馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

なぜなに八犬伝Ⅱ

2024-05-31 01:01:03 | 南総里見八犬伝

第六回から第十回まで超意訳:南総里見八犬伝をお届けしました。
まだ八犬士は出ていませんが、もうすぐ登場の予定です。

再び小ネタ集です、気になったことを書いてみました。

①玉梓の言い分には一理あり
裁判の場で悪女玉梓は、検事兼裁判官の金碗孝吉にこう言っています。

「私は先君神余光弘様の本妻ではございません。(神余)光弘様が亡くなってからは、寄る辺なきこの身を山下様に思われて、深窓でお世話をいただいたのでございます。ずっと夢を見ているだけの囚われの身となったこと、過去の因果かもしれません。またお城勤めの初めから私事で政治を行い、忠臣を失わせた山下様に原因がある、というのは傍にいる方々の嫉妬であり、本当のことではございません」

「神余の殿の老臣、若党、禄高が高い方々もほとんどのお侍の方々が、神余にも山下にも二君にお仕えして、まったく恥とは思っておられません。金碗(孝吉)殿、あなた様におかれては、なまじご主君を凌ぐ器量をお持ちになったためか、ご主君の元を逐電、更に里見に従って、滝田のお城を落とされた。しかしうさぎの毛ほども、先君のおためにはなっておりません。皆様、おのおのご自身の利益のために山下様にお仕えし、従ったのです。男子ですらその有様ですのに、女子の身の上にはいろいろな見方がございます」

「どうして玉梓独りに無実の罪を着せて、憎い者となさろうとするのです。納得できない讒言です」

長々引用しましたが、どうです、一理あるとは思いませんか?

私は意外と玉梓の言い分が正しくないかと思ってしまったのです。
山下定包の出世に嫉妬した神余の家臣団が、山下排斥派と山下追従派に分かれて、内紛を起こした説も考えられますね。
権力を欲しいままにして贅沢の限りを尽くし、主君を罠にはめて殺害した山下定包は悪人ですが、愛妾の玉梓が糾弾されるべき点は検事の金碗孝吉の指摘通り恐らく以下の2つ。

・山下定包と密通した件
神余光弘存命中から、家臣と密通してしまったのはいただけません。
こちらは有罪。

・主君に讒言して賄賂をもらった相手の便宜を図り、有能な家臣を排した件
こちらは金碗孝吉が言っているだけで、他の例が無いのですよ。
いえ、第二回で文章の中では、以下の通り述べられていました。

 (神余)は数多くいる側室の中でも、玉梓という淫婦を寵愛した。領内の裁判ごとすら、玉梓に問う様になってしまった。
 玉梓に賄賂を使った者はたとえ罪があっても賞され、玉梓に媚びなければ功があっても用いられることはなくなった。これにより家中はひどく乱れて、良臣は退けられて去り、心の邪まな悪人が徐々に増えてくる様になった。

うーむ、地の文で、作者であり神でもある馬琴翁に言わしているので、事実なんでしょう、やっぱりGuilty!!

で判決なんですが、死刑(斬首)は重過ぎではありません?
こんな爆弾娘、故郷に帰らせてはまた事件になるのは必至ですので、尼僧にするとかはいかがでしょう。

は!!
私、玉梓の肩を持ってしまっていますね、これも彼女の術中かもしれません。

②金碗孝吉、濃萩ちゃんに酷過ぎな件について
金碗孝吉は神余家を出奔してから、上総の国天羽郡関村の一作爺さんのところに世話になります。
若き血潮が堪え切れず、こともあろうに一作爺さんの愛娘の濃萩ちゃんと結ばれてしまいます。
枕の数が重なるうちに、とありますから一晩の関係ではなく、恐らく何回も(;゚д゚)ゴクリ…

