お盆が終わった16日、君津に住む弟が来たのでラーメンを食べに行った。
その帰り道、ついでに父の墓に行った(詣でた)。
線香を忘れたけれど、手を合わせれば良(い)いか、ということで、寺に向かう。
お盆の最終日には、叔母、いとこ、姪が家に線香を上げに来てくれた。
今日、コロッケを買いに行った肉屋で、その叔母と顔を合わせた。
娘(姪)は、私が仏を迎えに行かなかったが、明日(お帰り)墓に行くという話に、
笑っていたよと言っていた。けっきょく“送り”もしなかったが。
私には、(仏?を)迎えに行くとか、送るとかいうことは、ぴんとこない。
葬式などは、残った家族のためのものだから、出席もやぶさかではない。
他人が関わらない宗教儀式は、何もしなくても失礼にはならないと考える。
私自身は、侮辱するつもりもなく、何も考えていないので…
店に来ていた腰の曲がった婦人が笑っていた。
老婦人の「忘れるのも良いかもしれないね」は、他人に対する知恵のある言葉か。
父も無信心だったから気にしてない?だろうし、その内、家風になるのだろうねと、
言い訳を言うと、皆が和やか?な笑いに包まれた。
内心はどうかわからないが?
父は、東京から移り住んだ人の家を買ってここに住み着いた。
旧住宅は、大きな神棚があったが、田舎風に幅が1m以上あった。
家を建て直すときに、父は神棚を作らなかった。
位牌もなかったので、仏壇もない。
無信心は「むしんじん」と読むようだ。
私は「ぶしんじん」と言った方が音感(語呂)が落ち着く。
このあたりの方言のようなものだろうか?