レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(23)

2007年03月05日 | 昔の話
Oの脳の腫れは結局ひかなかった。
…引かなかったというのはどういう事だろう。
書いていてもよく分からない。
そしてどうしたかと言うと、死んでしまっている
脳を部分的に切り取って、容量を小さくして「入れた」のだ。
あまり長期間頭蓋骨をあけておく事も出来ず、
それしか方法が無かったらしい。

脳を一部切り取ると聞いて私は物凄く動揺した。
たとえそれが死んでしまっている組織だとしても、
…でも、でも脳ですよ。
甘い考えだが身体に繋がってさえいれば
もしかしたら生き返る可能性とか、無いんだろうか。
切り取るという事は永遠に失われる事であり
一体その切り取る部分は、Oの身体の
Oの精神の何処を司っているんだろうか。


そしてその、何かを司る組織を無くして
これから先Oはどうなってしまうんだろうか。



人間の脳で使用されている部分は5%だとか
10%だとか聞くけども、
脳に損傷を受けた場合、なぜその5%なり10%なりが
大抵間違いなくダメージを受けるんだろうか。
「はずれ」の部分にだけ損傷があったって良いじゃないか。
勉強の出来ない私は当時よくそんな事を考えて
一人悶々としていた。
今なら何となく分かる。5%とか10%とかいうのは
範囲ではなく「出力」の事であって、
この組織からして最大出力は100と予測される内の
10くらいしか力を出していないという意味なんだろう。
100個エンジンがあるうち、10個を使っていて
その内の5個が壊れたのではなく
1個のエンジンの一部が壊れてしまったのだ。


何かを欠いたまま彼女の頭蓋骨は閉じられ
縫合された。
でもその何かの中にこそ
彼女自身があったとしたら?

長いトンネル(22)

2007年03月04日 | 昔の話
 Oの額から上にはさらしのようなものが巻いてある、
と書いたけど、その下は頭蓋骨を外した状態だったらしい。
でもその部分がどうなっていたのか、実はよく覚えていない。
包帯が何で留めてあるとか、その巻き方だとか
私はわりと興味を持って観察する方だと思うけど
Oの頭は見られなかった。怖かったのだ。
だからやたら力をこめて、Oの目ばかり見ていた気がする。
情熱的な見舞いであった。


Oはあまり両親と仲が良くなかったらしい、と
事故が起こってから気が付いた。
飲み物以外の物が口に出来るようになった時
お母さんがOに
溶けかけたアイスクリームを食べさせていた。
Oの嫌いなものの一つに「溶けかけたアイスクリーム」があった。
アイスクリーム自体は大好きなんだけど、
溶けかけのあの感じがすごく嫌で
少し食べては冷凍庫に入れ、再度カチカチに凍らせてから
食べると言っていた。
でも私がそれを言って良いんだろうか、
Oが無表情にアイスを飲み込むのを見て
何だか何も言えずに帰ってきた。

退院したらリハビリのために犬を飼うことにした、と
お母さんが言った。Oは以前から動物を飼いたがっていたから
それはそれは良い刺激になるだろう。
「あの子、どんな犬が飼いたいって言ってた?」
お母さんが聞いたので、私はOが飼いたいと言っていた
犬種を教えておいた。柴犬かコーギー。
生真面目な顔をした犬が好きだったのだ。
反対に嫌いなのが座敷犬なのだが
好きな犬種を伝えておけば良いかなと思い
その事は伝えなかった。


結局飼ったのはシーズーだった。


もしかしたら、嫌いな事を知っていても
Oのお母さんという人は溶けかけたアイスクリームを
食べさせたかもしれないし、シーズーを買ったかもしれない。
でも知っていたらこんな事態の真っ只中、娘の嫌いな事は
出来る限り避けたのではないだろうか。
私は複雑な気持ちでOを見守り、
そして自分の両親と自分の関係も反省した。


私は両親が事故にあった時、
果たして両親の好きな物を食べさせてあげられるだろうか?
そう考えたら全く自信が無かったのだ。

長いトンネル(21)

2007年03月01日 | 昔の話
それからは毎日 会社帰りにOのいる病院へ寄るのが
私の日課になった。
二両しかないローカル線に揺られて30分、
駅に着くと走って病院に向かう。
単線なので帰りの電車までの時間が限られているのだ。
往復20分、病院に居られる時間は10分くらいしかない。
それでも通える限り毎日通った。
10分の間に話せるだけ話し、じゃ又来るからと走って帰る。
まるで早送りみたいなお見舞いだったけど
そんな忙しない私の来訪をOの家族はとても喜んでくれた。


お見舞いに行った次の日は、Oの様子を一番にK君に報告していた。
軽傷だったK君は事故から一週間後くらいに出社していた。
直後はあまりにも痛々しすぎて
何を話しかけられる訳でもなかったが、
Oに会わせてもらう事はおろか
いつも門前払いで謝罪も出来ないらしいK君に
会えるようになったら私が様子を見てきてあげる、と
約束していたのだ。
慎重に、なるべく自分の見解は交えず見たままを話した。
…でもついつい良い方へ言ってしまうことも、
或いは楽観的な意見を言ってしまったりもした。
悪い事を言うと、何だか自分の言葉で悪くなるような
そんな気がしたからだ。
私の話を聞いて嬉しそうなK君の顔を見るにつけ
Oの事をK君に話すように、K君の事をOに話したかった。
多分だけど、Oの記憶に一番残っているのは
K君じゃないだろうか。


様子を毎日見るうちに、Oには全く記憶が
残っていない訳ではない事に気が付いた。
何か新しい話をすれば、それに応じた返事が返ってきたりする。
相変わらず誰の事も見ないOの手に
ハンドクリームとか塗りながら
10分間一方的に話しかける私。
すると時々、お母さんには分からない相槌をうつのだ。

「一人で休憩してんだよ。寂しいんだからさ、早く帰って来てよ
 ブースの裏で一緒に休憩しようよ。」
『ああ、幽霊の足音なあ』

傍から聞くととんちんかんな返事だけど、
これにはすごい意味がある。
その昔ブース裏でOと休憩してた時、変な足音を聞いた。
階段を降りてくるトントントンという足音だけど
すごくはっきり響いているのに、階段の裏側から見ていても
誰も降りてこないのだ…。
二人して顔を見合わせて、それから素早く退散した。
私の事は覚えていないのに、あの出来事は覚えていたのだ。
話をすればするほど記憶がぱらぱらと戻ってくる。
勿論返ってこないボールも多々あったけど
返って来た時の感動が物凄いキャッチボールだった。
…私と遊んだ話より、K君と遊んだ話が出来れば!
Oの記憶はそれこそ波濤の如く戻ってくるんじゃないだろうか。
しかしOの家族の前でK君の名前は出せない。
私はじりじりしながら、それでも何とかK君を思い出させようと
K君も関る思い出話をまるで暗号のようにちりばめながら
素知らぬ顔して彼女に話し続けた。