馬鹿琴の独り言

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超意訳:南総里見八犬伝【第五回 良将、策を退けて衆兵、仁を知る/鳩が書を伝えて逆賊の首を取る】

2024-03-01 04:00:13 | 南総里見八犬伝

 麻呂と安西へ遣わした使者が滝田へ戻ってきた。主の山下柵左衛門尉定包に、
「彼らは帰順するとは明確には申しませんでしたが、ひどく恐れていました。必ず近いうちに、自らこちらに参上して罪を詫び、殿の配下になることは疑いございません。様子はこの様に、この様に」
 使者は、あること無いこと言葉を飾り尽くして媚びて告げたので、山下定包はますます調子に乗り、士卒の恨みを顧みず、毎日毎晩遊興に耽っていった。
 玉梓と輿に入り後宮の花々と戯れ、ある日は数多くの美女を集めて高楼で月見を気取り、ある日はたくさんの酒を飲み、ある日は美食を贅沢に食していく。
 殿様である山下定包がこの有様だったので、家老もまた遊興や酒に耽っていく。贅沢をいくら貪っても飽きることはなく、費用に限りがあることを知らない。
 まるで漢を滅ぼした王莽が支那全土を掌握した日、安禄山が唐の祭祀を傾けた時、天は瞬時の間、逆臣どもを照らす様に見えたが必ず長く命を与えないことを分かっている様に、心ある家中の者は、山下定包が近々必ず滅びることを信じ、与しない者も多くいた。

