昭和20年 終戦を迎えた日本は、まさに 貧困の時代でした。
今も 8月になると 戦時中の痛々しい映像がドラマ化されたものや 映画化されたものを目にしますが
戦時中よりもむしろ、戦後の日本のほうが、物が無く 大変だったようです。
高橋少年は 終戦を迎えて3年後の 小学4年の頃から
父親の仕事を手伝うようになりました。
どこの家庭でも 食べていくのがやっとの時代。幼い少年が仕事をするのも
決して珍しいことではなかったとはいえ、遊びたい盛りの小学生時代に
「遊ぶ暇があったら働け」
と父親から厳しく言われ、なかなか友達の輪に入ることが出来ず、当時少年たちの間で流行っていた
『ベーゴマ遊び』を 一体どうやって回すんだ
と その様子を遠巻きに眺めてたりしていたそうです。
そんなある日、朝食も済ませないうちに 仕事へ行かされる事になった高橋少年は
空腹得ぬまま 仕事先へ・・・
ある一軒のお宅で作業をしていると、家主から声を掛けられました。
“こんな朝早くから君は偉いねぇ。どこの学校に行っているんだい?”
と訪ねられ、 “西小学校です” と答えると
“おや、そうだったのか・・・私は 君の通っている小学校の校長だよ”
と言われ、
仕事が終わった帰りに ご褒美として 200円をもらって帰ってきたことを
今でもよく憶えている と話してくれました。
当時は 100円で ラーメン1杯に映画が観られたのだそうで、200円と言えば
相当の贅沢が楽しめる金額だったことになりますね。
そのもらったお金を どんな使い方をしたか?までは記憶にないそうですが
とにかく、たまげるほどの金額だったそうで・・・
そんな経験をしつつ、高橋少年は 中学へと進学していくのでした。
つづく