どっちからなんでしょうね、迫ったのは。
金碗孝吉と言いたいところですが、昔は貴人に娘を「提供」する話は良くありますから、意外と一作爺さんも噛んでいて、濃萩ちゃんをけしかけたのかもしれませんよ。
金碗孝吉が貴人がどうかは分かりませんが、神余の一族、一作爺さんは昔金碗家に仕えていたので、主筋ですからありえる話でしょう。
それとも農家で働く濃萩ちゃんの健康的なお色気に負けて、金碗孝吉が忍んで夜這いした、なんてのも考えられます。
まあどっちが手を出した、というのは二の次で、ここで論じたいのは、金碗孝吉の態度です。

「私は浅ましき所業をしてしまったと百回も千回も悔い、後悔が立ちませんので、人目を避けて濃萩には堕胎しろとは勧めました」
どこかのタレントの様な台詞ですぞ。馬琴翁のころからこんな輩がいたのですね。
酷過ぎませんかね、この対応は。

とうとう責任も取らずに手紙だけ残して諸国を流浪した金碗孝吉さんに対して、一作爺さんの台詞が泣かせるのです。

「(金碗孝吉は)妻も子もない旅の身の上、慰めようとした我が娘の濃萩は、淫乱奔放に似て、決してそうではありません。あなた様の氏素性は自分の故主、その子を宿し、娘は天晴れ果報者、良き婿を迎えたと、心の中では婆と一緒に喜んでおりました。しかし事情を知らない私はいろいろ考えている間に、あなた様は出て行ってしまい、帰らなかった。行方を探すこともできずに娘は、程なく臨月に産み落としたのは男の子でした。めでたいめでたいと祝う間もなく、濃萩は募るもの思いからか産後の肥立ちも悪く、とうとう十万億土のあの世に逝ってしまいました」

哀れなる濃萩ちゃん、実は濃萩も悪霊だったりして ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

③呪いを解かない役行者
役行者小角は、634年舒明天皇6年から701年大宝元年まで生きたと言われております。
前鬼後鬼を従えて、修験道に秀で、また奇跡を見せたそうです。
晩年65才の時に伊豆大島に流刑となったのは、本編第八回の通りです。
歩いて洲崎神社まで波涛を越えてやって来たかは知りませんが。

室町期まで生きていた(?)役行者らしき翁は、幼い伏姫の人相を観ます。
そして悪霊が呪詛をしているのを見抜き、アドバイスをしてから、八字の入った数珠を渡して去って行きます。

ちょぉ待てや!

「真に悪霊の祟りが憑りついておるわい。この子の不幸であるなあ。祓うのは決して難しいことではないが、禍福はあざなえる縄のごとし、災厄と幸福はより合わせた縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がない」

仕方がない、じゃねえし。
祓うのは決して難しくないとか言ってきながら去って行くなよ!

ここで玉梓を祓っておけば、万々歳じゃないのでしょうかねえ(# ゚Д゚)
ははーん、本当は悪霊を祓えないんじゃないんですかねえ?

馬琴翁も「祓うのはなかなかに困難じゃ」とか言わせれば良かったのに、役行者の品格を落とせなかったのか、上記の台詞を言わせたのでしょうか。
でも呪いを解いたら物語は終わってしまうので、文字通り仕方がないのです。そう考えましょ。

④御曹司里見義成のアイデアはNG
第九回、不作の折、安西に攻められた里見勢は滝田城に籠城します。
約1週間、食べ物を口にしていない里見勢はぼろぼろ。1週間は長いなあ~

ここで里見の御曹司義成君16才は起死回生のアイデアを出すのです。
よ、御曹司!未来の殿様!!将来の安房国主様!!!


そのアイデアとは、

「大声の者を選んで、城の櫓に登って、寄手に対して安西景連の非道なる行い、盟約を破り、恩を仇として、不義の戦を起こした、というその罪を責めさせれば、安西の士卒もたちまち慚愧して、戦う心を失くすでしょう。その時こそ城から打って出て、ただ一揉みに」

え?それが計略?だ、大丈夫?
ねえ、義成君、それ本気?

