宗教心って何だろ。
by |2008-06-14 21:57:57|
風の音、樹々のざわめき、小川のせせらぎ。
虫の鳴き声、雨の音、波の音。
日本人は、これらの自然音を、左脳で聴くのだそうです。
これは日本人とポリネシア人だけにみられる特徴で、西洋人はもちろん、同じ東洋人である韓国人や中国人も、自然音は右脳で聴いているのです。
音楽や機械音、雑音を処理するのを得意とする右脳に対し、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つのが左脳、別名言語脳です。
斎場御嶽(沖縄県) 琉球王国の聖地として、神事が執り行われた。
人間が話す言葉を理解する左脳で、風の音や小川のせせらぎを聞いている。
大げさに言ってしまえば、我々日本人はこれらを単なる「音」としてではなく、「声」として「言葉」として認知しているのです。
山、川、動植物、星、土、水、太陽。
縄文時代からすでに、日本人は自らを取り巻く自然のなかに神を見ていた。
人間と対等、もしくはそれ以上の存在として自然を畏れ敬ってきた日本人からすれば、木々や動植物が言葉を話すなんて当たり前のことだったのではないでしょうか。
仏教伝来以前の宗教世界がなおも残存しているアイヌや琉球の人たちは、今でも自然神を非常に大切にします。
そうした信仰の名残は仏教伝来後の我々にも染みついているのか、深い森や断崖絶壁など息を呑むような自然のなかに身を置くと、ちょっと怖いような神聖な気持ちになったりしますね。
古くから、木々や岩には不思議な霊力があると考えられてきた。
そんな我々が、豊かな生活のために道路やダムをつくる。
それによって多くの人が救われるのは良いことですが、人間の幸福のためだけに森林がや生態系が破壊されるのもこれまた事実です。
殺されていく木々の痛み、住む場所を追われる動物や昆虫たちの悲しみ。
人間の幸福は、こうした神々の苦しみと引き換えに「与えられ」ているのです。
決して自然をねじ伏せて「勝ち取った」ものではありません。
人間はもう少し謙虚になって、自らの罪に対してより自覚的でなければならないのかもしれませんね。
自然を愛する。
生きとし生けるものすべてを大事にする。
自然をあがめ、自然と共存してきた日本人にとっては、それだけでも立派な宗教心だと言えるのではないでしょうか。
自然界に存在するすべてを愛し、自分を大事にする。
自分を愛することが、自分を生んでくれた親そして先祖たちへの愛へとつながる。
先祖崇拝とは、そのような過程のなかから必然的に生まれたものだという気がしてなりません。
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日本人は、これらの自然音を、左脳で聴くのだそうです。
これは日本人とポリネシア人だけにみられる特徴で、西洋人はもちろん、同じ東洋人である韓国人や中国人も、自然音は右脳で聴いているのです。
音楽や機械音、雑音を処理するのを得意とする右脳に対し、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つのが左脳、別名言語脳です。
斎場御嶽(沖縄県) 琉球王国の聖地として、神事が執り行われた。
人間が話す言葉を理解する左脳で、風の音や小川のせせらぎを聞いている。
大げさに言ってしまえば、我々日本人はこれらを単なる「音」としてではなく、「声」として「言葉」として認知しているのです。
山、川、動植物、星、土、水、太陽。
縄文時代からすでに、日本人は自らを取り巻く自然のなかに神を見ていた。
人間と対等、もしくはそれ以上の存在として自然を畏れ敬ってきた日本人からすれば、木々や動植物が言葉を話すなんて当たり前のことだったのではないでしょうか。
仏教伝来以前の宗教世界がなおも残存しているアイヌや琉球の人たちは、今でも自然神を非常に大切にします。
そうした信仰の名残は仏教伝来後の我々にも染みついているのか、深い森や断崖絶壁など息を呑むような自然のなかに身を置くと、ちょっと怖いような神聖な気持ちになったりしますね。
古くから、木々や岩には不思議な霊力があると考えられてきた。
そんな我々が、豊かな生活のために道路やダムをつくる。
それによって多くの人が救われるのは良いことですが、人間の幸福のためだけに森林がや生態系が破壊されるのもこれまた事実です。
殺されていく木々の痛み、住む場所を追われる動物や昆虫たちの悲しみ。
人間の幸福は、こうした神々の苦しみと引き換えに「与えられ」ているのです。
決して自然をねじ伏せて「勝ち取った」ものではありません。
人間はもう少し謙虚になって、自らの罪に対してより自覚的でなければならないのかもしれませんね。
自然を愛する。
生きとし生けるものすべてを大事にする。
自然をあがめ、自然と共存してきた日本人にとっては、それだけでも立派な宗教心だと言えるのではないでしょうか。
自然界に存在するすべてを愛し、自分を大事にする。
自分を愛することが、自分を生んでくれた親そして先祖たちへの愛へとつながる。
先祖崇拝とは、そのような過程のなかから必然的に生まれたものだという気がしてなりません。
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