-写真の部屋-

奥野和彦

何も無くても

2015-02-25 21:37:53 | 写真


上野でお仕事。
イチョウの木を剪定している。
以前行ったオートキャンプ場で場内のイチョウの木を切って
マキとして売っていたが乾燥が足りず
良く燃える、とは言い難かった。

ウチの子たちは野球を始める以前から
外で遊ぶのが好きで、休日には自然を求めて
よく遊びに行った。キャンプに限らず、虫獲り、魚釣り、川遊び
「スロークリーク」にはその頃の写真が多い。

今は一年に一度、夏休みに行けるかどうかだが
バーベキューコンロの食事が終わって
お湯を沸かしてお茶を飲んで
残った火で暖まりながら、いつまでも火遊びをして
またお茶を入れて飲んで、翌朝のマキが足りなくなるから
という頃に、やっとテントに潜り込む。

何も無くても、それで楽しい。



Lesson3

2015-02-23 23:25:41 | 写真


Lessonは続いた。
1週間配水場やらポンプ小屋、揚水機場など
動かぬものを撮っていたのだが、いやー怒られる怒られる。
ポンプの近くの家のおばさんからは
「変な事してると、警察呼ぶよ。」
機場のある田んぼでは少し離れた農家からおじさんが
鍬を構えて出て来るし、
国道沿いの配水タンクを眺めていたら、白バイが近づいて来た。
ほどんど、私は「不審者」であった。
警察を呼ばれても困るし、呼ばなくても来てるし
奥野カントク警察に連れて行かれたんだってよじゃ
スタッフにも子供たちにも迷惑がかかる。
だから、これで実験は大変良く傾向がわかって、
めでたく終了である。



そろそろ出掛けないと、と思っているのに
僕もお供に…とキジが現れて道中での役割について
今一度分担のし直しである。



キジも鳴かずば撃たれまいが、冠布をかぶって写真なんか
撮り始めた日には、すぐに鬼に目を付けられて
退治どころか、島流し確実だ。

Lesson2 すげえぞ

2015-02-18 18:19:55 | 写真


さあ、EIZOUくんから写真が送られて来た。さすがである。
というか掲載の許可は勝手に許される物と思って紹介する。
この給水槽は船橋市にあり、私の町から都内へ通勤する時の
バスから見えたため、記憶に残っている。
こんなことになるとは思ってもいなかったが
今思い出してみても印象深い、古代ギリシャのコロシアムを
思わせる立派なデザイン。
自分が小学生の頃には建っていたのだからそれなりに
古い建造物である。



これもEIZOUくんの写真である。
所変わって成田市にある物だそうだ。
彼は「2段タイプですね。」と書き添えている。

前者は彼がいじっていなければ撮ったままでトリミングだけ私がした。
後者はベッヒャーさんが撮ったならそのカメラでするであろう
アオリという大型カメラならではの操作をソフトで勝手にして
トリミングもしてここに載せている。
さらに白黒に変換してどんどん並べて行けば
偽「給水塔」が出来るだろうが、良い勉強になったし
まあここらへんでおしまいである。
共同作業になって行くのもなかなか楽しそうだ。

最後に私の写真を。
ここのは工事中である。昨日載せたタンクと道を挟んで
建っている。よく見ると工事看板に配水池と書いてある。
プールという意味か。アオリ操作をする前の写真もご覧に入れよう。


Lesson1

2015-02-17 14:14:12 | 写真


動かぬもの。
まずは敬意を表してパクらせて頂く。

日本のは給水塔というより給水槽か。
敷地をしっかり立ち入り禁止にしているので
フェンスが写り込む。
船橋の行田地区にも大きなのがあったと記憶している。
その内EIZOUくんが撮って送ってくれるだろう。

フィルム使用の大型カメラでは
撮影の手順も多く、撮影場所(高さ)など考えると
なかなか撮るのが大変だろうと思う。
大変であることがかつては作品価値の一部だったと思うが
デジカメと画像処理ソフトで出来てしまう。
ベッヒャー夫人はまだその大変な方法で撮っているそうだし
その無茶が許されるのも、求められるのも
第一人者でそれがオリジナルだからである。
見せたいと思う事、画としては同じだと思うんだけど
長い間そうして、苦労して方法を作って来た人達がいるのを
知れば知るほど自分がずるいことをしているような気持ちになる。
全くの真似をして作品作りをして発表すればズルだが
アナログで時間なりコストなりがかかってしまっていた
方法をデジタルに置き換えて撮影時の危険も少なく迷惑もかけずに
出来るのだったら本当はいいことの筈なのだ。
そこの踏ん切りがなかなか付けられない最後のフイルム世代だろう。

