-写真の部屋-

奥野和彦

日記

2023-11-22 19:27:10 | 光の籠


日記という言葉を聞くと
私は、センチメンタルな自分の気持ちやら悩みやら
喜びやら、人には恥ずかしくてとても見せられないような
あの日記を思い浮かべてしまうのでその言葉を使う気にならない。

今更ながら
こうして日々写真を載せているけれど
どれ一つとして額に入れて飾る為のような写真は存在しないし
それを目指してもいないし
かと言って、現代社会を糾弾するような
社会的メッセージに溢れたような写真も出て来ない。

どうしても何が写っているか
何を写しているかを示さなければならないとしたら
一人の人間が日々、見た物、その記録としか言いようがない。
その人が死ねば、一緒に捨てられて焼かれて良い。
よもや日記だけを残った家族に有難がられて取って置かれ
人の集まる場所で読み上げられでもしようものなら
死んでも死にきれない。墓穴の中でさらに穴を探して入りたい。

いつ、何をしたか誰と会ったか程度の記録は
自分も必要に応じて記述しておくことはあるけれど
天気予報とか交通情報とかいうものが
その日の朝、流されてまあ必要な人が享受して
それで終わっていくようなものである。
まあ、気候のことはそれがデータになって
後々大事な資料になるという事もあるが
人の書く日記や、写真は目の前を流れていく時間と
一緒にどんどん流れて行って良い。

そして、もしそんなものが有用性を持つ時があるとすれば
書き残す、撮って残すという公的立場の人が残すもので無く
市井の一市民の何人たりにも忖度する事なく残した
一行の言葉、一枚の写真がそれに優った時で
それも、やはりこのブログには、ない。