行動すること。
by |2008-10-27 00:08:42|
とある本に、こんなことが書いてありました。
何事も、懸命に打ち込めばその面白みが分かるのだと。
仕事にしても趣味にしても、やる前から「こんなことやっても面白くないんじゃないか」とか「こんなことやっても大した成果は得られないのではないか」と言ってやらない人は、決してその面白さを知ることはない。
打ち込むからこそ面白さが「理解」できるのに、やる前から面白さや意味を求めてしまうところに、今まさに蔓延しているニヒリズムの元凶があるのではと、そんなことが書いてありました。
確かにそうだなあ。
ジムで30分も1時間も走って何が楽しいのかと問われれば、走ってみないと分からない、としか答えようがありません。
「しんどいだけやん」
とよく言われますが、とりあえず本当にそうなのかどうか、走ってみたらいいと思います。
それで楽しくなかったら、やめたらいいだけの話です。
やってみて本当に面白いこと、意味のあることなんてそんなにはないかも知れません。
でも、何にもしなければ、確実にゼロです。
そんな日々に満足しているのなら良いのですが、何にもする気が起きないときというのは、得てして現状を憂いてしまう。
そんなとき、現状を変えるのは、自身の「行動」しかないのです。
何か面白いものがないか探しても、見つからないことが殆どです。
まずはとにかく「行動」してみて本当につまらなかったら、また別の「行動」を起こせばいいのです。
そうしているうちに、きっと面白いことに出会える。
と言うか、面白さを「見出せる」自分に出会える。
そういうことなんでしょうね。
心が疲弊しているときは、どうしても腰が重くなりがちです。
かく言う自分も、人一倍腰が重いんですよね。
で、ストレスを感じているときって大体、身体が動いてません。
身体が動いてないときって大体、心が動いてないんです。
「馬鹿馬鹿しいけどやってみる」精神状態のときは、物事が上手くいくことが多い。
上手くいかなくても、別の角度からトライしてみたりもできる。
面白い面白くないを決めるのは、結局自分自身でしかなくて、物事の存在自体の性質ではないわけです。
そう考えると、今の世の中、そう捨てたもんじゃないと思います。
消費すること、蕩尽することに快楽を求めるとキリがありませんが、一見無価値に見えるものとも真剣に向き合うことで、何らかの面白さを吸い上げることが出来れば、それってむしろ幸福なことではないでしょうか。
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