結果的には、飢餓の極致を迎えた者は大声を出せませんでした。
しかも涙に暮れて、咳込むばかりとは可哀そうな結末でした。

同輩の武士にも、
「ほら、あいつ、声が出せなかったらしいよ」
「ああ、あいつな。あの後泣きまくってたわ」
とか囁かれたりして。

彼には安西景連討伐後に粥を食べてもらって、元気になってもらいたいものです。

にしても、里見義成の将としての器がちと心配になります。
バカ殿じゃなきゃ良いのですが。杉倉殿、堀内殿、補佐を頼みましたぞ。

⑤気になる八房の大きさ
第十回、八房は城を出た伏姫を背中に乗せます。
八房の大きさはどれくらいなんでしょうね。

そもそも伏姫は花も恥じらう17才。体重は……

明治33年で17才女子の平均体重は47.0キロ。

明治33年以降5か年ごと学校保健統計

5 明治33年以降5か年ごと学校保健統計:文部科学省

室町期ですので、もう少し削って45キロくらいと見繕いましょうか。

昔、名犬ジョリィなんてアニメがありました。

ピレネー犬はこんな感じ(笑)

 

グレートピレニーズ(ピレネー犬)なんて犬種は白く大きな犬で、主人公のセバスチャンを楽々と乗せています。
でもセバスチャンは7才の男の子……上の日本の統計でも明治33年で7才男子は20.0キロ、スペイン人の平均体重は見当たらず、まあ少し重くして22キロくらい?

一方グレートピレニーズは体高80センチ、体重は60キロが大きい方だそうですが、20キロの子供ならともかく17才女子の40数キロは厳しそう。

YAHOO知恵袋で同じ様に聞いている人がいましたのでご紹介。
人が乗れる犬なんているの?

 

 

人が乗れる犬なんているの? - そんな犬はいませんよ(;^_^A犬の背中に子供を乗せるのは、たとえ大型犬でも、細身で小柄なお母... - Yahoo!知恵袋

人が乗れる犬なんているの? そんな犬はいませんよ(;^_^A犬の背中に子供を乗せるのは、たとえ大型犬でも、細身で小柄なお母さんが、子供の相手でお馬さんをやってるような...

Yahoo!知恵袋

 

 

まして八房は日本の犬ですから、グレートピレネーズ並みの体格はないと思うのですよ。

玉梓の呪いと老狸に育てられた魔犬八房だからこそ、伏姫を乗せることができたのでしょう。そう思うことにしましょう。

⑥八房よどこへ行く?
第十回、伏姫を背中に乗せた八房は、るんるん気分で愛の逃避行に向かいます。


八房は滝田の城を出ると、急ぐ様に姫を背中に乗せて、安房の国府跡の方に向かって、飛ぶ鳥の様に速く走り出した。
どれくらい走ったのか、犬懸の里に至ると徒歩の者は遥か彼方にあり、尼崎輝武に従う者は、一人か二人になっていた。
いつのまにか明け方となり、富山の奥に入って来ていた。

コースはこうですね。
滝田城 → 安房国 → 犬懸の里 → 富山

地図を見て下さい。

安房国府の場所は今も分かっていないのですが、国分寺、国分尼寺の跡があり、その北側に今も府中という地名が残っていました。
ですからこのアバウトな地図が正しいとすると、滝田から南下して国分寺や国府跡に向かったことになるのです。

しかし行ったとは書いておらず、向かったけれど気を取り直して(笑)、また北上、今度は八房が生まれた誕生地の犬懸方面に着くのです。犬懸に至ったと書いてあります。
狼に殺されたお母さんにお嫁さんを紹介したのでしょうかね。


この辺り、実際には犬掛という地名があり、犬掛古戦場跡という里見家の内紛の跡地もあるんですよ。

その後はまた少し南下して、富山登山に向かうという訳です。

無駄なコースを取る八房さんですが、姫を乗せて錯乱気味だったのかもしれませんね。
滝田城を出て、犬懸に行ってから富山に向かうのが合理的ですが、距離と時間を稼ぐために、馬琴翁は八房を迷走させたのでしょうか。

⑦富山から七浦は見えるか?
第十回、富山は安房の国第一の高さの山であり、伊予ヶ岳と競い合っている。富山の頂きに登ると、那古、洲崎、七浦に波が寄るのさえ見えるという、と書いてあります。

