悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

第22回東京~取手ナイトウオーク

2016-08-21 18:35:26 | ウォーキング

取手市歩こう会主催、阪神・淡路大震災をきっかけにして始まったウォーク。
会ができる前から実施しており、会の主要行事となっている。
私の参加は、今回で3回目。脚の状況については、今回が一番楽だった。
東京駅八重洲北口をスタートする少し前から雨が降りだした。
快適に歩けると思っていたが、台風の発生により空模様が変わってしまった。
17:55スタート。
1時間くらい降っていただろうか、止んでも雨具を着ていたが、蒸し暑いので、
リュックにしまった。その後は降ることはなかった。月や星まで出てきた。
柴又の帝釈天で食事をし、その後眠気が襲ってきた。手賀沼に向かい、
朝が明け始まった頃も、強烈な眠気がきて、辛い歩きではあった。
手賀沼のほとりで、6:30ラジオ体操を、歌、体操の1~2番まで実施。
前会長の代から始め、現会長も踏襲し実施している。
会員の中には他の意見もあるだろう。
ゴール後の交流会の時には、どこかの会の酔漢が、批判的なことを言っていた。
このような取り組みに他会のものが批判めいたことを言うべきではない。
歩行速度と休憩の取り方にまで言及していたが、これも余計なお世話。
この会では、21年間、歩行の目安に沿って運営しており、
毎回、予定通りの歩行を実現している。
団体歩行で長距離となると、綿密な行動管理が必要である。
また、ナイトウォークなのでキャンセル位置によっては帰ることもできない。
今回の参加資格に、20km以上歩いた経験を持つ者とある。程度の差はあるが、
参加するにあたっての自己管理にも、気を配ってほしい。

本日のゴールは、8:00、予定通りだった。認定距離46km

大横川親水公園での休憩時、スカイツリーがきれいに見えた。


はしご歩き

2016-08-20 11:20:19 | ウォーキング

今日は、取手市歩こう会主催「ナイトウオーク」がある。
東京駅に17:30集合なので、今日の歩きをどうしようかと迷っていた。
今朝、4:00に起きて、いつものコースを歩いた。急に台風が発生したので、
霧雨、小雨の中を歩くことになった。
夕方から明朝にかけての歩きも、天候が気になる。

私は酒のはしごはあまりしない。1回飲めば、もういいや!と、もう飲みたくはない。

歩きも同じで、10km歩けば「1歩き」で、その日のうちにまた歩こうとは思わない。
歩友の中には、飲んべえならぬ「歩中(アル中)」で、「はしご歩き」をする人がいる。
どこかの例大会を歩き終わった後、近くの「イヤーラウンド」を歩く人や、
一日に、イヤーラウンドを2箇所歩く人もいる。
距離を伸ばすためには、当然といえば当然だが、よくやるもんだと感心する。
私は、「はしご歩き」はほとんどしたことがないが、4万キロに挑戦するようになって、
やはり意欲がでたのかもしれない。

しかし、朝の歩きは涼しくてよいのだが、空腹なのと、暗いのが良くない。
朝早くに歩いている人は、軽く口に入れてから歩いているのだろうか。
暗いことについては、懐中電灯を持てば良いので、言い訳にはならないが。
ただ、早朝歩きの良いところは 、その後の時間の使い方に自由度が増す。
この点は貴重かもしれない。

だが、母を6:30に起こすので、4:00に起きて12km歩くと、今日は帰宅が6:20。
シャワーを浴びる時間はない。汗ぐっしょりのままで、母を起こさなければならない。
10分あればシャワーくらい浴びることもできるが、スマホへの記録、靴をぬいて、
乾燥させるため外に干して、牛乳を飲み、などとやっていると、もう時間がない。

かと言って、夜は酒を飲まなければならないので、歩く時間はない。
以前、母を寝かせて20:50~23:00の間歩いたことがあるが、
何かせわしないし、その後ブログを書くのはけっこう負担だ。

今のところ、朝食後一休みしてから歩くのが、自分の環境に合っていると思う。 


ウォーキングダイアリー

2016-08-19 20:43:18 | ウォーキング

夏はウォーキングの例大会が減るものだが、私のダイアリーを見ていると、
いかにもシールが少ない。7月1枚、8月まだなし、
明日は、「取手市歩こう会」主催の「ナイトウーク」に参加できるのでプラス1となる。
明朝早く歩き、午後4時頃東京に向かう予定。
今月は2日間歩いていないので、何とか歩いて距離を伸ばしたい。
明日のナイトウオークの分は、明後日に回そうかと思っている。
日曜日に帰ってから歩くのは、私にはきつい。

母は、ショートステイに行く前の2~3日間、うるさくなる。
取手の参加受付ハガキを見せて、「明日歩きに行けなくなるんだよ」と言うと、
ごちゃごちゃ言うのをやっとやめた。
とうとう言ってしまった、という状況に胸が痛いが、背に腹は替えられない。 


想像力以前の問題?