生まれた時からデジタルの子たちには
カラーフイルムもモノクロフィルムも大判カメラもそもそも無いのだから。





冬の夜

2015-02-10 22:23:26 | 写真

冬の皆さん、こんばんは。
そこに居るとさぞかし寒いでしょうが
室内から見ると、冬の夜景はなんだか良い感じです。
寒い日が続いていますので
どうぞみなさんお体には気をつけて。

感想ありがとう

2015-02-08 22:48:42 | 写真


今回のハイポーズの話に関して
EIZOUくんもメールを別にくれたきんしゃちくんも
原点に戻った?というような感想をくれた。
今となってみれば、覚え始めの興味のいくつかの中に
そんな写真もあったという述懐である。
むしろ、当時いくつかの引き出しを開けてみたが
ちらっと見えた大判カメラで撮れる写真はとりあえず懐に突っ込んで
引き出しを閉めて、こっちの引き出しに見えた
画面全体にドラマのほとばしる、ブレボケと呼ばれる種類の写真に
のめり込んで行った。私小説というのがあるけれど、それと同様に
自分の述べたいことや問題意識を、どうにか写真の中に塗り込めて
表現しようという試みであって、上手く行けば賛同者が生まれるし
そうでなければ、独りよがりに陥ってしまう。
EIZOUくんが言っている写真生活の頃がこれにあたるが
その時はその道を歩いていたのだ。
自分は30年のうちの大半を独りよがりに使ってしまって
写真に詳しくはない人からも、「また見せて下さい」とか
「とても良かったです」とか会場で言ってもらえるようになったのは
やっと直近2回の写真展ぐらいからだ。

30年の間に、インターネット社会が生まれ
デジタルカメラが生まれ、写真の環境は予想をせぬほどに変わった。
自分にとって一番大きな事柄は
誰もが撮れて世界に向けて発信出来る故に生まれた
規制の多さである。人間スナップ、人間観察、として撮れていた
写真が撮れなくなった。世の中はこうである、という当たり前の
風景が、やれ肖像権、やれ商標権、やれプライバシー侵害、で撮れなくなった。
子供を撮れば変質者と見られかねない。
人間のありのままの姿を撮りたい時に、誰が
「すみません、ありのままを撮らせてもらって良いですか?」
と「おことわり」してから撮ると言うのだろうか。

そこで、数年間迷って考えて
ちょっとでも新しい見え方で
それでも自分の求める 人間をみつめる写真 と思った時に
タイポロジーがヒントになりそうなのだ。
しまってあった懐の中を探ってみる。一緒にハイポーズ126が
ころん、と出て来た。
戻って全くのタイポロジーをするんじゃなくて
今までしてきたことと掛け合わせて前に出たい。
だからもはやタイポロジーとは言えないかも知れないし。
なので、EIZOUくんにもきんしゃちくんにも
はい原点回帰です、と素直に言えない私はへそ曲がりなのである。
はいそうです。でいいのにね。

ブログ内でもいくつかテストはしていますよ。



2015-02-07 09:19:50 | 写真
こんなふうに、ハイポーズ126とベッヒャー夫妻は
私の中で絡み合っていたのだが30年以上趣味の写真を撮って来て
ベッヒャー的なスタイルが表に出てくることはなかった。
でも、一時「火の見やぐら」にこだわった時だとか
全国のAEONを撮りに行きたいとか思ったのは、その
「タイポロジーフォトグラフィー」への興味が顔を出していたかも知れない。

今年に入って、今度こそやってみようと思う写真の
スタイルを思いついたので、まずはそのことを第一理解者である(筈の)妻に
話してみると、「それって昔のWALK MENぽいよね。」との意見。
確かに言われてみればそうで、あれも並ぶことによって
1枚1枚のインパクトとは別の見方が出て来る写真だった。
WALK MENについての説明は省略するが
「AEONより、いいんじゃない?だいたいAEONは嫌いよ。」だそうだ。

それにしても時間はありそうで、もうそんなにない。
下の写真は、おとといの白黒写真と同じページに貼ってあった
同じ時期の私の机の上である。31年前だ。
31年ああでもないこうでもないって、遠回りもいいとこだ。

みんな同じで懐かしいに違いない。
まだカセットテープの時代、そのラックの上に
35ミリフィルムのケースと、126フィルムのカートリッジが
置いてある。



そしてオレの(弟の)Hi-Pose126
弟が携帯で撮って送ってくれた。
オレたちが生まれる前からある古いタンスの
ガラス棚の中で、今は休んでいる。
特急「いなほ」のシールが貼ってあるタンスだ。