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今回の安部氏の銃撃事件直後に【民主主義の危機】【民主主義への挑戦】という民主主義を
含む言葉がが多く使われ、岸田首相も【民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく】という、
言葉を残して安部氏の国葬に早い決断をした・・・・・
だが、容疑者は政治テロではなく個人的な恨みでの犯行に及んだらしく、民主主義の危機とは
全く違うのでは❔という声も多大に出でいるメディアによる【これさえ言っとけばいいだろう】との
紋切り型フレーズ【何か言ってるようで言っていない】という伝統的な所作の意味もふくまれて
いるのだろうか・・・民主主義に必要な態度の一つは、意見が割れ、賛否がある議題ほど
丁寧に多角的に議論を重ねていくことであり、しかし岸田首相は国葬議論でそのようなプロセスを
すっ飛ばし、民主主義を断固として守り抜くとの言葉とは相反する国葬をいち早く表明したことは
保守コアに見放されないように【自分を守りぬいた】だけではないのか❔
批判なき政治は独裁を生むというが、今回は批判どころか議論すら封鎖され岸田首相の決断は
民主主義を守り抜くどころか【民主主義への挑戦】に見えてしまう・・・
これをきっかけに今後も次々挑戦が行われるのだろうか❔❔
最近の中曽根氏の合同葬儀では政府は約9600万円を支出これをもとに試算すると国葬の場合は
2億円以上はかかるとのことだ(東京新聞7月16日) 国葬の基準も明確にしないから意見が出る
自分の基準でなく世の中の俯曔化にみたほうがいい、様々な議論が必要な気がする・・
様々な意見が出れば、形式に対するメリット・デメリットなど細かい議論もでてくる
そしてまた考えることもできるだろう岸田さんもう少し議論してみだらどうか❔文春インより/span>