レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(11)

2007年02月15日 | 昔の話
 それから暫く経ったある日、職場の皆で
早朝のわかさぎ釣りに行くことになった。
一部の人の間で冬の恒例行事になっていたのだが、
色んな人に話をしているうち、ある年
職場の人がほとんど参加するような
大規模なイベントになってしまった。
私は前の年に参加していたけど、二月の寒い日
まだ真っ暗なうちからボートを漕ぎ出して
分厚い手袋に苦労しながら餌をつけ
寝ぼけ眼で釣竿を上げ下げするのは
―――これが意外と楽しい。
陽が登ると真っ白いもやが水面を滑っていくのが見える。
魚がかかる感触がプルプルと面白くて
夢中になって釣りをしていたら
水面の照り返しに顔を炙られ、昼ごろボートから
降りる頃には顔がパンパンにはれていた。
釣れたわかさぎはその場でてんぷらにして食べるのだが
さっきまで付けてた赤虫がお腹の中に見えても
見ないふりしてパクパク食べた。
たとえ顔がアンパンマンそっくりになっても
とても楽しい冬のイベントなのだ。


イベント前日の金曜日、私は休み時間を利用して
釣りで使う椅子を自作していた。
前年に普通の座布団をボートに敷いていたんだけど
お尻がじんじん冷えてしまい、腰が痛くなって
ずっと中腰でボートに乗っていたのだ。
その痛い経験を生かし、今年は快適なボート生活を送ろうと
職場に余っていたクッション材を利用して
暖かい箱椅子を作っていた。中に赤虫もしまえるよ!

中に赤虫もしまえるよ!凍らなくて便利だね!
とか独り言を言いながら上機嫌で布を切っていたら、
明日一緒に参加するOが側にやって来た。
「あ、いいもの作ってるなあ。材料余ったら
 私の分も作っといてよ」
私はいいよと軽く答えて新しくクッション材を切った。
その位から私の頭がぼんやりしていて
はさみを持つ手もぶるぶる震え、どうしようもなく
ヤバイ状態だったのだが
イベントを楽しみにする心で浮き立っているのだと
自分を納得させようとしていた。
実は自分でも分かっていた。…風邪をひいたのだ。
よりによってイベント前日に、そしてものすごい勢いで
熱が上がっているのが分かった。
でも何とか(自分を)誤魔化せないかな、
治っちゃわないかな~と思いながら椅子を作っていたのだ。
残念ながら治っちゃわないのだが。

「Oは明日K君と来るんだっけ」
参加する気満々(休む気0)で私は聞いた。
「そうだよ。K君が3時半に迎えに来るんだ」
Oの自宅はわかさぎ釣りの池から最も遠く、
朝の5時集合となると
その位の時間にOの家を出発しなければならない。
寮に住んでいるK君が2時半に出発してOを拾い、
現地に集合するという寸法だ。
その後何か、大変だねとか喋った気がするが覚えていない。
多分私の喋りはうわごとみたいになっていたろうと思う。
ともかく何やら喋りながら作った箱椅子を
私はOに手渡した。
それはもしかしたら私の分の箱椅子であったかもしれない。
その位意識が朦朧としていたのだ。

長いトンネル(10)

2007年02月15日 | 昔の話
 二人は本当に仲が良かった。年上のOが
年下のK君を上手くあやして釣り合いを取っている感じがした。
どこに行くのも何をするのも一緒。
元々やんちゃなK君の言動に
「あの子は白か黒しかないんだよね」と言って
Oが溜息をつくこともあったけど
あまり大概の場合はOが怒り、K君が素早く謝って
丸く収まっていた。分かりやすくOの事が大好きなK君に
Oも長く怒っていられなかった。
だから二人が喧嘩をした所なんて見たことが無い。
二人で何処かへ遊びに行く時には
必ずファミリーレストランで朝食をとる。
K君の食べ方が子供のように周囲を汚すので
世話をするのが大変だとOがぼやいていた。
…Oの食べ方だって十分子供っぽいのになあ。
私はニヤニヤしながら頷く。
二人でドライブに行った時に、
車が高速道路で故障して大変だった。
新しく出来たあのショッピングモールに行って
こんなものを一緒に買ったよ。
K君の家に遊びに行ったら猫が沢山いてねえ。
そんな話をするOの横顔を見ていたら
ある時その顔がおばあさんの顔に見えた。

「…OはK君とずっとこうやって暮らして行くんだろうね」
何の気なしにそう言った。
Oもそうだろうねえと当たり前みたいに言った。
おばあさんみたいな横顔で頷いていた。
以前だったら、私が十代の若者だったら多分
こんな会話を嫌っていただろう。
Oは将来何をしたいとか、何になりたいとかいう
希望を前から持っていなかった。
将来のビジョンが明確に決まっていて、
夢に向かって努力するような
そんな生き方に憧れていたし、そうなろうと私は思っていた。
やりたい事が何も無いなんて!
保守的が過ぎて無色な彼女の生き方は若かった私にとって
…本当はすごく格好悪いと思っていたのだ。

だけどそうだろうねえと頷く彼女の横顔は
すごく安定した生活を築いてきたおばあさんの顔に見えた。
結婚して出産を機に退職し、子供が成長して孫が出来ても
結婚当初からずっと仲の良い老夫婦として
二人で幸せに生きているように見えた。
子供だった私は派手な成功をいつも妄想していたけど
そうやって「まっとうに」生きていく生き方を
初めてちょっと羨ましいなと思った。
「ねえ、今Oの顔がおばあさんに見えたよ」
笑いながらOにそう言ったら、
「そうかあ。今、おばあさんになった時のこと
 考えてたからかなあ」
Oはそう言って私の顔を見た。
このままこうしておばあさんになるのかもしれない。
でもそれも全然悪くないよね、と
おばあさんの目で笑っていた。