 そこへ城外と城中が急に物騒がしくなり、敵軍が間もなく攻めてくる、と叫ぶ者がいた。
 山下定包は奥座敷で酒盛りをしていたが、騒ぎを聞いても少しも慌てずに、
「敵軍がどれだけのことがあるのか。なまじ虎の髭を抜こうとする火遊び好きの安西や麻呂ではないのであれば、民を脅かす山賊らに間違いあるまい。正体を見てこい」
 と言って物見を派遣した。すぐに物見は戻ってきて、
「敵は安西、麻呂ではございません。山賊でもございません。どこの手の者か分かりませんが、千騎あまり、整然として幾重にも並び、隊列は軍略に適っています。中軍には一ながれの白旗を押し立てており、尋常な敵ではございません。ここを去ること二十余町(2.2キロ)、少しの間人馬の足を休めて今にも押し掛けて来そうです。決して侮ることはできません」
 と息継ぎも苦しく報告すると、山下定包はそれを聞いて眉をひそめた。
「白は源氏の色だ。安房や上総に白旗を用いる者はいないはずだ。これもまた人々を惑わす敵の計略に違いあるまい。それはともかく、敵は必ず長躯してきて疲れていて、この夜明けに攻めてこようするはずだ。休養十分の状態で、疲れた敵兵を迎え撃てば必ず勝つはずだ。追払ってこい」
 と指示して、岩熊鈍平(いわくまどんへい)、錆塚畿内(さびづかいくない)という腹心に五百の軍兵を授けると、二人は欣然と命令に従い、急いで兵を率いて大手門から出撃し勇んで出て行った。
 岩熊と錆塚は結構な勇士で武芸も達者だったが、心持ちが奸侫で、なすことやることすべてが山下定包の意向に沿っていた。一二の家老と重用されて、すべてが傍若無人な振舞いだったが、周囲の者は皆圧倒されて、仕方なく憎しみを隠して下風に立っていた。
 従って山下定包は日頃から両人を頼みにして、今回も討ち手の大将として選んで派遣し、
「今頃は、きっと寄せ手の者どもを蹴散らしているに違いないだろう。騒ぐこともなかろう」
 として、士卒にただ門を守らせ、自分自身は奥に入って女たちを呼び集め、歌や踊りに興を催すのだった。
 酒宴がたけなわになったころ、周囲が急に騒がしくなった。山下定包は、やめろやめろと叫んで宴会の管弦を止めさせた。
 耳を澄ますと、
「変わった声が聞こえるな、小姓どもは見てこい」
 左右に侍っていた二人の小姓が立ち上がった途端、庭の方から先に討手として向けられていた軍兵が五六十人、座敷の縁側近くまで押し掛けてきた。彼らは、数か所深手を負った大将の岩熊鈍平を盾の上に乗せて運んできた。
 異口同音に、ご注進、ご注進と喚き、手負いの大将を乗せた盾を地面に置いて、二手に分かれて畏まって座った。皆、端武者であるが、二か所三か所の手負いである。
 それを見た玉梓は錯乱した。侍女らに支えられて、屏風の後ろに引っ込んでしまった。
 まるで敗軍の体たらくに山下定包は、途方に暮れて、
「これは何ごとか」
 問われて、岩熊の配下は恥ずかしそうに頭を掻きながら、
「申し上げるも面目ないことですが、大将の軍配に味方の動きが従いませんでした。敵は聞きしに勝る勇将と士卒です。しかも大軍でございましたので、撃っても射ても物ともしません。一陣を指揮して進む猛将は、鎖の上に大きく粗目で編んだ鎧を重ね着して、長さ一丈(約3メートル)あまりの槍をりゅうりゅうと振り、眼を大きく見張って大きな声で申しました」
 どのように申したのかと聞くと、
「群賊、天罰を免れんぞ。白刃が首に迫っているのを知らずに、我らに歯向かうのは愚かである。里見義実朝臣がここに降臨なされた。民が押して主君と仰ぎ、逆賊を討ち年来の恨みに報う、ことの手始めに東條の城を降し萎毛酷六を討伐し、更には滝田の城を降伏させ、逆賊の山下定包をも討とうと、この金碗八郎孝吉が先陣を承り、ご案内してきたのだ」
 耳の痛い話はまだまだ続いた。
「そこへやってきたのは賊将、錆塚と岩熊と見るのは見間違いか。昨日までの旧主に仕えて、お前たちと供に神余の禄をいただいた金碗八郎を忘れはしないだろう。私はかの旧主のために、漢の劉邦を助けて秦と楚を打ち倒した張良子房の孤独な忠義に習って、里見の君に従うことにした。義兵を挙げることをお勧めし、刃を血塗らずして最小の犠牲で一城を抜き、二郡を攻略し、すでに敵の巣窟に最も近づいた。非を悔いて兜を脱ぎ、味方になる者は生き延びるだろう。なまじ戦う者は天に向かって唾を吐く様に、苦労だけして、徳がないどころか必ず咎がその身に掛かるだろう、さあ、試してみるがよい」
 報告は佳境に入った様である。
「そう叫んで、馬で乗り込んできた金碗は、槍を閃かして縦横無尽に振るいました。早くもお味方の一陣を突き崩して、大将の錆塚と槍を合わせたのですが、一騎打ちの最中に金碗孝吉が大喝したのです。錆塚畿内は槍を落としてしまい、胸元を突かれて落馬しました。そこへ敵の雑兵が集まってきて、押さえ込んで首を取られてしまいました」
 まさかの悲報であった。
「錆塚が討たれてしまったので、陣に控えていた岩熊鈍平が激怒して四尺六寸(138㎝)の太刀を抜いて、金碗に向かいました。真正面から近づくと、敵の二陣を進む里見の老臣、堀内蔵人貞行と名乗った武者が、紺の糸の鎧と鍬形を打った兜を着て、連銭芦毛の太く逞しい馬に跨って出てきました。切っ先が菖蒲形の備前薙刀を脇に挟み、金碗に会釈して、奴は私に討たさせて下さいと言い、馬を躍らせ、突撃して岩熊の行く手を遮り、丁々発止に戦いました。切っ先から火花を散らし、腕前は互角と見えましたが、岩熊の馬の首が切り裂かれてしまい、人馬もろとも転んでしまったのです。堀内貞行が薙刀を伸ばして、兜の額のところを突き、岩熊鈍平は討たれるに違いないと思いました、そこで私たちが肩に乗せて辛うじて逃げました。敵の大将里見義実は若い馬を派手な馬具で飾り、華やかな鎧を着て、威風堂々と四方を睨み、優雅に指揮の旗を振っていました。掛かれ掛かれと命令していました。敵軍は潮が湧く様に勢いよく叫んで攻め立ててきましたので、味方はますます辟易して、とうとう兜を脱ぎ、弓を伏せ、ほとんど降参してしまいました。逆にこちらを弓で射ってきましたので、わずかに残る六十余騎が深手浅手を負い、ようやく必死に逃げ帰りました」
 配下の報告の後、岩熊鈍平は面目なげに何かを言おうとしたが、髪も酷く乱れ、背中も馬に踏まれていたので、頭を持ち上げることもできない。冬の蜂が陽を待つかの様に弱々しく、怪我の痛手に喘ぎ、虫の息ばかりで物の役に立ちそうもない。
 山下定包は聞いた途端に眉をひそめ、大きなため息を吐いた。
「里見は結城の味方だった者だ。結城城が落ちた時に討たれたと聞いていたが、安房に漂泊して大軍を動員できたというのは、理解できん。東條が落城して萎毛酷六が討たれたというのであれば、残兵がここに戻ってきて、報告しないということがあってはならん。また金碗孝吉は神余譜代の近臣だが、逐電した曲者だ。身の置くところがなく、密かに帰って来てあちこちの愚民を惑わし、野武士を集めて、様々な流言を流して、こちらの英気を挫く偽りの計略に違いあるまい。従って寄せ手の総大将は、本当の里見ではないぞ。そうは思うが」
 自信が無さげになっていく。
「私の腹心、股肱の勇臣の錆塚畿内は儚く討たれ、岩熊鈍平は深手を負い、たまたまの時運によるとは言いながらも決して侮れない敵である。いよいよ四門の守りを固くして、東條城へ人を走らせてあちらの消息を調べれば、事実かどうかは分かるだろう」
 言葉も終わらぬうちに小姓らが走ってきて、東條城の落武者が逃げ返ってきた旨を報告した。
 山下定包はそれを聞いて、
「これもまた嘘ではなかったのか。報告を直接聞くから、東條城からの落武者を庭に連れてこい、急げ」
 小姓は命令に従って走り出した。

 しばらくしてから東條で萎毛酷六に従っていて、辛くも脱出した雑兵らが三四人庭へよろめきながら入って来た。籠手や脛当て、腹巻といった軍装は厳めしいが、餓鬼の様に疲れ果てており、足取りは重いのである。
 山下定包は彼らを近くに呼び寄せて、
「者ども、東條を攻められたのなら、落城するよりも早く注進せよ。敵軍がこちらに寄せた後に、おめおめと参るとは。六日の菖蒲、十日の菊と言うが、時機に遅れて役に立たないのう。返す返すも落ち度であるぞ」
 と睨むが、畏れ多いことではありますが、と全員が返答をした。
「お怒りになるのはごもっともでございますが、わずかの間に攻められて、落城してしまいました。ご報告する暇もございませんでした。この様にこの様に」