2016-08-18 20:37:49 | 雑記

子どもの貧困が広がっているというNHKのニュースを見た。
実際の高校生が、自分の貧困に気がついた例を話していた。
たいていの家にはパソコンがある。その子の家ではパソコンが買えず、
1,000円で、キーボードだけを買ってくれたとのこと。
パソコン入力の技術が伸びないので、母親が買ってくれたそうだ。
そのことで、自分の家庭の貧困に目を向けるようになったという。
これにも驚きといえば驚きだが…

その経験を、ある発表会で語ったところ、出席した高校生の反応があり、
「そのような現実があることを初めて知った、何かできることをしたい」
と発言していた。
私は驚いた。そんなことも知らないのか。
 
想像力以前の問題なのかもしれない。
世の中のありようがわからなくなっているようだ。
原子力や、日米安保、沖縄などなどについても、
想像力以前の状況になっているのかもしれない。

今も昔も、知らせたくないことは隠しているが、
このわからなさは、何か異常じゃないのかと、疑念を持った。

  

 


損得勘定にも迷う

2016-08-17 17:55:01 | ウォーキング

日光ツーデーに参加するかどうか迷っていたが、締め切り日の今日、申し込んだ。
3日には、東京でくつの日記念ウオークがあるので、こちらを選ぼうと思っていた。
日光ツーデーに参加するには、交通費、バス代、参加費で6,000円くらいかかる。
そのわりには歩行距離が20kmしかない。最低でも30kmは設定してほしい。

花桃ウオークも距離が短いと言われ、参加者が伸びない原因の一つとなっている。
長距離歩行は参加者が減っているという声もあるが、一方では100km大会が増
えているという一面もある。
千葉のウォーキングクラブでは、長距離を自由歩行で歩くが、参加希望者は多い。
飯能新緑ツーデーは、コースの良さ、距離設定はまぁまぁ、対応の良さと三拍子が
揃っており、人気の大会だ。

単に、これまでのやり方はダメということではなく、例大会が増えたことにより、
参加者の志向も拡散しているということか。
だが、対応も不十分、距離も中途半端、コースも魅力がないまま続けるのは、
自滅?行為に等しいと思う。
例大会が増えたことにより、参加者目線の選択が優位となっただけなのだと思う。
参加者が減っていることのうちには、ウォーカーが減っているという原因もあるか。
県下のクラブの会員が減っているとの声も聞く。また、高齢化もあると。

会員の減は確かに難しい。高齢化も確かなことだろう。
スタッフが一致して、工夫をしていくしかない。





雑誌の記事に触発されて

2016-08-16 18:08:04 | 雑記

残りを数える年齢になり、身辺の整理を意識するようになった。
最近見た、雑誌の広告が気にさせたこともある。
特集「実家の大問題」として、「片づけ、病院、介護、相続、お墓…とあった。
相続はだれも心配しないが、他の4つ、中でも「片づけ」が気にかかる。
新聞の投稿などを見ると、身の回りの整理を始めたという記事を時に見かける。
私の場合、本を始めとした荷物の整理が大問題で、子にとってはたぶんすべてゴミ。
本はもう少し整理するはずだったが、予定が狂い、ただただ場所塞ぎとなってしまった。
衣類はあまり買う方ではないが、20~30年前の物までが残されている。
ただ面倒で捨てないだけなのだが、これも場所塞ぎ以外の何ものでもない。

今朝、起きてすぐにしたこと。毎日つけている日誌に、衣類と本の処分と書いた。

先が見えてくれば、やる気が起きるのだが、うんざりする量なので、かなり手強い。
衣類は捨てようと思えば、すぐにでもできるが、本が難しい。
読めない、読まない本が大多数であることはほぼ確定的なので、後は決めるだけだ。

<今日の歩き~16.6km 曇りがち 風少し 大量の汗>
母の「障害福祉手当」 の現況届をコース沿いにある「障がい福祉課」に届ける。
他は変わりなし

 


終戦記念日?