那古、洲崎は内房側、七浦は外房側です。
またもや地図をご覧下さいな。

那古は見えそうですね。洲崎も遥か彼方の岬の先で見えそう。
七浦は……えーっ、こりゃ無理じゃありませんか?
反対側ですよ。
私はまだ富山に登ったことがありませんが、一番高いところで349メートル。
七浦なんて、無理無理。

と思いましたが、富山展望台のストリートビューを見てびっくり、吃驚、( ゚Д゚)
こちら富山展望台から見た七浦のある東南方面の光景。

©Googleさん

海見えてません?七浦は漁港ですので、ギリギリ見えるのかもしれませんよ。

馬琴翁、疑ってすいませんでした。

いつか富山に登ってみて確かめてきますね。

以上なぜなに八犬伝Ⅱでした、でわまた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超意訳:南総里見八犬伝【第十回 禁を犯して、金碗孝徳、女性を失う/腹を裂いて伏姫、八犬士を走らす】

2024-05-31 00:17:42 | 南総里見八犬伝

【第十回 禁を犯して、金碗孝徳、女性を失う/腹を裂いて伏姫、八犬士を走らす】

 里見義実の夫人五十子は、八房の異常事態を侍女から聞くと驚き、裾を掲げて急いで伏姫の部屋に駆けつけた。
 部屋に着いてみれば、侍女たちは戸口にいて、亭主の治部少輔殿が中にいる。どうやら娘の姫は無事の様だが、父娘が犬を交えて問答の最中だ。
 問答の言の葉を最後まで立ち聞き、さめざめと母は泣いた。
 それを知らずに侍女たちは部屋から出ていく犬を恐れて、思わず左右に開いた。隠れて泣いてもいられないので、中に走って入り、伏姫の隣に伏して声を洩らして泣いた。里見義実はみずからの罪を恥じて何も言えない。
 伏姫は母の背を何回も撫でて、
「お話をお聞きになりましたか。ご気分を悪くしないで下さい」
 と慰められて、母上は頭をもたげて涙を拭い、
「聞かれるまでもなく、悲しいに決まっている。伏姫よ、賢しいあなたは殿のお言葉に裏表があってはならず、賞罰の道は正しくあれと言う。なのにあなたは名を汚して、身を捨てようとする。それは父上には親孝行なのでしょう、情に反し、俗世に背けば誰がこれを褒めるのでしょうか。およそ生きとし生けるもの、両親のいないものはない。母が嘆かない訳がないでしょう」
 母の声が強くなった。
「しかし心は強いもの、幼い時は病気がちだったのに、母の苦労もようやくに、昔語りに思い出話にでもできようかと育ってくれた。更に月よ花よと美しくなってくれたのに、自分からその身を贄にするなど口惜しいとは思わぬのか。そうならそれは妖しい物の怪の執念であろう。眼を覚ましなさい、起きなさい。年来信奉してきた神のご加護も御仏のご利益もこの世にはないものか」
 と娘を泣きながら繰り返し諭す母の慈悲に、堪えきれず伏姫も涙を袖に押し包んだ。
「母上の言われる通り不孝の罪は重い、重いことこの上ないのでございます。親の嘆きも顧みず、この世を去りし後も犬の妻となったことで名を汚すことは悲しみますが、これも運命のいたすところ、逃れられぬ因果と思い定めております」
 伏姫は左手に掛けていた数珠を見せた。
「これをご覧下さいまし」
 数珠を右手に取って、
「私が幼かりし時、役行者の化身かと思われる不思議な翁が下さったもので、以来この身から放しておりません。この水晶の念珠には、玉に文字がありまして仁義礼智忠信孝悌と読むことができます。この文字は彫られたのではなく、また漆などで書かれたものでもありません。自然に出来ていて見ることができるのです。毎年毎日手に触れても、摩滅することはありません。安西景連が滅んだ時、良く見ると、仁義の八字がなくなって、異なる文字に変わっていました。このころから八房が私に懸想する様になりました。これもまた不思議の一つです。宿世に定まった因果応報か、と嘆くのは昨日今日だけではありません。死期を待たずに先に死んでしまいたい、と思ったのは何回となくございます。手に刃を取って、いいえ、この世で悪業を滅ぼせないのは、後の世に浮かぶよすがもございません。本当であれば、嵐の山に散る花の、身のなる果てを、神と親とに従うつもりでございましたのに、と浮世の秋を憂いながら思うのです」
 伏姫は母を見て寂しげに笑った。
「過去の因果応報をお知りになれば、お恨みも繰り言もたちまち晴れて消えてしまうかもしれません。今まで十七年あまり慈しみお育ていただいたことを仇にして無下にする私のことを、子を子とも思わず、前世の怨敵であるとお思い下さい。そしてどうか恩義を断ち、私はご勘当下さい。この身に受ける恥辱は、西方浄土の阿弥陀にお救いいただくのです。仏の御手の糸すすきの下にこの身を置いても、最後に悪業が消滅するのであれば、安心して果てることができるのです。ただ」
「ただ、とは」
 と母は問う。
「ただ願わしくは、どうかこれをご覧下さい」
 と差し出した数珠の上に涙をこぼして、いまだ百八の煩悩の迷いが解けない母君は、疑わし気に伏姫を見つめた。
「なぜ最初から私たちにすべてを話さなかったか。その数珠に現れた新しい文字はどのようなものであったのか」
 尋ねると今まで黙っていた里見義実が口を開いた。
「見せてごらん」
 と数珠を取って、何度も見てはため息を吐いた。
「五十子、覚悟を決めなさい。仁義礼智の文字は消えて、現れたのは」
 里見義実は、何かを悟っていた。

