った。
富士山駅から大月駅までの普通列車(各駅停車)は1時間に1~2本しかなく、富士山駅から大月駅までの所要時間は約1時間である。大月駅に到着したのは午後5時を廻っていた。
既に日は沈み、空は暗くなっている。大月駅から中央線普通電車に乗って日野駅に到着する頃には、上空には暗く澄んだ空が広がっていて、星が瞬いているのが見えていた。
日野駅に到着すると、改札を抜けて駅の外に出る。冷えたガラスのような硬い風がスースーと通り抜けていき、身をこわばらせながら家路を急いだ。家に着くと、熱いお茶を淹れて飲む。ようやくホッとした気分になった。