 小湊の村長が金碗八郎孝吉を縛って、深夜に城の門を開かせたこと。
 隙も見せずに大軍が城内に入りこんで落城させたこと。
 萎毛酷六が妻子を連れて垣の内から逃げる途中、妻子は金碗八郎に追われて、谷の底へ転落して死んだこと。
 萎毛本人は金碗に討たれたこと。

 以上の内容を細かく述べ、
「私たちはこのことを片時も早く告げようと思いましたが、城兵の大半が降参してしまい、敵はますます勢いづきました。大きな街道を走れば追撃されること間違いなしと思いまして、小径に入って山越えをすれば、滝田の城に到着するのが敵の後になってしまいました。お咎めを被ること、是非に及びません」
 と詫びたのである。
 山下定包は歯をぎりぎりと食いしばって、
「さては、金碗八郎が結城の落人を引き入れて、すべて奴が計画を練ったのだ。私自ら馬に乗って、まず金碗めを生け捕らなくてはこの熱くなった身体のたぎりは抑えられん。さあ、出陣の準備をせよ」
 と躍り上がって大見得を切った。
 しかし古強者の士卒たちは口々にやめた方が良いと呟き、東條からの落武者に眼で合図を送った。皆で手負いの岩熊鈍平を抱えて、退出したのである。
 それを知らずに、山下定包は敵を口汚く罵っていたが、ふと気づくと辺りに人がいなくなっていることに気づき、黙り込んだ。
 冷静に考えてみると、なまじ打って出てはとても危ない、と独りうなづき、老臣や近習を再度呼んで、今度は籠城の準備をあれこれと指示した。
「義実は、大軍といっても元々烏合の集まりだ。今日から十日も待たずに、兵糧がつきて撤退するに違いない。その時追撃すれば金碗はもちろん、大将の里見義実を虜にすることは袋の物を取るより簡単だ。しかし麻呂や安西らが義実に味方して一緒に攻めて来たら大変なことになる。思うに麻呂小五郎は、知恵のない匹夫で取るに足らん。恐ろしいのは安西だけだ。前から奴には思慮があると聞いている。だが、今、利を持って安西らを誘い、この様にあの様にして東條を取り返すと、義実は一旦逃げたとしてもどこにも帰るところがなくなるだろう。進退極まって、雑兵の手に掛かって死ぬのだ。敵がここに来るまでに使者を出そう。誰か私のために館山、平館に使いするする者はいるか」
 山下定包が問うと、妻立戸五郎(つまたてとごろう)と呼ばれる者が声に応じて進み出た。
「使命は私が承ります」
 と言うと、山下定包は大変に喜んで、
「お前は、錆塚畿内、岩熊鈍平と同じく私の考えを分かってくれる者だ。行ってくれるか」
 得意気に山下定包は考えを述べた。
「館山、平舘へ急いで行って、安西景連たちにこう言うのだ。定包は、古主神余光弘の後継ぎとして遺領を収めて、新たに二郡を領しました。結城の落人里見義実が当国に漂泊して、愚民を惑わし、野武士を集め、不意に東條の城を乗っ取りました。勢いに任せて、すでに滝田城へ押し寄せています。兎煮られて狐が憂うと申しますが、明日は我が身、この災いは必ず皆様に及びます。定包は不肖ではございますが、正しく神余のすべてを受け継ぐ者であれば、旧交がございます。安西殿、麻呂殿は、隣国の危機を救わずに共に落人の被害を受けようというのでしょうか。速やかにご出陣いただき、東條を攻め落とし、敵の背後を襲い下さい。里見義実が三面六臂の強者といえども、三方向に敵を受けて防戦できる訳もなく、全滅すること疑いはございません。義実を容易く誅殺すれば、これは安西殿と麻呂殿の功績でございます。定包は平群一郡、滝田一城にて十分です。誰であっても、東條を攻め落とした人に長狭郡を献上しましょう、と丁寧に言うのだぞ」
 妻立戸五郎は顔を上げて、
「ご命令ではございますが、里見が滅んでも、長狭郡を他人に取らせて自ら所領を削るというのであれば、よそに援軍を頼むのは良くないことでございます。良くお考えにならないと後悔なさいますぞ」
 老臣とともに諫めると、山下定包は途中で微笑み、
「お前たちもそう思うか。これは私の計略なのだ。漁夫の利で長狭一郡を餌にして、安西と麻呂に東條を取り返させ、更に里見を滅ぼさせれば、両者は利に迷って確執に及ぶだろう。必ず東條を巡って争い、合戦になれば片方は傷つき、片方は負ける。私はその隙に乗じて、安房、朝夷の二郡を取るのだ。当国はここに統一され、いながらにして四郡を握ることができるのだ。楽しいではないか」
 得意顔に説明をすると、妻立戸五郎はひたすらに感嘆して、山下定包の書簡をもらい受けた。軽い軍装を身に着けて、駿馬に鞭打ち、館山を目指して向かって行った。