「現れたのは、如是畜生発菩提心の八字だ」
 里見義実は達観していた。
「仁義礼智忠信孝悌の八行五常は人にあるものだと思う。悟りを求めようという菩提心は、すべての人も獣も持っている。姫の因果も、今、八房という畜生に導かれて、菩提の道へ進むのであれば、来世では安堵できるであろう。真に貴賤と栄辱は人々それぞれの生き様の結果なのだ」
 妻と娘の肩に手を掛けた。
「姫が十五の春のころから、隣国の武士はもちろん、あちらこちらの大小名が己のために、或いは我が子のために、婚姻を求めてきた。数は覚えていないが、私は一切承知しなかった。今年は金碗大輔を東條の城主にして、伏姫に娶せてやろうと思っていたのだ。功がありながら賞を辞退して、自決した金碗孝吉に報いてやろうと考えていたのに、言葉を誤って八房に愛娘を許すのも因果応報なのだ。五十子よ、この義実を恨むが良い。ただこの数珠の文字を見て悟りなさい」
 と妻を慰めて、説いたが、袖で顔を覆い声を曇らせて泣くばかりである。伏姫の部屋は雨模様だった。

 名残惜しいことではあるが、伏姫は今宵城を出ようとその用意を始めた。
 しかし、
「生きてここに戻ろうとは思わない。ただこのままに」
 と言って、玉で飾ったかんざしを捨てて、白い小袖だけを重ね着て、如是畜生発菩提心の浮かんだ数珠を襟に掛け、法華経の経文と筆と紙の他には何も持とうとはしなかった。見送りの従者も固く固辞をするのだ。
 まだどこに行くかは分からないが、八房が行きたいと思うところへ、そして八房が留まったところこそ、自分の死に場所と思い定めた。
 そして、八房が滝田を今晩出発しないのであればともに命はない、として犬に言い聞かせた。

