先の天皇の発言は、憲法違反ではないかという議論が起きないのはなぜだろうか。
朝日新聞までが、「お気持ちを汲み、慎重な議論を」などと書いている。
公共放送を使ってのあのような発言は、政府と天皇側とが協議の上でないと、
できないはずであるから、「出来レース」のようなものだろう。
私は、子どもの頃から「天皇」が嫌いだった。
戦後10年の頃、まだ食えない国民がたくさんいた。
両親が日雇いで外に出ると、子どもに10円をあずける。子どもは親が帰るまで、
5円で焼き芋を食い、5円で貸本漫画を読んで一日を過ごす家族が近所にいた。
そんな話しを親から聞き、わが家の貧乏を我慢させられていた。
真偽のほどはわからないが、誰かと比較し、我慢をさせるという構図は世の常か。
その恨みが、一見、国民の税金で安穏に暮らしているらしい、「天皇」に向かった。
成長すると、同じ人間のはずなのに、なぜ、人間以上の尊敬?を受けるのか。
理由のない尊敬を受ける存在を認める社会は、理由のない蔑みを他者に向かわせる。
そう思うようになった。その根源に「天皇制」があると思う。
天皇制から脱却し、人の上に人を作る社会の仕組みを壊すきっかけにしたらどうか。
「天皇制」の歴史は、時の権力者に利用され続けることで長い間生き延びてきた。
現政府は、国民に人気のある天皇を利用し、1条から8条変更のどさくさを利用し、
9条に手を加えようという方策を仕組んだと思う。
しかし、選挙にもあまり行かない国民の8割もが、天皇に愛着を持っているというのは、
本当だろうか。信じがたい。