 里見の軍は、未明から滝田の城を取り巻いて、息もつかせず攻めていたが、攻略は難渋していた。滝田城は、神余数代の名城であり、要害であり、堅固であった。
 一朝では落ちず昼夜を分かず攻めること、すでに三日目に及んでも、城兵は出て来ない。寄せ手もさすがに疲労して、今はただ遠くから囲んで攻めるだけにしていた。
 そこへ武者が一騎、暮れていく夕日とともに西の城戸から入ろうとして、堀の端を目指して馬を寄せるのが見えた。
 堀内貞行はきっとにらんで、
「奴は城から出て、麻呂や安西に助けを乞い、今戻ってきた者に違いあるまい。生け捕るのだ」
 と叫ぶと、血気に逸った若武者たちが承ると答えて、追い掛けた。
 城中からもこれを見て、妻立を討たせるなと、西の城戸を開いた。妻立戸五郎は素早く馬を入れて、堀に掛かっていた橋を降ろしたので、寄せ手は狩場で驚いて逃げ出した獲物の鳥を得られなかった様である。付け入ることもできずに焦燥して、この上は力攻めしようと騒いだので、総大将の里見義実は堀内貞行らを集めることにした。
「怒りに任せると必ず後悔するぞ。あの武者を生け捕って、使いの内容を詰問して首を刎ねても、安西、麻呂と示し合わせて我が軍の背後を突けば、城は落ちるどころの話ではない。孫子の教え通り、常山長蛇の隙がない陣法を取り続けるために、すべての攻め口が共同して前を攻め、背後に備えるのだ」
 と言い聞かせた。
 麻呂や安西の来襲を防ぐために、五百の軍兵を割いて、堀内貞行を後陣の将として備えさせ、更に東條城へ伝令を送って、留守居の杉倉氏元へ油断せぬようにと指示を出した。
 そして金碗孝吉とともに里見義実は、城を包囲して火の様に攻めた。

 一方、山下定包は妻立戸五郎が無事に帰還したのを聞いたので、急いで彼を呼び寄せた。
 交渉の是非を尋ねると、妻立小五郎は流れる汗を拭いながら、
「はい、安西景連も麻呂信時は論議もせずにすぐに承諾していただきました。あの里見主従は、

【滝田の城攻めに堀内貞行ら妻立戸五郎を追う】

一生懸命に逃げる妻立戸五郎

 

始め安西殿の館山に身を寄せたらしいのですが、かなり脅されて、憎まれ口を叩いて逃げ出した愚か者だそうです。どうしてわずか数日で大軍を起こすことができたのか分からないと、安西殿も麻呂殿も悔しそうに思っている様子でしたので、東條を攻めることは疑いございません」
 と報告した。
 山下定包はますます喜び、妻立戸五郎を労ってたくさん褒美を与えた。
「尚一層、寄せ手を防げ」
 として、館山と平館からの援軍を待つとした。