 時、もはや黄昏が近い。
 しかし母君の五十子は別れを惜しんで、出発しようとする姫を引き留め、ただ号泣していた。長年仕える侍女たちも伏して泣くばかりで、支度を手伝う者もいない。
 ようやく伏姫は気丈に振舞って、母君を慰めて別れを告げることができた。そして侍女たちに見送られて、外に出た。日はもう暮れていて、庭の樹木の間から洩れる月の光は明るかった。
 すでに八房は縁側の下にいた。姫君が出てくるのを先ほどからおとなしく待っていたのだ。
 その時、伏姫は犬の近くに寄って、
「八房か、お前に申したいことがある。聞くが良い。人間には貴賤のけじめがある。婚姻はその分に従い、皆、類を以って友をとする。穢多や非人、乞食といえども畜生を良人とし、妻としたためしはない。まして私は国主の娘、普通の人の妻とはなれない。それを今、犬畜生に身を捨て、命を任せること、これも前世の応報か。しかしながら」
 伏姫の声が強くなった。
「父君の御錠は重い。ことをわきまえず、私に情欲を遂げようとするなら、ここにある我が懐剣でお前を殺して、私も死のう。また一時の義を以ってお前を伴っていこうとも、人間と犬の異類の境界を守って、恋慕の想いを断つならば」
 犬も姫の顔を見返した。
「お前は私のために菩提への道を導くものとなれ。その時こそ、お前の望むまま、どこまでも行こう。八房、分かったか」
 と懐剣を逆手に持って問い詰めると、犬は分かったとばかりに、それでも憂えた様な顔であったが、たちまち頭を挙げて姫を見た。
 そしてわんと吠えて、蒼天を仰ぎ、誓った様な姿勢を取ったのである。
 安心したのか、伏姫は刃を収めて、
「では行こう」
 姫が言えば、八房は先に立って、屋敷の扉、中門、西の門を越えて行く。その後に着いて、伏姫は静かに歩いた。
 後には、母君と侍女が声を上げて泣く声が聞こえ、父の里見義実も遠く離れた場所からしばらくの間、見送っていた。
 前漢の王昭君が遠く匈奴に嫁入りした時の悲しい別離の情は、この様なものであったのかもしれない。

 伏姫は見送りや護衛の従者を固く辞退したが、里見義実も五十子は娘の旅立ちが心配であった。後をつけてみよ、と尼崎十郎輝武に数人付けさせて見張るように命じた。
 尼崎輝武は元東條の郷士だった。先には杉倉氏元の手に属し、麻呂信時の首を取ったのだ。その軍功を賞せられ、滝田に召出されて、里見義実の近くで仕えていた。数年経ったので主君は彼を選んで、供に立たせることもあった。
 その尼崎輝武は馬に乗って配下を率いて、一町(約110メートル)ばかり後から姫の後を追っていた。
 八房は滝田の城を出ると、急ぐ様に姫を背中に乗せて、安房の国府跡の方に向かって、飛ぶ鳥の様に速く走り出した。それを見た尼崎輝武は遅れまい、と何度も馬を鞭を当てた。配下たちは喘ぎながら、汗だらけになって追い掛けた。
 どれくらい走ったのか、犬懸の里に至ると徒歩の者は遥か彼方にあり、尼崎輝武に従う者は、一人か二人になっていた。丈夫な馬と尼崎輝武は乗馬の達人のため、伏姫と八房の行方を失わないようにと終夜走り続け、いつのまにか明け方となり、富山の奥に入って来ていた。

 そもそも富山は安房の国第一の高さの山であり、伊予ヶ岳と競い合っている。富山の頂きに登ると、那古、洲崎、七浦に波が寄るのさえ見えるという。
 山中には人里がなく、大樹が枝を伸ばして昼なお暗い。いばらやとげは木こりだけが歩く道を埋め、苔が伸び放題で霧が深い。
 配下を一人連れた尼崎十郎輝武は馬で山道を登って来た。息継ぎもそこそこに山をよじ登って行く。見渡せば山また山に雲がようやく消えて、遥か彼方を見上げると、伏姫と八房が見えた。伏姫は経を背負い、紙と硯を膝に乗せて、八房の背に尻を掛けていた。
 犬は谷川を渡り、山の奥へ深く深く入って行く。
 尼崎輝武は何とか川のほとりまで来たが、水が深く流れが速く、とても渡れそうもない。
「はるばるここまで来た甲斐もなく、川一筋に遮られてしまった。姫の行方を見極められず、ここから帰ることなどできまい。川の深さの瀬踏みをしてみよう」
 と急いで川へ降りて、杖に力を込めて歩こうとした瞬間、水の勢いに横に押し倒されてしまった。
 ただ一言、ああっと叫んだが、頭を石に打ち砕かれ、勢いよく流れていく水の中へ、亡骸も残すことはなかった。

