馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

小谷城に登ってきました

2024-06-29 23:00:32 | 城攻め

2024年6月29日、小谷城に登ってきました。100名城の49番目、通算4回目くらいでしょうか。

暑いですけど頑張りましょう。

9時17分JR河毛駅着です。

この間の長浜駅の2つ先、木ノ本駅の2つ手前なんです。

観光案内所みたいなコミュティハウスがあります。こちらで情報を得たり、お手洗いを借りて、レンタサイクルを申込みました。

レンタサイクルは電動機付きなら1,000円、なしですと500円です。

浅井夫婦がお出迎えしてくれております。

天気も良くなってきました。ではレンタサイクルで出発~

颯爽と走って10分くらい、小谷城址の目印が見えてきました!

ん、おや?宛てにしていた郡上南交差点にあったコンビニエンスストアが閉まっています。

ガーンΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン お昼ご飯の入手ができません!!

これはえらいこっちゃですよ、お昼を山頂でいただくつもりでしたのに。

(つд⊂)エーン、仕方ない、諦めます。

 

何とか河毛駅から15分で、小谷城戦国歴史資料館に到着。

お城はこんなイメージ。右側の曲輪を登っていきます。

なんちゃって天守の前にあるのは、浅井夫婦の写真スタンド(?)

資料館の手前の道を横に入ります。追手門入口です。

この道を進むのです。

追手門入口には、浅井家部将の磯野カツオならぬ磯野丹波守員昌の屋敷跡。

この人は佐和山城主だったりします。

獣害防止用の柵です、いよいよ始まります。小谷城攻略開始です。

序盤からこんな感じです。

10分くらい登ると右に車道が現れます。車で来た方はここを登れるのです。ズルい(笑)

私は左の道をひたすらに登るのです。

ヒィヒィ。

真柄ならぬ間柄峠。

朝倉は、六角と共同で近江に攻め込んでいたのですね。と言っても城は落とさずにプレッシャーを与えるだけだったみたいです。

展望台です。

真ん中はまたもや竹生島、右の小高い山が山本山。今日できれば登りたいのですよねえ。

おや、分岐点。右を登ると、金吾丸だそうです、行ってみます。

け、険しいなあ、でも5分頑張ると……

名将の誉れ高い朝倉教景こと宗滴じいさんがここで陣を構えていたそうで、諡号の金吾から名前が取られていました。

金吾というと小早川秀秋なんかを思い出しちゃいますが、時代が合いません。

金吾丸を通過して番所まで来ました。

番所跡。この辺りまで車で来れる訳です。

対浅井家の織田方最前線である虎御前山が左の小高い丘です。

こんなに近いところで睨み合いしてたとは!こちらもまた行ってみますね。

御茶屋跡。

奥には庭園があったとのことですが、その名残りでしょうか。それとも単なる石垣の残滓?

馬洗い池だそうです。

背後は水場になっておりますが、少なく感じます。

馬も足らないとか不満で鳴いてしまいそう。

奥まったところには御馬屋跡。お馬さんのお世話をしてたんでしょうねえ。

もう少し登ると、

首据石とかいう穏やかではない名前があります。

浅井亮政(浅井長政の祖父)が、敵の六角氏に内通していた部下の首を晒したらしいです。

右に行くと赤尾美作守の屋敷跡、行ってみましょう。

少し下る感じ。

幟が立っています……あ、何か動いている。

お猿さんがいました!!写せませんでした(´・ω・`)

浅井の三将、海北綱親、赤尾清綱(美作守)、雨森清貞(弥兵衛尉)のことを、「海赤雨の三将」と何とも風情のある言い方で読んだりします。

花札を想像しちゃう(笑)海の札がないかな。

お墓があります。

浅井長政29才のお墓がここにあるのでした。

本丸を出てここで自害されたということです。おいたわしや、浅井長政殿。

戻ります。

桜馬場というところに出てきました。

浅井氏家臣戦没者供養塔です。

その先はまたもや展望台です。大河の江、姫たちの戦国第一話で使われました。

虎御前山が左手、湖の真ん中に竹生島、右手に山本山が見えているのです。

黒金門跡。

左側を進みますと、

史蹟小谷城の石碑、これを見て初めてお城に来た感がありますね。

振り返るとこんな感じです。

更に上に行くと大広間へ、本当に広いです。

本丸の手前が最大の平べったいスペースになるのです。

奥に、石の壁、あそこの上が本丸ですよ!!