 こうして日数が経過して寄せ手の里見軍はすでに兵糧の貯えが無くなり、残すは三日間分しかなくなってしまった。
 堀内貞行はと金碗孝吉はこれを憂いて、里見義実に具申した。
「出陣してすでに七八日経ちましたが、東條から未だ兵糧が参りません。考えるに杉倉氏元は老巧の兵ではございますが、あそこは新しく切り取った城でございます。民が催促に従わず、物資が不足しているのかもしれません。時は今、麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏でございます。あちらをご覧下さい、遠くの山々の畑の麦が熟しておりますぞ。刈り取ってはいかがでしょうか」
 里見義実は首を振って、
「いや、私が滝田を攻めるのは、民の塗炭の苦しみを救うためだ。しかし今その作物を奪い、生麦を掠め取って我が軍の兵糧とすることは、人間を食らってその身を肥やす虎狼と同じではないか。これのみならず、長狭の農民が催促に従わず、ここかしこに兵糧が届かないのは、私の徳が至らないからだ。速やかに退陣して、徳を治めて民を慈しみ、時機を待って改めて滝田を攻めよう。そうではないか」
 と言った。
 堀内貞行はしばらく頭を傾けていたが、
「殿の仁心は深うございます。ご自身をお責めになって、ここまで民を憐れみなさることは、本当にありがたいことでございます。しかし今このままここを退却いたしますと、必ず城から打って出て参ります。難儀なことになりますので、今宵は、かがり火の数を増やして攻め掛かると思わせ、真夜中過ぎに後陣から軍兵を退かせましょう。森に伏兵を残し、殿は中軍、私が最後尾を仕ります。たとえ城から追撃して撤退を食い止めようとしても、これなら心配はございません」
 と言ったが金碗孝吉はすぐに、
「杉倉氏の計略、悪くはありませんが、ただ身を守り、敵を防ぐだけのものです。愚案を申し上げます」
 金碗は過激な策を提案するつもりである。
「三四百の武士らに計略を申しつけ、麻呂と安西の旗を持たし、更に指物や笠印まで敵の模様の変装をするのです。黄昏過ぎる頃合いに、城のそばを通らせて味方も出撃するのです。城中からこれを見れば、館山や平館の援軍の兵を討たすな、と城戸を開くでしょう。変装した軍に力を合わせ、城へ迎え入れようとするはずですので、その際、全軍で城に入って一挙に城を落としましょう。この作戦はいかがでしょうか」
 と大変に細かい作戦を献策すると、里見義実はつくづくと言った。
「貞行の策は危険は少ないが、私に利が少ない。孝吉の策は、巧妙だが危険が多い。考えるに、古の聖王、賢将は仁義の戦を起こすので、嘘偽りによって勝つことを図ったりはしない。昔の中国の晋の文公は、計略を用いずに春秋五覇の一人と称せられ、良く周の王室を助けた。孫呉の兵法は偽ることを基本とする。これは戦国の習いだ。計略を良しとしても、嘘偽りで敵を滅ぼしたとしたら、以後その領土を治める時はどうやって民を導けば良いのだ。お前たちの計略に素直に従えないのはこの点だ」
 里見義実は二人を見てから続けた。
「山下定包は、豊かに富んだ地を保ち、要害の城に籠っている。また三年ほどの兵糧の貯えがあるということだが、防御の手立てはごく普通であるから、決して落とせないことはないだろう。しかし一時でも城を落とせば、罪なき民が多く死ぬのではないか。前に何回も言った通り、定包に従う者すべてが悪なのではない。権力にいやいや恐れ従い、一旦城に籠ったとしても本意ではないはずだ。城と運命を共にして、命を落とせば、非常に痛ましいことになる。降伏した秦の将兵八万人を落とし穴に葬った、項羽の凶暴さは言うまでもない。秦の将軍蒙恬、前漢の将軍霍光の様に智勇を備えた名将軍の後を継ぐ者はなかなかいない。人を多く殺しては名将とは言えないのだ。目標はただ定包のみ。ただ奴一人を倒せば良いのだ。この一点以外、議論するには及ばん」
 と心を込めて言い聞かしたので、堀内貞行も金碗孝吉もため息を吐き、感服して何も言うことはなかった。
 しばらくしてから二人は、
「殿の賢慮は、昔の聖王、賢将よりも高うございます。しかし時はすでに末法の世、乱れた時代になり、利にだけに釣られる者が非常に多く、徳に寄る者はほとんど少のうございます。殿の兼愛は深く、敵城に籠る民衆までお助けなさろうとのお考えでございますが、二つは両立いたしません。我らの兵糧はすでに尽きようとしながらも、謀略で城を落とすことをせず、計略で撤退する振りをなさろうともしない。無駄に時間を費やしますと、お味方の千余人の大部分は飢餓に耐えられず、離反いたします。そうなりましたら、また誰と大事を起こすことができるでしょうか。宋襄の仁は無益な憐れみ、微生が信(まこと)は融通の利かないこと、は日頃お笑いになるお話でございましょう。しかしここでまた賢慮を巡らせることをするのであれば、宋襄の仁であり、微生が信と同じですぞ」
 と忠告するが、里見義実はにっこりと笑って、
「兵糧が乏しくなるのは、私もまた心配していた。いろいろ考えながら空を眺めていて気づいたのだが、東南の巽の方角にある豆の畑で、鳩がたくさん餌を探しているな」
 里見義実は何かを思いついた様である。
「鳩はどこから集まったのかと見ていると、滝田の城から朝来て、夕方になったら帰るようだ。鳩は源家の氏の神、八幡宮の使者だと言うぞ。これによって不意に思いついたことがあったので、神に祈りつつ、若者どもに命じて例の鳩を五六十羽を捕まえた。そして檄文を書きしたため、鳩の足に結んで放せば、必ず城に帰るだろう。城内の者が怪しんで鳩を捕まえて檄文を見つけるだろう。捕まえられなくても、結び目が解けて落ちるものもあるかもしれん。檄文を見て逆賊の元から去り、道理に従う者が出てくるかもしれない。その気になれば、変が起きて、攻めずとも城は必ず落ちるかもしれんぞ。ことがもし起きれば、前の領主の仇、逆賊山下定包だけを討って、民の希望を果たすこともできるだろう。城兵はやむなく定包に従うことになったが、本意ではなく、こちらへ降参したいが死罪になる恐れを危惧して、仕方なく仇のために仇のいる城を守る者もいるはずだ。それもまた気の毒なことよ。子供の知恵に等しく、儚い計略であるが、先に滝田に向かう途中、待崎のほとりで白旗の神社に祈った時に、鳩の祥瑞があった。今また鳩の助けがあればと祈るのみだ。願いが成る成らないは神に任せて、今は見ていよう」
 堀内貞行と金碗孝吉はとうとう受け入れて、
「良く計略を謀られたものだ。今、山下定包の罪を数えて城中に示すとは、これより素晴らしい策はございません。軍民が一度その檄文を見れば、激怒して反乱を起こして、逆賊の首を献上することでしょう。速やかに行いましょうぞ」
 と、言葉等しく返答した。
 金碗孝吉は文章を作る役目を引き受けて、下書きを綴る合間に、字の書ける士卒を集めた。数十通を立ちどころに写し書きさせた。
 日はまだ沈んでいない。その間に里見義実主従は香を焚き、神酒を注いで、白旗の祠の方角を遥かに拝んだ。
 数十羽の鳩の足に例の檄文を結びつけた後、そのまま空に放した。狙い通り鳩は飛び上がり、群れとなってすべてが城中へ帰っていく。
 自分で結び目をほどく訳もなく、また書状は固く結ばれてもいなかったが、鳩が城中に入ると、不思議なことに、今回滝田の軍の徴用に駆り立てられた平群の百姓たちの小屋のほとりへよく落としていった。
 集まった百姓らは、この書状は何かと戸惑って手に取って広げてみた。