 尼崎輝武は海辺の出身であり泳ぎの達者でもあったのに、こんなにも儚く水に流されてしまった。これすらも何かの祟りかと尼崎の配下は怖気づいて、山のふもとに降り、ようやく追いついて来たほかの同僚たちに事情を説明した。そして次の日の夜が来るまでに滝田の城へ戻り、主人へ子細を話したのである。
 里見義実は話を聞くと、もう二度と人を富山に送ろうとはしなかった。ただ国中に木こり、炭焼きであっても富山入山禁止の布令を出した。
 もし富山に入る者がいれば必ず死刑にすると厳重に取り締まることにしたのだ。
 また尼崎輝武の横死を深く悼んで、その子を召出した。

 そんなことがあったが、五十子はとにかく伏姫のことが忘れられず、洲崎の行者の石窟へ代参と方便を言い、毎月毎月侍女の頭を密かに富山に遣わした。姫の在りかを調べさせ、安否を探ろうとするが、尼崎輝武が流された川より向うへは、皆恐れて渡ることができなかった。元より川の向こうにはいつも雲と霧が立ち込めて、視界が悪く、行けなかった。侍女らは向かっては帰るを繰り返し、早くも月が替わってしまった。

 ここにまた金碗大輔孝徳は、先に安西景連の手中に落ちて、安西勢が滝田城を囲んでいるのが分からなかったが、何とか逃げ出した。
 途中の道で蕪戸訥平らに追いつかれて、多勢を相手に血戦し、従者は皆討たれてしまった。しかし我が身一つだけは虎口を逃れて、ようやく滝田に到着したが、周囲には敵の大軍が充満しており、しかも攻め込まれていたので、城に潜り込むことはとうとう出来なかった。
 せめて堀内貞行にことを告げて援軍を頼もうとして東條へ走ったが、こちらも蕪戸訥平らの大軍が取り囲んでおり、籠の中の鳥と変わりなく、どうしても入城する手立てが見つからない。
 金碗大輔は考えた。

 もはや手立てがなく滝田で一騎だけでも討ち取って、城を枕に討ち死にすれば良かったのに、今は悔やんでも仕方がない。
 大事な使者の命を仕損じて、あまつさえ主君の危機にも役立たずである。
 万一、両城の囲みが解けて、主君が無事であってもその際何の面目があって、顔を合わすことができるだろう。
 この際、蕪戸の陣に突っ込んで、斬り死にしよう。
 だが、しかし。

 金碗大輔の考えは一転した。

 逸る思いを押し鎮めて考え直してみると、身一つで数百騎の敵軍へ攻め込むのは、卵で石を押すよりも無駄なことだ。命を捨てても敵に損害はなく、味方にも役に立たないことであれば、まったく不忠なことになってしまう。
 滝田も東條も元から兵糧が乏しい。この際、鎌倉に推参して、公方の足利成氏様に急を告げ、援軍の兵をお願いして、敵を打ち払い厄災を解けば私の過ちを詫びてお許しをいただくことができるだろう、これに勝る手段はあるまい。
 急いで鎌倉へ行かねば、と思案して、白浜から渡し船に乗って、すぐさま関東管領の御所へ向かった。早速、里見義実の使者と称して事情を説明して滝田の城の急を告げ、救援要請をしたものの、肝心の書簡がないので信用されず却って疑われてしまった。
 また数日を無駄に過ごしてしまい、仕方なく安房に立ち戻ることにしたが、戻ると安西景連はとっくに滅んでおり、安房一国はすでに里見義実によって統一されていた。
 安堵はしたがいよいよ帰参の手立てがなく、今更腹も切れない。時節を待ってこの件の詫びを入れようと、故郷の上総天羽の関村に赴いた。隠れ家にするつもりで、祖父一作の親族である百姓の某の家に身を寄せたのだ。
 一年あまりいる間に、伏姫のことが聞こえてきた。犬の八房に伴われ富山の奥へ入り、その後の安否は不明だという。

