-写真の部屋-

奥野和彦

感想ありがとう

2015-02-08 22:48:42 | 写真


今回のハイポーズの話に関して
EIZOUくんもメールを別にくれたきんしゃちくんも
原点に戻った?というような感想をくれた。
今となってみれば、覚え始めの興味のいくつかの中に
そんな写真もあったという述懐である。
むしろ、当時いくつかの引き出しを開けてみたが
ちらっと見えた大判カメラで撮れる写真はとりあえず懐に突っ込んで
引き出しを閉めて、こっちの引き出しに見えた
画面全体にドラマのほとばしる、ブレボケと呼ばれる種類の写真に
のめり込んで行った。私小説というのがあるけれど、それと同様に
自分の述べたいことや問題意識を、どうにか写真の中に塗り込めて
表現しようという試みであって、上手く行けば賛同者が生まれるし
そうでなければ、独りよがりに陥ってしまう。
EIZOUくんが言っている写真生活の頃がこれにあたるが
その時はその道を歩いていたのだ。
自分は30年のうちの大半を独りよがりに使ってしまって
写真に詳しくはない人からも、「また見せて下さい」とか
「とても良かったです」とか会場で言ってもらえるようになったのは
やっと直近2回の写真展ぐらいからだ。

30年の間に、インターネット社会が生まれ
デジタルカメラが生まれ、写真の環境は予想をせぬほどに変わった。
自分にとって一番大きな事柄は
誰もが撮れて世界に向けて発信出来る故に生まれた
規制の多さである。人間スナップ、人間観察、として撮れていた
写真が撮れなくなった。世の中はこうである、という当たり前の
風景が、やれ肖像権、やれ商標権、やれプライバシー侵害、で撮れなくなった。
子供を撮れば変質者と見られかねない。
人間のありのままの姿を撮りたい時に、誰が
「すみません、ありのままを撮らせてもらって良いですか?」
と「おことわり」してから撮ると言うのだろうか。

そこで、数年間迷って考えて
ちょっとでも新しい見え方で
それでも自分の求める 人間をみつめる写真 と思った時に
タイポロジーがヒントになりそうなのだ。
しまってあった懐の中を探ってみる。一緒にハイポーズ126が
ころん、と出て来た。
戻って全くのタイポロジーをするんじゃなくて
今までしてきたことと掛け合わせて前に出たい。
だからもはやタイポロジーとは言えないかも知れないし。
なので、EIZOUくんにもきんしゃちくんにも
はい原点回帰です、と素直に言えない私はへそ曲がりなのである。
はいそうです。でいいのにね。

ブログ内でもいくつかテストはしていますよ。