 水の流れは高いところへ流れない。同じ様に良民は逆賊に従わない。
 もし桀王(古代中国の夏の暴君)を助けて、尭(古代中国の聖王)を討つということは、水が高いところへ逆流するようなものなのだ。
 これを天に背いて、道理に背くと言う。長く平安でいて欲しいと思っていても。

 そもそも賊主定包は、奸計を以って旧主を倒し、害虫が作物を食い荒らす様に民を虐げる。
 王莽(前漢を滅ぼした悪人)、安禄山(唐を滅ぼそうとした悪人)と言えども、なぜ民に加虐を行うのか。

 翻ってみれば、我が主、源朝臣、南に渡ってやって来た。
 まだ数日というのに、民衆に推されて、悪を討ち、民を塗炭の苦しみから解放する。
 徳は成湯(夏の桀王を討った殷の初代王)のごとく高く、周の武王(殷の紂王を滅ぼす)に匹敵する。

 ここにおいて東條城を取り、二郡を治めて、逆賊の巣を破ろうとする。
 汝ら民衆を憐れんでいる、その命を逆賊の巣に落とすことを。

 従ってここに諭して申し上げる。
 なぜ速やかに帰順しないのか。なぜ功名を以って罪を償おうしないのか。
 汝らが戸惑っていても、後で後悔しても、取返しがつかない。
 天はご覧になっている。王のなされることは脆くはない。

 恭しく申し上げる。将軍のご命令を以って諭し示す。

 嘉吉元年 辛酉夏五月

 金碗八郎孝吉ら奉ずる

 と書いてあった。

 滝田城に籠っていた軍民はこれを見て、喜んで言った。
「あの御曹司は仁君である。ほとんど殺生せずに東條の城を落とし、今また我々をこの様に憐れんで心配してくれている。お名前を聞けばお慕いしたく思ってはいるけれども、情けないことではあるが、この様にお城に駆り出されて、十重二十重に囲まれていてはお側に近づくこともできない。塀を越え、堀を越え、あちらへ参ったとしても、今更お許しいただける訳もないと考えた故に黙って何もしないでいた」
 だんだん熱を帯びていく。
「所詮、寄せ手の里見軍へ内通しようと、隙を伺っているうちに数日立ってしまい、ことが発覚すれば内通どころか皆殺されてしまう。思い起して、今すぐに城に火を放ち、煙を上げて、寄せ手を誘い込み混乱に紛れて、逆賊の人食い馬(山下定包の蔑称)を打倒し、その首を持って里見軍への見参の引き出物にしよう。そうすれば、一つには年来の恨みを果たし、もう一つ、里見の君もお褒め下さるに違いあるまい、皆、どうであろう」
 密かに集まって談義はほぼ固まったが、危ぶむ者もいた。
「第一の部下である錆塚畿内は討ち死にしたが、まだ岩熊鈍平は手傷が大分癒えて、二の城戸を守っているぞ。先君、神余光弘がまだお元気なころ、彼は馬飼いであるが勇ましく、力が強かった。山下定包が二郡を横領した後、次第に重用されていき、民を圧政で絞り取り、ずる賢いことは定包と一緒ではないか。また妻立戸五郎は、子供時代から山下定包に使われて、今は随一の近習になった。武術やたしなみは優れており、今なお主人に寵愛されている。まずこの二人を討取らなければ、城へ乱入しても、彼らは徒党を組んでいて数が多い。邪魔をされては本意を遂げることができん。この点はどうするのだ」
 と相談する。
 聞いていた者たちはもっともだとうなずき、
「では両人を討って、定包の両翼を取り除いてしまおう、思う存分働こう」
 と討取る段取りをするのだった。

