言の葉。
by |2010-11-17 00:49:35|
最近ブログの更新頻度が落ちたねと、ご指摘をいただきました。
妻からもそう言われつづけはやふた月。
目まぐるしい日々のなかでいろんなことを感じながら、
それらをじっくりと咀嚼して吟味するときどきに付随する迷いやためらい。
そんな感覚を楽しむように筆が進むときそれは、砂漠を走るジープのように猛烈な砂煙を上げて、意気揚々と皆様の眼前に表出するのです。
そして現在。
忙しいと言えば確かにそうなのかも知れない。
けれどそうした外的要因はあくまで二義的なものでしかなくて。
要はただ少し、感性が枯渇していたのでした。
いや、ちょっと違うのかな。
過去のブログを読み返すと、恥ずかしいくらい下手クソで自己嫌悪してしまうんです。
元々才能なんてものはかけらもないから、その自覚ゆえにとかく「てにをは」や接続詞にこだわったりなんかして、
曲がりなりにも企業のブログってことで、それでもまあ良しとしていたんです。
ところが「ちゃんと書こう」「説教めいたことも書かなきゃ」とか、
身の丈に合わぬ目算あらばこそ、表現が上滑りするというか、1000%自分の言葉だったら下手クソなりに清清しく居直れるはずが、どこか肩身が狭い。
僕の中にはもっと自由な、もっと生々しい表現があるはずだ。
イチ個人としての偏向を抹殺した言葉の上澄みに、果たして面白みがあるのだろうか。
読んでいる方の胸に響くような、そんな言葉こそが必要とされているんじゃないか。
生活をより便利にするとか、身に纏って異性を惹きつけるとか、
お墓ってそういう類のものじゃないので、
そんなお墓に携わる会社のブログは、たとえそれが企業としての活動に直接リンクしないとしても、
日々に感謝する気持ちをただありのままにしたためていくことが大切なのであって、
僕はずっとテーマという足枷を自ら嵌めていたようなところがあって、それはそれで今後もつづけていかなければならないとも思ってはいるのですが、
刹那に感じた思いの端くれとかそういったもののなかに時折燃えかすのように光がきっと宿っていて、
その光に照らされて何となくやさしい気持ちがこの世にひとつでも増えたなら、
それは意味を超えた小さな達成なのかなあと、そんなことをうだうだ思っているうちに日々は矢のごとくめぐったのでした。
これではいけません。
単にサボってるだけです。
思った以上は踏み出さねば。
何が大きく変わるではありませんが、今後はテーマやカタチ、素材にこだわらず、
今やってるラジオ番組「あなた日和」的なエッセンスを織り交ぜつつ、他愛もない日常を綴っていけたらなあと至極勝手に思っています。
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