落語を聞くのは以前から好きなほうだった。漫才よりはおかしみが上品に感じていた。
最近、柳家さん喬の「雪の瀬川」という落語を知り、柔らかな語り口が気に入って、
いろいろと聞くようになった。「雪の瀬川」は、三遊亭圓生の「松葉屋瀬川」が元で、
2時間を越える長尺ものである。主人公が古河の穀屋の若旦那という設定なのも良い。
でてくる太鼓持ちが「崋山」、雪の降る日に花魁がをしてくるという設定で、
「雪花図説」も背景にあったものか?
さん喬を聞きながら、圓生の落語にも引かれるものがあった。
それは、話の組み立てがしっかりしており、落語以外の芸にも堪能であるだけに、
いずれも格調の高さをも感じさせる噺であった。しかし気になるところもある。
これは時代の制約でもあり、仕方のないことかも知れない。
私が気になったのは、今で言えば差別的な表現、考え方などが随所に出てくるところ。
しかしそれを補ってあまりある芸の緻密さに感心させられる。
70歳を過ぎて、真打ちの粗製濫造に業を煮やし、落語協会を脱退するという挙に出た。
回りからは散々叩かれたが、いい加減を嫌い、我が道を行く姿勢にも潔さを感じる。
晩年、寄席の録音でなく、スタジオで百席の落語をレコードに吹き込んだ。
本物の芸を後世に残したいという執念で続けたと聞く。
これが現在でもDVDで販売されている。高価なので手が出ないが、気になっている。