 その次の日、妻立戸五郎は、例の檄文を拾い読みし、読んでいくうちに驚き、慌てふためくのであった。急いで二の城戸にいる岩熊鈍平のところへ行き、
「この様な文がありました。急いで百姓たちを捕まえて、災いを未然に防がなくては大事になるでしょう。これをご覧なさい」
 と懐から檄文を取り出して見せようとするが、岩熊鈍平は見ようともしなかった。
「同じ檄文を拾って、驚いていたところだ。ここにもある」
 果たして突き合わせて見れば、文章も言葉も間違いなく同じものであった。妻立戸五郎は思わずため息を吐き、
「寄せ手の間諜の計略が当たって味方が反旗を翻せば、城を守ることができん。これはおろそかにできませんぞ。さあ、一緒に殿にご報告いたしましょう」
 と言う妻立のたもとを引き留めて、岩熊鈍平はこう言った。
「妻立氏よ、しばらく待て。お主に分かって欲しいことがある」
 部屋の隅に妻立戸五郎を連れていき、辺りを伺うが誰もいない。花をついばむ小鳥の様に何度も左右を振り返るのである。
 扇に口を押し当てて、妻立の耳に口を近づけて、
「私はこの密書を読んでからいろいろ考えたのだが、寄せ手に心を移して城を献上しようと皆が思っている様だ。そう思わないのはかくいう私とお主だけだ。だから私とお主を討取ろうと意見が決まったらしい、と誰かが囁いていた。大きな楼閣が倒れようとしている時に、一本の木では支えることはできん。なまじ義を立てて、雑兵どもの手に掛かって死ぬのはご免被る。速やかに決断して、山下定包を討って、城中の民と一緒に里見殿に降参しよう。そうすれば、皆の恨みを買わずに殺されることもなく、行賞も思いのまま。栄光を子孫たちに伝えよう。お主の考えはどうだ」
 問われた妻立戸五郎は呆れて、
「どうかしたのか。狂われたのか、岩熊殿。お主が神余にお仕えしていた時はただの馬の口取りであったのに、今の我が君が重く用いなさって、神余光弘殿の家老であった錆塚氏、萎毛氏と一緒に大事を任せておられたではないか。私は山下定包の若党だ。神余の配下でいた時から可愛がっていただいた恩を忘れて、恩に報いるに仇を持って報いるなど、それは人間のすることではない。命を惜しむのは勇もなく、主人に背くのは大逆だ。何か一言でも言ってみよ、逃がさんぞ」
 と怒って膝を突き立てて、刀の柄に手を当てた。
 だが岩熊鈍平は少しも騒がず、逆に嘲笑うのだった。
「忠義も主人によるものだ。馬鹿なことを言うな。今、山下定包を討つということは、主人の仇を取ることなのだ。それを弑逆と呼ぶな。定包が以前から自分を恨むという杣木朴平と洲崎無垢三らに謀略を仕掛けて、主君神余光弘を討たせたこと、口外するのが今が初めてだが、分からなかったか」
 岩熊鈍平はなぜか得意気である。
「しかもあの日は朝曇り、夏なのに寒い落葉が岡で鷹に追われた鳥の様に、神余光弘が乗った雲雀毛の馬が倒れた時、山下定包は自分の白馬を主人に乗換えさせて、新たな乗換えの馬を用意させなかった。定包自身はそこで引き下がったから、朴平と無垢三は、近づいてきた白馬を見て定包がやって来たと思い、矢を放ったのだ。光弘は放たれた矢に胸を射抜かれて落馬した。だがその前日に、定包は私を密かに呼んで、計略を明かされた。しかも狩りに出発する直前に、光弘の馬に毒の入った餌を与える様に命じたのだ。ことが成った時は重く用いるから、今は当座の褒美としてたくさんの物を頂いたわ。私も世にあるまじきことと思ったが、彼は家老の筆頭、私は下僕、断れる訳もない。拒否すれば殺されただろう。命には代えられないと迷わず、引き受けて毒の餌を与えたのだ」
 岩熊鈍平の告白は続く。
「こうして二郡と滝田城、東條城は、私が山下定包に取らせたのだ。私に報いようと、今は家老の末座におり、大事を任されることもあるが、全然恩を受けたとは言えん。これらを知る者は、萎毛殿、錆塚殿の両人だったが、彼らは泉下の人となってしまった。今ではお主のみだ」
 矛先は妻立戸五郎に向けられた。
「そればかりではなく、妻立殿、お主は前から、玉梓の奥方に想いを寄せており、及ばぬ恋に焦がれていると私は踏んでいる。であれば早く考え直して、人食い馬の山下定包を討って、褒美と引換えにしても、玉梓を妻にするのは恐らく簡単だろう。どうだ、力を貸さないか」
 と熱心に口説かれた妻立戸五郎は、心を動かされて腕組みを解いた。そして膝を打ち、
「岩熊殿の言われたことは正しい。逆賊に従ってきたこの身の穢れを洗い流すために、目先の考えを捨てて大義を語る、あなた様のお考えに従います、さあ、急いでことを行いましょう」
 承諾したので、岩熊鈍平は大層喜んで、
「ではこの様に致そう」
 と耳打ちをして忙しく語り合うのだった。

 この時、山下定包は二日酔いがまだ醒めないとして閨を出なかったが、女童のみ数人を周りに侍らせていた。
 御簾は半ば巻き上げてあり、柱に身を寄せながら、慰みのつれづれに尺八を吹いた。だが、頭の中にあるのは戦のことばかりである。
 そこへ妻立戸五郎を先頭に、岩熊鈍平が入って来た。
「大変です、大変です」
 と叫んで部屋ごとの障子をすべて開け放ち、定包のそばに近づいてきた。
 言い含めてある子飼いの者たち数十人が簡易な武装を身に着けて、武器を持っている。彼らは二人からは少し遅れて、花鳥風月が描かれた障子に隠れて、ことの成行きを固唾を飲んで見守っていた。
 山下定包は、岩熊鈍平が急いで入ってくるのを見ると、尺八の音を止めて、
「これは何ごとか」
 と尋ねた。すると同時に二人は等しく声を上げて、
「積み上げてきた悪事には報いがあるものです。城中の者は皆背き、寄せ手の軍勢を引入れようとしています。落城はもう間もなく、さあ、腹をお切りなさいませ。我々が介錯致します」
 言い終わらぬうちから先頭を進む妻立戸五郎は、刀をぎらりと抜き、躍り掛かって切りつけた。
「差し出がましい振舞いをするな」
 尺八の笛で受け止めたが、笛は斜めに切られて先端は飛び散った。
 最初の太刀で打ち損じた妻立戸五郎は、主人である山下定包に臆してしまい、武者振るいしてそれ以上進めないでいる始末だ。
 山下定包は怒れる眼尻を引き立てて、
「さては汝ら謀反を企てて、余を討ちに来たのか、この馬鹿者どもめ」
 と怒って立ち上がろうしたが、妻立戸五郎と岩熊鈍平が隙間なく放つ刃を潜り抜けて受け流した。切り口が尖った尺八を手槍の穂先の代わりにしようとするが、身に寸鉄がない。
 仕方なく後ろに飛び下がって、尺八を手裏剣代わりに投げた。妻立戸五郎は右の腕を打たれて、苦悶の声を上げると同時に刃を落として尻餅を着いた。
 機会とばかりに山下定包は走って落ちた刃を取ろうした瞬間、岩熊鈍平の太刀が降り掛かった。切っ先は肩先から斬りつけられて、定包は刃を拾うことができない。
 また岩熊鈍平が斬りつけた。何とか刀の鍔元を持って取っ組合いとなった。
 上となり下となりしばらく刀の奪い合いとなるうちに、山下定包は深手を負っていった。だんだん力が弱くなると、岩熊鈍平に

