秘蔵写真 伝えたかった中国・華北――京都大学人文科学研究所所蔵華北交通写真――
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試運転列車 京包線 1939年8月21日 撮影:豊田 |
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大同炭田 永定荘 ダンプカーを操作する少年工人 1940年6月 撮影:吉田 |
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JCIIフォトサロン、JCIIクラブ25では、来る2016年11月29日(火)から12月25日(日)まで「秘蔵写真 伝えたかった中国・華北――京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真――」を開催します。
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日本が占領した中国華北地方で設立された国策会社「華北交通」が当時、グラフ誌制作などのために現地で撮影した写真の展覧会が11月29日、東京・半蔵門にある日本カメラ財団(JCII)のフォトサロン東京都千代田区一番町 東京都千代田区一番町25 JCIIビル 1F で始まった
入場無料、12月25日まで
岐阜県警は3日、窃盗などの容疑で逮捕した容疑者宅から高性能爆薬「過酸化アセトン(TATP)」が見つかったと発表した、TATPが見つかったのは、窃盗容疑などで逮捕された岐阜県多治見市の無職の男(37)の自宅。男は、同県土岐市のゴルフ場から現金約693万円を盗んだ疑いで、1日に逮捕された。自宅の捜索で白っぽい粉末の入った卵形のプラスチック製容器(直径6~7センチ)2個を押収した際、男が「爆発物だ」と説明したため、県警が粉末の成分を調べていた
【月刊正論12月号】
本稿ではユネスコの腐敗の象徴として、私の祖国・ブルガリア出身であるイリナ・ボコバに焦点を当ててみたい
ユネスコ事務局長のイリナ・ボコバ(女性)は、典型的なブルガリア共産主義体制の申し子であり、このことがボコバを良くも悪くも興味深い人物にしている。彼女の個人的な性格は別として、ボコバや彼女の父親はブルガリア共産党の幹部で、我々庶民とはまるでかけ離れた世界に住む特権階級の出身だった、一般庶民は日用品や食料品など必要最低限のモノを買うために毎日店の前に並ばなければならなかったのだが、ボコバ一家のような特権階級の人々が住むのは門で囲まれた特別居住区だった。ここにはトラックで豊富な食料品やさまざまなモノが運び込まれ、何の苦労もなくすべてが手に入った。しかも、これらは政府によって無料またはかなりの低価格で提供されたのである、ボコバが受けた教育やキャリアは特権階級に属していた家族によるところが大きい。ボコバの父、ゲオルギ・ボコフは共産党機関誌の編集長で、プロパガンダ活動の中心人物であり、1954年から89年までブルガリアで独裁体制を敷いていたトドル・ジフコフ国家評議会議長と近い関係にあった。筆者がソフィア大学に在学していた時に、何度かボコフの講義を聞かなければならないことがあった。大学で講義をするだけの知識がなく、自分の意見を主張するわけでもない。最初から最後まで共産党の政策を賛辞するだけの話は、まったく退屈だった。このような話を聞かなければならない学生は不運だったと思っている、ボコフは、第二次世界大戦中に反政府のゲリラとして活動を始めた。ソ連軍がブルガリアに侵攻し占領した後、ボコフのキャリアは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その一方で大戦中に、著名なジャーナリストで漫画家であるライコ・アレキシエフがスターリンの風刺画を描いたという理由で殺害しただけでなく、人民裁判所による処刑にも関与していた。1944年以前にファシズム政権に加担した、とされた数千人の政治家や知識人の殺害を許可する弾圧的な人民裁判所がソ連の命令により設置されたが、ボコフはここでの処刑にも関与していたのである、そうした父のもとで、ボコバと兄のフィリップ・ボコフは特権階級に与えられた無限の恩恵を受けて育った。彼らは共産党幹部だけに入学が許可された首都ソフィアのエリート英語学校で学んだ。1976年、将来の外交官を養成し、KGBと近い関係にあったとされるモスクワ国際関係大学を卒業したボコバは西側諸国を何度も訪問している。さらに82年から84年まで、ブルガリア政府の代表としてニューヨークに赴任した、この時代、一般のブルガリア人は移動が厳しく制限されていた。共産圏内の隣国へ行くにも、毎回ビザを申請しなければならず、地元の警察(民兵)が出国の許可を出さないこともあった。出国できるかどうかは民兵の判断次第だったが、ボコバはこのような不便を味わったことは一度もなかった