レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(32)

2007年03月19日 | 昔の話
 Oが復帰する少し前だったか、後だったか。
K君から好きな人が出来たと聞かされた。
仲のいい四人で夕飯を食べに行った帰り道、
K君と私、同僚のS君と先輩のKさんで歩いていた。
いつの間にかS君とKさんがずっと後ろを歩いており、
それはK君が事前に頼んであった事らしかった。
私に話があったのだ。



好きな人が出来た、と言われて
私はぼんやりしてしまった。
しばらく黙って歩いた後で、その人は
私の知っている人かと聞いたけど
別にそれを知りたかった訳でもない。時間稼ぎだ。

K君が好きになった人は私の知らない人で
事故の事も、Oの事も知っているという事だった。
彼女の方からK君を好きになり、アプローチがあったとき
K君は自分のことを全て話したけど
彼女はそれでもいいからと言ったそうだ。

そう、と頷いて、それから
ちゃんとOに話さなきゃ駄目だよと言った。
K君ははいと返事した。
無言で歩いた駅までの道がとても長かった。


私は今でもあの時のK君に
何と言ったら良かったのか分からない。
私はK君がOの事をどれほど好きだったか知っていた。
K君がずっと責任を取るつもりだった事も知っていた。
この決断に至るまで
K君はどれだけ泣いただろう。
OはK君の事を思い出したけど
K君の事を思い出したOは、以前のOではなかった。
でもそうしてしまったのは自分だという事実の前で
K君はどれほど思い悩み、離れる事を選んだのだろうか。
私なんかよりもっと強く
K君はOに逢いたかったはずだ。



K君たちと別れて、私は一人駅のホームで列車を待っていた。
今起きたことと、これまでに起きた事を考えて
滲んだ遠い線路の向こうを見つめていたら
不意に恐怖が訪れたのだ。


私が明日死んでしまったとしたら
たとえ死なずとも、私が私でなくなったとしたら
私は色々な事を忘れ
皆は私を忘れてしまうのだ。

それが私の大好きな人であっても。

長いトンネル(31)

2007年03月18日 | 昔の話
 事故から二年が経った。
その間に同僚のSが結婚退職し、
二人でご飯を食べていたのが一人になってしまった。
大きな食堂で一人ご飯は寂しいので
昼食時は職場の休憩室に残り、
持ってきたお弁当をそっと食べた。
Oがいて、三人でご飯を食べていた頃が懐かしかった。
初物を食べる時には西を向いて、
三人で笑っていた頃だ。
十代の終わりから二十代の始め、
私達はごく普通の女の子だった。
来た道はばらばらだったけど、何かの巡りで集い
それぞれの運命を辿るために又散っていく。

三人とも似ていないようでよく似ていた。
同じ年、高校は同じ学科、担任の勧めで就職し
三人とも同じ職場の人を好きになった。
誰がどの運命を辿っても不思議はなかった。




事故から二年経ってOは職場復帰を果たした。
私はそれをとても待ち望んでいたけど
同時にそれが望んでも望めないものと
薄々分かっていた。

職場復帰はOとOのお母さんの強い希望だった。
私は以前のようにOと二人で昼食を食べ、
一緒に休憩をとった。
Oは頭蓋骨の一部が無くなっているので
いつもプラスチックの骨の入った、
特殊な帽子を被っていなければならなかった。
暑いらしく、休憩時間はその帽子を脱いで
以前のように缶コーヒーを
…味覚が弱くなっているので以前と同じ微糖ではなく
売っている中で一番甘いものを飲みながら
Oは飼っている犬の話をする。
家に帰ると犬がワンと鳴く。廊下を歩くと犬がワンと鳴く。
話しかけるとワンと鳴く。階段を見上げてワンと鳴く。

来る日も来る日も話題は変わらなかった。
誰とどんな会話をしても、
Oは犬の話だけしていた。
事故後、Oの頭の中には小さな世界があって
そこには小さなシーズーが一匹住んでいた。
Oはその話をするので精一杯だったのだ。


三人のうち誰がどの運命を辿ってもおかしくなかった。
結婚退社をしたのがOで
それを見送ったのがS、
そして事故に遭ったのが私でも
何の不思議も無かったのだ。

長いトンネル(30)

2007年03月16日 | 昔の話
 私はOのお母さんの事を随分長い間、
感情的で気性の荒い性格だと思っていたけど
あの人はごく普通のお母さんだったんだなあと
今になって思う。
私の事をとても好いてくれていた。
●ちゃん●ちゃん、と私が訪ねるたびに
私の名を呼んで歓迎してくれた。
Oが私の名を呼ぶ事が無いかわりみたいに
何度も私の名を呼んで
来たことをいつもとても喜んでくれた。


Oの体調が良くなればK君を歓迎し、
悪くなれば責めかかり徹底的に罵る。
そんなOのお母さんの姿は、私の目には
あまり理想的な母親像に見えなかった。
だけどだれがあの状況で理性的に振舞えるだろうか。
私達はOの友達として、K君の友達として
二人の立場から事故を見て
二人のためにK君を許してやってほしい、K君ばかりを
一方的に責めないで欲しいと願ってきたけど
Oのお母さんは「お母さん」という立場なのだ。
お母さんは私達の誰にも理解出来ないぎりぎりの所で
一人理性や感情や現実と戦っていたのだ。
もう何度目か知れない入院中、
お母さんはお見舞いに訪ねたS君に
Oについてある事を言った。