【岩熊鈍平、妻立戸五郎、閨に山下定包を撃つ】

山下定包が裏切られる様。妻立戸五郎の右手に尺八が刺さっています。

尚、上には檄文を足に着けた鳩がいますよ!ポーッポ

 

遂に組み敷かれると、助けを求める他はなかった。
 首を掻かんと岩熊鈍平は腰を探ったが、脇差しは争った時に落としていた。どうするかと慌てたものの、周囲を見ると右手に倒れていた妻立戸五郎に刺さっていた笛竹を好都合とばかりに抜き、抵抗する山下定包の咽喉にぐさと貫いた。
 妻立戸五郎は笛竹を抜かれて正気づき、跳ね起きると同時に落ちていた刀を拾って、岩熊鈍平に渡した。そしてとうとう岩熊は山下定包の首を切り落として立ち上がったのである。
 多くの兵士は、岩熊鈍平らに加担していたため次の間まで来てはいたが、山下定包に対する反逆の結果を分かりかねて、どちらにも手出しをしなかった。しかし定包が討たれるのを知ると、障子や襖を叩いて、勝どきの声を上げたのだった。
 今は亡き主人の左右に仕えていた女童たちは、この惨状に泣き喚き、庭から外に走って去って行った。これを見たり、女童から話を聞いた近臣や侍が集まってきたが、岩熊鈍平の配下に止められたり抑留されたりして、この時多くの侍が討たれてしまった。
 また女たちもただ泣き叫ぶだけだったが、岩熊鈍平は配下に命じて、玉梓を含め一人も残さずに捕まえてしまった。更に金銀財宝を思うがままに掠め取って、大広間へ向かっていく。
 なるほど、天が人を罰するには、時間が掛かってもことの重さを間違えることはない。
 山下定包は、奸智を逞しくして、主人神余光弘を謀殺し、その所領を奪い、かりそめの富を得たといっても、百日も経たずに自分自身も家臣に討たれてしまった。しかも首を取られる時には、刀を用いずに、切り口の尖った笛竹による竹やりの刑に処せられた。
 また例の妻立戸五郎は山下定包の恩顧の者であった。笛竹の手裏剣に刺されて一旦息絶えた。恐ろしいことではあるが、悪人ではあっても、主人を討とうする行為に対しての天の冥罰なのだ。
 特に岩熊鈍平のその罪は重く大きい。
 神余の馬飼いであった時に、悪逆と知りつつも山下定包の命に従って主の乗馬を毒殺し、また定包に仕えてからもますますその悪を助けていった。その酷薄さで人々を苦しめ、ここに及んで悪行から逃れようとして、今度はまた主人を討つ。
 例え今後は善人に味方をするといっても、この様なことでは後に栄えることができるだろうか。

 その昔、後漢の光武帝は自分の主人を殺してしまった子密(しみつ)を不義侯と呼んだ。
 不義によって出世するより、普通に生きた方が良いというものだ。作者である滝沢馬琴は、歴史軍記を読む際にこの様な下りに触れても大きなため息を吐いたりはしない。自分で注を付記して、読者である子供たちに不義は悪いことであると伝えるのみである。
 山下定包のことは軍書や古い記録に伝わってはいるが、詳細は明らかではない。けれども、主人であった神余光弘を殺害し、悪人であったことは間違いがない。
 今なおあちらこちらに古跡が残っている。長くなるのでこれ以上は触れないが、また後々の話で出てくるだろう。

 

(続く……かも)


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4 コメント

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一気読み3回 (栗八)
2024-03-01 20:37:48
なかなか言葉使いがすぐに映像にしづらいところもあって、難しいです。
が、その言葉が、時代を遡らせてくれます。
今回も面白かったです。

八犬士が登場するのが、どういう経緯だったか、ますます楽しみになってきました。
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ありがとうございます (馬鹿琴)
2024-03-03 02:02:41
いつもありがとうございます。
言葉がねえ選ぶのが難しいです。
会話も地の分も長いし、誰が主語か分からなくなりますし。

早く犬士が出るといいなあ、その前に里見家への呪いを……あ、しまったネタバレでした(笑)
返信する
玉梓! (栗八)
2024-03-03 06:48:14
楽しみです。

そうなんです、長セリフで、誰のことを言ってるのかわからなくなって、戻っては確認しつつ読んでます。
それもまた楽し!です。
返信する
戻っては確認しつつ (馬鹿琴)
2024-03-03 16:00:51
お手間取らせます。
もっと意訳して、読みやすくを心掛けて参ります。
返信する

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