何を撮ったのかよく分からないとか
意味不明とか、言われるのはよく分かっている。
それは、そこに写っている被写体に何かしら
写される必然性がないから、納得されないのである。
然るに、昨日のような初夏のいい天気の日に
撮りたいと思うのは、その初夏の光と影なのであって
この場合、被写体としては
その光と影を適度にバランスよく構成してくれる
もので良ければ何でも良く、被写体そのもには
むしろ撮る意味だの理由だのは、全く無くてよろしい。
ただ、問題は
その、初夏の光と影が 認識されずに
つまり、上手く表出されずに
結局ただの、分からない写真で終わってしまうことである。