あの子はあの時、―――――――。



その言葉を「お母さん」に言わせるとは、
一体どれほどの崖っぷちから発した言葉だろう。
S君は私にそれを伝えたあと
「そんな事を言っちゃいけませんよって…
 俺に言えるわけないよ。
 だって一番分かってるに決まってる」
そう言って黙った。




Oと一時期は仲良くなかったかもしれないけど
大事に大事に育てた娘だったのだ。
その娘に「知らん」と言われて
一体誰が理性的で居られようか。


だからこの結末はもう、仕方のない事だったのだ。

長いトンネル(29)

2007年03月15日 | 昔の話
 Oにはその後も様々な体調不良が
後遺症としてついて回った。

頭痛や吐き気に苛まれ何度も入院する事になる。
その度に色々な治療を施すものの、
そう簡単にすっきりと気分の良い状態にとはいかない。
最初に命を取り留めたからもう大丈夫、な訳じゃない、
Oのお母さんにもそれは十分分かっていた。
だけどあまりに長引く苦痛と
いつ病院に飛んで行かねばならないか分からない生活、
手術跡だらけの娘の顔がお母さんの限界を超えてしまった。
最初にK君に会った時の、
あの急激な回復もしばらくすると停滞し
そして間の悪いことにK君が来る時に限って、
Oの体調が悪くなる日が重なってしまう。



ある日、私が友人のS君と二人でOの家を訪ねた時だ。
●ちゃんちょっとおいで、見せたい物があるねん、
そうお母さんに呼ばれて私は一人別室に誘われた。

そこは六畳程の和室で、
壁ぎわに大きな桐の箪笥が二棹並んでいた。
どうやら箪笥だけのための衣装部屋らしく
お母さんは「そこにお座りや」、
と言って部屋の真ん中辺りを指差した。
私がそこへ座ると、Oのお母さんはニコニコしながら
箪笥の引出しを開ける。

中には和紙で繊細に包まれた美しい着物が入っていた。
Oが18歳になった時から一着ずつ作って
今ではこの衣裳部屋の箪笥にぎっしりと
Oのために仕立てた着物が溢れていた。
地域柄、嫁入り道具を絢爛豪華にする家がまだ多く残っている。
Oから聞いた事はなかったけど、
Oの家はそういう昔ながらの家だったらしい。
プリントの柄なんて一枚もない、細かい刺繍が
ぎっしりと入った、見るからに上等な着物が
私の周りに何枚も並べられていった。
最初はすごいですね!と見入っていた私だったが
着物を広げるお母さんの手つきが段々
荒々しくなっていくのを感じて顔を見上げた。


お母さんはニコニコしながら泣いていた。


着物一枚に帯は二本て言うの、
全部の着物に帯を二本ずつ作ったんやで。
これなんか綺麗やろ、これは成人式で着た着物や。
こんな地味なのも作ったんや。あの子がこれが良いって言うから。
でもちょっと出掛けるときいいやろ。
これは訪問着、これは余所行きに
これも、これも、これも、これも、
これも、これも、これも、これも、
これも、これも!



みんなあの子のために作ったのに!



最後は叫びだった。
感情的で一方的で、だけどギリギリまで追い詰められた
悲痛な叫びだった。
私の周りにはお母さんが投げた着物が
花の川みたいに広がっていて
私はその真ん中で 言葉を忘れたように何も言えず
ただただ俯くしかなかった。

長いトンネル(28)

2007年03月15日 | 昔の話
 そんな訳で私は数人の不器用な友人と共に
Oの回復を見守り続けた。
K君という爆弾の投下で
停滞していた現状は劇的に変化した。
…だけどそれはある一定まで、
あれだけの事故だったのだ、
全く元通りと言うわけにはいかない。
尤も当時はそうじゃない、今は回復の途中なのだと
思い込もうとしていたけど。


Oの様子は時々、普通になる。
話しかければごく一般的な返事が返ってくる事もあり
私達はそれが元に戻っていくしるしだと思っていた。
でもその返答には根本的な何かが欠落している。
私達は皆気付いていたけど
聞かないふりをしたり、話を変えたりして誤魔化していた。
思いがけず続いたこの道の
終着点が何処なのか、知るのが恐かったのだ。


Oの家から帰り道、車を運転しながらぼんやりと
ああ、Oに会いたいなと思ってはっとした。
そうだ。私はずっとOに会いたいと思っていたのだ。
本人を前にして話していながら変な話だけど
私はずっとOの中に、Oらしさが残っていやしないかと思って
探りつづけていたのだ。
目の前にいるのは、見た目はちょっと変わったとは言え
紛れもなく友人なのに、話してみると違う。
私はOの様子を気にするけど
Oは私の様子を気にする事はない。
私が何かしていても、
「いいもの作ってるなあ」と話しかけてくることは
もうないのだ。



私はOが退院してから初めて泣いた。
どこ行っちゃったんだよう、帰ってきてようと
呟きながら泣いた。