聴覚の障害は、最高等級が2級である。言語障害3級が加わると1級となる。
聴覚障害は、比較的軽度との認定が背後にある。
聞こえないことによる情報獲得の不利から、情報障害ともいわれている。
聞こえないという障害は、わかりにくい障害といわれる。
見ただけでは障害の有無がわからない。これに、同じくわかりにくい障害である、
内部障害が加わり、妊娠もしていたりすると、優先座席の前で放置されても、
「体調が悪いので座らせてください」とも言えない。
ヘレンケラーは、「見えない、聞こえない、話せないのうち、1つ直せるとしたら、
どれを選ぶか?」と聞かれ、「聞こえるようになりたい」と答えたそうだ。
情報が得られない障害の重さを伝えるエピソードとして、良く例にあげられる。
福祉手当の支給停止用件として、「音声の識別ができる」がある。
運転免許を得るために、クラクションの音が聞こえるようにと補聴器を取得すると、
「音声の識別ができる」と判断される。だが、実際に識別できるというほどではなく、
個人差もあるが、少し拡大して聞こえる程度であることが多い。
けっきょく、わかりにくい障害であることから、障害の重さが軽く見られるうえに、
補聴器の使用で、障害が軽減されるかのように認定されてしまう。
ろう者にとっての補聴器は、ただ、音を拡大するだけで識別などはできない。
中途難聴者にとって補聴器が役に立つのとはまったく意味が違う。
さらにややこしいのは、難聴者でも、感音性、混合性などが重度の場合、
補聴器は役に立たないこともある。
聞こえる人は、雑談を何気なく耳にして、「あぁ そうか」と納得することが多い。
それは、家族内、社内、隣近所、グループ内、見ていないテレビ、ラジオなど、
全ての周囲から聞こえる音声を情報として捉えた場合、かなりの分量になる。
それらの情報が聞こえていない人に対するとき、どんな配慮があれば良いか。
手話通訳を全ての場所に配置はできない。
少なくとも、小さなグループ内で、何か決め事をしたとき、ろう者には伝わらない、
そんな状況がかなり多いということに注意してほしい。
飲み会などでも、注文の仕方、お金の集め方などは事前に知らせてほしい。
最低限、直前にこうしたいがどうかと聞いてから始めたい。発表されてしまうと、
酒の席で、ちょっと待ては言いにくいものである。