2016-08-15 20:09:45 | 雑記

手元の日本史年表によると、西暦の始まりはキリストの誕生あたりだろうか。
日本では部族集団から部族国家ができつつある時期であるが、
年号は、大化の645年から始まる。
日本では、皇室の代替わりをもって、年号が変わるので、自分の時代、国の時代を、
天皇家に支配されているような不快感を覚える。
まして、天皇の名をもって多くの国民が死に、塗炭の苦しみを受けたことを思うと、
いかに、アメリカの意向があったにしても、昭和天皇は、全責任を取るべきだった。
国民が反抗したくらいで殺されたことを思えば、それ以外に辻褄をつける方法はない。

私は1950年生まれなので、計算がしやすい、というのは個人の感想だが…
西暦は、世界を含めた世の中の動きとも関連づけがしやすい。
年号の使用は、この際やめてほしい。誰も困らないのだから。

今日は歩けなかった。


誠実であること

2016-08-14 18:57:11 | 雑記

米原万里の「不実な美女か貞淑な醜女か」という「通訳論」を読み終えた。

巻末に「編集部注」として、亡くなった著者の最後の動向が添えられていた。
この本の、ある記述に対して、一般の読者(ロシア語学習者)から指摘があり、
2箇所の間違いが、説明資料付きで編集部宛で届けられていた。
この指摘に対し、著者は指摘へのお礼とともに、近々書き直したいと返事をしていた。
だが、その15日後、著者は癌のため亡くなってしまった。

病床で自身の著書の間違いを指摘され、誠実な対応をした著者の誠実さに感じ入った。

冷蔵庫の花桃の実は、熟し始め、食べるところも少なかったが、良い状態でもぎ、
10個くらいまとめて果肉を切り取れば、まぁまぁのデザートになりそうだ。
前に甘酸っぱいと書いたが、甘さが勝っているので、いける。
朝取り、夕方食すれば良いかもしれない。 


私の手話

2016-08-13 19:35:40 | バリアフリー

私の手話を見ると、手話をまったく知らない人から、手話学習初心者レベルの人は、
上手だという。
まったく知らない人は、とにかく手が動いている、上手いのだろうと思うだけである。
初心者は、知っている単語が日本語の語順に沿って表現されるので、上手いと思う。
知らない人が勘違いして上手いと思うのは、彼には何の責任もなく、仕方がない。
手話の達人は、下手な通訳だとすぐに見破る。ろう者は、「何言ってるのだろう?」

米原万里の通訳論を読んでいて、自分の手話との関わりに思いが及ぶことしきり。
もっと真剣にろう者、手話と関われば良かったと反省させられる。
いい加減な手話でも、知らないよりは少しマシだが、日本語と手話の橋渡しが、
十分にできていないことに恥ずかしさを覚え、後悔の念が、ふつふつと湧く。
考えてみれば、これまでの人生、何に対しても「いい加減」だったように思う。

今思うのは、ろう者の「生(なま)」の手話を身につける努力をすれば良かった。
結果的には、聞こえる人向けの講座的手話サークルを初心者の段階で任され、
本当の手話を学ぶ方向に進ま(め)ず、手話サークルの運営に汲々としていた。

ろう者が実際に使っている「日本手話」と、サークルで学ぶ「日本語対応手話」は、
まったく違うということを、最近知ることとなった。遅かった?のだが。

すべて手話で授業を行なう私立のろう学校が東京に1校だけある。
ここの卒業生が、各地で主張するようになれば、日本のろう教育が変わると思う。
政治の世界だけでなく、ろう教育の世界でも、欧米の後追いをしている。


山の日

2016-08-12 20:13:35 | 雑記

山の日は、8月12日とする案があったが、日航機墜落事故のあった日と重なるので、
11日と決まったそうである。

鎮魂の日であるとともに、山には注意して登ろうというメッセージを込めた日としても、
良かったのではないか。

因みに、9月の「秋分の日」は、「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ」という。
他の休日とはかなりテンションの違う日もある。なら、気にするほどのことはない。

超党派議連提案の1週間後に群馬県知事からの反対がでて11日となったらしい。

しかし!!、と言うのも何だが、私の誕生日は8月12日である。
さらに、娘の誕生日は12月26日。

みごとに、父娘ともに、1日ずれている。

単なる偶然だが、不運な星の下に生まれたような、気がしないでもない。