震災翌日のスーパーに並ぶ行列。震災翌日のスーパーに並ぶ行列。

東日本大震災の被災地・仙台から寄稿させていただくことになりました。被災... といっても沿岸部に比べたら本当に小さな被害で済んだのですが、そんな中でも感じたことを伝えていければと思います。まず今回は、数日間の避難所生活と、そのあと家に戻ってからの被災生活で役立ったものについて。


●スノーボードウェア
仙台では被災当日に雪が降り、夜には氷点下となりました。下着、ヒートテック、ジーンズ、セーター、パーカーなどいくつも重ね着して、その上にスノーボードのウェアを着て寒さをしのぎました。壁が崩れて冷たい風が吹き抜ける部屋の中で、いま現在も着たまま仕事をしています。それから軍手、長靴も安全と防寒の両面で必須。


●懐中電灯
街灯がつかず、家庭の明かりもない街の中は想像以上に真っ暗。夕方以降に出歩く時、家の中から物資を引っ張り出してくる時、停電生活のあらゆる場面で役立ちました。慌てて避難したために持っていない人も多く、避難所で何度も貸してほしいと頼まれました。


●ブルーシート
床の冷えまでは遮ってくれないので、段ボールの上に敷きます。場所の確保にも重宝。ところでここまでのアイテム、すぐに揃えて避難所へ向かうことができたのはなぜかと思ったら、春先に行われる野外フェスに向けて準備してあったからでした。あらためて防災グッズと意識しなくても、音楽好きの方はフェスに向けた道具一式をいつも同じ場所に保管しておくだけでもだいぶ違うと思います。


●携帯ラジオ
ほぼ唯一の情報源。加えて、パーソナリティが語り掛けてくれる言葉でどれほど気持ちを落ち着かせることができたか。気になるのは電池の持ちですが、ずっと入れっぱなしだったアルカリ電池で1週間以上。携帯の充電器などで使用済みの電池でも丸1日以上動作しました。避難所には手回し充電式のラジオ兼ライトを持っている人も多かったです。あれ、すごく便利なので皆さん用意しておくといいと思います。


●エネループ(充電式電池)
まず直面するのが携帯電話のバッテリ切れ。親族や知人たちに繰り返し電話をかけ、何度もメールを送ろうと試みるもなかなかつながらない。気持ちだけが焦って余計にいじってしまい、どんどんバッテリが減っていきます。十分に電池を買い溜めしておけばよいのですが、こんな時に限って無いもの。今回はエネループに助けられました。その後、電気が復旧したエリアに住む友人に充電してもらってまた使えたのも充電池ならでは。


●塩(調味料)
避難所で配られる味気ないにぎり飯やお吸い物。最初は1日1食でも口に入れられるだけでありがたかったのですが、どうしてもひもじさを感じてしまいます。そんな時、塩で味を濃い目にするだけで満足感アップ。湯がいただけの野菜が配給されることもあるのですが、塩とオリーブオイルで十分に美味しくいただけました。


●酒
不謹慎かもしれませんが、事実、お酒には助けられました。何しろ家にあった食料はわずかで、日本酒、ウイスキー、焼酎、果実酒など酒だけはやたら豊富という状況。酔わない程度にチビチビと飲むことで、身体が温まるだけでなく、焦燥した気持ちが落ち着いていくのが分かりました。もっとも、これは個人差があると思いますが...。また、避難場所や状況にもよりますし、避難所では御法度です。


●氷砂糖
梅酒を作った余りで残っていた氷砂糖がこんな時に役立つとは。登山では血糖値を上げてくれるアメやチョコレートが欠かせないように、寒さと空腹の中で口に入れていると少しは安らげました。


●ウォーターサーバ
12リットル入りのボトルが3本あったおかげで、当面の飲料水には困りませんでした。空いたボトルは口を開けて給水にも活用。破損扱いでこのあと補償金を取られてしまうかもしれませんが、背に腹は代えられません。飲料水よりも生活用水のほうが大量に水を必要とすることも体験して分かったことの一つ。浴槽への貯水もよく言われることですがホントに重要です。


想像を超えるようなものは何一つありませんが、やっぱり過去の災害を教訓とした防災グッズは的を射ているんだなぁという印象。非常食や簡易トイレなども入った豪華なセットもありますが、避難所生活は助け合い、与え合いが前提。自分だけ十分過ぎる準備をしたところで、あまり意味がないのかなぁというのが正直な気持ちです。実際、僕も残っていた食糧やガスボンベなどほとんど拠出しましたが、その何倍も助けていただきました。