【一言、信を守って伏姫、深山に畜生に伴われる】

柳川さんは犬の正面の顔がお得意ではなかったのかな、こりゃまた失礼。

右側には金碗大輔がいますが鉄砲を持ってますね……嫌な予感しかしないのです(´・ω・`)

 

 そのために母君は物思いに耽り、病気になって長い間横になっていると教えてくれる者もいて、金碗大輔はひどく驚いた。

 主君の里見義実は失言をしたが、愛娘の伏姫はまさしく貴人の息女として生まれてきたのに、犬畜生に伴われ、富山に入ってしまった。里の人々の口調も残念がっている。

 例の犬には、何かの霊が憑依して、神通力か魔力を持ってしまったが、倒すことは難しくないはずだ。富山を登り、八房を殺して姫君を連れて滝田城に戻れば、自分の失敗は許されること間違いなしと、金碗大輔は結論した。
 宿の主には、神仏に心願があって詣でたい、とまことしやかに言って、密かに安房へ舞い戻った。そして用意した鉄砲を引き下げて、富山の奥へ分け入って行った。
 そして伏姫の所在を探しに探し続けて、山の中で暮らし、夜を明かして、五六日経ったころ、靄の深い谷川の向こうに人の気配を感じた。
 もしやと騒ぐ胸を鎮めて、水際で耳を良く澄ますと、女の経を読む声がかすかに聞こえるのだった。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 作者曰く、この段は八犬士の起こるべき由縁を述べ記して、物語第五巻の終わりと定め、すでに前書きに十回の題目を載せたといっても、思っていたよりも物語は長くなった。巻の頁数は一杯になり、この回を終えるにも方法がない。巻の数も決まりがあり、頁数にも限りがある。
 毎回限りを越える時は、超過した原稿の分の稿料に便宜を図ることができないという出版社の主張も見過ごすことはできない。従って、余った原稿は回を新たにして、明くる年に必ず出すことにしよう。
 おおよそここに述べたのは、この小説の発端のみである。これからの続きは、八犬士が世に現れることに触れる。この後、年を経て、八犬士は八方に出生し、集まり散ずることがある。因果応報があって、遂に里見の家臣となる八人の列伝は、前後があり、長い時も短い時もあるだろう。
 まだそこまで考えが及ばず、年を重ねて、回を重ねて、すべての物語とすることは、先に私、滝沢馬琴が著した椿説弓張月の様になるだろう。
 読者よ、幸いに察して欲しい。

 時に1814年文化十一年甲戌の秋九月十七日、鳥の屋(鳥が鳴く筆者の書斎は東であり、東国人の方言は分かりにくいだろう)に筆を置く。

著作   曲亭馬琴
清書   千形仲道
作画   柳川重信
挿絵彫刻 朝倉伊八郎

曲亭(滝沢馬琴)新作 絵入り小説目録 山青堂出版

袈裟御前七條法語(けさごぜんしちじょうほうご)
この書は今年発行の予定とかねてからご案内していたが、南総里見八犬伝を書くために完成が遅れている。
近々発行の思いがあるため、また題名を出している。

美濃旧衣八丈綺談(みのふるきぬはちじょうきだん)
葛飾北嵩 作画 全五冊

馬琴 扇に賛辞
家伝 神女湯 精製きおう丸 婦人向けの生理痛妙薬など大阪心斎橋筋唐物町河内屋太助方にあり
扇は江戸神田鍋町柏屋半蔵方にもあり

朝夷巡島記(あさひなしまめぐりのき)
歌川豊広 作画 初編五巻
この作品は長く書名を掲げなかったが今年ようやく原稿を掛けて刊行出来た
初編二編は遅滞なく出版済み

南総里見八犬伝第二集五巻 来たる猪の年1815年文化十二年の冬、遅滞なく発刊する

1814年文化十一年歳次甲戌
           大坂心斎橋筋唐物町南へ入 森本太助
           江戸馬食町三丁目     若林清兵衛
刊行書店
           本所松坂町二丁目     平林庄五郎
           筋違橋御門外神田平永町  山崎平八

1814年文化十一年冬十一月吉日発販

(続く……かも)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする