悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

私の手話

2016-08-13 19:35:40 | バリアフリー

私の手話を見ると、手話をまったく知らない人から、手話学習初心者レベルの人は、
上手だという。
まったく知らない人は、とにかく手が動いている、上手いのだろうと思うだけである。
初心者は、知っている単語が日本語の語順に沿って表現されるので、上手いと思う。
知らない人が勘違いして上手いと思うのは、彼には何の責任もなく、仕方がない。
手話の達人は、下手な通訳だとすぐに見破る。ろう者は、「何言ってるのだろう?」

米原万里の通訳論を読んでいて、自分の手話との関わりに思いが及ぶことしきり。
もっと真剣にろう者、手話と関われば良かったと反省させられる。
いい加減な手話でも、知らないよりは少しマシだが、日本語と手話の橋渡しが、
十分にできていないことに恥ずかしさを覚え、後悔の念が、ふつふつと湧く。
考えてみれば、これまでの人生、何に対しても「いい加減」だったように思う。

今思うのは、ろう者の「生(なま)」の手話を身につける努力をすれば良かった。
結果的には、聞こえる人向けの講座的手話サークルを初心者の段階で任され、
本当の手話を学ぶ方向に進ま(め)ず、手話サークルの運営に汲々としていた。

ろう者が実際に使っている「日本手話」と、サークルで学ぶ「日本語対応手話」は、
まったく違うということを、最近知ることとなった。遅かった?のだが。

すべて手話で授業を行なう私立のろう学校が東京に1校だけある。
ここの卒業生が、各地で主張するようになれば、日本のろう教育が変わると思う。
政治の世界だけでなく、ろう教育の世界でも、欧米の後追いをしている。