右から上に行けそうです。

ここが本丸ですが、何も跡は見当たりませんでした。先にも何もないので降ります。

本丸下の石垣を見ます。

山王丸方面へ進みましょう。

右が本丸、左が中丸、ここが大堀切跡です。

中丸跡ですね、いろいろ曲輪があるのです。

まだまだ進みます。

刀洗池とあります。その後ろが窪んでおり、往時には水があったのでしょうか。

京極丸へ進みます。

京極丸、いやいや良く登ってきました。

小丸にて浅井久政(浅井長政の父)が自刃したそうです。

久政は49才だったそうです、隠居したイメージでもっとお年寄りの様な気がしていました。

大石垣を見に行きましょう。

これこれ。良いでしょう?

無造作に積んでいる気がしますが、お見事。

山王丸に到着、下から2時間弱掛かりました。

ここでお昼を食べる予定でしたが……食料なし(笑)

ただいま11時40分。

山王神社のお社があったのですね。

前もここまで来ていましたが、今日の私は大嶽まで行きます。

小谷山の頂上まで、頑張れ、私。

下るんですよね、嫌なイメージです。だってその後また登るの確実ですもん。

六坊跡。ここには領内の寺院が6つ出張所(?)を構えていたそうです。

神社は1か所、寺院は6か所、まとまれないのが悲しいところ。

最高峰まで歩きますが結構キツいです。ロープ場もあり、掴まらないと下れないし登れません。

後100メートル!!

到着です。山王丸から30分掛かりましたよ~

大嶽城跡。

一番奥なのです、疲れました~

三角点。

海抜495メートルですって。

前は山王丸でギブアップ(?)したので嬉しいです。これでご飯があれば言うことないのですが(笑)

って、また視界に何か動くものが!

トカゲさんでした。動かないふりをしています。

12時19分。9時45分に登城開始ですのでざっと2時間半ですね。

では一気に降りましょう。

14時、小谷城戦国歴史資料館まで下山。下りも1時間半くらい掛かっています。

信じられないことに走って登って下る方もいたのです。トレイルレースにでも出る方なんでしょうか。

自販機は明智の桔梗紋。

キリン生茶をゴクゴクいただきました。

少し脱水症状が出ていますね、飲んでも足りません。

この後予定では虎御前城と山本山城に行くつもりですが、お腹が減っているので、まず昼食を取りに行きます。

平和堂系列のフレンドマート湖北店が最短3キロですので、これから向かいます。他のお城攻略は厳しいかも( ;∀;)

 

結局お昼食べたらそこでバタンキューでした。

虎御前城と山本山城は次の機会とします。お昼を用意して参りますね。

河毛駅コミュティハウスに自転車を返却した後、電車を待つ間にジオラマ鑑賞。

右奥が小谷城、左手前が織田方最前線基地となった虎御前山城。

 

ひー、お風呂入りたいです、汗だくです。

あ、そろそろ電車が来ます、それでわ、また。


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2 コメント

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落城した城はコワイ (栗八)
2024-06-30 10:33:56
図からして高低差がすごい造りになってますね!
段々に防御ってわけですね。
草も刈られていたり、地面もぬかるんでなかったりしても、きつそうです。
弁当無しの登城、ご無事で何より

浅井長政関連
信長、お市、茶々、江、、、千姫、家光…
秀吉、家康も絡むわけで
長政の思惑もわかりませんし、お市もわかりません。
もし、この二人が、縁が無かったら
まったくちがった日本国に…
返信する
お江の家系 (馬鹿琴)
2024-06-30 18:00:30
茶々は3回落城を経験した稀有な方、お市と江、初は2回経験していますねえ。

調べますとお江の家系は、徳川宗家では7代将軍家宣まで続いていました。
娘がおり、前田家に嫁いだ方は、何と現代まで続いているそうです( ゚Д゚)

また死別した豊臣秀勝(秀吉の養子)との間にも娘がおり、九条関白家に嫁いでいます。その家系は長く続き、大正天皇のお妃、即ち昭和帝、今の上皇陛下に連なっているのだそうです。

お初ちゃんの方は、残念ですが子供がおらず、織田、浅井の家系はお江が伝えているということなんです。凄過ぎますね。
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