昨日の話だけれど、きちんと承諾をとって、と考えてみた所で、たかだかこの程度の使用目的で、取るとなったら出版社、撮影者両方なのかと考えているうちにやっぱり面倒くさくなって、あきらめる事にした。いずれ機会があったら、という事で。あのあと、改めて写真を見返してみても、やはりいい写真でした。今日は午前中、現像液、印画紙を買いに秋葉原。帰ってフィルム現像。フィルムをリールに巻きながら思った事…。デジタル写真が
商業写真においても当たり前になって、フィルムのつめ間違え、現像時における失敗というのがなくなって本当に良かったと思う。そんな事で一人の人間のクビが飛んだり、責任者と呼ばれるものがいちいち、身のすくむ思いで、代理店のカメラマンに怒鳴られに行ったり、見習い、アシスタントから始めてカメラマンを目指している若者が、そんなくだらない他人の尻拭いで、夢をあきらめたりする事はかなり減っただろう。プロの世界は厳しいんだと、怒鳴られる事も必要なんだよって
あんた、言うかも知れないが、んなことは百も承知なのだ。真の「撮影者」は肝心なところを人任せになんかしないよ。それをさぼって、撮影がうまくいかなかったらそれは自分の責任だと分かっているから。分かってるヤツは怒鳴られなくても
わかってる。いまや、こうやって自分の趣味でやってるフィルム現像なんて事のほうが、よっぽど失敗出来ないのだ。
商業写真においても当たり前になって、フィルムのつめ間違え、現像時における失敗というのがなくなって本当に良かったと思う。そんな事で一人の人間のクビが飛んだり、責任者と呼ばれるものがいちいち、身のすくむ思いで、代理店のカメラマンに怒鳴られに行ったり、見習い、アシスタントから始めてカメラマンを目指している若者が、そんなくだらない他人の尻拭いで、夢をあきらめたりする事はかなり減っただろう。プロの世界は厳しいんだと、怒鳴られる事も必要なんだよって
あんた、言うかも知れないが、んなことは百も承知なのだ。真の「撮影者」は肝心なところを人任せになんかしないよ。それをさぼって、撮影がうまくいかなかったらそれは自分の責任だと分かっているから。分かってるヤツは怒鳴られなくても
わかってる。いまや、こうやって自分の趣味でやってるフィルム現像なんて事のほうが、よっぽど失敗出来ないのだ。
私の蔵書の中に山渓カラーガイド日本の私鉄1(昭和51年発行)というのがあって、その中の「上毛電気鉄道」のページは粕川駅の上り下り列車の交換風景が写っている。2月に自分が赤城に行って、その上毛電鉄にちょっと乗ってみて、もちろんその本の写真は頭の中のどこかにはあったのだが、駅名も憶えちゃいないし、ちょっと乗ってちょっと降りた駅で、ああ、こんな風だったぞと撮った写真が粕川駅であったことに今日、気がついて本を開いて確認した。データによると写真は昭和51年に撮られている。だからその写真と30年の時間をへだてて僕がその駅に降り立って偶然同じような写真を撮った事になる。今、きちんと見てみると、多分鉄道写真家の廣田尚敬さんは僕と反対側からホームを見ていて、僕はその写真の中で人が渡っているホームの下から撮っている。この写真集の何が好きかというと、列車が写っているだけなのではなくて鉄道を舞台として人間の暮らしが写っている写真が多いという所なのだと思う。鉄道おたくと笑われもするが、僕に人の暮らしを切り取る面白さを教えてくれた、大切な本なのだ。鉄道というジャンルを超えて、他の写真集とともに僕の書棚から消えることはない。同時にこんな鉄道の撮り方の出来る廣田さんを尊敬する。僕が降り立ったのは平日の学生たちが家に帰る時間だったと思うが、昭和51年ほどの活気はホームにはなかったように思う。ローカルはローカルだけど、過疎というほどの町ではないだろう。だとすれば、人間そのものにいきいきしたものがなくなったのか。明日にでもここにその写真をならべて載せてみたいと思っているのだけれど、営利目的ではないので、許してもらえるものなのでしょうか。いい写真なんだけど…。